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本編
24. 温かさ
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※ 残虐表現あり
迫り来る男の姿に力が抜けてへたり込んだ。
何で来たんだあの馬鹿。こんな敵だらけで待ち構えられてるのに……。
「……ぁ」
ふっと思い出した。
「ぬけぬけと現れたな、魔王! 兵たちよ狙え! 今こそ憎き魔族の頭を討つ時だ!」
領主の言葉で広場を囲むように構えていた兵たちが矢をつがえる。まだ市民がいるのに何を考えてるんだこいつは、とぎょっとするけれども、同時にその矢尻が恐ろしくてたまらない。
「だめ……っ、来るな、聖石……!」
「黙っていろ」
「っ!」
頑張って叫んだのにやっぱり男に届くほどの大きさは出せなくて、領主にもおざなりに蹴られて頭が揺れた。痛い。
でも、でも牢で聞いた話が本当ならあの矢尻には聖石が使われているはずだ。これだけの数に狙われたら躱しきれるわけがない。
無情にも矢は放たれた。
黒い雨が逆再生のように天へ昇って行く。男の周囲にかかっていた薄靄が濃くなり、姿が見えなくなるほど黒く丸くなったところへ吸い込まれて行く。矢が肉を突き破る音は聞こえない。逃げ惑う市民の声と足音がうるさくてかなわない。
処刑台に響く震動が鬱陶しく、必死に目を凝らして黒い球体を見た。
幾十という矢はすべてあれに呑み込まれていた。初めこそ的中したことに轟を上げていた兵たちだったが、質量保存法則を完全に無視してまるっと喰らったまま宙に浮かぶあれの異様さに、そろそろと動揺しているようだった。
緊張の間の後。
石鹸の泡が破裂するように、球体から四方へ矢が飛び出してきた。
「――ッ」
私の方にも矢は飛んできて、あまりのことに瞬きも呼吸も忘れる。
しかしそれは私には当たらず、周囲の領主や兵たちの手足を貫いていた。
聞くに堪えない悲鳴が耳をつんざく。一瞬の出来事で躱せた者などいないようだった。矢は市民を避け領主とその私兵にのみ当たっていて、市民は無傷なようだったが、そんなことを冷静に見分けられる者は少ない。
「……え……」
信じられ、なかった。
あの男が、だ。初めは斧も包丁も碌に使い方を知らず、武器を向けられたら私を抱えて逃げた男だ。縛られた手を持ち上げて、額に飛んできた雫を拭うと、生暖かい赤がてらてらと光を反射していた。
どこへ逃げたらいいかもわからない人々が、隣人を踏み潰す勢いで重なり合っては喚いている。突き飛ばされた兵が傷を石畳に擦って怒号とも涙声とも取れる絶叫を上げる。
ただただ狂乱がここにあった。
カタカタと歯が音を立てる。何だこれは。男がやったのか。いや、攻撃されたのだから正当防衛だろう。わかってる。でも。
でも。
血が、
「ケイ」
「――!」
ハッと顔を上げた。似つかわしくないほどの晴れやかな青空を背景に、男が下りてくる。
金色の目は、魔物の目。
そう遠い記憶が告げる。逆光で表情はほとんど見えないのに、何故か目だけは輝いている。私の知らない目だ。
けれど――その金色以外に、きらりと光るものが見えた。
「……ぁ……」
それは、細い銀の髪紐だった。
目の前にふわりと音もなく男が立つ。ここまで近くにいれば表情もわかった。人間の阿鼻叫喚などまるで興味がないとばかりの態度だったが、よく見れば唇が少し強く閉じられていてああなるほどなと思った。
「無事か」
端的に身を案じてくる声は聞き慣れた温かさだ。
そう、温かいのだ。
「……そう見える?」
力が抜けて自然と笑みがこぼれる。と、男は目を伏せて私を抱き上げた。
「っ……」
「家に帰れば薬があるだろう。もう少し我慢しろ」
「……うん」
固そうな夜会服は嗅ぎ慣れない匂いがした。それが嫌で男の首に腕を回すと、随分と懐かしいような石鹸の香りがする。
帰る、という響きはとてもいい。何も怖いことがない場所だ。思い浮かべるだけで、この惨劇とも呼べる空間の恐ろしさもおぞましさもすべてどうにでもよくなった。温かなベッドと、薬と、あと少しの他人の匂い。
「帰ろう。――ナガル」
「――ああ。帰ろう、ケイ」
迫り来る男の姿に力が抜けてへたり込んだ。
何で来たんだあの馬鹿。こんな敵だらけで待ち構えられてるのに……。
「……ぁ」
ふっと思い出した。
「ぬけぬけと現れたな、魔王! 兵たちよ狙え! 今こそ憎き魔族の頭を討つ時だ!」
領主の言葉で広場を囲むように構えていた兵たちが矢をつがえる。まだ市民がいるのに何を考えてるんだこいつは、とぎょっとするけれども、同時にその矢尻が恐ろしくてたまらない。
「だめ……っ、来るな、聖石……!」
「黙っていろ」
「っ!」
頑張って叫んだのにやっぱり男に届くほどの大きさは出せなくて、領主にもおざなりに蹴られて頭が揺れた。痛い。
でも、でも牢で聞いた話が本当ならあの矢尻には聖石が使われているはずだ。これだけの数に狙われたら躱しきれるわけがない。
無情にも矢は放たれた。
黒い雨が逆再生のように天へ昇って行く。男の周囲にかかっていた薄靄が濃くなり、姿が見えなくなるほど黒く丸くなったところへ吸い込まれて行く。矢が肉を突き破る音は聞こえない。逃げ惑う市民の声と足音がうるさくてかなわない。
処刑台に響く震動が鬱陶しく、必死に目を凝らして黒い球体を見た。
幾十という矢はすべてあれに呑み込まれていた。初めこそ的中したことに轟を上げていた兵たちだったが、質量保存法則を完全に無視してまるっと喰らったまま宙に浮かぶあれの異様さに、そろそろと動揺しているようだった。
緊張の間の後。
石鹸の泡が破裂するように、球体から四方へ矢が飛び出してきた。
「――ッ」
私の方にも矢は飛んできて、あまりのことに瞬きも呼吸も忘れる。
しかしそれは私には当たらず、周囲の領主や兵たちの手足を貫いていた。
聞くに堪えない悲鳴が耳をつんざく。一瞬の出来事で躱せた者などいないようだった。矢は市民を避け領主とその私兵にのみ当たっていて、市民は無傷なようだったが、そんなことを冷静に見分けられる者は少ない。
「……え……」
信じられ、なかった。
あの男が、だ。初めは斧も包丁も碌に使い方を知らず、武器を向けられたら私を抱えて逃げた男だ。縛られた手を持ち上げて、額に飛んできた雫を拭うと、生暖かい赤がてらてらと光を反射していた。
どこへ逃げたらいいかもわからない人々が、隣人を踏み潰す勢いで重なり合っては喚いている。突き飛ばされた兵が傷を石畳に擦って怒号とも涙声とも取れる絶叫を上げる。
ただただ狂乱がここにあった。
カタカタと歯が音を立てる。何だこれは。男がやったのか。いや、攻撃されたのだから正当防衛だろう。わかってる。でも。
でも。
血が、
「ケイ」
「――!」
ハッと顔を上げた。似つかわしくないほどの晴れやかな青空を背景に、男が下りてくる。
金色の目は、魔物の目。
そう遠い記憶が告げる。逆光で表情はほとんど見えないのに、何故か目だけは輝いている。私の知らない目だ。
けれど――その金色以外に、きらりと光るものが見えた。
「……ぁ……」
それは、細い銀の髪紐だった。
目の前にふわりと音もなく男が立つ。ここまで近くにいれば表情もわかった。人間の阿鼻叫喚などまるで興味がないとばかりの態度だったが、よく見れば唇が少し強く閉じられていてああなるほどなと思った。
「無事か」
端的に身を案じてくる声は聞き慣れた温かさだ。
そう、温かいのだ。
「……そう見える?」
力が抜けて自然と笑みがこぼれる。と、男は目を伏せて私を抱き上げた。
「っ……」
「家に帰れば薬があるだろう。もう少し我慢しろ」
「……うん」
固そうな夜会服は嗅ぎ慣れない匂いがした。それが嫌で男の首に腕を回すと、随分と懐かしいような石鹸の香りがする。
帰る、という響きはとてもいい。何も怖いことがない場所だ。思い浮かべるだけで、この惨劇とも呼べる空間の恐ろしさもおぞましさもすべてどうにでもよくなった。温かなベッドと、薬と、あと少しの他人の匂い。
「帰ろう。――ナガル」
「――ああ。帰ろう、ケイ」
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