レクイカ、線の雨が降る前に

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第1章 雨を逃れて

おかしな男

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 館内に残っていた人達が二階に集められた。三十名程といったところか。
 
「私達は、イクルナ領の騎士です。今から、私達が先導し、皆さんをお守りしますので――」
 レクイカが、人々を前に話を始めている。
 比較的気丈そうな青年の旅人や商人の姿もあるが、老人や子どもも多い。なかには、集められてきたものの、絶望し座り込んでいる者もいた。
 
 ミートは、まだ取り残されている人がいないか、一人、館内を回っていた。
 一階奥の通路の柱の影に、うずくまって念仏を唱えている老婆を見つけたので、二階へ行くよう声をかけた。
 老婆はよろよろと起き上がる。この人も、もう、絶望に囚われている。ミートは、レクイカ達のやろうとしていることの半分は、無駄なことに思えた。
 もちろん、希望を持っている者は、力を合わせ脱出すべきだ。しかし、難しいこともでもある。ここはもう、あの怪物達に取り囲まれている。すでに絶望に囚われているこのような老人が、上手く脱出できるとは思えない。怪物に食われるよりは、このまま雨を待って消え去る方がいいと思っても不思議ではない。どのみち……と、ミートは加えて思う。
 どのみち雨に消され白い影になったあとに、怪物に食われることには変わりはないが。痛みや屈辱はないだろう。
 
 ミートはふと、足を止める。
 通路から一階最奥の広間に出たところ、テラスに誰かいる。
 あの池の前。ミートが少し前そこで考え込んでいた場所だ。
 
「まだ、残っていたのか……」
 
 つばのよれた大きな帽子にローブをまとった、男のようだ。
 
 テラスへ出る。雨はまだ本格的には降っていない。池の水面にぽつりぽつりと小さな波紋が浮かんでは消えている。
 
「おい……」
 ミートはすぐそばまで行って、声をかける。
 ミートの外套に勝るとも劣らず薄汚れて、ぼろぼろのローブだ。相手は池の囲いの手すりにもたれただじっと池の方を向いている。
 
「おい。何をしている?」
 
「あれが見えるか」
 男はこちらを向かずに、池の向こう側を見据えて言う。
 目深にかぶった帽子でほとんど顔は見えないが、声を聞く限りまだ年若いようだ。
 
「何が……?」
 男の視線の先……池の向こうにいるのは、木に巨体をもたれかけている雨の怪物だった。
 二十メートルは隔たっているがはっきりと見える。ミートがここにいたときにもすでに見えていた。
 少し位置が変わってよりその不気味な姿をこちらに晒しているようにも見える。黒い濃い影の色に沈んでいるが、大きな目鼻口。穏やかな表情で眠っているかのようだ。それが余計に、不気味で、腹が立つともミートには思えた。
 
 その近くに、他に確認できるだけで二、三、……四体、いる。どれも木の影に隠れ、もたれ、今はじっと動かずにいる。
 
「怪物、だろう。わかっている。忌まわしい……本当にどんどん集まってくる。そうだ。今、二階で逃げる手筈を整えている。一緒に行く気があるなら、来てくれるか」
 
「ん……ああ」
 男は曖昧な返事をしたまま、なお、怪物の方を眺めている。
 
 ――あんなものを飽きもせずにそう見つめて、何が楽しいのか。今や我々にとって珍しいものでもあるまい。恐くはないのか。男はほとんど落ち着いた様子で、口元に薄く笑いを浮かべているようにも見える。それとも、もう頭がおかしくなっているのか。
 
 男の指には黒い指輪。よく見ると汚れたローブにも紋様が薄っすら描かれている。どうやら魔術かまじないでもやる類の者かと見受けられた。だがそんなもので、怪物をどうできるわけでもあるまいとミートは思った。優れた魔法や兵器が残っているとされた中央の幾つかの国家も、雨になす術なく滅んでいるのだ。
 
「忠告はした。おれは先、行くぞ」
 こんなやつをいつまでも相手にしていても仕方あるまい。ミートは踵を返す。
 
「なあ、おまえ」
 今度は男が呼び止めてくる。帽子の下に、ぼろぼろの歯を覗かせた口が見えている。
「おまえ、あの怪物捕まえられるか?」
 
 ミートは振り向くが、何を言っている? と口には出さず思った。
 
「いやあ。あれってさあ、どんな味がするんだろうってね」
 
 雨の怪物を、食べる?
 ミートは、頷くでもなく、男に背を向け歩き出した。やはりこの男、頭がどうかしている。
 
「おいまあ、待て。私も今もう、行くところだ」
 男が、ミートに追いつき、颯爽と追い越す。
「そうだなあ……怪物を食べるのは、今度にするよ。あいつらは、面白いな。まだまだ調べてみたいことは山とある」
 男は建物の中へは入らず、手すりをひょいっと越えて外へ飛び出しそのまま走り去っていく。
 
「ああ、おい!」
 ミートが止める間もなかった。
 男は何の迷いもなく、怪物達のいる木々の中へ姿を消していった。
 
 ミートは奥の階段から急ぎ三階まで上がり、男の去った方を確かめると、どこにつないであったのか男は灰色の馬を駆ってすでに休息所の周囲の林を抜けており、街道を西へとひた走っていった。
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