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 取り敢えず犯人が確保されたので帰宅することが許された。

 そもそもリリーは完璧な被害者であり、レジ―も警察にとって捜査の協力者だ。病院サイドにも今回の計画は伝えてあり、レジ―のシフトも調整してあったから、二人でそのままレジーの家へと戻った。

 手をつないで、歩いて帰宅する。先程、レジ―の家を出て病院に向かう最中に、ローズの視線を感じ始めたのをリリーは明確に感じていた。ローズがどこに潜伏していたのか、取り調べの後、あの女刑事が明らかにしてくれるだろう。女刑事が手配してくれた警官たちもそこここに配置されていたのは知っていたが、ローズに見張られていることに気づいた瞬間は、さすがに恐怖を感じた。双子の姉だというのに、刺すような視線は見知らぬ人誰かの悪意に満ちたもののように感じられた。

 けれどもう終わったのだ。

 リリーはしっかりと手をつないでくれているレジ―のぬくもりを感じながら、取り敢えず今は姉のことを頭から追い出すことにした。ローズは……ある意味病人なのだ、と自分に言い聞かせて。

 両親にも連絡しておく、と女刑事は言っていたし、レジーの家に戻ったら電話をするべきだと思う。少し頭を整理する必要があるので、今夜は両親に会いたくはない。彼らも混乱はしているだろうし、その混乱に付き合えるだけの余裕が自分にはないからだ。

 特例で休職扱いになっている職場にも近いうちに復帰することになる。そうやってまた日常生活に戻る必要があるのは分かっている。分かってはいるのだけれど。

 今日だけは全てを忘れていたい。


 ☆

 レジ―の部屋に入ると、彼が黙ったまま彼女を抱き寄せてくれた。彼の抱擁は彼女にとって何よりの慰めになり、この三週間ですっかり彼の体温に馴染んだ。頼りになる彼の背中に自分の腕を回して、リリーも抱き返した。

「君が無事で本当に…良かった」

 彼が安堵のため息とともに耳元でそう呟く。囮になるとリリーが言い出したとき、彼がどれだけ強固に反対したのかを思い出すと、本当に心配をかけたのは分かっているのだが彼女はそれを譲る気は一切なかった。何しろ無関係な女性がローズの身勝手すぎる策略により人生を歪めるほどの怪我を負ったのだ。傷が癒えたとしても、彼女は今後一生フラッシュバックに襲われるかもしれず、リリーはどうやって彼女に償っていけばいいのか見当もつかない。

 レジ―はぎゅっともう一度強く抱きしめた後、リリーを解放して、両親に電話するように言ってくれた。こうやってリリーのするべきことを優先してくれるレジ―に惹かれない方が難しいだろう。

 両親はちょうど女刑事から電話を貰った直後だった。予想外のことに、彼らは意外にもパニックに陥っておらず、比較的冷静だった。

「リリー、貴女は無事なのね?本当に……この数週間心配していた。今、どこにいるの?」
「今は……安心出来るお友達の家にいるの。今夜はここに泊まらせてもらうわ。ママ、ローズのこと……聞いたよね?」
「ええ……パニックになったわ、最初。まさか私のローズがそんなことをリリーにするなんて、と……だけど、たった今、思い出したことがあって……貴女たちが子供の頃の話なのだけど」

 母親はためらいがちに話し始めた。
 女刑事にもしたのだというその話は勿論リリーも初耳である。

 姉妹が5歳のときのことだ。郊外の2階建てのタウンハウスに住んでいたときに、ローズがリリーを階段の上から突き落としたことがあったのだという。子供の時分、身体も柔らかく幸いにもリリーには一切の怪我がなかった。リリーの泣き声で慌てて母親が階段の下に転がっている彼女を抱き上げ、それから階段の上にいたローズを見上げたときに母親は驚いたのだという。

「冷たい瞳をしていたの。無表情とも違うような……でも、私と視線が合ってからローズも泣き出したから……、ローズもびっくりしただけだって自分に言い聞かせていたんだけど。あのときの違和感を忘れないでお医者さんにかかっていれば」

 ローズがリリーに直接害をなしたのは母親が知る限りはこの一度きりだったものの、どこかに違和感は残っていたのだという。

「刑事さんがおっしゃっていたけれど……色々と……されていたのね。気づかないなんて、私…‥母親失格だった」

 母親の泣き声にリリーは胸がつまる想いがした。自分こそ、母親にどうしても話せなかったのだ。両親はごく普通に双子の姉妹に、変わらぬ愛情を注いでくれていたのを知っている。これがローズだけを、またはリリーだけを可愛がるような人たちだったら違ったかもしれないが、彼らはそんなことは一切しなかった。ローズだけが異端だったのである。

「違うの、ママ……私が黙っていれば、そのまま何もないまま生きていけるのかもと思っていたの……私も間違っていたのよ」

 泣き出してしまった母親と電話を代わった父親が、ローズが怪我をさせてしまった女性への謝罪と今後の人生へのサポートは、自分たちがすると話した。勿論、リリーも出来ることは何でもするつもりだ。彼女の身元については女刑事からの連絡を待たねばならない。

 近いうちに両親に会いに行くという約束を交わしてリリーは電話を切った。優しい両親は、ローズは精神的に病んでいると考えている。彼らは今後もローズを出来る形で支えていくだろうしそのことをリリーは否定するつもりはない。ただし、自分は今後一切ローズとの関係は絶とうと思っているだけで。

 両親と電話している間に、レジ―が温かい紅茶を淹れてくれていた。
 ダイニングテーブルに並んだ陶器からあがっている湯気がリリーの心を慰めてくれる。彼とこの部屋で過ごした三週間はリリーにとって人生で一番安心感を与えてくれた。番だからだったかもしれないが、彼の誠意は十分にリリーに伝わってきている。

 ローズこそが自分を狙っている犯人だと結論に達したときも彼は側にいてくれたし、おとり捜査に協力すると決めたときも、夜眠れなくて起きてしまったときも。彼は黙って隣で体温を分け与えてくれたのだった。彼の向かいの椅子に腰かけ、温かいマグカップを両手で包んだ。

「ありがとう、レジ―」

 彼はその端正な顔を少しだけ表情を緩めて、頷いた。

「ようやく終わったな。正直囮捜査に協力すると言われたときは生きた心地がしなかったが、君に何もなく解決したのだから良しと思わないといけないんだろう」
「‥……ローズを逃がすわけにはいかないわ」
「分かっている」

 紅茶を口に運ぶ。彼の好きな、カフェインレスのダージリン。リリーが少しだけミルクを落とすのが好きだと彼はもう知っていて、そうしてくれている。ジャックは優しい男だったが、そこまで熱心にリリーの好みを覚えてはくれなかったから、レジ―の心遣いがとても特別に感じられた。

「ジャック・タガーの元に戻りたい?」

 レジ―がふとそう尋ねたので、リリーは驚いて彼の顔を見上げた。彼の顔は緊張感でいっぱいだった。

「君のお姉さんが言っていただろう、彼は抗った。君のことが本当に好きだったんだろう」
「レジ―…‥」
「俺はいわば強引に割り込んだようなものだったから、君が望むなら俺は……」

 ぱたぱた、と透明な涙がリリーの瞳から零れて、レジ―が驚いたように言葉を飲み込む。

「ローズのような姉がいる私が……嫌になったのならそう言って」
「違う!まさかそんなつもりは!」

 ガタンと大きな音を立ててレジ―が立ち上がり、慌てたようにリリーの隣にやってきて跪いた。そこまで至って、リリーははっと我に返った。

「ごめんなさい、貴方は本当によくしてくださっていたのに……。疲れているんだわ」
「今のは俺が悪かった。言うべきタイミングではなかったんだ」

 ひざの上に置かれているリリーの手をそっとレジーが包んだ。彼はリリーが番だから、ということを気にしていることを知ってくれていて、表面上の接触しかしないように気をつけてくれている。

 そろそろとリリーの頬にレジーは手を置いて、彼女と視線を合わせて、心から謝罪した。

「思っていたよりジャック・タガーがまともな男で、君にきちんと惚れていたことを知って、焦った。嫉妬もしたんだ。悪かった……君を傷つけたかったわけではない」

 ふわりと彼から百合の香りが漂う。

 突然、リリーは彼のことが心から愛しいと思った。きっかけは番だったからもしれないが、彼は誠心誠意彼女に尽くしてくれているのには違いなく、同じような事態になったときに、ジャックとは絶対に違う行動をするだろうと信じられた。

「でもジャックは怖気づいて逃げたのよ……私に話してくれたら良かったのに、彼はそうしなかった。それくらいの信頼関係しかなかったの。……だけど、私は傷ついていないの。どうしてか分かる?……彼のことを愛してはいなかったから」
「リリー‥…」

 そこでリリーはレジーを見やり、今では誰よりも信頼できる番に向かって、告げた。

「レジ―、貴方が好き。番だからかもしれないという怖さは正直ある。それでも私は……貴方と生きていきたい。ローズのような姉がいる私だけど……それでも本当に良いと言ってくださるのなら」

 レジ―の浅黒い頬がさっと紅潮したかと思うと、彼は眉間に少しだけ皺を寄せて感極まった表情になった後、頷いた。

「俺も同じだ。同じ気持ちだ―――君と、生きていきたい。君がいいんだ」
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