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二章

三話 『醜悪な騎士と白銀の姫の追憶』

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「にゃっ♪」

 聖女との対談を終えて、聖堂から出るとすぐ、クロが座って居るのを発見した。
 コータは、何時ものように、

「クロ。おいで……」

 と、呼ぶと、

「にゃ……? にゃーん♪」

 クロは一瞬、ロニエスが居ないことに頭を捻ったが、刹那。
 何も無かったように……いや、それ以上に上機嫌で、コータの腕に飛び込んだ……

 ……が。

 コータが、クロを受け止めた瞬間。

 バチバチバチバチバチバチッッ!

 と、クロの身体を、純白の電撃が駆け巡った。

「ニャァァァアアアアーーッ!」
「クロ!?」

 それは、魔の者のクロにとって一番苦手な神聖属性の電撃。
 しかも、ロニエスや、エルフィオネといった他の属性が混ざった、まがい物ではなく、純粋な神聖属性。

「ニャーーッッ!」

 コレには流石のクロもたまげて、コータから弾かれた様に離れると、脱兎のごとく逃げて行ってしまう……
 しかし、何故? コータは聖女の聖域からは出て、クロを呼んだ。
 二度もクロを神の雷で焼くコータではない……一体、誰の陰謀か? もしや、枢機卿!?
 とまで、考えて、

「……あっ。聖女(マリア)がずっと抱き着いていたから、加護が残ってたのか」

 又しても、コータの凡ミスであった。
 神の力を受けないコータには関係ないが、マリアの身体は、癒しの奇跡その物。
 常時、『浄化』の能力を発動しているマリアに、直で触れば、普通の人間なら、あらゆる物欲を無くし『聖人』と化してしまう。

 聖人になってしまうと言えば、聞こえは良いが、ただの人格破壊に過ぎない。
 そんな力を、『魔の者』が受ければ、アンデッドでなくとも消滅してしまうだろう。

「……クロ」

 コータは、心の中で真剣に、クロに謝りつつ、腰に携帯している『ブロンズソード』を引き抜き、切っ先を真後ろに向けた。

「っ……!!」

 その刃先は、気配を消して後ろから接近していたリゲルの喉元を捉えている。

「なんのつもりだ?」

 問いながら、リゲルが向けて来る濃密な殺気。そして、手に握られた長刀神剣ラグナロクを、一瞥する。

「『貴様が少しでも姫様を傷つけたその時は、迷いなく切り捨てる』そう、言った筈だッッ!!」
「……そうだったな」
「切り捨て……御免ッ!」

 リゲルは気迫で、コータのブロンズソードを払いのけ、流れるように上段から……一太刀。
 回避……だが、
 スパンッと真下の石板が綺麗に切り裂かれた。
 石を斬る。という、凄まじい荒業は、神剣ラグナロクもそうだが、リゲルの実力あってのもの。
 
「ちっ……前よりも強くなってるな」
「当然っ!!」

 コータは、リゲルが更に、二本目の神剣、グラムを引き抜いたのを見て、少々驚きながら周囲を確認する。
 ここは、聖都の中心街、しかも、聖堂の前だ。
 人通りもそれなりある……けして、剣を振り回して良いような場所ではない。

「成長しないな、お前は……ロニエスの方が幾分マシだぞ?」
「……ッ! 姫様を捨てて、元嫁の元に向かおうとしている。貴様が姫様の名を口にするなぁあああああああーーっ!」

 無責任な男に敬愛するロニエスを預けてしまった。
 という屈辱に、リゲルは感情を激発させて突貫した。

 右手にリーチの長いラグナロク……左手に、全てを切り裂くグラム……
 グラムで、武器を剥ぎ、ラグナロクで肉を断つ。
 そういう戦法だと見切る。

「それを言われると……耳が痛い、が」

 コータは、リゲルの突貫に合わせて歩幅を調整し、グラムの一撃目を、拳闘で弾き、続く二撃目をブロンズソードで防ぐ。

「まだだァァァーーッ!」

 そこから更に、リゲルが雄叫びをあげて、グラムを手放し、三つ目の神剣、アスカロンを引き抜き、振り下ろした。
『グラム』は魔法属性の神剣。だから神聖属性が効かないコータには傷一つ付けられないが、『アスカロン』は物理属性。
 神聖属性が効かなくとも、その刃に斬られてしまう。

「……遅い」

 しかし、コータは、簡単に躱すと、先程、ロニエスから奪っておいてた転移クリスタルを砕いて、リゲルの腹部に掌底を放った。

「グフッ!」

 リゲルにダメージが入り、吹き飛ぶその瞬間。
 コータと、リゲルは、クロの元に転移……転移先の空間で、リゲルが吹き飛んでいく。
 
「にゃ♪」
「流石は、俺の最高の相棒だ。助かった」
 
 コータが転移した場所は、不死王と闘った、廃教会。
 今は、戦いの傷痕で、荒野になっている場所。
 クロがこうなることをあらかじめ予想して、ここまで来ていてくれたのだ。

「さて、――」

 コータはクロを肩に乗せながら、リゲルにブロンズソードを向けた。

「あの聡明な『お姫様』なら、もう何も言う必要はないが……お前みたいな脳筋騎士には、剣で語るべきだな……来い。少し、遊んでやる」
「くぅ~っ! 許さんッ! 姫様がッ! 姫様がぁ~ッ! 貴様をどれだけ……っ」

 コータの飄々とした態度に、リゲルの激情は遂に臨界点を突破。
 つまり……
 
「《神の龍よ・我が肉体に宿り・怨敵を滅ぼし給え》!! 心霊変幻! 《ラグナロク》」

 神剣ラグナロクの解放。
 その身を、剣に封じられた、終末の神龍ラグナロクに変化させる。

「グオオオオオオオオオオーーッ!」
「……」

 神龍の力は、もはや何かに例える必要もなく超強力。
 神の龍の力の前に、人間一人で立ち向かうのがそもそもの間違い。
 ……だが。

「お前との闘いも何度目だろうな? 毎回違う手札なのは、素直に驚嘆するが……それは一度見てる」

 コータは一ミリも臆することなく、神龍と化したリゲルに剣を構えていた。
 
「さ……そろそろ、お前との腐れ縁にも、決着をつけるか」
「グオオオオオオオオオオーーッ!」

 こうして、ロニエスを廻る、リゲルとコータの闘いが始まった。




《ソフィア聖堂》

「ん……?」

 とても清んだ空気に満ちる空間で、ロニエスは意識を取り戻した。
 ……後頭部に感じる柔らかい感触は、大好きなコータの身体ではないが、人肌には違いない。

「あれぇ……?」

 ゆっくりと瞼を開けると、白く薄いベールで顔を半分隠したマリアの美しい顔が見える。
 その顔を眺めていると、心の汚れが、綺麗に洗い流されて行くようで、心地良い。
 ……ずっと、このまま、ずっと……洗われてしまいたい。

「……ふふっ。あまり、わたくしの顔を直視しない方が良いですよ? 幾らロニエス様が、神聖を宿す神子だとしても、わたくしの神性は強すぎるので、大切なモノを想う心まで、無くしてしまうでしょうから」

 心が浄化される心地よさは、性感よりも強い快楽を伴う。
 逆に、不要な欲望は、苦痛の根源となる。
 精神を浄化されているロニエスには、それがよくわかるのだ。

 ……このまま浄化され、聖人となれば、あらゆる苦痛から解放されるだろう。
 ただし、

「大切なモノを思う心……?」

 (何だろう? 私の大切なモノって。私の大切……大切ッ! 私を救ってくれた……ッ!)

「ハッ! コータさまっ!」

 ロニエスは、精神を洗われる抗い難い快感を、コータの事を思い出し振り払い、マリアの膝から飛び起きた。
 コータへの気持ちは、どんな快楽でも、苦痛でも、無くしたくない。
 そう、ロニエスは思った。……ところで、コータは?
 
「マリアさまっ! コータさまは? クロちゃんは?」
「……」

 マリアが答えない事が、答えになった。

「置いて行かれたのですね……」

 その現実が、ロニエスの心を大きくえぐる。

「コータさま……そんなに、エルフィオネさまという、お方が、お大事なのですか? コータさまのお姫様は……私ではダメなのですか……? どうして……」

 ロニエスの瞳から、ポロポロと涙こぼれた。
 そんなロニエスの涙を見ていたマリアが、涼しい微笑を浮かべて、
 
「……救済を望みますか?」
「っ! ハイ」
「……フフ、では、コチラを」

 予め用意して置いた直剣を、ロニエスの膝に優しく乗せた。

「コレは……?」
「わたくし、勇者様の物を集めるのが趣味でして……この剣は、前に、勇者様が使っていたモノです」
「はぁ……」

 それは泥棒なのでは? という疑問は、マリアの神々し空気が封殺する。

「触ってみてくれますか?」
「……ハイ」

 ロニエスは、膝に置かれた直剣に、のそのそと指を伸ばしていった。
 別に、怖いわけではないのだが、剣自体に何か違和感を感じていた為だ。

(なんでしょうか? このとても優しい温もりは……?)

 その違和感の正体が掴めないまま、ロニエスの指は剣に重なった。
 その瞬間。

 ぐにょりと視界が歪み景色が一変。
 神聖ある聖堂の個室だった場所が、貴賓溢れる大部屋に変わっていた。
 頭が蕩けそうになる甘い香りが漂っている。

「……転移?」
「ロニエス様。お静かに……始まります」

 何が? という問いより早く、

『本日より、姫殿下の近衛騎士を拝命授かった『ユグドラ・クラネル』と申します』

 突如、部屋に入室してきた貴公子と呼びたくなるほど、容姿の良い青年がそう、名乗りをあげた。
 ……ユグドラ・クラネルと。

「コータさまっ? コータさま♪」
「……」

 ロニエスには顔など関係ない、名前など関係ない。
 その青年が、コータだと匂いで判別できた。

 すぐに、コータの腕に掴まろうとするが……すり抜ける。

「コータさま! コータさまっ! 私ですよ? ロニエスですよ? コータさまの……コータさまの……」
「……」

 コータは、ロニエスを歯牙にもかけず通りすぎ、肩膝を付き、頭を垂れた。

「……っ!」

 ロニエスが息を呑むほど美しい、『白銀の姫』エルフィオネ・フィンラネルに……

 純銀の様な長髪。青澄んだ瞳。柔らかそうな身体付きに、たゆんと揺れる大きな乳房。
 同じ『世界三大美女』ロニエスとマリアも確かに美しいが、まだまだあどけなさの残る少女。
 だが、エルフィオネは、まさしく美女として完成された成人だった。

 何より女性とはこうあるべきだと主張する胸が、ロニエス達とは一味違う。
 それも単に、はしたなく大きいという訳ではなく、形もまた、絶妙だった。
 一言で現すなら、男の夢そのモノ、と言ったところ。

 その存在は、ロニエスから言葉を奪い、思考を停止させる。
 ……心が壊れて行く。

『貴方が、クラネル家の人間……その獣は?』
『ハっ! 相棒のクロです』
『にゃ~♪』
『にゃ? い……いえ、家柄も種族も関係ありませんね。では改めて、私(わたくし)は、エルフィオネ・フィンラネルです。どうか、この国の未来のために尽力してください』
『ハッ! 命をとして姫様を守ります』
『にゃ~♪』

 エルフィオネとユグドラの流れるような会話が終わり、ユグドラが部屋を後にしたところで、マリアがロニエスの肩を触る。

「ッハ……あ、……私は?」
 
 浄化の力で、ロニエスの放心状態が元に戻った。
 マリアは、状況を理解出来ていないロニエスに……

「剣の記憶の再現です」
「記憶のさいげん?」
「……つまり、勇者様の過去です。わたくし達から何かをすることは出来ませんよ?」
「……はぁ。なるほどぉ……」
「……」

 説明してみたものの、理解して貰う事は、一瞬で諦めた。
 マリアは知らないが、マリアの敬愛するコータも、ロニエスへの説明は事実だけに留め、過程を省いている。

「……この場面は、五年前、当時、十六歳のエルフィオネ様と勇者様が初顔合わせした場面でしょう」
「コータさまの初めて。……コレが過去のコータさま。そして、この人が、コータさまの『お姫様』ということですか」
「……意外と理解を……いえ、落ち着いていますね」

 ロニエスは確かに現状を、正しく理解は出来ない。
 過去の記憶の再現と言われても『あばばばばば――』と、思考が処理落ちする。
 しかし、

「コータさまのお姿を見られたので、もう安心です♪ 何があっても、コータさまが守ってくれますから」
「……ですから、過去の……いえ……もう良いです」

 何より勝るコータへの信頼。
 それさえあれば、この先の過去も、ロニエスは見届けられる。
 そう、マリアは確信して……

「では、わたくしはコレで……後は、ロニエス様が見届けてください」
「え? マリアさまは?」

 マリアは、寂しそうな表情のロニエスから離れて、にっこりと微笑んだ。

「本当は、他人の過去を勝手に、覗き見るのはダメな事なんですよ?」

 幾らコータとマリアが旧知の中でも、侵してはいけない一線がある。
 それが、聖女の救済(しごと)とあらば尚更だ。
 
(ですが、ロニエス様は、勇者様の『お姫様』。他人ではありません)

「勇者様の過去を知り、今、成すべき事を見つけてください」
「今、私が成すべき事……」
「はい、……どうか勇者様を……お救いください。ふふ、聖女から救済の頼みです」

 マリアは、まるで……自分ではコータを救うことは出来ないと、言いたげに笑って、ロニエスの前から姿を消した。
 こうして、ロニエスは、コータの過去を追体験することになる。



《廃教会跡地》

 不死王との闘いで、クレータになっていたその場所は、神龍と化したリゲルとの闘いで、更に深いクレータが出来上がっていた。

「グオオオオオオオオオオオオオオオーーっ!」
「……」

 腹に響く雄叫びを上げて、大空を飛び回る神龍が、特大のブレス。

《神龍の息吹(ゴッド・ブレス)》……世界を終末に導く威力というふざけた肩書の攻撃は、魔王を引き合いにだしても、役者不足になるかも知れない。

(ロニエスの為なら、他の人間への被害を考えないか……)

 それが、悪いと言うつもりは、コータにはないが……
 リゲルの騎士道は、寒いと感じる。

「護りたいもの……護りたい者が護りもの……護りたいものが生きる世界……全て護って、初めて『護った』事になると、俺は思うんだけどな」

 直後、構えも取らなかったコータに、《神龍の息吹》が直撃した。
 ……しかし、世界終末に導く威力(笑)だろうがなんだろうが、コータには神聖属性の攻撃は効かない。
 無傷。

「その姿になったのは失敗だったな……」
「グオオオオオオオオオオオオオオオーーッ!」

 ここで、神龍リゲルは、魔力砲撃を諦めた。
 ならばと、神龍の巨大な口を開けて、その牙で八つ裂きにしようと向かって来る。

「にゃぁ~♪」

 そんな神龍リゲルを嘲笑う様に、クロが鳴き、コータのポーチに身を隠した。
 コータは、コータで、リゲルに向かって右腕を突き出すだけ……

 ダァァアアアンッッ!

 激突。
 衝撃で、暴風が吹き荒れる……が、それだけ。
 コータは相変わらず傷一つなく、神龍リゲルの突撃を右腕一本で受け止めていた。

「……神剣アスカロンみたいな剣属性ならまだしも、神龍は神聖属性が高過ぎる。その姿じゃ、闘いにならね~よ」
「グオオオオオオオオオオッ」

 吐き捨てるようにそういって、いななく神龍リゲルを殴り飛ばす。

 バチンッ!

 と、コータの身体が、神龍の身体を弾き飛ばした。
 戦闘は一方的……神龍に、人間が一人で挑むのは間違っている。
 ただし、その人間が滅亡の運命を変えるために選ばれる勇者なら、話は別。

 神(ラグナロク)が起こす終末など、勇者の前では拳一つで叩き潰される。

「ま、聖剣があれば剣でも良いんだが……無い物ねだりしてもな……」

 殴る。殴る! 殴る!

 コータは神龍リゲルの全身を、ところ構わず殴りまくる。
 足運びと拳術は、クラネル家相伝の舞闘拳術流だが、そんなものはほぼ関係ない。
 ないよりは効率的に、ダメージが入るか、入らないか……と、いったところ。

「悪いな。殴り倒させて貰うぜ? 性(たち)が野蛮な冒険者なもんでな」

 殴る。殴る!! 殴る!! 殴りまくる。

「グオオオオオオオオオオオオオオオーーッ!」

 コータの攻撃が止まったのは、一方的に10分以上殴り続けた後だった。
 被ダメージか、時間切れか、はたまたその両方か? コータには判断出来ないが、リゲルの龍化がとけて、か弱そうな女の身体に戻った。

 青たぶが沢山あるのはコータが殴りつづけたからか……

「うっ……無念」
「……」
「……また、殺さんのか?」
「……」

 コータは、リゲルに答えず、ポーチから《万能薬》を取り出した。

「昨日、あいつが作ってた奴だ。お前の為にってな」
「……むぅ」

 流石に今、振りかける事はしないが、足元に置いておく。

「で? なんのつもりだった?」
「……」

 戦闘開始前に、聞いたことを再び、問うも、リゲルは顔を背けて答えない。
 ……仕方なく。

「ま、ただの八つ当たりなんだろうが、俺にじゃれつくな」
「……ッ!」

 さて、ここで問題だが、コータと互角に剣を合わせられるリゲル程の剣士が、神聖属性が効かないコータの体質を知っているにも関わらず、ラグナロクの力に頼るだろうか?
 その答えは、リゲルの心の内にしかなく、コータには人間が心の内に隠した言葉を、見つけだす力も、必要もない。

「……俺は行く。そして、必ず戻って来る。あのお姫様の元にな? それまで、お前が守ってろ」

 言い捨てて、リゲルの溝内に拳を叩き込んだ。
 容赦がないのは、リゲルを認めているから故。

「ぐぅ……」

 そこで、リゲルの口から本心が少しだけ漏れてしまう。

「……羨ましい……姫様に、信頼される……貴様が……だからこそ……姫様を泣かせる貴様がゆるせんのだ……しかし、貴様が何故、そうするかは分かるのだ……」
「そうか……」

 更に、掌底。
 リゲルが無駄に頑丈なせいで、気絶させることも一苦労。

「……姫様を不幸にしたら……許さない……ッ! ……ッ」

 三発目……やっと、リゲルが気絶した……
 しかし、コータの心にはしっかりと、リゲルが付けた傷が残った。

 それは脳裏に浮かぶ、ロニエスの泣き顔……

「わぁんっ!」
「……ん?」
「わぁんっ。わぁんっ。わぁんっ♪」

 そんなことを思っていた時。
 その泣き声が、クレータの外から響いた。
 コータは、半分、それが何か分かっていながら、声の方向に視線を向ける。

「ニャ~ッ」

 同時にクロが全身の毛を逆立てて威嚇するような、声で鳴く……

「わぁーんっ♪」

 と、一際大きく声が響き、クレータの先から、真っ白い犬が姿を現した。
 やっぱり……

「シロか」

 聖女マリアが後で派遣すると言っていた聖獣シロ。
 クロと比べると大きさが約五倍の大型犬で、毛並みの色は、耳の先から尻尾の先まで澱みのない純白。

「わぁーん♪」
「ニャーッ!」

 一直線で走り寄って来るシロに、クロがコータの肩から、自らの毛を魔術で凍らせて……撃つ。
 クロの得意技の一つ《凍毛針》!!
 しかし、クロは自分の毛を犠牲にするこの技は嫌っている。
 ロニエスにも使わなかった技なのだが、クロはシロが大嫌いなのである、

「わぁんッ!」

 対するシロは、氷毛針に対して、一吠え。
 それだけで全ての氷を氷解し、無効化する。

「にゃぁッ!」
「わぁん♪」

 ならばと、一気果敢にクロがシロにダイブ。
 少し前に、リゲルがやり、クロが笑ったように、シロも笑う。

 ぼふんッ。

「ニャ~~ッッ!!」

 飛び込むクロをその巨体で、優しく受け止め、足を止めることなくコータに飛び付いた。

「わぁん♪ わぁん♪」

 コータは、シロに押し倒されて全身を、舐め尽くされながら、シロの毛並みも撫でてあげる。
 全く不快感のないもふもふの毛並み……三年前と何も変わってない。
 
「いや、少し、大きくなったか?」
「くぅ~♪」
「ニャーッッ!!」

 コータに触るニャー! と、クロがシロに噛み付くが、シロの分厚いもふもふが、クロの牙を通さない。
 少しも意に返さないシロは、シロの毛並みを舐める始末……
 そんな、二人を見て……

「こらこら。クロもシロも、仲が良いのは分かったから、じゃれつくな」

 コータは仲が良いと思っていた。

「ニャ~~っ!!」
「クゥーーん♪」

 再びもふもふ揉みう二人に、巻き込まれる形で、コータももふもふ……

「にゃ……ん」
「わぁ~ん♪」

 それは、クロが疲れて、争うのをやめるまで続いたのであった。
 
 


 

 《コータの剣の記憶》

 最初こそ、何が何だか分からなかったロニエスも、コータを中心に進んでいく、物語を一年程、追体験した頃には、それがコータとエルフィオネの『過去の光景』だと言うことが分かってきていた。

(コータさま……幸せそうに笑うんですね……)

 そして、その過去は、ロニエスにとって心地の良いものではなかった。
 エルフィオネとコータの初対面から始まった、二人の関係は徐々に親密なものへとなって来ている。
 にもかかわらず、ロニエスには何をすることも出来ない。
 ……ただ、コータとエルフィオネの馴れ初めを、ジッと眺めているだけ……歯痒い気持ちだけが高まっていく

 二人の関係に一番の転機を運ぶ事になるのは、初対面から一年ほどたったとある雪の日。
 獣人の国アーニマレー王国の第一王子、《剣聖》アレクサンダー・アーニマレーとエルフィオネの政略結婚が決まった時だった。

 当時、まだまだ北方の島国だったフィンラネル王国にとって、大国であるアーニマレーとの婚約は政治的に大きな力となる。
 両国の関係構築が、そのまま、フィンラネル王国の存続にすら関わる一大事。

 しかし、実際は、『妖精王(ハイエルフ)の王女』『白銀の妖精』などなど、様々な呼び名で、呼ばれる程、美しい容姿を持つエルフィオネに、剣聖アレクサンダーの一目惚れ。
 だから、秀麗なエルフィオネと武勇に溢れるアレクサンダーが結ばれれば、普通の政略結婚よりも幸せになるであろう。
 結婚すれば、何かもうまくいく……
 難しい事などない、それだけの話であった。

 されど、この頃のエルフィオネは、既に献身的に仕えるコータに心を奪われ始めていた。
 だから、

『ユグドラ……私(わたくし)が、こたびの結婚……したくないと言ったら……どうしますか?』

 エルフィオネは定期的に開いていた、コータとの茶会で、そう零してしまった。
 コータは静かに、お茶を啜り、エルフィオネの顔を探るように見ながら……

『剣聖アレクサンダー様の何処かに、ご不満が?』
『いえ……そういう事ではなく……』

 とは、言ったエルフィオネだが、不満がないわけでもなかった。
 そして、それを、コータに零してしまうぐらいには、コータとの関係も深いものなっていた。

『いえ、そうです。ここだけの話ですよ?』
『当然。私が死んでも、エルフィオネ様の弱みで、この口を開けることはありません。私はエルフィオネ様を守る騎士ですから』
『いえ、死んでしまう位なら、話してもらっても構いませんよ? ……ふふ』

(コータさま、は……)

 この時の二人には、まさか未来から来たロニエスが、二人の逢い引きを眺めているとは夢にも思わない。
 茶会なのだが……ロニエスには逢い引きにしか見えなかった。

『種族差別と理解はしていますが、獣人は苦手です。身体中の毛深さがどうも忌避感を……』
『毛深いのが忌避感……そうですか? 私としては、もふもふで、ふさふさとで、抱き心地も良いと思いますが』
『にゃぁ~?』

 そういったコータは、茶会の茶や菓子を置く、テーブルで寛いでいるクロを、優しく撫ではじめる。
 毛深い事がいけないとはどうしても思えない。

『ユグドラはそうでしょうね。ん……抱き心地? 関係ありますか?』
『ありますよ。伴侶になるなら一緒に眠る事もあるでしょう?』
『それはまぁ……そうでしょうが……ユグドラ。茶会の席ですよ?』

 下品な話はするなと、エルフィオネが釘を刺す。
 そういう理由で、剣聖と結婚したくないわけではないのだ。
 もっと別の……そう、もっと大切な物が、アレクサンダーとの結婚にはかけている。
 ハイエルフの王女は、それさえ満たせば、種族の違いも毛深さも対して気にしない器量があった。

『……申し訳ありません。ただ、そういう事ではなく、もふもふなクロを抱きながら眠ると、次の日、とても心地好い目覚めを迎えられますよ。という話です……試してみますか?』
『にゃーん♪』
『なるほど……つまり、アレクサンダー様が嫌なら、婚約前に慣れておけと言いたいのですね?』
『……』

 ここで、コータがアレクサンダーとの結婚を後押ししようとしていることに、エルフィオネは気づく。
 クラネル家か、王室か、騎士権力か、エルフィオネと仲のよいコータを、けしかけられる人物はいくらでもいる。
 それほど重大な婚約話……そして、『姫』としての立場、それを、改めて分かったうえで、

『ユグドラ……私は本当に……嫌なんです。ダメですか?』
『……何故?』
『それは……ユグドラが……』
『……っ』
『私はユグドラがッ! ユグドラがッ! ――』
「だめぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええーーッ!」

 エルフィオネの声を掻き消すように、ロニエスが大きな声で叫び、コータに飛び付いた。
 しかし、過去の記憶に、ロニエスが干渉できる訳もなく、コータの身体をすり抜けてしまう。
 だが、ロニエスの心配は、コータがエルフィオネの言葉を遮った事で、無用に終わる。

『――分かりました。エルフィオネ姫様がそこまでおっしゃるのなら、騎士として、私が何とか致しましょう』
『ユグドラ……私は……ユグドラが――』
『――明日。私が剣聖に雌雄決闘を挑みます。そこで、彼の王子を打ち倒せば、剣聖の武勇は地に堕ちるでしょう……』

 そうなれば、エルフィオネがアレクサンダーと結婚する理由が無くなる事になる。
 コータは、エルフィオネにけして先を言わせず、茶会の席を立った。

『ユグドラは……意地の悪い人ですね?』
『姫様は大事な御身。一時の気の迷いで口にして良い言葉ではない。……というだけですよ」
『一時の気の迷い……ですか』
『さて、私は仕事に戻ります。クロは使いますか?』
『いえ……クロからユグドラを取り上げるつもりはありませんので』
『では……これにて、失礼致します』

 この茶会があった次の日。
 コータは本当に剣聖に決闘を挑み、打ち倒した。
 だが、この時からコータは、エルフィオネを遠ざける事になるのだが、それが二人の関係が動く切っ掛けになるであろう事は、ロニエスには容易に予想できたのだ。

(ここから始まったのですね……コータさまの幸福と絶望が……)

 そして、ここから先こそが、マリアがロニエスに見せようとした過去であった。
 コータが心中に秘める過去の闇を、体感して初めて、ロニエスはコータを理解できる。
 そこまで来てようやく、ロニエスに選ぶ選択肢が見えてくる。
 ……ここからが本番、だが、ロニエスは既に、大きなダメージを負っていた。

 好きな人の過去の恋話など、悲しいに決まっている。
 それでもコータならこんな時、ロニエスにこう言うだろう。

『選ぶのはお前だぞ?』

(ええ、分かっていますよ。大丈夫です。私が必ず、アナタの過去も受け止めて見せますよぉ……本当に、意地悪な騎士さまです)

 目と耳を閉じれば楽になれるとしても、ロニエスはその金色の瞳に、辛い歴史を入力していく。
 それがロニエスが選んだ答えなのだから……
 コータの苦しみを知る唯一の方法なのだから……
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