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30 魔術都市で裏競売にかけられます
しおりを挟む都市の中心部から馬車を使い、青い外観の家の前で停めてもらうとリーゼはキャビンから降りた。運んでくれた馬を労うようにひと撫でした後、無人のそれに金を払うため、硬貨を馬に提げられていた料金箱の中へと入れる。
硬貨が落下した音に、ひひん!と前脚を上げた馬は、都市部へと戻るためにゆっくりと大きく転回した。
リーゼは「気をつけて」と、帰路へとつく馬に向けて声をかけ見送ると、自分も家の中へと入っていった。
セイランの家には研究室というものが存在する。
日頃から新しい術式を考えたり、魔法道具を創造したりと忙しい彼にとって、どこかへ出向いて研究をするのは甚だ時間の無駄なことだった。
よって、家から一歩も出ずにそれらを完結できるように必要なものは最低限取り揃えてあるらしい。
今回のように材料が足りない場合は、こうして誰かを使って買いに行かせるのだと彼は得意げに言っていた。
「セイラン、遅くなってすまない。今戻った」
研究室の扉を開けると、白いもくもくとした煙がリーゼを出迎えた。匂いが鋭く、むせ返りそうになるそれにリーゼはたまらず鼻先を袖口で覆う。
煙の発生源にはセイランが立っていた。家を出た時と変わらない様子で、彼は魔術で起こした火で鍋を煮詰めていた。
立ち煙るそれにリーゼが眉を顰めながら近づくと、セイランはようやく気づいたように鍋から視線を外した。
視界が悪いせいかリーゼの方へと近づき、凝視してくる。
「ああ、リーゼですか。黒髪の姿がどうしても見慣れずに誰かわかりませんでした。さぁさぁ、待ち侘びていましたよ」
丸眼鏡を湯気で曇らせたセイランは、リーゼであると分かるや否や喜色を滲ませた声でそう言った。それから、掴んでいた玉杓子を机の上へと放り投げ、いそいそとリーゼに両手を差し出す。
労いの握手をしたいといった意味合いでは決してないことをリーゼは理解していたので、急かされるまま鞄の中から購入してきた品を取り出した。
「頼まれていたものだ」
羊皮紙と油絵具を片手ずつ手渡してやると、セイランは「ご苦労様です」と口角を上げてにっこりと微笑んだ。
画材店で見るものと明らかに形状が違うそれらに本当にこれであっているのか不安に思っていたリーゼであったが、満足しているその様子にそっと胸を撫で下ろした。
「店の場所ちゃんと分かったようですね」
「ああ、問題なかった。予め教えてもらっていたからな」
異様であった店の様子や、不躾で怪しい売人についてはこの際触れないことにした。つついたところで蛇が出てくる可能性がある。
「ちょうど下拵えが済んだところでした」
そう言ったセイランは鍋の火を止めた。煙が充満する研究室で眼鏡を一度拭いた彼は、それから受け取った羊皮紙をばさっと広げるとそのまま物で散らかっている床へと置こうとした。
つま先で物を蹴散らしながら場所を確保しようとするセイランの様子を見兼ねて、リーゼも手伝うべくその場へと屈み、置いてあった良くわからない石をどかす。
「端を持っていてください」
時間を要して羊皮紙が床へと平行に敷かれたところで、セイランがそうリーゼへと頼んできた。ふたたび丸まろうとする紙の片端をリーゼが掴むと、セイランも足で反対側の端を踏みつけながら、油絵具の入った瓶を手に取る。
それから煮詰めていた鍋の中身を蓋を開けた瓶の中へと玉杓子で流し込むと、そのまま蓋を閉め、黒い油絵具と混ぜ合わせるように振った。
『──パンドル《描け》』
ふたたび蓋を開けてそう呪文を唱えたセイランは、羊皮紙の上へと油絵具の入った瓶を傾けた。
そうすると黒一色だったはずの油絵具がたちまち虹色に輝き、そのまま紙の上へと落ちた液体が自ら意志をもったように蠢き始める。
何も描かれていなかった黄ばんだ羊皮紙に、徐々に色鮮やかに着色されていく。
「すごいな、これはどういった魔術なんだ」
「大した物ではありません。自分の記憶の中にある風景をただ反映させているだけです」
押さえつけていた手の近くまで押し寄せた油絵具の波に、リーゼはできる限り邪魔にならないようにと手を引いた。
紙の上を踊るように流れていた液体は、最後に自ら浮かびあがって玉となり、仕上げとばかりにちょんと金属の光沢を描き添える。
「こんなものでしょうか」
「すごい、その場を切り取ったかのような絵だ」
羊皮紙には室内画が描かれていた。両端にはカーテンが掛けられていて、まるで外から部屋を覗き込んでいるような錯覚を覚える。
背景の一部にはステンドグラスが描かれていて、その色鮮やかな繊細さにリーゼは感嘆しつつも、見覚えのある祭壇にリーゼは目を見開いた。
「これは……セレウス神殿か?」
「ええ、そうです。さすが元とは言え、本職だったリーゼにはすぐに分かってしまいますね」
油絵具を全てこぼし、空になった瓶を机の上へと置いたセイランは、余った鍋を確認するよう玉杓子でぐるりと中身を回しながらそう微笑んだ。
神殿を離れたリーゼにとってすでに懐かしささえ覚えるその場所に、絵の細部まで確認しようと顔を近づけたところ「まだ乾いていませんので、あまり近づいては駄目ですよ」とセイランに釘を刺されてしまう。
離れて眺めることに関しては何も注意を受けなかった。
材料を売ってくれた店の売人が『禁術』と言っていたからには、いくら仲間がすることとはいえ、わずかに緊張していたリーゼであったが、蓋を開けてみればただの描画だったことに安心した。
「セイランは何故これを描いたんだ?」
リーゼが絵を見つめながら聞くと、使った材料などの片付けを手早く済ませたセイランが、ふふと怪しげに微笑む。
こういった表情をした魔道士は大体にして碌なことを考えていないと長旅の中で思い知っていたリーゼは、その笑顔に背筋にひんやりとさせた。
「……裏競売に出品する?」
「休憩にしましょう」と、セイランに背中を押され研究室を出たリーゼは、そのまま客間へと案内され、ここに訪れてからすでに馴染みとなった紅茶を嗜みながら、セイランの放った一言を繰り返した。
テーブルを挟んで向かい側に座ったセイランは、驚いて目を瞠るリーゼにその言葉の意味さえ飲み込ませる余裕を与えずに「その通りです」と得意げな表情で続けざまに言う。
「出品って、もしかしてあの絵をか?」
「それ以外なにがあるって言うんです。もしかしてあの絵の出来が悪いって言いたいんですか?」
リーゼは不満そうに睨みつけてくるセイランに慌てて首を振った。
「いや、そういうことを言いたいのではなくて」
絵に文句をつけたい気持ちなど更々ないというようにリーゼがそう言うと、怪訝そうな表情をしていたセイランは疑うように目を細めた。
彼は眼鏡の縁を一度指で持ち上げ位置を正すと、身をテーブルの上へと乗り出し、人差し指を立て、リーゼへと宣言してくる。
「いいですか? あれは誰がなんと言おうと最高傑作です。おそらく一番高値で売れるでしょう」
言い聞かせるように、それでいて自信満々といったセイランの言葉にリーゼはもはや反射的に頷いた。
(……大丈夫だろうか)
リーゼは自らも頷いて確信を得ているようなセイランの様子に心の中で心配する。
なぜならば、今までリーゼが旅の途中で目にしてきた高尚な絵画たちはどれも中心となって描かれている人物や、なにか主軸となる題材が存在し、自然と目を引いた。
しかし、セイランが描いた絵画はたしかに美麗だが、言ってしまえば何かが欠けているように思え、家の中で趣味として飾るならまだしも高値で売りつけられるほどの商品になるのかわずかながら疑問が残る。
おそらくそこは見識がまだ浅く、芸術の類いに対する理解が狭いだけだと自分にそう言い聞かせながら、リーゼはこれ以上彼の機嫌を損ねることのないようセイランの言葉を待った。
「ここに来てから、あなたずっと落ち込んでいたでしょう」
しばしの間、紅茶を口をつけたりと、沈黙の気まずい時間が流れた後、そう言ったセイランの言葉にリーゼは顔を上げた。
丸眼鏡の中の目を優しげに細めて見つめてくる男に、リーゼは居心地が悪くなって肩を狭める。
セイランにはこの場所へと訪れた当日にみっともないところを見せてしまっている。
「だから私はこうして、少しでも友達であるあなたの力になれるよう手を尽くしてるんですよ」
「……セイラン」
裏競売が行われる日は二日後に迫っていた。
出て行ってしまったまま三日三晩帰ってこない男のことを思い出しては、リーゼがこっそりと吐くため息は日に日に深くなるばかりで、おそらくセイランにもそれを見透かされてしまっているだろうと感じていた。
「もしかして、裏競売に私も参加できるのか?」
「ええ、参加できます。私自身が身分を隠して出品者になれば良いだけの話だと一昨日思いつきました」
妙案でしょうとばかりに胸を張った丸眼鏡の男に、リーゼも「ありがとう」と心の底から感謝した。
低迷していた気分が久しぶりに浮上した心地になった。
その後も魔法薬を作成した際の失敗談や、予定している魔術学会の運営委員会にいる変な男の話など、魔道士ならではの面白い彼の話にリーゼは久しぶりに笑った。
笑いすぎて喉が渇き、紅茶の淹れられたティーカップへと口をつける。
いつも飲んでいるものより今日は特別苦味を強く感じたが、リーゼはセイランの話に耳を傾けることに夢中になってあまり気にすることはなかった。
(今日は眠れるだろうか)
仲違いしたまま出て行った男をただ待つことしか出来ず、悶々としていた現状から抜け出すことが出来そうでリーゼは胸に手を当てた。
この街では、セイランの厚意で家の空いている部屋を使わせてもらい、寝泊まりさせてもらっている。
ここ三日ほど眠れない夜をその部屋の隅に積まれた魔術本を読むことで凌いでいたリーゼは、久しぶりに訪れる眠気に小さく欠伸をした。
照明を落としてベッドの上に横になる。暗くなった部屋で一人思うのはやはり男のことで、今何しているのかとか、危険な目にあってなければいいなど矢継ぎ早に考えてしまう。
リーゼが姿を消して男の元から離れていた間、彼もこんな気持ちになったのだろうか。
(……カイン)
こんなことなら男と喧嘩をするような事態を起こさなければ良かったと思う一方で、それは違うとリーゼは手繰り寄せた枕に顔を寄せた。肌触りのいいそれに強く額を押し付けると、自分でも見慣れない黒髪が頬へと流れ落ち、リーゼは煩わしくなって視界に入らないよう髪を後ろへと追いやった。
この偽りの髪色と同じように、カインに対して本当の気持ちをひた隠しにして偽善で包み込んだところで、二人で生きていく道などないとリーゼは思う。
(そんなに頼りないか? 私は)
何もできない自分が情けなくなり、横たわったまま自分の身体を縮こませたリーゼは、初めてこの街に訪れた時のことを思い出す。
いつもリーゼを助けてくれる男は、リーゼが男を助けようとすることを嫌う。
街の中心にあり、規則正しく時間を刻んでいた時計塔を動かしている術式に手が加えられ、その鐘の音を聞いた人々の心は黒く濁っていた。
魔術都市ベルハーツでは当時、どこへ行っても罵声が聞こえ、目を血走らせた人々の様子に、街へ入ってすぐに勇者一行はその異変を感じとった。
ごみが散乱して荒れた様子の中心街では、何かを恐れて泣きわめく年若い少女、酒に酔いつぶれ道端で寝ている老人と異様な光景が広がっていた。
『離せ! 俺はどこもおかしくなんかなっていない!』
それは街の少年に乱闘騒ぎがあると助けを求められ、リーゼたちが駆けつけた時だった。いまだ殴り合ったり、術を展開させる男たちを諌めることを他の仲間に任せて、倒れていた一人の男にリーゼは治癒術を施そうと額に手をかざした。
しかしその時、半狂乱になったその男にリーゼは突き飛ばされ、体勢をよろめかせる。
『おい、大丈夫か』
咄嗟に腕を掴まれて、あやうく転びそうになっていたところをカインに助けられた。膝をついてしまったリーゼは『申し訳ない』と汚れた裾を払いながら立ち上がる。
『説得じゃだめみたい! 何言っても通じないや。一度落ち着かせたり、眠らせないと!』
『眠らせればいいんだな?』
喧騒に巻き込まれながらも叫んでそう言ったハンスの言葉に、そう返したカインは手始めとばかりにリーゼのことを突き飛ばした男の首に手刀を振り落とした。近づいてきたカインの姿に叫び声を上げながら杖を取り出した男は、呪文を唱える隙もなく気絶させられる。
『暴力はだめだ!』
『こんだけ殴り合っといて、今さら傷ひとつ増えたところで気にしねぇだろ』
叱りつけたリーゼの言葉を意に介さないように男はそう言うと、背を向けていまだ荒れ狂う男たちの間へと入っていった。
仕方なくリーゼも背を向け、自分の仕事を全うしようと気絶した男たちに再び手をかざし始める。
手が加えられ術が反転し、呪術式となっていた時計塔の解術へとこの街に住む魔道士セイランの力を借りながら勇者一行が奔走している間、リーゼは教会の一角を借りて街の人々に治癒術を施していた。
普通の怪我ならともかく呪いを解くには労力が必要だった。目を閉じたリーゼは人々の額に手をかざし、根を張るそれをひとつひとつ神経を集中させて解いていく。
『調子はどうだ?』
『クラークか、大丈夫だ』
気絶した男女を担いで教会へと運んできたカインに、リーゼは気にすることはないといつも通り答えた。
それなのに、担いでいた新しい患者を床へと下ろしたカインは、何故かリーゼの元へと近づいてくると顔を覗き込んでくる。
『心配ない』
『心配するかどうかは俺が決める』
件の乱闘騒ぎから三日経っていた。
最初は隙間を見つけて治癒術を自分へと定期的に施していたリーゼだが、それも次々に運び込まれてくる患者を前にして、少しでも力を無駄にすべきではないと途中から自分に掛けることやめていた。
目元に指を沿わされてリーゼはびくりと体を震わせる。
苦い顔をしたカインが『少し休め』と怒ったような声色で言うので、急いで自分に治癒を施そうとした上げた手を掴んで止められた。
『それじゃ休んだことになんねぇだろ』
『休んでいる場合ではないだろう。私が休んでしまったら誰が呪いを解くんだ』
解呪できたのは半数くらいで、残り半数はいまだ教会の床にひしめき合って寝かされている。
リーゼは泣きたくなるような気持ちを押し殺して、目の前の惨状を見渡して言った。それでもカインはリーゼの嘆願など取り合うこともせずに『横になれ』と首を振った。
『お前の心が壊れたら、治癒術なんかじゃ治らねぇだろ』
そう言ったカインはリーゼの腕を無理やり引っ張った。いとも簡単に頽れた体は、そのまま男によって仰向けに寝かされる。
カインは上着を脱いでくしゃくしゃにすると、リーゼの頭の下に敷いた。ゴツゴツと装飾がついていてわずかに汗の匂いが滲んだそれは枕がわりには程遠いが、安心したリーゼは瞼が重たく落ちてくる感覚に抗えなかった。
『俺も少しだけここにいるから寝ろ』
肩に手を置かれてそう言われ、目を閉じたリーゼは『少しだけ』と頷いた。
『一人で背負う必要はない。困ったことがあったら言え、俺が助けてやる』
意識が途切れる寸前で、男の言葉が耳にすべり込んできた。教会の片隅でリーゼはいっときの間、何も考えずに安心して眠った。
(私もあなたを守りたいと思うことはいけないのか?)
何も知らされないまま、真綿で包み込むように愛されることは願い下げだとリーゼは思う。
知り得た上で共に闘ったり、一緒に解決策を模索していきたいというのは独りよがりの邪魔な感情なのだろうか?
リーゼは久しぶりの眠気に落ちゆく思考の中、ぼんやりと考えた。清潔な匂いのする枕は、あの時と違ってリーゼの頭を優しく受け止めてくれるのに、しかし、リーゼにとっては男の上着で作った寝心地の悪い枕の方がずっと特別で、ずっと好きだった。
久しぶりに深く睡眠をとって朝を迎えた。
リーゼは客間でセイランと朝食を取りながら、今日は午後に来客があるという話を聞かされていた。
なんでも明日の裏競売に向けて協力者が来訪し、話を詰めるという。もちろんリーゼの同席も許可された。
「昨日から思ったんだが、紅茶の淹れ方を変えたか? 少し苦味が強いと思うんだが」
彼の淹れてくれた紅茶に口をつけて、リーゼは言った。
テーブルには塩気の強いパンやウインナー、ベーコンが並び、全体的に塩辛くてのどが渇くメニューだった。
お世話になっている手前、あまり手を煩わせるようなことを言いたくないのだが、ごくごくと飲み干しにくい苦味の強い紅茶を前にしてリーゼは困ったように眉を下げる。
「はい、下拵えする必要があって少し手を加えました」
「……そうなのか」
リーゼはセイランの言っている意味がよく理解できなかったが、何か訳があって意図的にそうしている様子に素直に了承しておいた。
分かったことは喉を潤すにはこの紅茶を飲むしかなくて、仕方なくリーゼはそれに口をつける。
リーゼのティーカップの中身が底をつきそうになった頃、セイランが席を立った。
部屋の中を歩いて壁際へと向かうと、そこに飾られていた絵画を壁から外した。
「何してるんだ?」
「明日の準備です」
セイランは高級そうな見た目をした額縁だけを残して絵を抜き去り、床へと放った。それから昨日描いた神殿の室内画をその額縁へと収めると「さて、準備は整いました」とその両端を掴んでにっこりと微笑む。
リーゼはその様子を紅茶を飲み干しながら眺め、彼が丸眼鏡の中の目を細めて嬉しそうにしている姿にあわせるように微笑んだ。
「リーゼ」
「……セイラン?」
絵画を持ったセイランがゆっくりと近づいてくる。
リーゼはその眼鏡の奥の瞳が怪しげに光っている様子気づき、あわてて彼の名を呼んだ。
「動かないで下さいよ! 危ないですからね!」
そう言ったセイランは絵画を頭上へと持ち上げると、次の瞬間リーゼへと振り下ろした。
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