彼と彼女の十月十日 ~冷徹社長は初恋に溺れる~

幸村真桜

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5章

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 秋良が深い眠りについたのを確認してから、冬磨は起き上がった。頬にかかった髪を避けて、しばし顔を眺める。少し幼くなる寝顔がかわいらしくて、自然と頬が緩んだ。

 頭をそっと撫でて、ベッドを出る。スマホを見ると、予想通り勇人からその後についての連絡が入っていた。ざっとそれに目を通し、それから勇人に電話をかける。

『はい』

「遅くにすまない。今、報告を読んだ。すべて任せて悪かったな」

『いや、気にしないでくれ。秋良さんは? 大丈夫か?』

 あれから勇人の態度は大きく変化した。自分の言動を反省したところもあったのだろう。秋良に大してバカにしたような発言はまったくしなくなった。冬磨から見ると、本来の勇人に戻ったという感覚だ。

「切迫早産で自宅安静の指示は出たが、今は落ち着いてる」

『そうか⋯⋯。それは心配だな。仕事のことは調整するから、しばらく傍にいた方がいいんじゃないか?』

「いいのか?」

『仕事のことはなんとかする。会長と副社長に頑張ってもらおう。⋯⋯すまない、冬磨。秋良さんの元カレに⋯⋯あの男にふたりの情報を流したのは美貴みたいなんだ』

「なに?」

『あれから両親に美貴の監視をしっかりするよう言ってあったんだが、それが甘かったようで⋯⋯隙を見て家を抜け出してマンションの周りをうろついていたらしい。それであの男と⋯⋯。本当にバカな妹ですまない。今後、絶対にこんなことがないように俺がしっかり見張っておく。だから⋯⋯』

 すまないと何度も謝る勇人の悲痛な声に心が痛む。まさかそこが繋がっているとは思いもしなかった。

 だが、浩太は秋良の後をつけていたようだし、美貴のことがなくてもあの男は行動を起こしていただろう。こちらがもっと注意を払っておくべきだった。

「勇人がいなかったら、俺は冷静になれていなかった。今日ほど、お前が秘書でよかったと思ったことはない」

 電話の向こうで勇人が息を呑む気配がした。これは本心から出た言葉だ。秋良が家にいないと気づいたとき、冬磨では自分でも驚くほどひどく取り乱してしまった。それを宥め、叱咤してくれたのは勇人だ。

 それで冷静さを取り戻すことができた。浩太から電話がかかってきたときにはすでにいろいろな手配が終わっていたのだが、それを気取られないように対処できたのもそのおかげである。

 秋良が異変も訴えたときもだ。冬磨は自分が冷静な人間だと自負しているが、どうも彼女が絡むとそれが崩れてしまう。それだけ彼女が大切なのだ。

 冬磨は大企業の社長だが、会社の中のひとつの駒にすぎない。様々な人に支えられて仕事ができていることに秋良と結婚してからようやく気がついた。

 今までどれだけ勇人に助けられてきたか。秋良に対する態度は褒められたものではないが、誰にでも間違いはあるし彼はそれを正していける人間である。

『⋯⋯冬磨変わったな。秋良さんの影響だよな。あの人、なんていうか⋯⋯器が大きい』

 勇人の言葉に口元が緩む。勇人が謝罪にきたときのことを思い出しているのだろう。怒ってもいいのに、彼女は美貴と勇人の気持ちも分かるからとあっさり許してしまった。彼女は包容力の塊のような人間で、大抵のことはなんでも許してしまう。

 それが彼女の強さではあるが、ともすると浩太のような人間につけ込まれてしまう弱さもでもある。そんなところを、冬磨は守りたいと思っている。

「そうだな。今までの俺なら、勇人のことを切り捨てていたかもしれない。彼女のおかげで、大事な友人を失くさずに済んだ」

『やめろよ、泣くだろ。⋯⋯本当に、ごめん。仕事のことはなんとかするから、ゆっくり休んでくれ。多分、完全な休みとはいかなくなるけど、そこはすまん』

「ああ、分かってる。ありがとう、勇人」

 電話を切って、ふうっと息を吐く。とにかくこれで、周囲の問題はすべて片付いたはずだ。後は無事に出産を迎えることを祈るばかりだ。

 ベッドに戻ると、秋良はぐっすりと眠っていた。冬磨が隣に横になると、気配を察したのかすぐにすり寄ってくる。彼女は案外、甘えん坊だ。そんなところが愛おしくてたまらない。

 愛していると言ってくれたことを思い出し、胸がいっぱいになる。最愛の人が、同じ気持ちを返してくれる。これ以上の幸せがこの世にあるだろうか。

満たされるというのはこういうことなのかもしれないと思いながら、冬磨は愛する妻を抱きしめて目を閉じた。





*  *  *





 秋良は夢を見ていた。ここはどこなのだろう。まるで宙に浮いているような、雲の上を歩いているような不思議な感覚だ。きょろきょろと辺りを見回していると、誰かが遠くに立っていることに気がついた。

 手招きをされている気がして、そちらに向かうと真っ白なワンピースを着た女の子が手を振りながらこちらを見ていた。そして秋良を見てにっこりと微笑む。とても整った顔をした子だ。なんだか少し冬磨に似ている気がする。

「もうすぐ会えるね」

 どういう意味かと首を傾げると、少女は楽しそうにクスクスと笑った。

「私はね、パパとママを結びつけるためにきたの。ふたりはそういう運命だったんだ。本当は一番じゃなかったんだけど……あのふたりがグズグズしてるから先に飛びこんじゃった」

 舌を出してイタズラっぽく笑った少女が、そっと秋良のお腹に触れた。

「私は大丈夫だから、心配しないで。早く会いたいけど、ちゃんと時がくるまでここにいるよ。あのふたりも、ママのところに早くきたいって言ってる。怖がって泣いてたくせにね」

「あなたは⋯⋯」

「生まれたら不自由なことが多くて困らせちゃうかもしれないけど、大抵のことは気にしなくていいよ。私、すくすく育つから。だから、パパとママは気にせずにラブラブして新婚生活を楽しんで。あの子たちも早くきたがってるし。あ、でも大変だから少し間を空けた方がいいかも」

 呆気に取られる秋良に、少女は手で作ったハートマークを向けてくる。

「あとひとつ、私は十一月一日に生まれるよ。だからその日はパパにおうちにいてもらってね。ママ、一緒に頑張ろうね」

 にっこりと笑った少女の姿が、徐々に消えていく。そして白いもやになって、秋良の胸に吸い込まれていく。

 ハッと目を開くと、冬磨が秋良のことを穏やかな表情で見つめていた。彼女が目覚めたことに気づいた冬磨が、彼女の頬に手を伸ばす。

 大きくて、温かいそれに秋良は自ら頬を擦り寄せた。初めて出会ったときに、この手に惹かれたことを思い出す。いつでも触れてもらえる距離にこの手があることに、幸せを感じた。

「ふふ、猫みたいだ。おはよう、秋良」

「おはよう。いつからおきてたの?」

「少し前。体調はどう?」

 張り止めの薬のおかげか、ゆっくり眠ったせいかお腹の張りは落ち着いているようだ。それを伝えると、冬磨はホッとしたように微笑んだ。

 強い緊張からくるストレスが原因だから、しばらく安静にしていれば大丈夫だろうと院長も言っていた。この分なら、日常系活に戻れる日もそう遠くないかもしれない。

 先ほど見た夢の話を冬磨にしようとしたが、いざ口にしようとすると内容があやふやになってしまった。

「冬磨さん、仕事は?」

「ああ、勇人が調整をしてくれて、秋良の体調が落ち着くまで休むことにした。多少、雑務はこなさなければいけないが、出社はせずに家にいるよ」

 思いがけない言葉に目を見開く。彼とずっと一緒にいられるという事実に喜びの感情が溢れそうになるが、秋良のせいで迷惑をかけているのだ。不謹慎な気がしてぐっとこらえる。彼女の表情の変化を見ていた冬磨がふっと表情を綻ばせた。

「思いがけない休暇だが、秋良とゆっくりできて俺は嬉しい。このところ忙しかったから、秋良不足が深刻だ」

 優しく抱き寄せられて、気を遣わせてしまったと心が痛む。謝罪の言葉を口にしようとして、秋良は口をつぐんだ。きっと冬磨はそんなことは望んでいないだろう。

 黙ったまま彼の胸に顔を寄せると、規則正しい心臓の音が聞こえる。少し鼓動が速い気がする。秋良と一緒だ。トクトクと規則正しいリズムを刻むその音を聞いていると、とても気持ちが落ち着く。

「ずっとバタバタしていて、こうやってじっくりふたりで過ごす時間もなかったな。もっとお互いのことを知るいい機会だ。きっと俺たち、まだお互いに知らないことがたくさんある。ああ、それから俺に料理も教えてほしい。こういうときに、役に立たない夫にはなりたくないから。……簡単なものからにしてほしいけど」

「うん、そうだね。私も……もっと冬磨さんのことを知りたい」

 その日から、ふたりは一日中ほとんど離れずに過ごした。幼い頃の思い出や、好きだったことを話し、共通点を見つけては盛り上がった。お互いが好きな映画を見たり、本を読んだり。これから必要なものを調べるのも楽しかった。

 冬磨はたくさんの出産と育児の本を読んでいたことも知った。なかなかの量に目を丸くしたほどだ。詳しかったのも頷けるが、世の中にこれほど子育てに関心がある男性はどのくらいいるのだろう。

 育児書を一冊も読まない男性も多いのではないか。それを伝えると、冬磨は驚いた顔をした。

「そうなのか? 自分の子をお腹で育てて、命懸けで産んでくれるのだから当然だと思うが。妻を出来る限りサポートするのが夫の役目だろう」

 まさに夫の鑑のような発言だ。秋良も負けてはいられないと、冬磨から育児書を借りて読むことにした。

 そんななんでもできる完璧な冬磨にも、苦手なことはある。料理だ。彼は意外にも不器用で、食材を切ることがとても苦手だった。

 人間、誰にだって苦手なことはある。冬磨はできない自分に大層落ち込んでいたが、今は包丁を使わなくてもいいミールキットもある。そういうものを活用していけばいいのだ。

 そうして穏やかな二週間を過ごし、無事に秋良は病院から日常生活に戻っても良いと告げられてほっとしたのだった。
  
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