4 / 13
心恋
4
しおりを挟む
家の裏手を少し歩けば、いつも水を汲んでいる川が見えてくる。僕は持っていた籠を一旦降ろしてから、布を地面に敷いて、懐から野犬避けの薬草が入った小袋を取り出す。その中身を適当に周囲に撒いて、布に座って「ザフィ」と小さく手招きをした。
「ピクニックにしてはやけに淋しいねぇ」
そんな小言を言いながらもザフィアスは大人しく隣に座り、シフォンケーキの入った袋を開けた。僕も持ってきたハチミツ酒を開け、それをグラスに注いでからひとつザフィアスへと渡す。
「夜の散歩もいいもんだろ?」
「散歩で酒は飲まないよ」
「堅苦しいな、神父様は」
もうひとつのグラスにもハチミツ酒を注いで、コルクでボトルに軽く蓋をする。誰かと酒を飲むなんて考えたことなかったから、たぶんこのハチミツ酒は五年物ぐらいだろうか。
「乾杯」
カツン、と乾いた音が闇夜に響く。月の下で呑むハチミツ酒は甘すぎて、酒に、というより、この雰囲気に酔いそうだ。
酔わないように、少しでも理性を保てるように、会話をしようと「ザフィ」と名前を呼ぶ。
「その、お菓子持ってきてくれるけど、これ、どうしてるの」
「趣味で作ってる」
「……趣味」
まさかの答えに、つい頬が緩んでしまう。それを隠すようにグラスを煽れば、一気にアルコールが身体中に巡っていく。ザフィアスも「うん、趣味」と笑い、ボトルをまた開けると、空の僕のグラスにハチミツ酒を注いだ。
「子供たちのために、ね。皆、甘いものは好きだから」
その優しい横顔につい見惚れると同時に、笑ってしまった自分が恥ずかしくなった。注がれたハチミツ酒に口をつけずにいれば、ザフィアスが「ほらほら」と茶化すようにグラスを煽れと示してくる。
「ん……、っは」
注がれた分を飲みきって、グラスから口を離す。あまり酒に強くない僕は、さっきので結構限界だったのに、今飲んだ分で完全に酔いが回ってしまったようだ。
久しぶりの酒で頭がふわふわする。「ザフィ……」と名前を呼ぶ声がやけに甘ったるくて、それに自分でも驚いた。
「アサツキ、弱いなら飲んじゃ駄目だよ」
「んー」
飲ませたのはザフィアスだろうが。持ってきたのは僕だけど。
ふらふらする僕からグラスを受け取って、ザフィアスが空のグラスをふたつ籠に入れる。ただのゴミになった茶袋も小さく畳んで、それも籠に入れてから「帰ろうか」とザフィアス立ち上がりかけた。
「……嫌だ」
その中指を小さく掴んで、立てないようにする。
振り払えば簡単に解けるくらい弱い力なのに、ザフィアスはそれを解こうとはしなかった。代わりに小さくため息をついて「駄目だよ」と諭すように言い、膝をつく。
「帰ろう? 冷えるよ?」
「……帰ったら、また神父になるんだろ?」
「変な言い方だね。俺は最初から神父なのに」
ザフィアスは可笑しそうに頬を綻ばせたけれど、僕がよほど真剣な目をしていたのだろう。すぐに悲しそうに目を伏せて「……ごめんね」と呟いた。
「僕こそ、ごめん……。でも僕、嫌なんだ。ザフィを独り占めしたいなんて、変なのわかってるのに、嫌なんだ……っ」
「アサツキ……」
膝をつくザフィアスに、どこにも行かないように手を伸ばして、広い背中に腕を回す。少し固い身体に、町で子供がするように顔を埋めれば、ほんのりとホワイトセージの香りがした。
「僕、僕……、ザフィのことが」
「アサツキ」
それ以上を言わせないようにと、ザフィアスが頭の後ろに手をやって、僕の顔をさらに強く埋もれさせる。
「駄目だよ、アサツキ。駄目」
「じゃあ……、じゃあ、なんで……っ」
なんで毎日僕のところまで来たんだよ。
優しくして、キスまでして、僕にだけ“ザフィ”って呼ぶことを許してくれて。
この気持ちは、僕だけだったのかな。神父は一生独身だから、こんな離れた場所に住む僕ならバレないって思われて、それで都合のいい遊びにされたのかな。確かに、僕は町の慰み者で、そういう扱いを受けてきたけど。けれど……。
「初めて、だったのにっ。人と一緒にいて、嬉しいとか、楽しいとか、怒るとか、そういうの、全部……!」
「アサツキ、聞いて」
「さぞ楽しかっただろ!? 人のこと馬鹿にして」
「アサツキ」
「早く帰れよ! んで、もうここへは来るな!」
ザフィアスの体を押すけれど、体躯の差は大きい。うんともすんとも言わず、僕はせめて、と、また罵声を飛ばそうと口を開いた。
「んんぅっ」
その口を塞がれて、言葉が喉の奥に仕舞われる。くちゅりと厭らしい音が頭の中に反響して、僕の身体から力が抜け、堪らずザフィアスに身を委ねるようにもたれかかる。抵抗する気がないのを悟ったのか、口を離したザフィアスが、僕の腰に腕を回した。
「……アヅ、ごめんね」
その“ごめん”はどの意味で? の言葉は、僕の口をまた塞いだザフィアスによって、音にならずに消えていく。
視界に広がる大きな上弦の月。
それを隠すように、僕に覆い被さるザフィアス。
互いの目に映る互いの表情は、同じ表情をしているに違いない。
「ピクニックにしてはやけに淋しいねぇ」
そんな小言を言いながらもザフィアスは大人しく隣に座り、シフォンケーキの入った袋を開けた。僕も持ってきたハチミツ酒を開け、それをグラスに注いでからひとつザフィアスへと渡す。
「夜の散歩もいいもんだろ?」
「散歩で酒は飲まないよ」
「堅苦しいな、神父様は」
もうひとつのグラスにもハチミツ酒を注いで、コルクでボトルに軽く蓋をする。誰かと酒を飲むなんて考えたことなかったから、たぶんこのハチミツ酒は五年物ぐらいだろうか。
「乾杯」
カツン、と乾いた音が闇夜に響く。月の下で呑むハチミツ酒は甘すぎて、酒に、というより、この雰囲気に酔いそうだ。
酔わないように、少しでも理性を保てるように、会話をしようと「ザフィ」と名前を呼ぶ。
「その、お菓子持ってきてくれるけど、これ、どうしてるの」
「趣味で作ってる」
「……趣味」
まさかの答えに、つい頬が緩んでしまう。それを隠すようにグラスを煽れば、一気にアルコールが身体中に巡っていく。ザフィアスも「うん、趣味」と笑い、ボトルをまた開けると、空の僕のグラスにハチミツ酒を注いだ。
「子供たちのために、ね。皆、甘いものは好きだから」
その優しい横顔につい見惚れると同時に、笑ってしまった自分が恥ずかしくなった。注がれたハチミツ酒に口をつけずにいれば、ザフィアスが「ほらほら」と茶化すようにグラスを煽れと示してくる。
「ん……、っは」
注がれた分を飲みきって、グラスから口を離す。あまり酒に強くない僕は、さっきので結構限界だったのに、今飲んだ分で完全に酔いが回ってしまったようだ。
久しぶりの酒で頭がふわふわする。「ザフィ……」と名前を呼ぶ声がやけに甘ったるくて、それに自分でも驚いた。
「アサツキ、弱いなら飲んじゃ駄目だよ」
「んー」
飲ませたのはザフィアスだろうが。持ってきたのは僕だけど。
ふらふらする僕からグラスを受け取って、ザフィアスが空のグラスをふたつ籠に入れる。ただのゴミになった茶袋も小さく畳んで、それも籠に入れてから「帰ろうか」とザフィアス立ち上がりかけた。
「……嫌だ」
その中指を小さく掴んで、立てないようにする。
振り払えば簡単に解けるくらい弱い力なのに、ザフィアスはそれを解こうとはしなかった。代わりに小さくため息をついて「駄目だよ」と諭すように言い、膝をつく。
「帰ろう? 冷えるよ?」
「……帰ったら、また神父になるんだろ?」
「変な言い方だね。俺は最初から神父なのに」
ザフィアスは可笑しそうに頬を綻ばせたけれど、僕がよほど真剣な目をしていたのだろう。すぐに悲しそうに目を伏せて「……ごめんね」と呟いた。
「僕こそ、ごめん……。でも僕、嫌なんだ。ザフィを独り占めしたいなんて、変なのわかってるのに、嫌なんだ……っ」
「アサツキ……」
膝をつくザフィアスに、どこにも行かないように手を伸ばして、広い背中に腕を回す。少し固い身体に、町で子供がするように顔を埋めれば、ほんのりとホワイトセージの香りがした。
「僕、僕……、ザフィのことが」
「アサツキ」
それ以上を言わせないようにと、ザフィアスが頭の後ろに手をやって、僕の顔をさらに強く埋もれさせる。
「駄目だよ、アサツキ。駄目」
「じゃあ……、じゃあ、なんで……っ」
なんで毎日僕のところまで来たんだよ。
優しくして、キスまでして、僕にだけ“ザフィ”って呼ぶことを許してくれて。
この気持ちは、僕だけだったのかな。神父は一生独身だから、こんな離れた場所に住む僕ならバレないって思われて、それで都合のいい遊びにされたのかな。確かに、僕は町の慰み者で、そういう扱いを受けてきたけど。けれど……。
「初めて、だったのにっ。人と一緒にいて、嬉しいとか、楽しいとか、怒るとか、そういうの、全部……!」
「アサツキ、聞いて」
「さぞ楽しかっただろ!? 人のこと馬鹿にして」
「アサツキ」
「早く帰れよ! んで、もうここへは来るな!」
ザフィアスの体を押すけれど、体躯の差は大きい。うんともすんとも言わず、僕はせめて、と、また罵声を飛ばそうと口を開いた。
「んんぅっ」
その口を塞がれて、言葉が喉の奥に仕舞われる。くちゅりと厭らしい音が頭の中に反響して、僕の身体から力が抜け、堪らずザフィアスに身を委ねるようにもたれかかる。抵抗する気がないのを悟ったのか、口を離したザフィアスが、僕の腰に腕を回した。
「……アヅ、ごめんね」
その“ごめん”はどの意味で? の言葉は、僕の口をまた塞いだザフィアスによって、音にならずに消えていく。
視界に広がる大きな上弦の月。
それを隠すように、僕に覆い被さるザフィアス。
互いの目に映る互いの表情は、同じ表情をしているに違いない。
0
あなたにおすすめの小説
[BL]愛を乞うなら君でなければ。
わをん
BL
離婚歴のある子持ち主人公。人生に何の希望もなく日々を消化するかのごとく過ごしていた時に出会ったハウスキーパーの『吉野』。たとえ同性であっても、裏表のない真っ直ぐな言葉を紡ぐ彼に惹かれる気持ちは抑えられない。彼に教わる愛の作法ーー。[子持ちリーマン×新米ハウスキーパー]
転移先で辺境伯の跡継ぎとなる予定の第四王子様に愛される
Hazuki
BL
五歳で父親が無くなり、七歳の時新しい父親が出来た。
中1の雨の日熱を出した。
義父は大工なので雨の日はほぼ休み、パートに行く母の代わりに俺の看病をしてくれた。
それだけなら良かったのだが、義父は俺を犯した、何日も。
晴れた日にやっと解放された俺は散歩に出掛けた。
連日の性交で身体は疲れていたようで道を渡っているときにふらつき、車に轢かれて、、、。
目覚めたら豪華な部屋!?
異世界転移して森に倒れていた俺を助けてくれた次期辺境伯の第四王子に愛される、そんな話、にする予定。
⚠️最初から義父に犯されます。
嫌な方はお戻りくださいませ。
久しぶりに書きました。
続きはぼちぼち書いていきます。
不定期更新で、すみません。
何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか
風
BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。
……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、
気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。
「僕は、あなたを守ると決めたのです」
いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。
けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――?
身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。
“王子”である俺は、彼に恋をした。
だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。
これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、
彼だけを見つめ続けた騎士の、
世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる