アッシェドの秘姫~調香師は逃亡中~

カイリ

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不本意な強制力

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――――――――異変が起きている。

 自身が自身でないような、不可思議な現象だ。
 マハは、長椅子に腰かけ、深々とため息をついた。
 即位に必要な条件の一つであるとはいえ、ただの平民の娘に、ただどころでなく注意が向いてしまう。
 が、断じて一目惚れなどという現象ではない。
 目が眩むほどの美女もしなやかな肢体を持つ魅惑的な女も、アッシェドの王宮には珍しくないのだ。
 それが市井育ちの、どこにでもいそうな娘のどこに惹かれると?

 考えられる理由は一つだけだ。
 刺牙の儀で得た秘姫の血――――――――あれが原因だとしか考えられない。

 本来ならあり得ない言動の数々は、マハの意思ではないのだ。
 ――――――――忌々しい・・・・。
 眉根を寄せ、小さく毒づく。
 まるで何者かの意図に踊らされているかのような、不快感がする。
 かと言って距離を取れば、あの娘の動向が気にかかり、落ち着かない。
 護衛としてラァスをつけたが、その報告を聞いているだけでは飽き足らず、様子を伺いに、娘のいる一般棟の実習室にまで出向いてしまった。
 自身の行動を振り返るマハは、ぐったりと脱力してしまう。

(何をやっているんだ、わたしはっ)

 平民の娘相手に、右往左往している。
 深くため息を吐き、双眸を眇めるマハは、ふと、秘姫と交わした会話を思い出す。
 王宮で対面する貴族子女や他国の王女とは当然のことながら全く違う感覚を覚えた。
 彼女たちに見られる、媚や追従を感じない、飾り気のない素の言葉。
 勿論、彼女はマハが王族だとは知らないが、上流階級の人間だとは認識しているはず。
 だが、彼女はあくまでも仕事の依頼人相手だとしか見ていない。
 話しかければこちらを向く紺碧の瞳は、すぐに調香をする手元へと戻ってしまう。

 こちらを向かせたいと――――――――そう思わせられているだけなのだ、おそらくは血の強制力に。

 今はまだ、そうだと判断することができるが、いつかはそれも分からなくなるのだろうか?

(ジェマめ。何故すぐ返事を寄越さない?)

 先々代の王から王家に仕えているあの占者なら、この事態を把握していたはずだ。
 意思を塗り替えられるようなこの感覚を、どうにかできないかとマハはジェマに尋ねたのだ。
 その返事がまだ届かない。
 こちらから連絡を取るのに時間がかかっても、ジェマからこちらへ連絡を取ることは容易だということはわかっている。

(答え返す気がないということか?)

 それはつまり、どうしようもないことなのだという意味だろうか?
 自問自答をするも、答えの出ない問題に双眸を硬く閉じた時、扉の開く音がした。
 薄く目を開けば、秘姫を寮へと送り届け、本日の役目を終えたラァスがこちらへと近づいてくるのが見える。

「ただいま戻りました、殿下」
「ああ。ご苦労」
「今日はいつもより早くお傍を離れられたのですね」
「・・・・ああ」

 マハは若干仏頂面になる。
 彼がこの所、サーシャの様子を伺っていることをラァスは知っているのだ。
 それも、秘姫に再会したことで、特別な感情を彼女に抱いたのだという思い違いをしている。
 幼い頃から傍仕えをしているラァスは、遊び相手であり、相談役であり、時には兄のような存在だ。
 その彼から何やら生温かい眼差しで見られ、マハは内心、げんなりとなる。
 だが、意思とは関係なく動かされているようだ、などと説明するのは、彼の矜持が許さなかった。
 ラァスには、ただ誤解だと告げたが、訳知り顔で承知しておりますと頷かれた。何を言っても、照れ隠しだと取られるだけだ。
 マハは弁解するのをすでに諦めていた。
 そんな彼にラァスは提案するのだ。

「材料が揃ったとのことで、調香作業に入られたようです。殿下、香が出来上がる前にいま少し秘姫との距離を縮められてはいかがでしょう?」

 何を言い出すのかとうろんな目を向ければ、ラァスはその必要性を説き始める。

「今、殿下と秘姫の接点は香の依頼だけです。調香が終わってしまえば、秘姫の心を解きほぐす機会が失われてしまいます。幸い面識はありますし、香が出来上がるまでに親交を深め、折を見て素性を――――」
「時期がくれば、否が応でも連れ帰る」
「殿下・・・・ジェマ殿がお聞きになればどう仰るか、お分かりですね?」

 くわっと目を見開いた迫力の形相が脳裏を過り、条件反射で呻いてしまう。

「それにですね。お傍に控えて気づいたのですが、秘姫にはどうやら複数の信望者がいるようです」
「・・・・信望者だと?」

 あの平凡で華のない娘に?
 そうは思いつつも、聞き捨てならない話にマハは長椅子から身を起こした。

「そのような者がいるのか?」

 だが、マハが見ている限りでは、あの娘に男の影は全く見られなかった。
 時折来る調香の依頼くらいなもので・・・・。

「・・・・まさか、ラァス。調香依頼の者のことか?」
「はい」

 迷いもなく頷くラァスを見て、マハは、何だ、と息を吐き出す。

「ただの依頼者だ。そのような者まで疑っているのか?」
「――――殿下。わたしが説明するよりも、ご自身でお確かめ頂いた方がよろしいかと」

 あくまでも信望者存在説を翻さないラァスの言葉が真実だったのだと、マハが知る事になるのはこの数日後の事だった。
 ラァスの勧めで、いつもは使用しないカフェテラスにて昼食を取ったマハは、偶然耳にしたのだ。
 一般生徒の中に、とても良い匂いのする女子がいると話し合う男子生徒たちの話を。
 日により全く違う香りを纏い、すれ違うたびに気にかかるのだ、と。
 初めは聞き流していたが、別の男子が、それは調香の仕事を引き受ける女性徒のことだと口にした瞬間、柳眉がピクリと動いた。
 背後のテーブルで盛り上がっている話の内容がサーシャのことだと気づくと、マハは肩越しに振り返った。
 彼らの中には、すでに依頼をしたことがあるという者もおり、近づくと本当にいい匂いがするのだと仲間に話すのだ。

(・・・・何だと?)

 近づいて匂いを嗅いだ?
 こめかみにびしりと青筋が浮く思いがした。
 知らず双眸に剣呑な光を浮かべるマハが席を立ち上がろうとするのをラァスが控えめに止める。

「ラァス」
「はい、若君。ですから申し上げました。このような事はすでに幾度かは耳にしております」
「なぜ報告しないのだ!?」
「知ってどうなさいますか?」

『わたしの秘姫だ』と言うつもりかと言外に告げるラァスに、マハは言葉に詰まった。
 彼の言いたいことは分かる。
 サーシャにとってのマハは、ただの依頼人であり、先ほど調香を依頼したと言っていた男子となんら変わりのない立ち位置でしかないということだ。

「~~~っ」

 むっと口を引き結び、椅子に座りなおす。
 不愉快だ。
 それが、こんな気分にさせられている事態についてなのか、秘姫に他の男が興味を抱いていることになのか、彼には分からなかった。
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