マトリョーシカ少女

天海 時雨

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氷った蓮、『悪魔』は笑う。

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「……弱い。ケンカ売らないで?」
「うぐあぁぁぁぁっっ!!」

 春の夜、先の見えない裏路地。断末魔の絶叫が所々で響くこの街で、その悲鳴は尾を引いて消えていった。

「……あんた、こないだもりかけたよね? 懲りてないって言いに来たの?」

 フードを被った人間は、声色からして少女のようだ。地面に這いつくばっている男をくすくすと笑っている。

「うぅぅっ……けるなっ……!」
「何? ふざけるな? こっちの台詞。面白いことなくてただでさえ退屈なのに、雑魚にケンカ売られてんのこっちだし。こっちがふざけるななんだけどなー?」

 舐めたように、音を伸ばす話し方。そして薄暗い色の中に浮かぶその顔が、いたずらっ子のように歪んでいる。相手を挑発するにはもってこいだ。

「っの野郎──!!」

 男は怒号を叫びながらももがき、少女に抑えられた足を蹴る。先程の断末魔の叫びとはまた違った、ごんごんと響いて行くような響きだ。

「私は女、野郎じゃない。それとも私を知らない? 何回もボコられたら覚えるよね?」
「…………」
「あ、記憶力も悪いの? それとも何も知らない素人さんかな?」

 そしてまた、くすくすと嘲笑う。

「っ若頭舐めんじゃねぇぞっ!」
「はぁ? 若頭ぁ? 弱っ。っつーかさぁ、藍咲でもないのに、イキがる必要ないよねぇ。どうせ三下程度のとこでしょ?」

 少女は嗤い続けている。

「っ……どうしてそれをっ?」
「あーぁ、カマかけただけだけど、すぐ引っかかってる。そーいう所も弱いんだよー?」

 くくく、と不敵に笑う少女。満面の汚れない笑みで笑ったなら、多くの若者が見惚れてしまうであろう美貌。しかしそれは、今は氷の嘲笑で染められている。

「若頭ねぇ、そんなん私はどうでもいいよ。藍咲組に言いつけてもいいんじゃない? 私は死のうと死ぬまいとどうでもいい。私刑リンチでも何でも好きにすれば?」
「ううぅっ……ぐぅぅ」
「……あんた、名前は?」
「っ、乃田のたゆうっ……」
「へぇ、いい名前じゃん。悠久に、はるかに……」

 私の名前とは大違い、そう少女はくすりと嗤う。

「……じゃあ、悠。二度と会わないことを祈って」

 何もカバーなどの装飾をつけていないスマートフォンを起動した。

「っ、あぁっ……!」
「無理に動くと激痛だよ、あばら何本かイッてるからさ。あんたの組に電話しとくから、待ってな。腕も折ったかな? いやヒビかな」
「っ嫌に、親切だな!」
「悠とはもう会わないし、一応私がやっちゃったし。嫌ならやらないけど?」
「や、ありがと……?」



「……あと二分ぐらいじゃない? じゃあさよなら、悠」
「あぁ、じゃあな……氷蓮ひょうれん
「……えぇ。さよなら」



「……ヒョウレン、か。氷った蓮……なんの因果かしらね」

 風が荒ぶ。ヒュオオンと音が鳴りそうなほど、力強い夜の"春一番"。夜の世界には、いつも風が吹く。

「……さて、行こう」

 風が荒ぶ。そして少女を掻き消すように、隅に溜まった枯れ葉が舞い上がる。そして──少女は、消えた。

 影も形も、残っていなかった。
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