アッシェドの秘姫~調香師は逃亡中~

カイリ

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秘姫への関心

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 至急の伝達として届いた王太子からの便りに、ジェマは僅かに息をついた。

「それはマハからの便りか?」

 豪奢な天蓋付きの寝台から、壮齢の男がかすれ声で尋ねてくる。
 その面差しは、一人息子である王太子とよく似ているが、病の影が濃い。
 ジェマは王の召喚により、その寝室へと訪れていた。

「左様でございます、陛下」
「そうか。あれは苦労しているだろうな」

 息を吐き出す王は、双眸を眇めた。

「はい。どういう事かと、随分、困惑なされておられるようです」

 予想に違わず。
 甘い血を得られないと知った彼は、王位を継ぐために必要な事と割り切って、秘姫を迎えに向かった。
 刺牙の儀は不完全に終わり、秘姫が傍にいないうちは、その血の甘さだけが記憶に残るのみだったはずだ。だが、本人を前にすれば、その影響ははっきりと表れる。
 血により引き合わされるのだ――――否が応でも。
 本人の意思に関係なく、傍にあることを強要されることを、マファルドがどう受け取るのかは容易に想像がつく。

「吸血衝動が強かった分、その影響も比例して強いはずだ。あれは意志を捻じ曲げようとするものを良しとはしないだろう・・・・【緋王】の二の舞にならんと良いがな」

 長い歴史の中で唯一、秘姫を拒絶した存在は、その手を血に染めた。輝かしい治世を築いた半面、その一方で封じきれなかった魔性の性か、残虐な行為に及んだと言われる。
 マファルドが秘姫の血の記憶に苛まれる様をみて、まさしく同じ懸念をジェマも抱いた。
 それゆえ、秘姫の居所を掴んでいながらも、時がくるまで口を噤んだ。
 あの夜――――海に飛びこんだ少女が誰に救われ、どこで過ごすことになったのかを当時すでに、ジェマは把握していた。が、そのほっそりとした首筋に刻まれた、傷跡の深さを見て取りると、とてもマファルドに告げることはできなかったのだ。
 冷却期間を経たマファルドに【再教育】と称し、秘姫に対する認識の修正を図ったのも、その為だ。

「あとは、殿下次第・・・・」

【緋の王】を除く歴代王は例外なく、その傍に貴妃として秘姫をおいた。
 その存在を寵姫とするか、即位に必要な条件のひとつとして置くかは別として、彼には無事、秘姫を連れ帰国してもらわなければ。


 ***


 ・・・・視線が、突き刺さる・・・・。
 作業をする手を止め、サーシャは斜め後方の物陰を見やる。

(いる・・・・今日もまた、凄い睨みつけられてる感が半端ない・・・・)

 実習室を工房として使用することを許可されている為、調香はここで行う。
 今は、手に入った樹液を精製し終わった所だ。強烈な臭いを発していたそれは、その原因となる不純物を取り除き、暗緑色から透明度のある薄緑色に変化している。

(・・・・もしかして、この香りが気にかかってるとか?)

 その可能性に気づくとサーシャは椅子から立ち上がり、ここ連日まるで監視でもしているかのような人物の元へと近づく。

「あの」
「!なっ、なんだ!?」

 よほど顔を晒したくないのか、今日もフードを深く被っている依頼人は、さっと後方へ距離を取る。

「・・・・そんなに離れなくても、あんな臭いはもうしないですから」

 樹液を少量だけ取った小瓶を差し出す。
 彼は僅かに逡巡したようだったが、それを手にすると片手で扇ぎ、その匂いを嗅ぐ。

「!・・・・これが本当に、あの悪臭の樹液か?」
「はい。でも、絶美香というより、気持ちの落ち着く香りですよね、これ」

 だが、他の材料との組み合わせを思えば、この香りでよかった。

「・・・・確かに。嫌いじゃない」

 笑みを含んだ声音にそちらを向けば、マハはなぜか数歩下がった。

「な、なんだ?」
「いえ・・・・」

 意外だ。
 彼のような人物は派手なものを好む印象が強い。
 落ち着く香り――――華やかさはないのだが。

(そう、嫌いじゃないんだ)

 なら、いい。調香の材料に使うのだから、使用者本人が気に入るものでなければ。
 マハから小瓶を受け取るサーシャは、ふと尋ねてみた。

「あの、ラァスさんから伺っているんですが、ご依頼の香・・・・本当にわたしの好みでいいのですか?」

 彼がどこの国の出身かは分からないが、少なくともサーシャの故郷であるアッシェドでは、身に纏う香は重要な意味を持つ。
 時に気持ちを伝え、時に魔除けとなり、生涯のあらゆる場面を彩るもの――――――――それゆえ、故郷では王宮お抱えの調香師が存在し、市井にも多くの調香師が職にあぶれることなく生活しているのだ。
 するとマハは、何を言っていると答えた。

「構わぬと伝えたはずだ。そな・・・・おまえの調香の腕は、紹介者より耳にしている。一度まかせた事を撤回するするような真似はしない」
「分りました。ご期待に添えるよう、努力します」
「ああ。よろしく頼む」

 彼に頭を下げると元の作業台へと戻る。
 精製した材料を少量とり、組み合わせていく。
 完成時の香りだけでなく、時間の経過とともに変化していく香りがどうなっているのかを確認していくのだ。
 が、サーシャはふと手を止めた。こちらを腕組みして見入るマハの視線を感じる。

(な、何なの?樹液の香りがどうなるかが気にかかってたんじゃなかったの?)

 先ほどの言葉だと、サーシャの調香の腕前を心配しているようではなかったのだが、他に何か用でもあるのだろうか?

(それとも単純に、ラァスさんに用があって待ってるとか?)

 ラァスは今、サーシャの調香した香を届けに街の雑貨店へと出かけている。
 授業終了後に配達へ出かけるというサーシャの予定を聞くと、彼は自分が代わりに向かうと申し出た。迂闊に外出させるなと、マハから言いつけられているのだと言って、颯爽と出て行ったのだ。

(いやいや。今日だけの事じゃないよね?ここの所ずっとだよ、この人があたしのこと監視みたく見てるの!)

 何だか視線が強いのだ。
 作業に集中しきれないほどに。
 気にしては駄目だと思っているのに、意識から閉め出せないのが厄介である。

(何だか知らないけど、この人・・・・フードで顔覆ってるくせに、妙に存在感あるから・・・・)

 やりにくいったらないっ。
 内心うめくサーシャに、ふと彼が話しかけてきた。

「おまえ、その・・・・怪我の具合は、どうだ?」
「え」

 危うくガラス棒を取り落としそうになる。
 身分の高い人間が今、庶民を気遣った?
 思わず目を見開き、ぽかんと口を開ける。

「な・・・・何だその反応は?」
「!い、いえ。すみません。その、大分良くなりました。お医者に診ていただいたので」

 まだ少し痛みはあるものの、歩けないほどではない。
 そういえば、あの時のお礼をちゃんと口にしていなかったのを思い出す。

(身分の高い人間にあんなことされるなんて想像もしてなかったから、驚き過ぎて忘れてた)

 サーシャはその場に立ち上がり、マハに向き直った。

「言い遅れてましたけど、あの時は、その・・・・ありがとうございました。来ていただけていなかったら、どうなってたか分かりませんでした」

 護衛は必要ないと思うが、正直なところ、彼らの登場は有難かった。
 サーシャが頭を下げると、マハは若干狼狽えたような反応をする。

「い、いいや。たまたまだ。気にするな」
「おかげさまで、必要な材料はすべて揃ったので、調香に取り掛かれます」
「そ、そうか」

 咳ばらいをし、マハはそれっきり黙り込んだ。
 サーシャもそれ以上話すことが思いつかず、再び席について作業を続けた。
 ――――会話もなく、サーシャの動かすガラス棒が器に当たる音のみが実習室に響く。

 ・・・・気まずい。

 この人はなぜ立ち去らないのだろう。
 こちらから理由を尋ねたほうがいいのだろうか?
 そんな考えが脳内をぐるぐると回る。
 すると再び彼が話しかけてきた。

「おまえは・・・・元はこの国の人間ではないだろう?」
「・・・・はい。そうです、けど」

 隠すような事でもなく、正直にサーシャは答えた。
 学院の生徒は多種多様な人種で溢れている。
 コルアレ―ドの民でないことは大して珍しいことではないのだが、改めて尋ねられるのは、言葉の発音に微妙な癖でも出ていたのかもしれない。
 アッシェドもコルアレ―ドも、世界の多くの国で話されているグラーシュ語が主な言語だ。が、その発音には若干の違いがあり、特にアッシェドの民は語尾に癖がでる傾向がある。
 発音が気にかかったのだろうか?
 そういえば、マハの発音はとても綺麗だ。
 グラーシュ語の発祥地であるグラード聖王国の人間だとしてもおかしくない。
 サーシャは少しだけ、彼と言葉を交わすのが恥ずかしくなる。
 が、彼は予想と反する問いかけをしてきた。

「ここへ来て長いのか?」
「え・・・・はい」
「故郷へは・・・・帰りたくはないか?」

 サーシャは、虚を突かれて調香の手を止めた。
 誰かからそんなことを聞かれたのは初めてだ。
 学院の生徒は近い遠いに関わらず故郷から離れ暮らす者が多い。
 だが、長期休暇ともなれば、帰宅しない者の方が少ないのだ。
 コルアレ―ドへやって来て八年――――・・・・一度としてあの国へ戻る事がなかった。いや、できなかった。
 旅費の問題だけではない。サーシャの中に刻まれた恐怖の記憶が足を竦ませたのだ。
 帰郷を促すノーラが、旅費を出すと申し出てくれた時も、丁重に断った。
 無力なまま、あの国へ行って無事でいられるとは思えなかったからだ。
 黙り込んでいると、マハは、何やら焦ったように、手をわたわたと動かした。

「いや、いいっ。聞いてみただけだっ。答えたくないなら、それで」
「・・・・帰りたいですよ――――今はまだ、帰れないですけど」

 目を閉じれば、鮮やかな色とりどりの花畑。抜けるように青い空と透き通った透明度の高い海。強い日差しと、濃い緑の大地。エンナの、明朗な笑顔――――・・・・全部、懐かしく、恋しい。

「でも、決めてるんです」

 双眸を開き、サーシャは決意を秘めた眼差しで合わせている途中の香を見つめる。

「調香師として名を上げてから、帰るって」
「――――」

 その場に再びおりた沈黙で、サーシャは、はっとした。

(よく知りもしない相手に、なに語ってるの、あたしっ)

 急に気恥ずかしくなってきた。
 知らず頬が熱くなり、調香に集中することで誤魔化す。

「・・・・名を上げたら、か」

 呟き声に視線を上げたサーシャは、そのままこちらに背を向けて歩いていくマハを見た。
 気は済んだのだろうか?
 それにしても変わった人だ――――――――酔狂にも庶民の娘と話がしたかったとでもいうのだろうか?
 結局、彼が何を目的としてここにいたのかは分からず、サーシャは首を捻った。
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