アッシェドの秘姫~調香師は逃亡中~

カイリ

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仲を取り持つ香り

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 大きなガラス張りの窓から、燦燦と陽の光が差し込む。
 端から端が驚くほど遠いその場所には、白いテーブル席が数え切れないほど設置されていた。
 学院内で高位クラスの人間たちが寛ぐためのカフェテラスにサーシャはいる。
 周囲には人の姿はない。まるで人払いをされているかのように静まり返っている。
 こんな場所が学院の中に存在するなんて知らなかったと驚く一方で、それ以上に驚かされたのが、正面の席に座る調香依頼の代理人だ。
 想像していた人物像とはおおきく異なり、指定の時刻にサーシャを待っていたのは、二十代半ばほどの長身の青年だった。
 艶のある黒髪の彼は、ラァスと名乗った。
 一見して上等な仕立てだとわかる衣装に身を包み、洗練された仕草をする――――――どう見ても平民には見えない人物だ。

(このひとが依頼人だって言われても、おかしくないくらいね……)

「では、ルティカど……ルティカさんとお呼びしても?」
「はい」
「ノーラ=ラグさんのお話によると、あなたは香を調合される前に、依頼人に直接会われるとか」
「ええ、そうです。男女の違いは勿論、年齢、その方の雰囲気、普段使いなのか、特別な場面でお使いになるのか。直接お話を聞きます。お使いになる方が心地よく纏えるような香りを作り上げたいので」

 調香の師であるエンナがそうだったように、サーシャもそうして香を調合する。
 大多数向けのものではなく、その人ただ一人の為の香りを作るのだ。
 ラァスという青年はふと相好を崩した。

「そうですか。では、若君の為に世界でただ一つの香を作って下さい。生憎とこの場へおいでになることができないのですが、代わってわたしがお答え致しますので」

 その理由を彼は口にしなかったが、身分の低い人間と直接言葉を交わすことを厭う存在もいるとサーシャは知っている。
 心得ている、と笑み、サーシャは質問を始めた。

「ご依頼の方は、男性だと聞きましたが」
「はい。今年で二十歳におなりです」

 用意した白紙にメモを取る。

「とても高価な材料をご用意いただいてますが、どんな香りをお望みですか?」
「そうですね。女性に好まれるような香りがよいですね」

 依頼人には、どうやら意中の存在がいるようだ。
 メモにはただ、彼の答えを記入する。

「女性好みの香りも様々ですが……では、どう見られたいと望まれているのでしょう?」
「……若君がですか。そうですね」

 しばし黙り込んだラァスは、口元に手を当て、下げていた視線をサーシャへと向けた。

「実は、若君には定められた方がいらっしゃいまして」

 恋人ではなく、結婚相手ということだろうか。
 身分の高い男性なら年齢的には少し遅いくらいなのだろう。
 話し始め口が重そうだったのは、その為なのかもしれないとサーシャは感じた。
 もっとも、平民であるサーシャには言いづらいと感じるほどの事とも思えないが。

「随分と前のことになるのですが、相手の方と少し折り合いが……あまり良い印象を持たれていないと言いますか」
「……」

 言いづらいはずだと即座に思い直す。
 良好な関係とは言い難い相手に少しでも良い印象を与えたいというのが目的なのだと察する。
 俄かに居心地悪くなる空気の中でラァスは小さく咳払いし、

「この度、正式にその方との縁を結ばれる決意をされたのですが、再会も何年振りかの事でして。相手の女性の好みも正直分からないのです。そこで若君から申し付かって参りましたのは、調香師どのの好みに合わせていただけないかとの事でして」
「あた……わたしのですか?」

 思わぬ言葉にサーシャは瞬いた。

「はい。調香に精通し、女性でもあるあなたならばきっと、素晴らしい香りを作り上げてくれるはずだと」
「ですが、よろしいのですか?同性であっても好みは人それぞれですし、世代によってまた……」
「その女性は、たしか今年で18になられているはずです」
「――――――」

 同い年。
 サーシャはしばし沈黙した。
 こういった依頼は、厳密に指定されるより難しい。

「ご希望の期限はいつでしょう?」
「期限――――そうですね。こちらへの転入はごく短期のものですが、ご当主から跡目を引き継ぐべき日が近づいておりますので、長くとも二月ほどしか滞在できません」
「それは、随分短いですね……」

 たった二月だけ――――――――依頼人はその短期間に何を学ぼうとこの学院へ転入してきたのだろう?
 関係ないことだが、そんな疑問が過る。

「無理な注文でしょうか?」
「!いいえ。材料は少し大めにご用意いただいているようですし、もし、わたしの調香がお気に召さない場合は」
「いいえ。そのようなことは決してございませんので。ご存分にお使いください。もし不足でしたらすぐ、必要な材料を調達いたしますので」
「!い、いえ。お預かりした材料で調合させていただきます!」

 総額いくらになるとお思いですか!
 内心、声なき声を上げる庶民なサーシャである。

「ではコルアレ―ド固有の材料もわたしが選ばせていただきますので」
「はい、お願いします。―――――それでは、報酬についてなのですが、こちらでいかがでしょう?」

 すっと差し出された透かし模様の入った紙。
 提示された金額を見て、サーシャは危うく椅子からひっくり返りそうになった。

「っこ、これですかっ!?」
「不足でしたらご希望の金額を仰って頂けましたらそのように致しますので」
「ち、違っ」

 そこにはとんでもない金額が記入されている。
 念願の工房資金に手が届くほどの大金だ。
 確かにいい稼ぎになるとは思ったが、これほどの報酬は想像もしていなかった。

(い、いくら何でも貰い過ぎっ)

 欲しいけど。
 本当は喉から手が出るほど欲しくて堪らないけれどっ。
 ごくんと喉を上下させ、固く目を閉じると、サーシャは差し出された紙をラァスへと押し戻す。

「これは、頂き過ぎですので!」
「いいえ。随分と難しい注文をしている自覚は若君にもおありなので。これくらいは受け取っていただかないと」
「い、いいえっ。そんなっ」

 ぐらぐらと揺さぶられる。
 強い誘惑だ。
 これまで感じたこともないほど強烈なそれに、サーシャは今にも負けてしまいそうになる。

(だめ、だめ!仕事以上の大金なんて手に入れたら、金銭感覚とか他にも色々とおかしくなっちゃうっ)

 顔を背けてかぶりを振るサーシャの姿に、ラァスはふっと口元を緩めた。

「そうですか。では、出来上がった香に対しての若君の評価で改めて金額を提示させていただきましょう。普段、一回の調香依頼であなたが得ている報酬はいかほどです?」

 正直に答えるとラァスは、彼女の前にその金額を差し出した。

「これはとりあえずお渡しする報酬です。もし、希望通りの香が出来上がりましたらこちらの代金に上乗せさせていただきます。――――――いかがですか?」

 にこりと微笑む彼を見つめ、逡巡するが結局サーシャは頷いた。

「はい。ではこのご依頼、たしかに承りました。――――――ご期待に添えるよう、全力を尽くしますので、どうぞ、よろしくお願い致します」

 この依頼の先に待ち受ける者の存在を知る由もないサーシャは、席を立つと丁寧に一礼し、カフェテラスを後にした。
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