アッシェドの秘姫~調香師は逃亡中~

カイリ

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飾らない誘い

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 夜会の夜は綺麗な満月―――――――夜空を彩る星々の輝きを見上げ、サーシャは嘆息した。

 広大な学院の敷地内にあるその場所は、学舎と寮の向こうに広がる小規模な森の向こうにある。外部の人間たちは、学院の玄関口からでなく、別の正門から中へと入場するのだ。
 月明りを受けたパーティ会場が青く発光している――――使用されている石材は、月明りに反応し、淡く青い光を帯びるのだと、以前、友人たちから聞いていた通りだ。普段は白い壁面も、今は、目を奪われるほど幻想的で美しい光を放っていた。
 が、サーシャは待ち人来たらず――――マハの姿、もといい、ラァスを引き連れ歩く青年を探して辺りを見回す。

(・・・・もしかしてもう、会場入りしてるとか?)

 華やかに着飾った女性をエスコートする紳士たちが会場内へ次々と消えていくのを見やりながら、サーシャは着慣れない衣装の長い裾を持ち上げる。
 会場入り口へと向かう途中、通りの両側に掲げられた灯火の光を受け、動きに合わせて重なり合う生地が、表情を変えた。
 前日に届けられた衣装は、サーシャがこれまで袖を通したこともない上等な生地が使われ、話に聞いていた通り、心許ないほどに襟ぐりが広く取られている。痩身に添う意匠で、細くくびれた腰から流れるように広がる菫色のドレスは、着る者を選ぶ作りだ。
 正直言って、人目を避けたい――――着付けを手伝ってくれたノーラはよく似合うと褒めてくれたが、とにかく自分が無防備になってしまっているかのような感覚がする。

(力入れたら、ばりって破れちゃいそうに繊細な生地だし。胸元心許ないし・・・・)

 知らず、胸元を押さえるサーシャの細い首には、マハから届けられたチョーカーが巻かれている。
 鏡越しに見ても怯んでしまうくらい自分には不相応な品だが、それはちょうど、彼女が気に掛ける首筋の傷を綺麗に隠してしまった。
 貴人に付けられた目印にも思えるそれが、見えなくなったことに、サーシャは何だかほっとした。

(・・・・これは、ちょっと嬉しいかも・・・・)

 その為、ノーラの勧め通りドレスと共に用意された髪飾りでサーシャの栗色の髪は上げられている。
 髪を上げたことで、より大人びた雰囲気に仕上がった鏡の中の彼女にノーラは相好を崩した。すっかり年頃の女性に成長したのね――――そう言って感慨深げに目を眇めたノーラに気恥ずかしい思いがした。
 アッシェドを離れ、コルアレ―ドで暮らすサーシャにとって、ノーラはエンナのような存在だ。
 彼女には本当にお世話になっている。

(成功したら、きっとノーラさんにも恩返しをするんだ)

 その為にも、マハの依頼は乗り越えるべき壁だ。

(それにしても、肝心の当人はどこ?)

 こんな事なら彼が迎えに行くと申し出たとき承知するべきだった、とサーシャは後悔する。
 流石に今夜はフードを被っては来ないはずだと予想して丁重に断ったのだ。友人たちの話によると、彼の素顔は大変見栄えがするらしい。
 ・・・・変に目立ちたくないと考えたのが間違いだったか。

(もうすぐ夜会も始まる時間だし、とりあえず、中で待ってようかな・・・・)

 背後を振り返りながら、会場へと足を踏み入れる。
 入り口には、受付があり、学生証もしくは身分証の提示を求められた。
 学院の学生証を見せ、更に奥へと進むと、扉の両側に燕尾服の男性が控え―――――その先に広間が広がっている。
 既に多くの人間で溢れかえっているその場所には、楽士たちの姿があり、シャンパンを配る給仕、会場のあちらこちらで談笑する正装姿の人々。
 輝かしいシャンデリアの下、彩り豊かな料理が並べられたテーブル周辺を見たサーシャは双眸を眇めた。集っているのが一般クラスの人間だと気づく。高位クラスの人間たち、外部の人間たちと同じように、それぞれ華やかな衣装を身に纏っているが、場馴れしていないのが遠目にもわかるのだ。

「サーシャ!こっち、こっち!」

 ふいに聞き覚えのある声に呼びかけられてそちらを向けば、友人たちが料理の取り皿を片手に、手招きしているのが見えた。
 サーシャがそちらへ近づくと、彼女らはまじまじとそのドレスを見つめる。

「ちょっと、ちょっとお!制服で来るなんて言って、凄く素敵なドレス着てるじゃない」
「え。あ、これは予想外のことで」

 本意ではないのだが。

「似合ってるよ!どうしたの?それ」
「首のアクセとか、凄い綺麗!」
「えっと・・・・全部借り物、だよ」

 同じクラスの少女たちに囲まれて若干身を引く。

「大人っぽい~。見違えたよお」
「そ、そう?・・・・自分では何だか、服に着られてるような感じしてるんだけど」

 注がれる視線に落ち着かなげにしていると、「お嬢さん」とどこからか声が聞こえる。
 初めは誰か他の人間を呼ぶ声だと思っていたのだが、むき出しの肩に置かれた大きな手にびくっとして振り返る。
 そこには、愛想の良い笑みを浮かべた金髪の青年の姿がある。

(・・・・誰?どこかで見たような気がしないでもないけど・・・・)

 怪訝に見返すサーシャは、ふと青年から漂う香に気づいた。
 爽やかさの中に混じる、蠱惑的な香り――――それはいつか受けた依頼でサーシャが調香したものだ。

「やあ。調香師のお嬢さん。今日はまた、一段と美しいね。僕を覚えている?」
「その節は、ご依頼いただきましてありがとうございます。・・・・レーゼルさん、でしたね?」

 言われ慣れない言葉に若干身を引きながら、サーシャは営業用の笑顔を浮かべた。
 記憶の中に沈む名を手繰り寄せ、何とか答えると、彼は喜色満面となる。

「嬉しいな。覚えていてくれたんだ。――――――――君の作ってくれた香り、とても気に入っていてね。今夜も使ってるんだけど、分かる?」
「はい。気に入っていただけたなら、良かったです」

 にこやかに続けながら、意識は未だ肩に置かれている彼の手に向く。
 僅かに力の入ったその手が、何だか気持ち悪い。
 即刻払ってしまいたいが、あからさまにしては、後々支障があるだろう。
 助け舟を期待するも、高位クラスの男子がサーシャに近づいたのを見るなり、皆、いつの間にか傍から姿を消している。
 気を利かせたつもりなのか、少し離れた先で、片目を瞑り、あるいは頑張れっと親指を立てる少女たち。
 見当違いな気遣いに、全力でそんなんじゃないと否定したい。
 が、一度だけとはいえ依頼をしてくれたお客を邪険にできず、強く出れないサーシャだ。
 それをいいことに彼はその距離を縮めてくる。
 サーシャの肩を引き寄せ、身を屈めてきた。顔を近づけられたことで、茶色の双眸が、意味深に見つめてくるのに気づく。

「・・・・ねえ。君、今日は誰とも約束してない?」
「は・・・・?」
「夜に見る妖精のような君にすっかり魅了されてしまって。良かったら、今夜、僕とすご――――」
「さないな」

 サーシャは腰を引き寄せられ、後方に下がった。肩から青年の手が外れる。
 ぎょっとして振り返る先に、顔半分を覆う、宝石で装飾された仮面の人物を見た。整った薄い唇、現れている部分の輪郭が絶妙なラインを成す――――――――明らかに若い男だ。

「!なっ、何だ、きみはっ。急に話に割ってくるなんて、失礼だぞ」
「――――――――それを言うなら、馴れ馴れしくわたしの相手に触れたお前の方だろう」

 その尊大な口ぶり。
 聞きなれた低音の、その声。

「!マ、マハさ・・・・」
「マハでいいと言った。―――――おまえは何をやっているんだ。声をかけたのに、素通りして」
「え・・・・ええ?い、いつです?」
「つい先ほど、会場に入って来たおまえに、しっかり声をかけたぞ?」
「そ、それはすみません・・・・」

 気づかなかった。
 これでも彼の姿を探して辺りを見回していたのだが、どうやら通り過ぎてしまったらしい。

「だから言ったのだ。迎えに行くと―――――初めからわたしの傍にいないから、このような輩に絡まれる羽目になるのだ」
「や、輩って、失礼ですよ。この方は以前ご依頼をして下さった方で」
「知っている」
「え?」

 何故知っているのだと怪訝な顔になるサーシャを他所に、マハはともかく、と切り出した。

「この娘はわたしの相手だ。要らぬちょっかいを出すな」
「っつ」

 青年は鼻白み、その場から足早に立ち去っていく。途中、シャンパングラスを運ぶ給仕にぶつかり、怒鳴りつけるのが見えて、サーシャは非常にげんなりとなった。

(やっぱり、苦手・・・・ああいう人)

 自分の背後に立っている青年も同じような身分の人間だが、彼が現れてくれたことが有難く感じた。
 改めて彼に向き直ると、その姿を目にする。
 当然のことながら、フードは被っていない。
 艶のある髪は漆黒――――やや硬質な感を与えるそれは緩やかにうなじで結ばれている。
 身に纏っている衣装は、派手な意匠を凝らした周囲の人間たちとは真逆で、実にすっきりとまとめられている。ごく一般的な燕尾服。生地はとても上質そうだ。すらりとした体躯の彼によく似合って見えた。
 友人たちが言っていた目を奪われるという瞳の色は、どうやら青のようだ。
 仮面の向こうに見えるそれが、じっとこちらを見つめている。

「・・・・何か?」
「――――いや、化けたな」
「・・・・」

 沈黙するサーシャにマハは、はっとしたように、弁解する。

「い、今のは。悪い意味でなくだな」
「わたしは構いませんが、お嬢様には、言わない方がいいですよ」
「・・・・おまえは構わないのか?」
「はい。歯の浮くような台詞ですとか、耳慣れない美辞麗句を口にされるより、ずっといいです」

 先ほどの青年も、口先だけの言葉だと感じた。それは薄っぺらいのだ。
 何が目的かは分かりかねるが、少なくとも、本心からのものではないだろう。
 マハは少しだけ沈黙し、ぼそりと呟いた。

「・・・・ならば、飾らなければいいのか?」
「はい?」

 怪訝に聞き返すと、彼は片手を差し出した。
 指の長い、大きな手。

「わたしとダンスを。――――サーシャ、おまえと踊りたい」
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