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一章

六話 『醜悪な冒険者と黄金の姫の闘病生活』

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 ヒーラレルラの関門を超えて、馬の足で三日。
 コータ一行は、ソフィア神聖教皇国・聖都に到着した。

「ゴホっ……ゴホっ……」
「悪いな……だが、もう少し頑張ってくれ。すぐに聖女の治療を受けられるからな」
「……っ。私は、大丈夫です……よ?」
「強がるな」
「……ふふっ。アナタは優しいです。ずっと一緒に……何処にも行かないで」

 ロニエスは相当弱っている。
 手荷物以外の荷物を全て捨てたため、『万能薬』が作れなかったのだ。
 途中の町や村でも売っているには売っているが、法外の値段。
 とても、旅の冒険者が払える金額ではない。

 コータは、浅い呼吸と咳を繰り返し、苦しそうなロニエスを一刻も早く聖女の元に連れていて行く。
 向かう場所は『大聖堂』

 聖女が女神ソフィアと交神する神聖な場所。
 コータが知る限り、聖女はそこで、シスターの仕事に勤しんでいるはずであった。

「ん? ……なんだ?」

 大聖堂前にたどり着くとすぐに、違和感を覚えた。
 人だかりが出来ていて、皆一様に聖堂へ向かって頭を下げている。

 ……参拝とお祈りの人か? いや、何か変だな。

 と、思ったコータだったが、ロニエスが苦しんでいる手前、ロニエスを聖女に見せることを最優先と考え、聖堂の中へ入ろうとした。
 その瞬間!!

 バチンっ!

 聖堂の入口の透明な壁にコータは弾かれた。

「ニャーッ!?」

 そして、全身の毛並みを総毛立てたクロが、大好きなコータの肩から飛び降りると、一目散に逃げはじめる。

(あ、クロは魔の者だから神聖な場所に入れないか。忠告するの忘れてた)

 クロが逃げた理由は、聖堂の神気に当てられた為。
 ……だが。

 コータは指先を慎重に聖堂の中に入れようとする。

 バチンっ!

 やはり弾かれる。

 コータは、オークの様な見た目だが、実際は人間。
 神気に弾かれるような悪行も積んでいない。

「結界……か。さて……」
「うう……ゴホっ……ゴホっ……ゴホっ……ケホ」

 吐血。
 どうやら立ち止まっている時間はないようだ。

「壊すか」

 そう決めて、ブロンズソードに指をかけた時。

「おや? いかがなされました。旅の方」

 聖堂の中から黒の修道服を着た体格の良い男が姿を見せた。
 胸に着いた腕章で、男が枢機卿なのは、すぐにコータには見分けがついた。
 (司教・大司教・司祭・大司教・枢機卿・教皇。←の順で偉い)

「……病人がいる。聖女の慈悲を受けたい」

 コータはブロンズソードから手を離し、枢機卿にロニエスを見せる。
 顔は一女笠で隠れているが、『神の前に人は皆、平等』それが、ソフィア聖教の考え方。
 いくら怪しかろうと、異教徒だろうと、救いを求める声を無視は出来ない。

 かつて、聖女はそういって魔王を倒し世界を救った。

「ああ。治療でしたか。では、紹介状を」

 紹介状……もし、ロニエスが公式に訪れていたら、あったのかも知れないが、賞金首のコータに、

「そんなものはない」
「でしたら、献上金を」
「献上金?」

 少しだけ眉を寄せながら枢機卿を見る。

(お金を取るのか? あの聖女が? まぁ……そうか)

 郷に入っては郷に従え。
 コータはソレを身に染みて知っている。
 ほんの少しだけ、不満はあるが、背に腹は変えられない。

「いくらだ?」
「聖女様の加護をとなりますと、一千万ミスル」
「……はぁ?」

 ミスルの入っている麻袋を取ろうとした、コータの手がピタリと止まる。
 予想より三桁多い一千万。

 ……足元を見られている上に、そんな大金ある訳がなかった。

「ふざけているのか?」
「まさか? 聖女様も忙しい御身。誰でも彼でも助けられる訳ではありません」
「ふざけるな! 病人を前にしてあの娘がそんなことを言うか! 聖女に合わせろ。直接話す」
「ですから、聖女様は忙しいのです」

 枢機卿の瞳はとてつもなく冷たかった。
 そこで、思い出したように、後ろを振り向く。

 あの人だかりは何を祈っている?
 何故、あんなにも、やつれている?

 その答えは、一つ。
 コータと同じように、門前払いを受けたからだ。

「ああ……。そういうことか……おい、デブ。そこを退け……殺すぞ」
「っ!」

 全てを悟り、実力行使しかないと判断。
 抜刀……した瞬間。

 コータは、全方位から殺気を感じた。
 ソレは、練達したアサシンの気配。
 ソレは、教徒達の気配。
 うごめく殺気の数は数千を遥かに凌駕する。

 もし、コータが枢機卿に剣を向けていたならば、その殺気が一斉にコータを襲ったであろう。
 
「……ちっ。分かった。分かった。降参だ。ミスルを貯めてまた来ることにする」
「そうですか。懸命です。では、またのお越しをお待ちしていましょう」

 枢機卿を敵に回すと言うことは、ソフィア聖教全体を敵に回すと言っても過言ではなかった。
 もし、聖都でそんなことをすれば、コータはソフィア聖教からも永久追放されてしまう。
 ロニエスを救いたい今、それだけは出来ない。
 ここは、正攻法で、聖女に合わなければ意味がなかった。

 コータは、聖堂を逃げるように立ち去って、高級宿屋に向かった。
 そこを聖都での拠点とし、一千万ミスルを貯める。

 もちろん、高級宿屋に止まるお金などないのだが、冒険者ギルドの宿にはロニエスが入れない。
 安宿に、身体の弱いロニエスを泊める訳にいかない。
 結果的に、コータが泊まれるのは、安全面が高い高級宿屋しかないのであった。

「お客様。いらっしゃっませ。当店は一泊二万ミスルとなっています。はい」
「金は後で払う」

 宿代を払う代わりに、ギルドカードを見せる。
 普通なら、首を傾げられること請け合いだが、ギルドカードは最上級冒険者だと証明するもの。

「これはッ! ハイです。どうぞ、最高品質の部屋をご提供させて頂きます。ハイ!」

 コータが宿代を後払いにすると言う、根拠になる。
 案の定、簡単に、部屋を借りられる。

「よし……もう少しだけ堪えててくれ」
「ゴホっ……ゴホっ……」

 コータは、ロニエスをベッドに寝かせるとすぐに、薬を調合する事にした。
 だが、薬草調合キッドがないため品質は悪く《万能薬》を調合することは出来ない。
 仕方なく、《上級薬(ハイポーション)》を調合し、ロニエスに飲ませ、病状を抑える。

「ふぅ……ふぅ……」

 やはり、万能薬程、効果は出ず、ロニエスの顔色は悪いまま。
 効能は咳が収まる程度か。

「悪いな。これは予想していなかった」
「いえ。大丈夫ですよ? だいぶ楽になりましたので。ふふっ……アナタの薬はぽかぽかします」

 ロニエスは穏やかに笑って、コータの服を掴んだ。

「これからどうしましょうか?」
「療養しろ」
「……そんなに、私は弱い人間に見えますか? ちゃんと教えてください。受け止められますので」
「そうか……」

 ロニエスが療養するのは当然。
 聞いているのはコータがどうするか。

「一千万……稼いで来る」
「どうやって?」
「高難度のクエストを受ければ、稼げない事もない……ただ、時間がかかる」
「どれくらいですか?」

 最上級冒険者であっても、一千万を稼ぐとしたら、一年はかかるであろう。
 そして、それだけ宿屋に宿泊するとなると、そのほか生活費だけで、五百万~七百万……

「良いか?」
「はい……アナタと一緒に居られて嬉しいです……あっ。違いますよ?」
「そうか」
「……違いますよ?」

 とにかく、先ずは高級調合キッドを揃える事が先決か……
 ソレを、揃えるにも数十万。
 いや、ソレより、宿代が先か?

 と、コータが深い思考に耽っていると、ポンッと、ロニエスがコータの仮面を外して、頬を触った。

「聞いていますか? 私を見ていましたか?」
「いや……全然。なんか言ったのか? ま、ソレより仮面を返せ」
「ぶーっ。嫌です」

 ロニエスは、再び、仮面をつけようとするコータから、身を呈して仮面を護り、

「仮面を被っていたら、ただでさえ乏しいアナタの表情がわかりません」
「……余計なお世話だ」
「私は、アナタの素顔が好きですよ?」
「ソレはお前の感性がおかしいんだ」

 仮面に反射し写る自分の顔を眺める。
 自分でも見たくないほど醜い素顔。

「私だって……アナタが可愛いって言ってくれるから」
「っ!」

 そして、それはコータの顔を基準にしたロニエスとて同じ事。
 だが、ロニエスはコータの言葉を信じている。

「確かにアナタの素顔は他の方や、私とは違います。でも、言うほど変ではないんですよ? 隠さなくても平気ですよ?」
「……」
「ではせめて、私の前では隠さないでください」
「……そうか」

 そこで、ロニエスは、自分の言ったことを思い出し、顔を真っ赤にする。

(『アナタの事が好きです』→『そうか、俺もだ!』って完全に両思いじゃないですか~~っ)

 若干の上方修正を施しつつ、コータが顔を近付けて来たことにドキリとなる。
 
(キャーキャーっ。いきなりその気ですか! そんなっ。私、困っちゃいます♪)

 全然、困ることなく、ロニエスは瞳をつむった。
 すると……カチャリ。

 コータが仮面を引く。

「っえ? 何故、仮面ですか? わかってくれたのでは?」
「ああ。お前の前ではつけないことにする。が、今から出かけて来るから、返せ」
「え? 出掛けちゃうんですか? 何処に? 嫌らしいお店ですか? そんなのダメです! 発散するならどうか私で! 私、純潔なので、安全ですので」
「はぁぁ~。段々とお前の性格がわかってきたな。最悪だ」

 コータは呟くと、強引に仮面を奪い、外に行こうとする。
 ソレを、ロニエスが、服を掴んで止める。

「不潔です! そんなのダメです。変な病気にかかっちゃいますよ?」
「何を勘違いしてるか、しらんが。俺は冒険者ギルドに言って、依頼を見てくるだけだぞ」
「へ?」

 それで、ロニエスは一気に冷静に戻る。
 美化されていたコータとの会話も、思い出す。

(あっ! ああっ! 私、私っ! 勘違いしてましたーぁぁッ!)

 と、既にコータが言ったことを、心の中で、絶叫。

「それと。この顔になってから、いや、なる前もだが、俺は風俗店には行っていない。行っても、風俗嬢が逃げ出すだろうしな」
「……あぅ。もう赦してください」
「それと! 前にも言ったが、俺は好きでもない女を抱きたくない。それは……三大美女だろうと、娼婦だろうとな」
「……はぅ……もうやめてぇ……」
「それと!! 俺は好きな女に泥を投げられた。あの瞬間から、好きだ嫌いだに興味がなくなった。お前を助けるのはただ、お前が子供だから、だけであってそれ以上はない。それ以上にもならない。わかるな?」
「……ひゃぅ……酷いよぉ」
「それと!! ――」
「もうッ! 分かりましたから! 早く行ってくださいよ!」

 ロニエスは真っ赤な顔で、コータの背をポカポカと叩いた。
 コータは、それ以上、虐めるのをやめて、部屋を出て行く……
 その、背中に、ロニエスは誰にも聞こえないように小さな声で、囁いた。

「……早く帰ってきてくださいよ?」
「善処する」
「~~っ!!」

 何故か、戻って来ていたコータは、ロニエスに転移クリスタルを手渡して、頭をワシャワシャ撫でてから、本当に部屋を後にした。

 ロニエスはもう何も言えなくなって、ベッドの上を悶え回った。






 ……大聖堂の深奥。
 外の光も音も届かず、息が白くなるほど肌寒い、独房の様な部屋。
 そこで、『白聖女』こと、マリア・は、蝋燭の火を頼りに、カビの生えた固いパンを口にしていた。

 マリアの指は、かじかんで赤くなっている。
 その状態で、パンを完食したマリアは、首に掛かっている十字架を温めるように持ち、瞳を閉じた。

「我が主よ……どうか、無垢なる子らに慈愛の導きを」

 神への祈り。
 三年前、勇者との世界を救う旅を終えて聖都に戻ったマリアは、一日三回。一日も欠かさず、このお祈りを続けていた。
 いや、マリアは勇者との旅の間も、祈りを捧げていた。

『何やってるんだ?』
『御神(おんかみ)への祈りですよ? 勇者様もどうですか?』

 何時だったか、そんなマリアに時の勇者がかけた言葉。
 その時の、勇者は祈りを捧げるマリアを嘲笑した。

『祈って世界が救えるなら、いくらでも祈るけどさ。それじゃ救えないから、俺達は闘ってるじゃなかったっけ?』
『……』

 言い返したいことは山ほどあったが、現実に勇者は血を流して民を救っているのをマリアはその目で、見ているため何も言い返せなかった。
 でも、

 カタン……

 部屋の外に人の気配。
 それが、枢機卿であることを知っているマリアは、祈りを続けながら、

「今日も、加護を求める者はいませんか?」
「はい。聖女様。そのようです」
「如何なる者も、追い返す事があっては成りませんよ?」
「ええ。分かっておりますよ。ただ、聖女様の加護を求める者がいないだけです」
「フフフ……それはとても、良いことですね」

 誰も、聖女の力を頼らないと言うことは、誰も、聖女の力を頼るほどの不幸がないという事。
 そう、マリアは思い、喜んでいる。

「ええ。全て、聖女様の『祈り』のお陰です」
「私は成すべき事を成しているだけに過ぎません。感謝をするなら、それは御神へ……」
「そうでした。……では、私はこれで」

 枢機卿の気配が部屋の外から消える。
 その後、祈りを終えたマリアは、もう一度、今度は人類全体の為ではなく、たった一人の為に祈りを捧げた。

「御神よ。どうか、勇者様に、安寧を……」

 もう、この世にはいない勇者に向けての祈り。
 そうして、誰もいない部屋の中で呟いた。

「フフ。どうですか? 勇者様。見ていてくれていますか? 私の祈りが人々に安寧を与えていますよ?」
「……」

 答えるものは誰もいない。
 孤独な部屋で独り祈りを捧げる毎日。
 聖女マリアは、それで、貧困が失くなっていると枢機卿から聞いている。
 
 貧困がなくなるのなら、マリアは、自分の孤独など気にしない。
 でも……

「……勇者様。貴方に会いたいです。何故、貴方程の人が逝かれてしまったですか?」

 聖女は人知れず、肌寒い真っ暗な部屋で、蝋燭の火を頼りに祈りを捧げる。
 それで、世界が救われていると信じて……枢機卿の言葉を信じて……
 









 コータは、宿屋からギルドに向かい、高額な依頼書を多めに何枚か見繕った。

「先ずは、宿屋代からだな。追い出されたら、行くところがなくなる」

 宿屋は一ヶ月毎のまとめ払いで良い。
 その総額が、六十万弱ミスル……

 高額な依頼書だとしても、魔王が倒され、凶悪なモンスターが減った影響もあり、例外を除き、上限額は一つの依頼書につき十万ミスル程度。

「まさか、ここに来て、金策に頭を悩ませないといけないか……この際、お姫様との握手会で良いんじゃないか? 俺は個室を用意するだけ。後は、当事者にお任せってスタイルで、……ダメか」

 一千万ミスルの金策は、本当にそれくらいしなければ、現実的ではない。
 ……が、ソレをロニエスに求めてしまったら、コータはもう『お姫様を護る騎士』でもなんでもなくなってしまう。
 もはや意地だけで、何とかする方法を考えなければならなかった。

 そんなとき。

「にゃ~っ」
「クロか。さっきは、ごめんな。気が回らなかった。出てきてくれ」
「にゃ~にゃ~♪」

 暗い路地裏から、相棒が現れる。
 コータは膝つき、手を広げ、飛び込んで来るクロを抱き留めた。
 そして、その毛並みをもふもふ撫でてあげる。

「なぁ。クロ。あのお姫様ともう少しだけ、一緒にいることになった。クロは――」

 ――どうする?
 と、口から出かけた言葉を飲み込んで、

「――クロも一緒に居てくれるか?」
「にゃ~~」

 当たり前だにゃ~♪
 ……と、言っている気がする相棒に、コータは少しだけホっとした。

 クロは魔物で、基本的に人間には懐かない。
 ロニエスを攻撃するのだって、魔物としての性であり、責められるものではない。
 責めるべきは、クロとロニエスを同じ場所に置いているコータの方。

「それでも、それでも俺は。あのお姫様を見捨てられないし。クロには近くに居てほしいんだ」
「にゃ~にゃ~にゃ~(分かってるニャー♪ と、言っている気がする)」

 かつて、全てを失ったコータに唯一残ってくれたのがクロ。
 だが、コータは、クロの事をのけ者のように扱っていた時があったのだ。

 その頃のコータには、婚約者のお姫様の事しか、頭になかった。
 一日中、お姫様の事を考えていた。
 クロが、遊ぼうと甘えて来ても、振り払った事すらあった。

 そんな事が続き、いつの間にか、クロはコータの前から姿を消すことになる。
 
(有頂天になってたんだと思う……)

 そして、コータは魔女に呪いをかけられ全てを失う。

(全てを失い、自棄になっていた)

 そんなとき、クロはコータの前に戻ってきた。
 酷い扱いをしたのに……クロはコータの元に戻ってきてくれたのだ。
 そして、全てを無くしたコータの壊れた心を、ただ、共にいる。それだけで、癒してしまった。

 その時から、コータは本当に大切な繋がりと言うモノを思い知り、二度とクロを裏切らないことを決めたのであった。

「さて、じゃ。行こうか」
「にゃ~♪」

 言うと、クロはラブリーな声で泣き、コータの肩に乗った。
 その重みと、暖かく柔らかな感触こそが、今のコータを支える全てなのである。

 コータは、クロともに、聖都の外へと足を運び、依頼書を遂行しに向かうのだった。

 


《ヒーラレルラ王国、関門》

 コータ一行が、関門を越えてから一ヶ月後。
 ボロボロのマントに身を包み、瞳の下にクマを作った女剣士が、関門の前に姿を現した。

 通常、関門を越えられるのは、通行証を持つ『商人』や『冒険者』だけ、だが、その女剣士は通行証を持っていなかった。
 故に、関門を護る門兵が阻んだ……が、

 女剣士は悠々と関門を越えた。
 女剣士の後ろに広がる光景は地獄。
 
 国境を護るために配置されていた屈強なる門兵、千人隊が軒並みうめき声をあげて地に伏していたのである。
 そんな惨状を大剣一本で作り上げた、女剣士は一言、地平線の先にあるソフィア聖教聖都に向かって呟いた。

「姫様……今、参ります」

 ヒーラレルラ王国近衛騎士団団長と、三種の神器を古えより受け継ぐ、大貴族の地位を捨てた女剣士……リゲルが、ゆっくりとその歩調を再開させた。
 目指すは聖都。そこにいる……

「冒険者コータ。貴様から必ず姫様をお救いする」

 リゲルはたった独りで、血の足跡を残しながら荒野を進むのであった……

 


 

 《ソフィア聖教聖都》

 コータの聖都での生活も一ヶ月が経過していた。
 それくらい経つと、生活の中にルーチンワークの様なモノが出来上がって来る。

 まず、朝の目覚めと共に、軽い運動をする。
 最上級冒険者コータの基礎は、こういった小さいトレーニングの積み重ねで出来ている。

 十キロを心臓が暴れる速度でランニング。
 その後、愛剣ブロンズソードを片手に素振りで、剣筋を確かめる。
 そんな光景をクロが眠そうに欠伸をしながら見守ってくれる。

 そうして、軽く汗を流せば、朝日が昇る。
 そこで一度、宿に戻ると、目覚めているロニエスに薬を飲ませる。
 寝汗が酷い時は、身体を拭くこともある。

 そこから朝食を取り、冒険者の仕事に出かける。
 内容は、その時によって様々だが、一日平均三十万ミスルを稼ぐ……目標額もそれくらい。

 そうやって、仕事を終えて帰る頃には、日が沈む頃合い。
 宿に戻るとすぐに、ロニエスに薬を飲ませ、夕食……

 それから再び、朝と同じようなトレーニングに行き、薬草を調合する。
 改良を重ねた事で、持続時間が増えて、今では一日二回の投与で、済むようになっていた。

 そんな生活を送っていたとある日、一日の日課を消費したコータは、クロと共に貯金を確認していた。
 その背中に、ベッドの上からロニエスが声をかける。
 
「どうかなさいましたか?」
「ん? なにがだ?」
「いえ、肩を落としているように見えましたので」
「そうか……」
「……」

 確かにコータは肩を落としていた。
 ロニエスに気付かれるほど……とは、心外だったが、それも仕方がない。

 この一ヶ月、コータが真面目に働いて貯金出来た金額は、百万ミスルに満たないのだ。
 当初予定より、大幅に遅れている。
 明らかに一年では、一千万ミスルには届かない。

 このままでは一年……二年……三年……いや、それ以上だってありうる。
 ……どうしたものか?

「もうッ! 『そうか』っじゃ! 何も分かりませんよ! アナタの悪いところです」

 ペシンッ!

 思考に耽るコータの頭をロニエスがビンタ。
 スナップがよく効いていた。

「お前、最近調子に乗ってないか?」
「乗っていません。そんなことより、身体がべとべとするので拭いてください」
「いや、絶対に調子に乗ってるだろ」
「乗っていませんっ!」

 プンプンと顔を背けるロニエスに、コータは溜息を一つ。
 それから、綺麗なタオルを濡らして、ロニエスの身体を拭いていく。

「……お仕事の景気、良くないんですか?」
「いや、不死王の復活によって、アンデット系がわんさか湧いている。襲われた人間には悪いが、俺の仕事がなくなることはない」

『不死王の呪い』は、死人をアンデット系モンスターにする。
 モンスターになったアンデット達が、人間を殺すと、殺された人間もアンデット化し、ねずみ算式に増えていく。
 
「アンデット……ですか。私も死んだらアンデットになって、アナタを襲うのでしょうか?」
「……」

 震えるロニエスの瞳に見つめられ、背中を拭いていた手が止まる。
 コータも何度か前大戦中、思ったことがあった。
 死んだ後、仲間を襲いたくない。アンデットだけにはなりたくない……と。
 そんな気持ちを思い出して、笑ってしまう。

「いや、誰でもアンデットになるわけじゃない」
「なにか、条件があるんですか?」
「ああ。アンデットにも色々あるからな。この世に恨みを遺すとアンデットに為りやすい。憎しみなんかは特にダメだ」
「憎しみ……なら、私は人を憎まないようにします」

 それができるなら、この世界にアンデットはいない。
 それに、

「例えお前が、この世に恨みを遺していなくとも、死体に他の怨念が入り込みアンデット化する。魅了使いのアンデットとか悪夢だな」
「ううっ……幽霊、怖いです。死んだ後まで、苦しみたくないです」

 逆にいえば、今が苦しいとロニエスの本音が漏れているが、コータは指摘しない。

「ま、死体をシスターや神父がしっかりと送れば、絶対にアンデット化しないんだけどな。放置していると絶対にアンデット化するとも言う」
「もし、私が死んだら、ちゃんと送ってくださいね? アンデット。嫌です」
「お前なぁ……聖女に治療させるのにも法外な値段を請求して来る連中だぞ? 死人を送るのにいくら掛かると思ってるんだ」
「ううぅ……」

 シスターや神父の死体を送る儀式は前から異様に高い。
 理由は、まあ、あるのだが、そのせいで、前大戦勇者達がどれだけ苦労したことか……
 そんな中でも、聖女は無償で死人を送っていたのだが……

「俺は死人に金をかけるなんて無駄な事はしないぞ」
「では……私は……」

 アンデットなってしまう……と言いかけたロニエスのクチに指を入れて、コータが横に引っ張る。

「うっ~、何するんですかぁ~!」
「ふん……不細工だな」
「ひゃめぇてくだしゃあい」

 涙目で懇願するロニエスの言うことを聞き、手を離してから頭をわしゃわしゃ撫でる。
 最近、コータがよくする癖の様なモノだ。
 ……が、ロニエスは知っている、コータのこの手つきは、クロを撫でる時と同じ事を。

「安心しろ、お前は俺の『お姫様』だ、その身体を治すまでは、絶対に死なせやしないさ」
「治すまでは……ですか」

 コータは、ロニエスが何かを言いたげな顔をした事に気がつかず、お金をしまい蝋燭(ろうそく)の火を消した。
 
「さ、もう寝ろ。夜更かしは身体に触るぞ」
「夜更かしも何も一日中ベッドの上です~っ!」

 言って、コータも自分のベッドに行こうとした。
 が、ロニエスがその腕を掴んで止める。

「寝付くまで、ここにいてくださいよぉー」
「……別に同じへ部屋にいるんだ、ガキみたいに甘えて来るな」
「私はまだ、子供です」(ロニエスは八歳)
「……」

 そういえば、そうだったと、コータは仕方なく、腰を降ろした。
 ソレを気配で感じとったロニエスは笑顔で、コータの大きな手に指を絡めて握る。

「私、アナタとのこの生活、好きですよ?」
「寝ろ」
「ぶ~っ。アナタは……」

 長い間を空けて、

「……アナタは、嫌……ですか?」

 ロニエスのそんな問いに、コータは、

「嫌……」
「っ!」
「……でも、ないな」
「もうっ! ……ふふっ。なら、ここに定住しましょうよ。ずーっと……ずーっと……一緒に。……どうですか?」
「……悪くないかもな」
「だから、急ぐ必要はありませんよ? 危険な事はしなくて良いですよ? アナタが毎日無事に帰ってきてくれれば、それだけで、良いですから」
「そうか……」
「……ハイ」

 言いたいことを言い終えるとロニエスはすぐに寝息を立てはじめる。
 ロニエスの病気は少しずつだが、確実に悪化している、一日で三時間程しか起きていられない程に。
 だから、ロニエスの言う『ずーっと一緒に』、という願いは叶うことはない。
 何より、コータには留まる訳にはいかない理由がある。

「確かに悪くはないんだ。俺もお前を護る騎士でいたいさ。でも、俺の騎士はもう終わってる」

 これは、コータに取っての寄り道。
 そう、寄り道でしかない。
 いつかは必ず、魔女を探す旅を再開しなければいけないのだ。

「俺の『お姫様』はもういない……」

 眠るロニエスのそう言って、手を離し、布団を綺麗にかけてから、コータも眠りについた。
 ……ロニエスの時間は長くない。元々、そう何年も生きられる身体じゃなかったんだろう。
 それは、コータと出会ったからといって、劇的に変わった訳でもなかったのである。
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