十倭国物語 鏡眼の姫

カイリ

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8  鏡の眼

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何か言わねばならないーーー脅迫観念にも似たそれに、桜桃は喉をごくりと上下させた。
彼が桜桃を王家の三の姫だと認識できるはずがない。
元々、姉の紗羅にしか関心がなかった人間だし、本来であれば桜桃はまだ12,3の少女なのだ。17歳の桜桃を見て本人だと悟る者などいやしないだろう。
となれば、今彼女が取るべき態度は。

「あ、危ない所をお助け頂き、ありがとうございます」

これしかないだろう。
睨まれてもいないのに蛇に睨まれたカエルの心境で何とかそう言い、頭を下げる。
しばし沈黙が流れる。

(・・・?あの~・・・何か言って下さい。間が怖いんですけど・・・)

冷や汗が出る思いで、頭を下げたままでいると、彼が頭上で嘆息するのが分かった。

「言うべきことは、それだけか」

高位の者が下位の者に対するような言葉が向けられた。
一瞬、面食らったけれど、彼の態度はすぐに納得できた。
今、桜桃は王家の人間ではなく、市井にいる民の娘でしかない。
貴家の青年である千鳥が取るごく自然な対応なのだ。

(けど・・・他に何を言えと?)

ぽかんとしていると、彼は胡乱な目をして口元を緩めた。

「お前は先ほど、わたしにぶつかり謝罪もそこそこに走り去った娘だろう?」
「・・・・・・!」

そういえば、と思い至ると桜桃は口の中であっと叫びかけて慌てて抑えた。
追われていた途中で人とぶつかった時、見上げた先に品のいい、上等な狩衣姿の人間を見た。正確には着ている人物ではなく狩衣事態を見て、無礼討ちをする人間を連想してしまい逃げたのだ。
まさかそれが、千鳥だとは気付きもしなかった。
桜桃は、彼が何故その腕から解放せずに自分を引き寄せていたのかを理解した。

逃がさないため。

無礼者を捕えていたのだ、この青年は。

(い、嫌だぁ!怖い、やっぱりこの人怖すぎる!!)

青ざめる桜桃は、細い柳眉を顰めてじっと見下ろす彼の双眸に思案の色が浮かんでいるのに気づかない。
脱走を試みじたばたするけれど、しっかりと体に回されている腕はびくともしない。

(こ・・・このひと、まさか、無礼討ちにするつもり!?そんな、こんなとこであたし、絶対死ねないのに)

絶望的な思いで目尻に涙が浮かんだ時だ。

「桜桃っ」

聞き慣れた少年の、常にはない切迫した呼び声。
幼馴染の声がこれほど有難く聞こえたのは初めてだった。

*   **       **      **  *

現れた少年の声に千鳥は双眸を瞬いた。

(ゆすら・・・?)

その響きに視線は自然と手元に捕えている娘に落ちる。
恰好は一風変わっているが、何の変哲もない若干太めの娘。
けれど、彼がこうして捕えたのは何も無礼を働いたからではない。そのつもりがあればその場で処罰しているのだ。
王家の世継ぎ姫が屋根を渡り追っていく姿も奇異に映ったけれど、彼の注意を引いたのは他に理由があった。
それは、この娘が現れた時、一際大きな反応を示したのだーーーあれ、が。
横目にその事実を認めた瞬間、千鳥は娘を追うことを決め走り出した。
王家の一の姫の姿をした珂雪の人間に追われていた娘、あれに影響を与える娘ーーー・・・。

「その手を離せっ」

少年が叫んだと同時、娘を捕えた腕とは逆の腕を狙ったように雷撃が放たれ、後方へ跳びのける。
雷を扱える者などーーー千鳥の知る限りでは、あの一族のみだ。
知らず唇には笑みが上る。
瑞雲の南雲一族。
御篝王家に絶対の忠誠を誓うという点に関していえばこの一族ほどそれに準ずる存在はない。
その少年が血相を変え救い出そうとする娘。

(そういう、ことか・・・)

その経緯がどうなっているのかは、分からないけれど、彼は確信した。
三の姫ーーー王家の末姫の名が桜桃だと気づくのに、時間はかからなかった。

**     **      **         **

ふと桜桃を包んでいた狩衣の袖が離れ、解放された。
恐る恐る振り返れば、千鳥はその美しい双眸を眇め、扇を開いた。

「感謝されど、手ひどい歓迎を受ける謂れはないけれどねーーー瑞雲の南雲どの」
「!・・・お前、何者だ」

朱鷺が眦を釣り上げると、彼はふふ、と笑みを洩らし、

「いずれまた会う機会もあるだろうね、その時にはご挨拶させて頂くよ」

そう言い踵を返し、彼は立ち去った。
去り際にその切れ長の目が面白がるような眼差しをこちらに向けたような気がしたのは、桜桃の気のせいだろうか?
千鳥の去った方向を見つめていた桜桃は、ざっざっざっ、と足早に近づく足音に我に返り、朱鷺を振り返った瞬間、額に頭突きを食らった。

「痛あいっ!!」
「この馬鹿っ!!」

強烈な痛みに涙ぐむ桜桃は、朱鷺の一喝に怯んだ。

「お前、自分の立場ちゃんと分かってるか!?何考えてんだ!」
「わ・・・分かってる。突っ走って迷惑かけて・・・ごめん」
「そうじゃねえ。お前に何かあったら、おれらに迷惑どころの話じゃないんだぞ。よく考えろ、お前にはやらなきゃなんないことがあるだろ!目先の感情に左右されてる場合か」
「!・・・ごめん」

桜桃は額を押えて、しゅんと肩を落とす。
彼の言う通りだ。
下手をしたら、死んでいてもおかしくなかった。
何か役立ちたいーーーだからと言って、無茶をして何もせずに命を落としていたら本末転倒もいいところだ。
朱鷺は強張っていた顔から力を抜き、はあと深く嘆息する。

「・・・とにかく、無事でよかった。さ、皆のとこに戻ろうぜ」

朱鷺は桜桃を促すと、歩き始めた。

「見間違いだったか?」
「え?」

少し逡巡するような間の後で、朱鷺はもう一度聞いてくる。

「・・・紫苑姉、見たって言ってたろ」

朱鷺は剣の手合せをよく、紫苑にしてもらっていた。
主家の世継ぎ姫というよりは、年上の兄・・・もといい、姉のように接していた。

「・・・姉さまじゃなかったよ」
「そう、か・・・」

再び沈黙する中で、桜桃は、姉の姿をしていた少年を思い出す。彼のことと、紅千鳥と出会ったことを皆に話すべきではと思案する。
驚かせてしまうだろうけれど、八家絡みの話だ。話さないわけにもいかない。
剣を向けられ追い掛け回されたことを思い出し、身震いした桜桃に、朱鷺が腕組みし、首を捻りながら、

「さっきの奴、おれのこと南雲だって言い当てたな」
「ああ、うん。八家の人間だからだと思う」

桜桃の答えに、一瞬の沈黙後、朱鷺は、は?っと、眉根を寄せた。

「えっと、話すと長いから皆が集まったら、ちゃんと話すよ」

後に待つ盛大な説教の嵐を予想し、桜桃は眉を下げ小さく笑んだ。

**      *      **          **

銀凪亭へ戻ると既に紫崎家の当主、彼を探しに出ていた空木たちも戻っていた。
美蔡から、こってりお説教をされたのは言うまでもない。

「桜桃さま。ご帰還、誠に喜ばしく存じます。私は天撰八家が一、暁闇の紫崎竜胆と申します。以前は、姉君であられる紫苑様の守役を務めておりました」

きっちりとした礼を取り挨拶した紫崎竜胆は、二十代後半ほどに見える。紫雲のような色をした髪は長く背に届くほどで、首元で一つに結わえられている。
樹理たちの言葉は言い得て妙で、生真面目さが滲み出ている人物だ。

「既に十倭で起こった内乱の話は碧殿から聞き及んでおられるかと思いますが、王弟である焔祁が宮殿にて実権を手にしております。歯向う者は容赦なく切り捨てられ、周囲にはおもねるばかりの臣下が連なり、飢えに喘ぐ民の声に耳を傾ける様子もない」
「・・・ここへ来る途中、波佐を見ました。天候が安定しないと聞きましたが」
「はい。その理由は、王の不在です」

桜桃は波佐で出会った少女を思い出す。彼女が言っていた言葉と同じことを竜胆は告げた。

「王となるには四天至鏡殿へ至らねばならない。これはご存知ですね?」
「はい」
「四天とは四時の天を表します。即ち、四季節の天です。四天至鏡殿とは、四季節の天を司る場を意味し、十倭の王はこれを治める存在なのです。王の不在は十倭にとって重大な問題となります」
「---じゃあ、このまま王が立たなければ十倭は」
「四天の均衡が崩れ、いずれ滅びを迎えるでしょう」

十倭が滅びる・・・。
一つの王朝が滅びる、のではなくーーーこの十倭の地が滅びると彼は言った。
『誰が王様でもいい。ただ、あたしたちが平和に暮らせたらそれでいいんだ』
多岐はそう言っていたけれど、本当にそうでなければこの地に住まう者全てが滅びを見なければならない。

「しかし、誰にでも四天至鏡殿への扉が開かれるわけではありません。現に、焔祁は実権を手にしていても王を名乗ることはできていない。・・・開くためには、鍵となるべきものが必要となります」
「鍵?」
「鏡の眼にございます」

”鏡の眼”、父が桜桃に得よと告げたそれが、鍵だと知り酷く驚いた。
そんな大切な鍵を何故、桜桃に・・・。
ふと彼女は瞬いた。

四天至鏡殿は王となるべき者にしか開かれない。
その扉を開くための鍵が鏡の眼。
鏡の眼を得よと、父は言った。

『晴れて17の御年となり、資格を得られました』

鏡の眼を得られる資格をーーー・・・。

桜桃は双眸を見開く。

(そんな、こと・・・あるわけない)

膝の上に組んだ両手が震える。
その場にいる全員の視線が集まってくるのを感じ、桜桃は緩慢に頭を振った。

「情勢が・・・少しでも安定したら、紫苑姉さまにお渡しするよう、あたしに鍵を探させようとしたんだよね、父様は」

竜胆は桜桃を真摯に見つめ、厳かに告げる。

「十倭国の王位継承は、王家に三人目の姫君が誕生された時から定められていました。桜桃姫が世継ぎの姫であると」

心臓が、委縮する。
そんな馬鹿なと心の中でそればかりが浮かぶ。

「だって、世継ぎは昔から紫苑姉さまが」
「紫苑様は、そう振る舞うよう要請され、またご自身望まれて、周囲にそう見える様になさっておられました。次代の王位が桜桃さまにあるとあの方は、あなた様がお生まれになった頃よりずっと、ご存じでした」
「嘘・・・」

誰もが認める世継ぎの姫として皆に認められ、文武に長け、堂々とし、桜桃の大好きな自慢の姉。
紫苑が世継ぎではない?
それも本当の世継ぎが出来の悪い自分だなど、到底信じられるわけがない。

「十倭の建国の祖・玉響姫は異名を鏡姫といいます。その双眸が鏡眼だったからだと。鏡の眼は天との契約の証であり、王家に鏡眼を持つ姫が誕生した世に、果たされた契約が効力を失うと伝えらえております。新たな契約を結ぶための姫、それがあなた様なのです」
「鏡の眼は、物じゃなくて、人の目?」
「はい」
「でも、あたしの目はそんな鏡の眼なんかじゃない」

色素は薄いけれど、普通に薄い茶色の瞳だ。

「それは、本来の力を別の器に移したからです。鏡眼は、力を持つ目。四天を映し、大気を操るとされる強力な力を持つ。それ故に、幼い姫の器には負担が大きく、守護家の力を借り、力を移したと聞いております」

王家の守護家といえば天撰八家である。
桜桃はそれじゃあ、と確認するように言った。

「元々、あたしの目は鏡の眼だったけど、今はその力を別の物に移してあって、負担に耐えられる年になったからあたしの中に力を戻すってこと?」
「はい。漣王よりそのように仰せつかっております」

渦巻く感情が胸を圧迫し、桜桃は閉口する。

「これまで玉響姫との契約により、鏡眼がなくとも四天至鏡殿への扉は王の証を持つ者であれば開かれました。その契約が無効となった今、その場所へ至るためにはあなた様の鏡眼が必要となります。焔祁もいずれそれに気づくでしょう。・・・八家の離反者が誰かまだ特定できない今、いつ、どの地点で事実に彼らが辿り着くか分かりません」

民の現状を思えば、一刻の猶予もならないという彼の言い分は勿論理解できる。
けれど・・・。
桜桃個人としての許容範囲は既にゲージいっぱいまで来ている。
息が詰まりそうな重荷が圧し掛かり、無理だと拒否反応を起こしそうなほどだ。
こんな平凡で、王への適性すら怪しい人間に何をさせようというのかと言いたい。
桜桃がただの一平民であれば、そうできたかもしれない。
だが、彼女は御篝の人間だ。
それは許されないーーー甘受しなければ、ならない。
細く震える息をつき、桜桃は意を決して尋ねた。

「何に力を移したの?」
「四つの宝鏡です」

王家に伝わる四つの鏡。
それぞれ名を持ち、蒼天そうてん昊天こうてん旻天びんてん上天じょうてんという。
そこまで説明すると、竜胆は眉間に皺を寄せた。

「その在り処に問題があるのです」

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