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第一章:エルフの聖女と、生きてる家
第八節:宣戦布告と、鋼鉄を食う森
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その日は、デス・バレーが始まって以来の、不気味なほどに静かな朝だった。
世界樹が放つ銀色の光は、いつもより鋭く空を突き刺し、アルトが配置した「探査草」たちは、一斉に北の空を向いて小刻みに震えていた。
「……来たね」
アルトは、「生きてる家」のテラスで、焼きたてのパン(アルトが自ら品種改良した、魔力含有量極大の『聖麦』で作ったものだ)を口に運びながら呟いた。
隣で紅茶を注いでいたシエラの手が、ぴたりと止まる。彼女の鋭いエルフの耳も、遠く地平線の彼方から響いてくる、大地を削るような重低音を捉えていた。
それは、数万の軍靴が刻む足音。
そして、巨大な魔導兵器が放つ、不快な金属音の混じった魔力の唸り。
「アルト様。……帝国アステリア、第一、第二正規騎士団。並びに魔導軍団、総勢三万。それに加えて、伝説の『魔導巨兵』が三機……。本気、ですね」
シエラの声には、かつて故郷を焼かれた時の恐怖が混じっていた。
帝国は、アルトという一個人を排除するために、小国一つを滅ぼすに足る戦力を投入してきたのだ。
「カインが持ち帰った『スイカ』が、よほどレオン殿下の逆鱗に触れたみたいだね。……でも、いい材料だ。これだけの魔導師が集まれば、この谷の地脈を一気に数百年分、活性化させられる」
アルトは最後の一口を飲み干すと、ゆっくりと立ち上がった。
彼の背後で、世界樹の葉がサァ……と音を立てる。それは、戦いを恐れる音ではなく、これから訪れる「養分」を期待して震える、捕食者の律動だった。
デス・バレーの入り口。
かつてアルトが引いた『緑の境界線』の数キロ手前で、帝国の軍勢は布陣を完了していた。
中央に鎮座するのは、黄金の装飾が施された巨大な移動要塞。その最上階には、狂気と屈辱に瞳を血走らせた皇太子レオンが立っていた。
「……あそこだ。あの忌々しい大樹を、根こそぎ焼き払え!」
レオンの手には、カインが持ち帰ったスイカによって見せられた「記憶」の残滓が、いまだに恐怖としてこびりついている。
自分の精鋭がキノコを生やして踊らされるという屈辱。それは、帝国の支配者としてのプライドを完膚なきまでに叩き潰すものだった。
「殿下、ご安心を。我が魔導軍団の『極大火炎陣』を以てすれば、いかなる巨木とて数分で灰に変わります」
自信満々に告げるのは、新任の宮廷魔導師長、エリックだ。
彼はアルトの後釜として、帝国の魔導予算を湯水のように使い、最新の魔導増幅器を搭載した魔導巨兵を完成させていた。
「始めろ! この世から『植物魔法』などという無能な概念ごと、あの男を消し去れ!」
レオンの号令と共に、戦場に破壊の音が響き渡った。
三機の魔導巨兵が胸部の魔導炉を解放し、眩いばかりの紅蓮の光を放つ。
それは太陽の表面温度に匹敵する、極大の熱線。
放たれた火柱は、デス・バレーの乾燥した空気を一瞬で蒸発させ、直線上にある岩石を溶かしながら、世界樹へと迫っていく。
誰もが確信した。
どれほど強靭な木であろうと、この熱量には耐えられない。燃え上がり、炭化し、崩れ落ちるだろうと。
――だが。
火柱が『緑の境界線』に触れた瞬間、異変が起きた。
「……何だと!? 火が……消えたのか?」
エリックが絶叫した。
火柱は、世界樹に届く遥か手前で、まるで目に見えない巨大な口に飲み込まれるようにして「消失」したのだ。
火柱が消えた場所から姿を現したのは、燃えるどころか、艶やかな赤い輝きを増した巨大な「多肉植物」の壁だった。
それはアルトが開発した新種、『火喰いサボテン(サラマンダー・カクタス)』。
火属性の魔力を最も効率的なエネルギーとして吸収し、自らの成長速度に変換する、対火魔法用最終兵器である。
「お礼を言わなくちゃね。おかげで、この子たちの花が咲きそうだ」
デス・バレーの中心で、アルトが静かに指を鳴らした。
すると、数万の帝国軍の足元から、地鳴りと共に無数の「芽」が噴き出した。
それはただの草ではない。
騎士たちの鋼鉄の鎧を「肥料」として認識し、金属を分解する強酸の粘液を滴らせた、銀色の蔦――『鋼鉄喰らいの蔓(アイアン・イーター)』だ。
「ぎゃああああ! 鎧が、鎧が溶けていく!」
「剣が握れん! 蔦が……腕を、腕に食い込んで……!」
戦場は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄へと変貌した。
重厚な防備を誇っていたはずの正規騎士団は、足元から伸びる蔦によって、次々と大地へと引きずり込まれていく。
鎧を溶かされ、武器を奪われ、裸同然となった騎士たちの周りには、今度は美しくも残酷な「眠り花」が咲き乱れ、甘い香りの胞子を撒き散らした。
「魔法だ! 魔導師隊、障壁を張れ! 反撃しろ!」
エリックが必死に指揮を執るが、魔導師たちが詠唱を始めようとした瞬間、彼らの杖から「芽」が生えた。
植物たちは、魔導師が練り上げる魔力そのものを養分として感知し、杖の木材や、魔導師たちの服の繊維から、直接発芽したのだ。
「魔力が……吸われる! 魔法が、発動しない!」
「これが、君たちが『無能』だと切り捨てた、植物魔法の真意だよ」
アルトの声が、戦場全体に響き渡った。
それは、世界樹の根が地脈を通じて音を増幅し、大地そのものが語りかけているような、荘厳な響き。
「植物は、ただそこに立っているだけじゃない。大地と繋がり、空と交信し、あらゆるエネルギーを循環させる。……君たちが放った暴力的な魔力も、僕にとっては豊かな森を作るための一滴の肥料に過ぎないんだ」
アルトが両手を広げると、世界樹が激しく黄金の光を放った。
その瞬間、帝国の誇る三機の魔導巨兵の足元から、巨大な「根」が槍のように突き出した。
根は巨兵の強固な装甲を紙細工のように貫き、その内部にある魔導炉へと直接侵入する。
「やめろ……やめろぉぉぉっ!」
レオンの悲鳴も虚しく、帝国最強の兵器は、内部から溢れ出す「新緑」によって埋め尽くされた。
巨兵は爆発することさえ許されず、ただ静かに、巨大な「花の塔」へと姿を変え、その場に定着した。
わずか数十分。
三万の軍勢は、戦うことすらできぬまま、アルトが作り出した「即席の森」の中に捕らえられ、武装解除された。
アルトは、震えながら立ち尽くすレオンの目の前まで、緑の絨毯(空中に伸びた蔦の道)を歩いて近づいた。
「レオン殿下。……言ったはずですよ。後悔しますよ、と」
「ひっ……ひいいいいっ! く、来るな! 化け物め!」
「化け物? 失礼だな。僕はただの、植物好きな元騎士団員ですよ」
アルトは微笑み、レオンの足元に一粒の小さな種を置いた。
「その種は、君の『恐怖』を糧に育つ。……君が僕たちへの敵意を捨てない限り、それは君の心臓のすぐ傍で、ずっと根を張り続ける。……もし、次に僕の庭を荒らそうとしたら……その時は、君自身が、世界樹の立派な肥やしになってもらうよ」
レオンは、その場で泡を吹いて卒倒した。
帝国の侵攻は、歴史に類を見ない「無傷の敗北」として幕を閉じた。
後に、この戦いは『緑の惨劇』、あるいは『奇跡の建国記念日』と呼ばれることになる。
戦いが終わった戦場には、かつての不毛な荒野の面影はなかった。
そこには、溶かされた数万の鎧を栄養にして芽吹いた、見たこともないほど力強い「鉄の森」が広がり、デス・バレーの新しい防壁となっていた。
「……お疲れ様、アルト様」
駆け寄ってきたシエラに、アルトは少し疲れたように笑いかけた。
「ああ。……これでやっと、静かに新しい野菜の交配に取り組めるよ。シエラ、今日の夕飯は、あの魔導巨兵を肥料にして育った『超魔力トマト』のパスタにしようか」
「ふふ、アルト様らしいですね」
二人の笑い声が、新しく生まれた森の中に溶けていく。
だが、この勝利はまだ、世界を変える物語の序章に過ぎなかった。
世界樹が放つ銀色の光は、いつもより鋭く空を突き刺し、アルトが配置した「探査草」たちは、一斉に北の空を向いて小刻みに震えていた。
「……来たね」
アルトは、「生きてる家」のテラスで、焼きたてのパン(アルトが自ら品種改良した、魔力含有量極大の『聖麦』で作ったものだ)を口に運びながら呟いた。
隣で紅茶を注いでいたシエラの手が、ぴたりと止まる。彼女の鋭いエルフの耳も、遠く地平線の彼方から響いてくる、大地を削るような重低音を捉えていた。
それは、数万の軍靴が刻む足音。
そして、巨大な魔導兵器が放つ、不快な金属音の混じった魔力の唸り。
「アルト様。……帝国アステリア、第一、第二正規騎士団。並びに魔導軍団、総勢三万。それに加えて、伝説の『魔導巨兵』が三機……。本気、ですね」
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帝国は、アルトという一個人を排除するために、小国一つを滅ぼすに足る戦力を投入してきたのだ。
「カインが持ち帰った『スイカ』が、よほどレオン殿下の逆鱗に触れたみたいだね。……でも、いい材料だ。これだけの魔導師が集まれば、この谷の地脈を一気に数百年分、活性化させられる」
アルトは最後の一口を飲み干すと、ゆっくりと立ち上がった。
彼の背後で、世界樹の葉がサァ……と音を立てる。それは、戦いを恐れる音ではなく、これから訪れる「養分」を期待して震える、捕食者の律動だった。
デス・バレーの入り口。
かつてアルトが引いた『緑の境界線』の数キロ手前で、帝国の軍勢は布陣を完了していた。
中央に鎮座するのは、黄金の装飾が施された巨大な移動要塞。その最上階には、狂気と屈辱に瞳を血走らせた皇太子レオンが立っていた。
「……あそこだ。あの忌々しい大樹を、根こそぎ焼き払え!」
レオンの手には、カインが持ち帰ったスイカによって見せられた「記憶」の残滓が、いまだに恐怖としてこびりついている。
自分の精鋭がキノコを生やして踊らされるという屈辱。それは、帝国の支配者としてのプライドを完膚なきまでに叩き潰すものだった。
「殿下、ご安心を。我が魔導軍団の『極大火炎陣』を以てすれば、いかなる巨木とて数分で灰に変わります」
自信満々に告げるのは、新任の宮廷魔導師長、エリックだ。
彼はアルトの後釜として、帝国の魔導予算を湯水のように使い、最新の魔導増幅器を搭載した魔導巨兵を完成させていた。
「始めろ! この世から『植物魔法』などという無能な概念ごと、あの男を消し去れ!」
レオンの号令と共に、戦場に破壊の音が響き渡った。
三機の魔導巨兵が胸部の魔導炉を解放し、眩いばかりの紅蓮の光を放つ。
それは太陽の表面温度に匹敵する、極大の熱線。
放たれた火柱は、デス・バレーの乾燥した空気を一瞬で蒸発させ、直線上にある岩石を溶かしながら、世界樹へと迫っていく。
誰もが確信した。
どれほど強靭な木であろうと、この熱量には耐えられない。燃え上がり、炭化し、崩れ落ちるだろうと。
――だが。
火柱が『緑の境界線』に触れた瞬間、異変が起きた。
「……何だと!? 火が……消えたのか?」
エリックが絶叫した。
火柱は、世界樹に届く遥か手前で、まるで目に見えない巨大な口に飲み込まれるようにして「消失」したのだ。
火柱が消えた場所から姿を現したのは、燃えるどころか、艶やかな赤い輝きを増した巨大な「多肉植物」の壁だった。
それはアルトが開発した新種、『火喰いサボテン(サラマンダー・カクタス)』。
火属性の魔力を最も効率的なエネルギーとして吸収し、自らの成長速度に変換する、対火魔法用最終兵器である。
「お礼を言わなくちゃね。おかげで、この子たちの花が咲きそうだ」
デス・バレーの中心で、アルトが静かに指を鳴らした。
すると、数万の帝国軍の足元から、地鳴りと共に無数の「芽」が噴き出した。
それはただの草ではない。
騎士たちの鋼鉄の鎧を「肥料」として認識し、金属を分解する強酸の粘液を滴らせた、銀色の蔦――『鋼鉄喰らいの蔓(アイアン・イーター)』だ。
「ぎゃああああ! 鎧が、鎧が溶けていく!」
「剣が握れん! 蔦が……腕を、腕に食い込んで……!」
戦場は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄へと変貌した。
重厚な防備を誇っていたはずの正規騎士団は、足元から伸びる蔦によって、次々と大地へと引きずり込まれていく。
鎧を溶かされ、武器を奪われ、裸同然となった騎士たちの周りには、今度は美しくも残酷な「眠り花」が咲き乱れ、甘い香りの胞子を撒き散らした。
「魔法だ! 魔導師隊、障壁を張れ! 反撃しろ!」
エリックが必死に指揮を執るが、魔導師たちが詠唱を始めようとした瞬間、彼らの杖から「芽」が生えた。
植物たちは、魔導師が練り上げる魔力そのものを養分として感知し、杖の木材や、魔導師たちの服の繊維から、直接発芽したのだ。
「魔力が……吸われる! 魔法が、発動しない!」
「これが、君たちが『無能』だと切り捨てた、植物魔法の真意だよ」
アルトの声が、戦場全体に響き渡った。
それは、世界樹の根が地脈を通じて音を増幅し、大地そのものが語りかけているような、荘厳な響き。
「植物は、ただそこに立っているだけじゃない。大地と繋がり、空と交信し、あらゆるエネルギーを循環させる。……君たちが放った暴力的な魔力も、僕にとっては豊かな森を作るための一滴の肥料に過ぎないんだ」
アルトが両手を広げると、世界樹が激しく黄金の光を放った。
その瞬間、帝国の誇る三機の魔導巨兵の足元から、巨大な「根」が槍のように突き出した。
根は巨兵の強固な装甲を紙細工のように貫き、その内部にある魔導炉へと直接侵入する。
「やめろ……やめろぉぉぉっ!」
レオンの悲鳴も虚しく、帝国最強の兵器は、内部から溢れ出す「新緑」によって埋め尽くされた。
巨兵は爆発することさえ許されず、ただ静かに、巨大な「花の塔」へと姿を変え、その場に定着した。
わずか数十分。
三万の軍勢は、戦うことすらできぬまま、アルトが作り出した「即席の森」の中に捕らえられ、武装解除された。
アルトは、震えながら立ち尽くすレオンの目の前まで、緑の絨毯(空中に伸びた蔦の道)を歩いて近づいた。
「レオン殿下。……言ったはずですよ。後悔しますよ、と」
「ひっ……ひいいいいっ! く、来るな! 化け物め!」
「化け物? 失礼だな。僕はただの、植物好きな元騎士団員ですよ」
アルトは微笑み、レオンの足元に一粒の小さな種を置いた。
「その種は、君の『恐怖』を糧に育つ。……君が僕たちへの敵意を捨てない限り、それは君の心臓のすぐ傍で、ずっと根を張り続ける。……もし、次に僕の庭を荒らそうとしたら……その時は、君自身が、世界樹の立派な肥やしになってもらうよ」
レオンは、その場で泡を吹いて卒倒した。
帝国の侵攻は、歴史に類を見ない「無傷の敗北」として幕を閉じた。
後に、この戦いは『緑の惨劇』、あるいは『奇跡の建国記念日』と呼ばれることになる。
戦いが終わった戦場には、かつての不毛な荒野の面影はなかった。
そこには、溶かされた数万の鎧を栄養にして芽吹いた、見たこともないほど力強い「鉄の森」が広がり、デス・バレーの新しい防壁となっていた。
「……お疲れ様、アルト様」
駆け寄ってきたシエラに、アルトは少し疲れたように笑いかけた。
「ああ。……これでやっと、静かに新しい野菜の交配に取り組めるよ。シエラ、今日の夕飯は、あの魔導巨兵を肥料にして育った『超魔力トマト』のパスタにしようか」
「ふふ、アルト様らしいですね」
二人の笑い声が、新しく生まれた森の中に溶けていく。
だが、この勝利はまだ、世界を変える物語の序章に過ぎなかった。
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