ただ一つだけ

レクフル

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歪む景色

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 皆がジルを羨望の眼差しで見詰めている。

 俺もその内の一人だったが、ハッとして自分のすべき事を思い出す。
 ゆっくりと台座の下に近づいていくと、ジルは王座より降りてきてくれる。
 
 俺の前まで来てくれたジルは恥ずかしそうに微笑んで、俺が差しのべた手にゆっくりと手を重ねてくれた。

 シルヴェストル陛下が、俺とジルの婚約を来場者に告げると、知っていた者も知らなかった者もその事実に落胆し、抑えられずに嘆くように声を漏らした。
 それでも祝福すべき事だと、拍手が鳴り響いた。

 俺とジルは深々と頭を下げると、シルヴェストル陛下の乾杯の声を皮切りに、パーティーが始まったのだ。

 音楽が流れだしたから、まずは俺とジルが踊ることになる。このパーティーの主役はジルだから、一番最初に踊るのだ。

 ダンスは不慣れなジルだが覚えは悪くなく、何度か合わせて踊ったのだが覚えたてにしては踊れている方だった。
 俺もダンスは得意ではないが、侯爵家に入った頃より覚えさせられたから普通に踊れる。だから今日はジルのフォローをしてやらなくてはいけない。

 ジルに
「間違っても良いから、遠慮なく踊れば良い」
と伝えると、
「うん、ありがとう。でも頑張る!」
と、やる気を見せてくれていた。

 緩やかな曲に合わせてワルツを踊る。頑張ると言っただけあって、ジルのダンスは悪くなかった。俺がフォローしなくても、ちゃんと踊れていたのには驚いた。頑張って練習してくれていたんだなと思うと、自然と笑みが溢れてしまう。

 ジルはそんな余裕はないようで、足の運び方なんかを考えながら踊っているのが分かる程に一生懸命だった。
 そっと耳元に顔を近づけ
「ジル、可愛い」
と告げると、驚いた顔をして俺を見る。一気にステップが乱れたのを、俺がフォローするようにしていくと、ジルも俺に身を任せてくれた。

 曲が終わり、皆の拍手の中、ジルと脇へと移動する。ジルはなにやら口を膨らませていた。


「どうした? ジル、怒ってるのか?」

「そんなんじゃないけど……私ちゃんと踊れてたのに、リーンがあんな事を言うから……」

「本当の事を言っただけだ。いけなかったか?」

「何も踊ってる時じゃなくても……」

「俺に頼って欲しいとも思ったんだよ。ジルのフォローしなきゃって思ってたのに、ちゃんと踊れてるからさ」

「それは……だって、リーンに見合うようにしなくちゃって思って……だから私、頑張ったのに……」

「それはジルが思う事じゃないだろう……?」

「え?」

「俺こそが思う事だ。俺がジルに見合う人物にならなければいけない。認めて貰えるようにならないといけないんだ」

「そんな……! リーンは私には過ぎた人だよ! だから私、もっと頑張らなきゃって……!」

「ジルは今のままで充分だ。これ以上遠くへ行かないでくれないか」

「遠くになんか行ってないよ?」

「言葉の綾だよ」

「ことばのあや……」

「あぁ、ほら、ジルに挨拶したい人がこちらの様子を伺っているぞ」

「え? あ、うん」


 ジルと俺の様子を遠巻きに見ている人たちが多くて、思わず俺はそれを伝えた。ジルはシルヴェストル陛下に、皆が挨拶に来るだろうから、それに快く答えるようにと教えられていた。
 それでも、もし不快に思うような事があれば、無理をして合わせなくても良いとも言われている。
 ジルはそう言う事をよく分かっていないだろうから、俺がそれを見極めるようにとシルヴェストル陛下に釘を刺されていた。

 シルヴェストル陛下も他国の王族と挨拶をしないといけないので、俺はジルと二人でこの状況に対応するのだ。
 
 皆が先程と変わらずに、羨望の眼差しでジルを見る。上手く挨拶できず、ただ見つめるだけの人も多かったが、ジルは微笑んで対応していた。ジルなりに頑張っているんだな。

 挨拶に来る人には一言二言話をし、軽く礼をする。ジルに
「疲れないか?」
と聞くと
「私たちを祝福してくれてるんだよ? 嬉しいしかないよ」
って、笑って言ってくれる。本当に女神にしか見えないな。

 そうやって何人も挨拶をしながら話していたのだが、一人の男を見てジルから笑顔が無くなった。

 手に持っていたシャンパングラスを落とした事でそれに気づく。


「ど、どうして……ここに……」

「こんな所に逃げ込んでいたとはなぁ。どうやって誑し込んだんだ?」


 一瞬の事だった。

 その男はジルの手首をガツッと掴んだ。慌てて俺もジルの腰に手を回す。

 すると突然目の前が歪みだし、今まで見えていた景色が崩れていき暗闇となっていった。暗闇から違う何かが見え始め、それが形になっていくと、そこは元いた場所ではなくなっていた。

 転移石か……

 俺たちは転移石で別の場所に連れてこられた。
 さっきまで煌びやかなパーティー会場にいたのに、今は重厚な雰囲気の中にいる。
 
 とは言え、ここにも高級なシャンデリアに調度品、絵画、家具があり、一見すると煌びやかさは同じように感じられるのだが、重々しい雰囲気は高級な品々をくすませている。

 それはここにいる人物達が作り出した空気だった。

 目の前にはヒルデブラント陛下がいて、その周りに神官達と思わしき服を着た者達が並んでいる。
 ここはフェルテナヴァル国の王城か神殿だ……!

 ジルの手を掴んでいる男からジルを引き剥がすようにして抱き寄せ、自分の後ろに移動させる。

 ジルはさっきから震えている。言葉も上手く出てこないようだ。
 コイツ等が……コイツ等がジルに酷い仕打ちをした奴等だ……!

 
「ほぅ……これがあの聖女か……これが本来の姿だったとでも言うのか……?」

「騙されてはなりません! この者は我が国に禍をもたらした者ですぞ!」

「勝手に出ていく等、余は許可した覚えはないぞ? 仕置きが必要ぞ」

「勝手な事を言うな! ジルはお前達のモノではない!」


 ジルは転移魔法が使える。だから通常であれば、すぐにここから空間を歪めて元の場所へ、ヴァルカテノ国へ帰る事は容易い筈なんだ。

 だが、さっきからジルは震えて呼吸も乱れている。恐怖で冷静になれていないのだ。
 
守らなければ……

 ジルは前と違って、傷つけられても自然に治癒されていくと言う体ではなくなった。それをコイツ等は知らない。だから簡単にジルに攻撃しようとしてくる筈だ

 
「リーン……リ、リーン……っ!」

「大丈夫だジル。ゆっくり呼吸して。俺がいるから。な?」


 ヒルデブラント陛下から目を離さずに、俺は優しくジルに伝える。
 ジルは俺にしがみつくようにして背中の服を握りしめ、ガタガタ震えながら荒く呼吸を繰り返す。このままでは過呼吸になってしまう。早く方をつけないと……!

 さっきまでパーティーにいたから、俺は剣を携えていない。魔法でどうにかしなければならない。

 まずは自分達に結界を張る。

 俺はヴァルカテノ国に行ってから魔力が上がった。それに魔法の特訓を受けていたから、前よりは強くなっている。
 けれど相手はフェルテナヴァル国でも魔力の多い上位貴族である神官達とヒルデブラント陛下だ。
 
 力尽くでもジルを我が物にしようとしてくるだろう。
 それを俺が防がなくては……!

 笑みを崩さないヒルデブラント陛下に、俺は対峙すると腹を括ったのだった。



 
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