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竜の恩讐編

蝕み その5

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 固定電話の受話器を耳に当てながら、佐権院さげんいんは珍しく苛立いらだちをおぼえていた。
 すでにコール音が八回を超えていることもそうだが、つい今しがた入った情報がただならぬ内容であったことも起因している。
 しかし一番苛立っているのは、この状況になることを読んでいたであろう人物が、電話の向こうで居留守を決め込んでいるのが見え見えであることだった。
『……もしもし』
 長いコール音の果て、ようやく電話がつながった。
「電話を取るのに随分と時間がかかったな、繋鴎けいおう。腹具合が相当悪かったか?」
 その人物、播海繋鴎はるみけいおうの声を確認すると、佐権院はつとめて冷静な声を取りつくろった。
『すまないな。電話の相手も、話してくる内容も分かってるとなると、取るべきか悩んでな』
「そうか。私の言いたいことが分かっているなら、何を返せばいいかも分かっているな?」
『……』
「あえて言おうか? 小林くんが刺された」
『……』
「君はこうなることを知っていたんだな?」
『……流石さすがだな、蓮吏れんり。正直、ここまで耳が早いとは思ってなかった』
「何も手は出させていないさ。あくまで知己ちきに見張りを頼んだだけだ。だが答えにはなっていないぞ、繋鴎」
『……』
「なぜ小林くんが刺されたのか、まだ答えてはくれないか?」
『……』
「君は『ジェラグ』が関わっているからとだけ教えてくれたが、だからといって小林くんが刺される理由になるのか?」
『……』
「そもそもはるか海の向こうにいる古き一族に、小林くんが関われたはずがないだろう。何かの間違いでは――――――」
『―――あったんだよ』
 不意に電話口から聞こえてきた言葉を聞いて、佐権院は思わず息をんだ。
『関わりがあったから、今こんなことになってるんだ』
「な……」
 『何だと』と声を漏らすところ、佐権院はそれすら出てこないほどに驚愕した。それぐらい繋鴎の言葉は衝撃的だった。思考すら追いつけないほどに。
『ここまで答えたなら、もうわかっただろ。小林結城やつに付いてる神霊しんれいたちのことは、オレが敷岐内家しきうちけと協議して何とかする。お前は今回の一件は気にせず、警察としての業務と、佐権院家さげんいんけの務めに戻れ』
 それだけ言い切ると、繋鴎は即座に電話を切り、残ったのは受話器から聞こえてくる不通音だけとなった。
 佐権院は抗議することも、電話口に呼びかけることもできず、未だ驚愕に目を見開き、身を震わせていた。
 小林結城こばやしゆうきと『ジェラグ』。この二つに関わりがあった事実が、佐権院には信じがたいことだったからだ。

 受話器を固定電話の定位置に戻した繋鴎は、椅子の背にもたれて諦念ていねんたっぷりの溜め息を吐いた。
 ここから取るべき行動を考えると、あまりにも面倒で、心身ともに疲弊でり減る思いをするのは目に見えている。
(敷岐内家に頭げて、封印術にけた連中集めてもらわないとな。そっちが済んだら、オレのルートを通して『ジェラグ』に連絡。あの『お姫様』引き取ってもらう、と。いや、その前に『ナラカ』の連中にコンタクトを取って買収しないといけないか。多珂倉家たかくらけにそのための資金を出してもらうか)
 ひとしきり思考を巡らせた繋鴎は、執務用の机に無造作に散らばっている資料に目を向けた。
 その資料の一番上には、街中を歩く一人の青年の姿をった写真が置かれている。
 スーパーのビニール袋をさげたその青年こそは、この日、胸に復讐の短剣を突き立てられた小林結城だった。
「悪く思わないでくれよ。お前一人の命で事が穏便に済むなら安い買い物なんだ。この日本くにそのものへの影響を考えるなら、な」
 当人に届くはずのない言葉を、むなしいと知りつつも写真に対して言う繋鴎。
 その後、椅子から立ち上がり、執務室を出る前に、繋鴎は右眼を眼帯でおおった女学生風の少女にすれ違い、
三年前あのときのことは絶対に話すな。秘匿ひとくレベルを上げておけ」
 それだけを伝えた。
「了解しました」
 少女がそう答えると、すぐに繋鴎は執務室のドアを閉めた。

 シャワーノズルから放たれる水流を全身に浴び、リズベルは天を仰ぐようにシャワールームに立っていた。
 時折、引っかき傷に水がみて痛むが、少し前に味わったすさまじい体験に比べれば何のことはない。
 欲望に血走ったいくつもの視線に当てられ、いくつもの手が体を引き裂かんばかりにつかみ上げ、押さえつけ、力ずくでね回そうとしてくる。幼い子どもが粘土を乱雑に扱うように。
 だが、今のリズベルはそれすら物ともしていない。
 急な来訪者とわしたほんの数分間の会話。
 それがリズベルに、肉体的な痛み、精神的な荷重すら凌駕りょうがするほどの、強い感情を起こさせていた。

 不意に現れた着物姿の少女に、リズベルは振り返って警戒の目を向けた。
 シャワールームに入ってくるには、隠し部屋の扉を通り、さらにシャワールームの扉を通ってこなければならない。
 にも関わらず、着物姿の少女は唐突に現れた。
 唯一の出入り口は千春ちはるが今しがた通っていったので、千春に気付かれずに入室してくることは不可能。
 ならば、最初からシャワールームにひそんでいたということになるが、わざわざそんな真似まねをする理由も見当たらない。
 着物姿の少女はどうして現れたのか。それを考えているリズベルをよそに、着物姿の少女の少女、媛寿えんじゅの方が先に口を開いた。
「リズベル?」
「っ!?」
「お前、リズベル?」
「どうして、その名前を……」
 リズベルは媛寿が現れたことよりも、見ず知らずの相手が名前を知っていたことに驚いた。
「お前、ピオニーアの―――」
「っ! そう……そういうこと……」
 媛寿のその一言で、リズベルは冷静さを取り戻した。その事実を知っている者は、ごくわずかしかいなかったからだ。
 そして、直近でそのことを知らせたのは、
「あの男から聞いたのね」
 リズベルは口元に笑みを浮かべながら、目には静かな憎悪を宿らせて媛寿をにらんだ。
「あの男とはどういう関係? 頼まれて報復にでも来たの? 私を殺したいなら好きにするといい。けれど絶対にあの男は助からない。助ける方法もない。私を拷問したって意味はない。あの男を助けるようなことなど、一言たりともしゃべるものか。あの男はピオニーアを殺した。その報いを受け、地獄の苦しみを味わい続け、死後も煉獄れんごくの炎に焼かれるのが運命さだめだ」
 声を荒げるでもなく、しかしかぼそくもない声で、リズベルは怨嗟えんさを吐きかける。
 だが、媛寿はそれに反論するでもなく、弁明するでもなく、ただ顔を伏せたままリズベルの言葉を受け止めていた。
「私の復讐はすでに成った。もう命も何もしくない。たとえ私も地獄に落ちるのだとしても、冥府めいふの門の前で、あの男が苦しみぬく様を見届けてや――――――」
「媛寿は!」
 リズベルの怨嗟の言葉を、媛寿は少し語気を強めてさえぎった。
「媛寿は結城の伝言を持ってきただけ」
 媛寿からの予想外の回答を聞き、リズベルはいぶかしげに眉根まゆねを寄せた。
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