アッシェドの秘姫~調香師は逃亡中~

カイリ

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夜会への準備

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 学院主催の夜会は、月明かりに彩られる日が最も美しいと言われるダンスホールで行われる。
 学院生がその場所に足を踏み入れることができるのは、年に一度のその日だけだ。
 その為この時期になると、生徒たち――――とりわけ女子の話題は衣装の話で持ち切りになる。

「で、サーシャは今年も出ないつもりなの?」

 授業の合間の休み時間。ふいに話を振られて、首を振った。

「今年は一応・・・・成り行きで出席することになった」
「!そっかー!今回はサーシャも交えて、衣装選びに行けるんだ」
「え。ううん、ちょっと待って」

 はしゃいだ声を上げる彼女らを慌てて押しとどめる。

「あたしは、学院の制服で行くから。特別に衣装とか用意しないよ?」

 とたんに友人たちからはえーっと驚きの声が上がった。

「何で!?高位クラスの人たち毎年、びっくりするくらい豪華な衣装を着て来るんだよ!そりゃ私たちは流行のドレスなんか用意できないけど、制服で出席するのなんて一般クラスの男子くらいだよ?」
「駄目だよ、絶対に!せっかく華やかなパーティーなんだから!高位クラスの人間たちにだって絶対笑われる!!」

 身を乗り出して力説する彼女らに、身を引きつつ、サーシャは苦笑いする。

「あの人たちがあたしたちのこと軽く見るのなんて今更でしょ。それに、そういうの何か苦手で」

 店舗兼工房資金を必死に貯めているサーシャにとって、僅かな時間を過ごすためだけに普段使いにできそうもない服など無用の長物だ。
 彼女たちのように華やかな雰囲気や素敵な出会いといったものに、サーシャは夢見ることはない。
 なによりも大事なのは、名を上げて成功し、エンナを迎えに行くこと。
 その為、身を飾ることには一切興味がなかった。
 勿論清潔感のある装いは心掛けているが、年頃の娘にしては、地味な印象の服が多いと友人たちからよく指摘されるほどだ。

(必要性に駆られて仕方なく、の出席だし)

 それと、実はこの時期、サーシャは忙しい。
 夜会用にと調香依頼が増えるのである。
 衣装選びにかける時間が惜しい。勿論、お金も。
 学院の制服は学院生の正装でもあるのだから、わざわざ購入する必要はない――――サーシャの心はそう決まっていたのだが――――・・・・。

 その日の夕刻の事だ。
 サーシャはノーラの執務室へと呼ばれた。

 ノックをして入室したそこには、数名の見慣れない女性たちがノーラの傍に立っていた。
 怪訝に首を傾げながら会釈に応え返す。

「あの方のご依頼は、順調に進んでいますか?」

 マハの依頼のことだ。

「あと少しで完成というところまできています」
「そう――――約束の期限までもうすぐひと月を切りますね。大丈夫ですか?」
「・・・・はい。頑張ります」
「よろしくお願いね」

 そうなのだ。
 彼の依頼の出来いかんによっては、ノーラの顔を潰してしまうことになる。
 改めて気を引き締めるサーシャに、ところで、と彼女は話を変えた。

「あなた、今年の夜会には出席するのね」
「え。・・・・はい」

 問いではなく断定の言葉に目を瞬くと、ノーラは珍しくふっと口元に笑みを浮かべた。

「そう――――では、この子の採寸をお願いしますね」
「はい」

 彼女の言葉に女性たちがサーシャへと近づいて来る。その手にメジャーを持って。

「え?え!?ノ、ノーラさん?こ、これはいったい?」

 女性たちに囲まれあちこちを測られながら、困惑の声を上げるサーシャをノーラの眼鏡の奥の瞳が笑む。

「私がお呼びした街の仕立て屋さんですよ。依頼人からの伝言です。『――――わたしの傍に立つ娘が、見劣りするような恰好では困る。相応の装いをするように』、と仰っていましたよ。あなたが夜会に出るなんて初め半信半疑だったのですが、どうやら本当のようですね。後見人である私が責任をもって身支度を整えますから」
「!?い、いいえ!とんでもないですっ!」
「サーシャ。私に恥をかかせないでちょうだい。あの方からも念を押されているのよ。決して制服でなど出席させるな、と」
「・・・・」

 彼には話していないと言うのに、考えを読まれている。

「で、でも、ノーラさん。あたし、そんなお金は・・・・」
「それは心配しないで。必要経費だと渡されていますから」

 ・・・・散財。
 無駄な散財しているからっ、と声を大にしてマハに言いたい。
 年に一度の夜会――――それも来年は出席するつもりのない人間に、衣裳を作るなど、無駄以外の何物でもないだろう。
 不満を覚えるサーシャに、ノーラは苦笑する。

「そんな顔をしないで。あの方にも体面というものがあるでしょう。その金額を支払ってでもつり合いが取れるよう装ってもらいたいのだという意を、汲んで差し上げなさい」
「――――・・・・」

 そういえば、身分ある人間たちはそれを重要視するのだった、と思い出す。
 体面ではご飯は食べられない――――店も建たない。
 が、ノーラの言葉は分からないでもなく、サーシャは不本意ながら、女性たちの指示通りに大人しくしていた。

「随分細い腰をなさってらっしゃいますね」
「肌もきめ細かで抜けるように白いですね。襟ぐりを広く取って女性らしいラインを見せる意匠のがいいですね」
「何といってもお若いのだもの。華やかな雰囲気に仕立てましょう」

 思わず逃げ出したくなるような褒め言葉連発に、サーシャは大変居心地の悪い思いがする。

「髪も上げられた方がいいでしょうね。ほっそりと綺麗な首筋ですもの、すっきりと上げられた方がいいわ」

 女性のひとりが左の首筋から髪を退けようとするのに、はっとして、とっさに首を押さえた。

「か・・・・髪は下げたままで大丈夫です。この方が好きなので」
「そうですか?ですが、生かされた方がいいと思いますが」

 サーシャは頑なに首を振った。
 髪を上げれば、傷跡が人目につく。
 誰もがきっとその異様な痕跡に、眉を顰めるだろう・・・・。
 いったい、何に噛まれたのだ、と。
 するとノーラが助け舟を出した。

「そうそう。サーシャ宛に依頼主から届け物があったのよ」
「届け物?」

 怪訝な顔をするサーシャにノーラが長方形の箱を机の引き出しから取り出して見せる。

「当日はこれを身に付けるようにとの事よ」

 彼女から箱を受け取り開くと、天鵞絨のリボンに花を模した宝石が散りばめられている。中でもとりわけ美しいのは鮮やかな真紅の玉。照明の光にきらきらと輝くが、嫌みな光り方のしない――――上品な意匠のチョーカーだ。

「っ」

 目を見開くサーシャの両側で仕立て屋の女性たちが感嘆の声を上げる。

「まあ、素敵」
「では、この贈り物に合うドレスをお作りしなくては」

 箱を持つ手が震える。

(こ・・・・これ、これに一体いくらかけたの!?)

 幾ら見劣りしないようにとはいえ、この意匠、使われている宝玉が高価なものだということは一目見ればわかる。

(お、落ち着くのよ。あくまでも借りもの。夜会が終わったら、これも、ドレスも即、返せば、大丈夫っ)

 自分が購入したわけでもないのに、妙に焦りながら、サーシャは蓋をした。
 たった一夜の、それも極めて僅かな時間の為に、これだけの出費をしてしまうとは、お金持ちとはなんて浪費家なのだろう!
 知らず視線が尖ってしまう。
 あの依頼の後――――マハは気になる点があれば、気兼ねなく言うようにと言った。

(高い身分の人に媚びない女性って言っても、いいところのお嬢様なんでしょうから、散財し過ぎとか言わないんだろうなぁ・・・・。あくまでもこれは庶民目線よね)

 が、高価な贈り物を与えればいいというものではない、ということはできるだろう。
 あくまでも気持ちが伴わなければ。
 採寸が終わる頃、慣れないことにサーシャはすっかりぐったりとなってしまった。

「それでは、期日までに仕上げてまいりますので」
「よろしくお願いしますね」

 女性たちが会釈して執務室を出ていくと、ノーラはサーシャへと向き直る。

「サーシャ。一つだけあなたに言っておきますね」
「はい?」
「どのようなことがあっても、受けた依頼は完遂して下さい。いいですね?これはお願いではなく、忠告ですよ?」
「?はい」

 元より、依頼は最後までやり遂げるつもりだ。
 途中放棄はサーシャの信念に反する。
 が、忠告とは何やら意味深だ。
 ノーラは机上で手を組み、微笑む。

「初めての夜会――――楽しんでいらっしゃいね」

 彼女がマハからどう聞いているのかは分からないが、その言葉には曖昧に笑い返すしかなかった。
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