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怒れる依頼人

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 二人は傾斜の上から降りて来た。
 重心を片足にかけて立つサーシャの様子に気づいたのはラァスで、彼は近くで薬草を見つけてくるとすり潰し、患部に当て、その上から布を縛り上げた。

「応急処置ですから、あとで医師に診せて下さい」
「ありがとうございます。・・・・ところで、どうしてここへ?」

 サーシャのような用でもなければ、このような場所に立ち入る理由がない。
 ラァスが僅かに目を泳がせた気がしたが、直後に響いた苛立ち滲む声で注意が逸れた。

「そのようなこと決まっているだろう!浅慮な真似をお前がするからだっ」

(は?)

 ラァスの傍ら、腕組みをして立つフードの男はそれまで黙っていた。が、喋らずとも醸し出す憤りの気配は濃く、気づかぬはずもなかった。
その原因が自分だと言われれば、釈然としない。

(だいたい誰なの、この人?ずいぶん偉そうだけど)

 初めて姿を見せた時、すでに怒っているようだった。

「殿・・・・若君、そのように仰らなくても」

 とりなすラァスの言葉に、サーシャは、えっと思わず声を上げてしまった。
 目深に被っているフードでその素顔は見えないが、この人物が依頼人だと?

(なんだって身分の高い人がこんな場所に来るわけ!?)

 わけが分からない。
 だが、もっとわけが分からないのは、何故、この人がここまで怒るのかということだ。
 
「ラァス、お前は黙っていろ。――――――このような場所を若い娘が一人でうろつくなど、何を考えている!危機感がないのか!?」

  ラァスへ一言告げた後、彼はこちらへと矛先を向けた。
  ノーラの手前、滅多なことはできないが、少しばかりむっとくる。

「お言葉ですけど、ここへは調香に必要な材料を探しに来たのです。調香師が材料を集めるのは、街中だけじゃありません。必要なら、山や森林、高地にも出向きます」
「碌に身を守る術もなく、怪我まで負ってか?その身はお前ひとりだけのものではないのだぞ?」

(あたしだけのものじゃない?)

 何だそれは。
 サーシャはいよいよ眉を顰めた。

「・・・・仰る意味が理解できませんが」
「お前はわたしの」
「若君」

 ラァスの声で【若君】は、言葉を止め、低く続けた。

「・・・・わたしの、香を依頼された身だ」
「そうですね」

 若干冷めた目で見つめるサーシャの様子に、うっと低く呻き、【若君】は勢い込んで話し出した。

「だ、だからだ!進行状況を確認に行けば、まだ戻らぬというしっ」
「ご学友の方からお聞きしまして。行き先が【迷いの森】などという不穏な名を持つ場所だと知り、若君があなたを心配されて」
「心っ!わたしはただ、調香師に何かあれば依頼が果たされなくなるのがだな」

 妙に焦った様子で弁解を始める【若君】だ。
【心配した説】はともかく、彼らがここに現れたのは学友に聞いたからだと判明した。

(随分と信用のない・・・・。まあ市井の、それも無名の調香師相手に信用も何もないか)

 そうは思うものの、むくりと意地が頭をもたげる。

「・・・・お受けした依頼はきちんと最後までやり遂げますので」
「?お前もしかして、まだ探すつもりか」
「はい。手当していただいたおかげで幾分、痛みも和らいでますし、もう少しだけ探してみます」

 すくっと立ち上がれば、再び【若君】が苛立った声を上げる。

「何を聞いていたんだ、お前はっ。その足でまだ動き回るつもりか!?」
「はい。これは、わたしの仕事ですから」
「――――っ」

【若君】は黙り込んだ。
 反抗的に映ったろうか?
 ちらっと様子を確認すれば、大部分がフードに隠れている中で、引き結ばれた口元だけが見えた。

(生意気だっとか思ってそう・・・・)

 軽く頭を下げ、傍らを通り過ぎようとすると、手首を取られた。

「待て」

 低い声音に、サーシャは息を呑んだ。


 :::


 人はあまりにも想定外の事態が起こると、思考が停止するようだ。

(っ!今あたし、頭まっしろになってた!?)

 我に返るサーシャの間近で、声がする。

「・・・・おい。手が緩んでるぞ」
「はっ!?え、何で?」

 目の前にフードを被った頭がある。
 サーシャはおぶさっていた。――――【若君】の背に。

 動転して危うく落ちかけそうになる。

「こら!暴れるなと言っているだろう!」
「で、でも、どうしてこんなっ」
「その足では見つかるものも見つからない。いいから、黙って周囲に目を配れ。お前の探す材料とはどんなものだ?」

 偉そうである。
 だが、その行動は上流階級の人間にしては、明らかに規格外だ。少なくとも、サーシャの考える身分の高い人間像だったらあり得ない。

(お嬢様ならともかく平民の娘を背負う!?この人、ほんと何考えてるの?)

「ルティカさん、お答えください」
「・・・・ムルサバの木を探しています。樹液が材料になるので」
「聞きなれないですが、珍しい木なのですか?」
「昔からコルアレ―ドの重要な祭事には必ず使用されていた香の材料なんです。ただ、今はその木が生えている場所も限られていて、滅多に出回りません。・・・・ご依頼の香に、それが使いたくて」

 コルアレ―ド固有の材料と聞いたとき、真っ先に頭に浮かんだ。
 勿論、サーシャ自身も扱った事のない代物だが、古い文献には絶美香とされ、珍重されたのだという。
 他の材料も候補には上げてあるが、その材料を加えて調合したかったのだ。

「それがこの森にあると?」
「実際に耳にしたのは、夜光蔓が生えているという話で、その蔓が好む条件が、ムルサバの木と同じですので」
「確証もないのに、こんなところまで来たのか」

【若君】は飽きれたようだ。

「・・・・調香師は、そういったものです」

 少なくともエンナはそうだったし、街の調香師も新しい香の材料があると聞けば、遥か遠方まで出向いていた。

「そ、それより、下ろしていただけますか?大丈夫ですから」
「無駄口を利くより、目を凝らせ」

 いちいち言い方が偉そうだ。
 居心地悪い思いのまま、改めて視線を巡らせれば、彼らは川沿いを上流へと進んでいるのが分かった。
 日が傾いてきたためか、川向こうの木々の向こうはいよいよ薄暗く見える――――――――と、サーシャはある一点を捉えて目を凝らした。
 薄闇の中、仄かに浮き上がる線が見える。

「あ、あの、止まって下さい。あそこに」
「!あったのか?どこだ?」

 サーシャが指さす先は、川を渡った先のずっと奥だ。

「たしかに、光るものがありますね・・・・しかし、そうなるとこの川を渡らないといけませんが・・・・」

 ラァスの言葉通りだ。
 今度こそ下ろしてもらおうと口を開きかけたサーシャは、迷うことなく川へと進む【若君】にぎょっとした。

「ちょっ、待ってください。下りますから、そんなことまでして頂くわけにはっ」
「煩い。このような場所でぐずぐずしていたら、何が出てくるか分からないぞ。それと落ちればずぶ濡れだ。それが嫌ならしっかり掴まっていろ」

 濡れるのは歓迎しない。
 下げた鞄の中には、材料の採取できる場所を記した帳面がある。調香師であるサーシャにとってとても大切なものだ。
 言いあぐねているうちに水音をたてながら、彼は向こう側へと渡り、ラァスもそれに従う。
 一人ならば石の上を渡れもするが、サーシャを背負っていては無理だ。

「~~~っ。さあ、行くぞ」

 濡れた足元が気持ち悪いのだろう。
 若干唸りながら、彼は後方にいるラァスを促す。

(変な人。何でお付きのひとに頼まないで、自分で背負うの?)

 庶民を気にかけるのも妙だが、付き従う者を使わず自ら動くのはもっと不可解だ。
 足場の悪い獣道になると、ラァスが先頭を行き笹をかき分け、その後を彼が続く。
 やがて遠目に確認した光の元へ辿り着くと、淡く発光する蔓がある。
 夜光蔓にまちがいない。
 問題は、この周辺に目的の【ムルサバの木】があるかどうか。

「特徴は?」
「見た目は普通の木と大差ないんですけど・・・・下ろしていただいていいですか?」

 地に足を付けると、鞄から取り出した小型のナイフで幹を削る。
 ・・・・違う。
 ひょこひょこと動き、次の木にも同様に刃を当てた。

「それで分かるのか?」

 問いかける声に無言で頷く。
 特徴がない上に、建材などにも不向きな、使い道のない木――――しかし、圧倒的な個性が隠されている。
 それは――――・・・・。

「ぅぐっ!?な、何だこれはっ!!?」

【若君】の驚愕の声と共に漂う強烈な刺激臭。
 それは反射的に鼻を覆うほど酷い匂いだ。
 彼を見やると、腰に括り付けていたらしい短剣で幹を削ったようだ。滲み出す樹液が見える。

「わ、若君っ。お下がりください」

 とんでもない匂いにドン引きするラァスが彼を呼ぶ。
 が、サーシャは鼻を押さえたままそちらへと近づいた。
 鞄から用意しておいた瓶を取り出し、流れ出るそれを受ける。

「ま、まさか・・・・そんな悪臭の樹液を使うのか!?」
「はい。勿論このままでは使い物になりませんが、ちゃんと良い匂いに変わりますから」
「そ、それがか!?」

 彼らが絶句するのも無理はない。
 が、不純物を取り除き、丁寧に加工してゆけば、この匂いが文献にのるほどの良い香りに変化する。
 十分な量が瓶の中に溜まると栓をし、用意しておいた布で丁寧に包むと鞄の中にしまう。
 目的の材料が手に入ったことにほっとする。

「それでは、帰りましょう。日が暮れては、いよいよこの森の別名通りに迷ってしまうでしょうから」

 ラァスに促されて頷くと、「乗れ」とばかりに【若君】が身を屈めた。

「!け、結構です。ほんとに、大丈夫ですからっ」
「つべこべ言うな。わたしはさっさとこのような場所から出たいのだ」
「だ、だったら、先に行っていただいていいので」
「何だと!?わたしの厚意を無にするつもりか!」

 再びいきり立つ彼をラァスが宥め、サーシャに微苦笑のまま話しかけてくる。

「ルティカさん、すでに日が落ちかけてますので、ここは主の言う通りにしていただけませんか?この森に長居無用です」
「・・・・それは、そうですけど」

 元々苦手な人種だからというのもあるが、なんというのだろう。
 どこがどうとは言い難いのだが、輪郭のはっきりしない何かを【若君】に感じてしまうのだ。
 それがどうにも居心地の悪さを覚えさせる。
 口ごもるサーシャを見るとラァスが言い出した。

「――――では、代わりにこのわたしが」
「ラァス!?」
「若君、こうしていても埒があきません。一刻も早くここから抜け出すのが先決です。今回は、お任せを」
「・・・・わかった」

 ふいっと顔を背ける【若君】。

「ということですので、どうぞ?」
「え。い、いえ、そんな」
「若君に背負われることで気後れしてらっしゃるのですよね?わたしでしたら、大丈夫ですので」

 間違いではないが、上手く説明できない。
 結局、笑顔で押し切られたサーシャはラァスに背負われることになった。

 :::

 薄暗くなる森の中、三人は出口へと戻り始めた。
 行きで木に目印をつけて歩いてきたサーシャだが、彼らはそれを必要としなかった。

「やはりジェマ殿の仰る通りでしたね」
「ああ」

【若君】はベルトに結びつけていた小袋から、手の平に乗るほどの石を取り出した。それを額につけると、彼は話し始める。

「ヴォリス、聞こえるか。今から帰る。石に念じろ」

 傍からすると意味不明の行動だが次の瞬間、石から光が細く伸びていく。

「な、何ですか、それ?」
「・・・・魔女の持ち物だ。光をたどって歩けば、出られる」

 魔女?
 旧世紀の昔話でしか耳にしないそれにサーシャは眉を顰めた。
 担がれているのかとも思ったが彼の言葉通り、行きほどの時間もかからず森の出口へたどり着いた。

(嘘・・・・ほんとに?)

 周囲を見回すサーシャは、すっかり日暮れた外の景色の中に、見慣れない大柄の男を見つけて瞬いた。
 すらりとした痩身のラァスとは正反対の、鍛え抜かれた武人の身体付きをしている。

(だれ?)

「よくぞご無事で、でん、じゃなくて、若」
「待たせたな、ヴォリス」
「いえ。さあ、参りましょう。馬車へお乗りください」

 彼の手にも魔女の持ち物だという石が握られている。

「あれは反応し合う石なのです」

 ラァスが不思議な石の説明をしてくれた。
 すると、大柄な男がこちらを向き、胸に手を当て一礼する。

「初めまして。ヴォリスと申します」
「は、初めまして。サーシャです」

 外見の雄々しさと裏腹に、ラァス同様、その仕草は平民にはないものだ。
 彼はラァスの背からおりたサーシャを見ると、ラァスに尋ねる。

「どうかされたのか?」
「足を痛めてらっしゃるんだ」
「手当は?」
「いちおう応急処置はさせていただきましたが」
「では、学院まで早くお送りしなくてはな。どうぞ、お乗りください」

 戸惑ったが、先に乗り込んだ【若君】に早く入れと急かされ、彼の座る方向とは逆に座る。
 ラァスがそれを見て何か言いたげな顔をしたが、主の隣りに腰を下ろした。
 御者はヴォリスが務めるようだ。
 やがて動き出した馬車の中、しばらく黙っていた【若君】がとんでもないことを言い出した。

「・・・・ラァス。お前、明日からこの娘の傍につけ」
「はっ」
「は!?」

 ラァスの声と重なるサーシャのそれはひっくり返った。

「こんな無謀な真似をされては、依頼した香の行方が心配だ」
「そ、そんな必要はありません」
「駄目だ。これは、依頼条件の一つに追加する。ラァスは明日からお前の護衛につく。いいな?」
「ちょ、待ってください。若君さん」
「妙な呼び方をするなっ」

 とたんに声を跳ね上げる彼にびくりとする。

「・・・・マハだ。そう呼ぶがいい」

 ぼそりと言って顔を背けるフードを被ったままの彼。
 その名で呼ぶ機会などないような気がするのだが、サーシャは【若君】がマハという名だと知った。
 マハは、サーシャがいくら護衛は必要ないと言っても聞き入れず、結局、この翌日からラァスは彼女の護衛としてつくこととなるのだった。
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