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本編
19. 奇襲
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派手髪と使用人と別れた私たちは、何となく不思議な空気を漂わせながら店を回っていた。
「あんたの名前初めて知った」
「お前の名前も初めて知った」
「そうだよね。お互い呼ぶことないもんねー」
二人暮らしなのだ。「おい」とか「ねえ」で事足りる。街に出てきてもみんな薬師や魔女と呼ぶから、困ることなどない。
だから、自分の名前を口にしたことすら何年ぶりかというほどだった。
妙にふわふわした心地で足だけは早く動かし、店を回って用事を済ませる。急がなければと思っていたが、ふと冷静になって小麦粉をちゃんと品定めしてみると、確かに派手髪の言った通り質にばらつきがあった。
別に舌が肥えているわけでもないし、安い方を買いたい気もするが……男がこっちにしろって言うから、マチルダ商会の印が入った方を買った。
あれ? 私の金だよな。
解せない気分で露店の串焼き肉を衝動買いする。
「おい、夕飯が入らなくなるぞ」
「おじさんと違って若いから。歩いて帰るうちに消費するよ……ああっ!」
おじさん呼ばわりが相当ムカついたのか、食べかけに食いつかれて半分くらいなくなった。
「ちょっと!」
「俺も若い」
「どの口が」
「この口だ」
男は唇の端についたタレを舌で舐め取った。ちょっとやり返してやったみたいに満足そうな表情が何とも言えない。こいつ、若いというよりただのガキだろ。
あっという間に減ってしまった肉をもったいないから少しずつ食べながら、街の出入り口である門に辿り着いた。
串を持っていない方の手で二人分の通行料を取り出し、門番の兵に手渡す。来たときと別の兵だったが、たまに森からやってくる魔女はそれなりに有名なようで、やはり普段はいない連れの存在に驚いた顔をしていた。
「そういえば、これもそうなのかなあ」
「何がだ?」
「通行料。前より上がってるんだよね」
「……そうなのか」
「ここの門とか、領主の管轄下だからね。人が増えたら変な輩も混ざるだろうし、治安維持に前より金が必要になるのもわからなくはないけど……」
「? 何か気に喰わないのか」
「……いや? 適正な金額が正当な理由に使われてるならいいなあと思っただけ」
領地の財政なんて庶民が知れるわけもないし、たとえ一部を領主が私利私欲に使っていようがどうでもいい。交易が盛んになるのもいいことだ。もし滅茶苦茶効能のいい薬が安く流れてきて価格崩壊なんぞ起きたら困るけれど。まあ、そんなことはありえないだろう。
門を出た先には街道が伸びているが、私たちは荷馬車や人の流れるそれから逸れて森へ向かう。そうしてしばらく歩いた頃だった。
「……待て」
ちょうど最後の肉を口に仕舞い終えたとき男が目の前に手を出してきて、思わず喉に詰まりかけた。
どうしたの、と聞くより先に答えが飛んできた。
物理的に。
「!!」
男にローブを引っ張られ、ちょっとした既視感と共に後ろに下がる。さっきまで私たちが立っていたところにドスドスドスッと何本も矢が刺さった。
「ひっ……」
背筋を冷たいものが走る。男が気づかなかったらどうなっていたか。
森の木々の間から揃いの甲冑を着た兵が虫のように湧いて出てきた。咄嗟に男の腕を掴んだとき、後方からも地響きの音が伝わってきて絶望する。街の方からも、大量の騎馬と歩兵が迫ってきていた。
「……あんたの変身、無意味だったかな」
歯がカチカチ鳴りそうなのを無理矢理抑え込もうと、唇を吊り上げてみせれば男はひどい渋面で兵を睨んでいた。
「森の魔女!」
「っ!」
私と男を包囲した兵の、おそらく指揮を執る偉い奴だろう騎馬の一人が声を張った。
「怪しげな薬で人心を惑わし、あまつさえ忌まわしき魔王を匿った罪は重い! 大人しく膝をつけ! 抵抗するなら容赦はせんぞ」
男が魔王だとバレたわけではないのか。
そういえばこいつら、以前家まで襲ってきた騎士ではない。門番と同じ格好だから領主お抱えの私兵だろう。……だから何が変わるわけでもないが。
とりあえず逃げる隙を窺えないかと、男に後ろ手に庇われながら声を出す。
「魔女って何ですか。私はただの薬師です」
「しらを切る気か! 人間の子どもがあの森に一人で住み、薬を作っているだと? お前は人の皮を被った化け物の魔女だ。その男も、呪術か何かで作り上げた使い魔なのだろう!」
「なっ……違う!」
喉が震えてしまうのは、演技でも何でもない。
そりゃあ、いつかこんなことになるかもしれないと予期はしていた。医者や看板娘みたいに接してくる方が稀少な類だ。『森の魔女』はたまに街に現れる薄汚れた髪と格好の子どもで、ほとんどの街の人間には不気味がられている。
作る薬や嗜好品の質がいいから、見逃されていただけなのだ。だから何か一つでもそこに不安要素が加われば……例えば、『魔王』とか。そんなものが出てきてしまえば、すべてが覆る。
どうしよう。捕まったら殺されるかもしれない。どうやって逃げたらいい?
冷静に考えたいのに、考えようとすればするほど頭がぐるぐる混乱する。何も思いつかない。目頭が熱い。
私の肩に乗っていた男の手にぐっと力が篭った。
「しっかり掴まれ」
「………え?」
「かかれ!」
騎馬の合図で剣を構えた兵たちが雄叫びと共に迫ってくる。頭上に振り被った刃がいくつも陽の光を反射して――恐怖のあまり、目を瞑って男の腕にしがみついた。
「っゃ……!」
ドッ――! と空気が振動するような音がして、足が地面から離れる感覚がした。
急に色んな音が遠くなった気がして、でも痛みは来ない。ただ寒い。
何が起きたのかと恐る恐る目を開けると……私と男は、空に浮いていた。
「あんたの名前初めて知った」
「お前の名前も初めて知った」
「そうだよね。お互い呼ぶことないもんねー」
二人暮らしなのだ。「おい」とか「ねえ」で事足りる。街に出てきてもみんな薬師や魔女と呼ぶから、困ることなどない。
だから、自分の名前を口にしたことすら何年ぶりかというほどだった。
妙にふわふわした心地で足だけは早く動かし、店を回って用事を済ませる。急がなければと思っていたが、ふと冷静になって小麦粉をちゃんと品定めしてみると、確かに派手髪の言った通り質にばらつきがあった。
別に舌が肥えているわけでもないし、安い方を買いたい気もするが……男がこっちにしろって言うから、マチルダ商会の印が入った方を買った。
あれ? 私の金だよな。
解せない気分で露店の串焼き肉を衝動買いする。
「おい、夕飯が入らなくなるぞ」
「おじさんと違って若いから。歩いて帰るうちに消費するよ……ああっ!」
おじさん呼ばわりが相当ムカついたのか、食べかけに食いつかれて半分くらいなくなった。
「ちょっと!」
「俺も若い」
「どの口が」
「この口だ」
男は唇の端についたタレを舌で舐め取った。ちょっとやり返してやったみたいに満足そうな表情が何とも言えない。こいつ、若いというよりただのガキだろ。
あっという間に減ってしまった肉をもったいないから少しずつ食べながら、街の出入り口である門に辿り着いた。
串を持っていない方の手で二人分の通行料を取り出し、門番の兵に手渡す。来たときと別の兵だったが、たまに森からやってくる魔女はそれなりに有名なようで、やはり普段はいない連れの存在に驚いた顔をしていた。
「そういえば、これもそうなのかなあ」
「何がだ?」
「通行料。前より上がってるんだよね」
「……そうなのか」
「ここの門とか、領主の管轄下だからね。人が増えたら変な輩も混ざるだろうし、治安維持に前より金が必要になるのもわからなくはないけど……」
「? 何か気に喰わないのか」
「……いや? 適正な金額が正当な理由に使われてるならいいなあと思っただけ」
領地の財政なんて庶民が知れるわけもないし、たとえ一部を領主が私利私欲に使っていようがどうでもいい。交易が盛んになるのもいいことだ。もし滅茶苦茶効能のいい薬が安く流れてきて価格崩壊なんぞ起きたら困るけれど。まあ、そんなことはありえないだろう。
門を出た先には街道が伸びているが、私たちは荷馬車や人の流れるそれから逸れて森へ向かう。そうしてしばらく歩いた頃だった。
「……待て」
ちょうど最後の肉を口に仕舞い終えたとき男が目の前に手を出してきて、思わず喉に詰まりかけた。
どうしたの、と聞くより先に答えが飛んできた。
物理的に。
「!!」
男にローブを引っ張られ、ちょっとした既視感と共に後ろに下がる。さっきまで私たちが立っていたところにドスドスドスッと何本も矢が刺さった。
「ひっ……」
背筋を冷たいものが走る。男が気づかなかったらどうなっていたか。
森の木々の間から揃いの甲冑を着た兵が虫のように湧いて出てきた。咄嗟に男の腕を掴んだとき、後方からも地響きの音が伝わってきて絶望する。街の方からも、大量の騎馬と歩兵が迫ってきていた。
「……あんたの変身、無意味だったかな」
歯がカチカチ鳴りそうなのを無理矢理抑え込もうと、唇を吊り上げてみせれば男はひどい渋面で兵を睨んでいた。
「森の魔女!」
「っ!」
私と男を包囲した兵の、おそらく指揮を執る偉い奴だろう騎馬の一人が声を張った。
「怪しげな薬で人心を惑わし、あまつさえ忌まわしき魔王を匿った罪は重い! 大人しく膝をつけ! 抵抗するなら容赦はせんぞ」
男が魔王だとバレたわけではないのか。
そういえばこいつら、以前家まで襲ってきた騎士ではない。門番と同じ格好だから領主お抱えの私兵だろう。……だから何が変わるわけでもないが。
とりあえず逃げる隙を窺えないかと、男に後ろ手に庇われながら声を出す。
「魔女って何ですか。私はただの薬師です」
「しらを切る気か! 人間の子どもがあの森に一人で住み、薬を作っているだと? お前は人の皮を被った化け物の魔女だ。その男も、呪術か何かで作り上げた使い魔なのだろう!」
「なっ……違う!」
喉が震えてしまうのは、演技でも何でもない。
そりゃあ、いつかこんなことになるかもしれないと予期はしていた。医者や看板娘みたいに接してくる方が稀少な類だ。『森の魔女』はたまに街に現れる薄汚れた髪と格好の子どもで、ほとんどの街の人間には不気味がられている。
作る薬や嗜好品の質がいいから、見逃されていただけなのだ。だから何か一つでもそこに不安要素が加われば……例えば、『魔王』とか。そんなものが出てきてしまえば、すべてが覆る。
どうしよう。捕まったら殺されるかもしれない。どうやって逃げたらいい?
冷静に考えたいのに、考えようとすればするほど頭がぐるぐる混乱する。何も思いつかない。目頭が熱い。
私の肩に乗っていた男の手にぐっと力が篭った。
「しっかり掴まれ」
「………え?」
「かかれ!」
騎馬の合図で剣を構えた兵たちが雄叫びと共に迫ってくる。頭上に振り被った刃がいくつも陽の光を反射して――恐怖のあまり、目を瞑って男の腕にしがみついた。
「っゃ……!」
ドッ――! と空気が振動するような音がして、足が地面から離れる感覚がした。
急に色んな音が遠くなった気がして、でも痛みは来ない。ただ寒い。
何が起きたのかと恐る恐る目を開けると……私と男は、空に浮いていた。
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