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・第二話「文明帝国蛮姫を知る事(前編)」
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「何つー人の多い事か、祭りか、こりゃあ」
アルキリーレは目を瞬かせた。文明帝国、それがレーマリアの異称だが、その賑わいを直接見るのは初めてだった。故郷北摩の南部はレーマリアの植民地となった所が幾つかあり、交易の為、そして北摩統一後の奪還戦争を視野に入れた下調べの為訪れた事がある。その時ですら、故郷の水準を遥かに超える産物、建造物に目を見張ったものだが、目の前に広がる光景は記憶の町並みを遥かに上回っている。それこそ、文明帝国の異名の意味を魂から理解できるほどだ。
森一番の神木を上回る高さの大理石や混凝土の集合住宅や闘技場、数多の店、行き交う東西南北全土の民。
活気溢れる騒がしい商人の声、鳴り響く音楽、所構わぬ大道芸、踊り、テラスやベンチでの宴席めいた飲食、行き交う食い物と酒。
「んー、祭りといったら祭りだなあ、黄金の獅子の如く美しきお嬢さん」
「何じゃ貴様」
そんな風景を見るアルキリーレに不意にかけられる滑らかな声。アルキリーレは声の方を向く。
「何しろレーマリア、特にこの首都ルームでは神々に捧げられた祝日も多く、貿易の船が来れば騒ぎ、隊商が来れば騒ぎ、豪商が儲けに成功すれば施し、貴族の家で催し事があれば皆を招き……結果一年殆どがまあ騒がしいのさ」
「そいは分かったが何じゃ貴様と言うとろうが」
「おっと、そっちの方が大事でしたか。私はカエストゥス、この町の住人の一人で、女性が何かを欲しているのを見ると与えずには居られない男。今は情報を欲しておられる様子でしたので」
声の主は語る語る、よく回る舌だ。その姿をアルキリーレは目にした。黄金の獅子。そう例えられる程、この絢爛たる喧噪の都でやや古めかしい厚手のドレスを着ていても尚、それ自体が宝飾の如き金襴たる髪のアルキリーレの美貌は突出していた。だがそう声をかけられたアルキリーレが訝しげに見たその語りの主もまた、並外れた美男子だった。
栗色の巻き毛、健康的な肌、名工が掘った彫刻のような調和と均整の取れた容姿、煙るような長い睫に縁取られた翡翠の瞳。服装も様々な色を重ねた煌びやかさを持ちつつも色味の選びが上手で品良く整った出で立ち。年の頃はアルキリーレより何歳か上か。背丈は女としては長身のアルキリーレより頭一つ高い。
そして、カエストゥスと名乗った男はそう言ってウィンクをした。睫が長いのでえらくバチッとした、バチッ通り越してバチコーンくらいのインパクトがありそうなウィンク。
「変わった奴じゃ」
(あれっ!?)
だがアルキリーレは全然どうとも思わなかった。男の容姿に興味を示すタイプの人格で無かった上に、そもそもまず郷里の男共とのあまりの違いに面食らって眉をひそめたのである。それには流石に、容姿に自信があったのか男は少々歯車が狂った様子で面食らったようであった。
北摩男は獰猛武骨、勇猛武勇に全存在を没入させ女など子孫と家の維持以外で考える事もせず口をきく事も穢れとする。尤も大体語る事自体を好まず、只管に行動と戦闘のみを尊ぶのであるが、いずれにせよそんな筋骨隆々で髭と傷で埋まった熊みたいな北摩男とはまるで違うという事は分かったが、だからと言って別にどうとも感じはしなかった。
「ええと、その、どうだったろうか……お役に立てたかな?」
だが少なくとも、一応好意的に、本当に手助けしようとしているらしいという事は分かった。少々面食らっているようではあるが、悪い奴では無いらしい。強いてごつくない故郷の男と言えば腹違いの弟はなよなよとしていたが、アレとこいつを比べるのは太陽と消炭を比べるようなものだと見て取れる。
(女々しか上にせからしかが、北摩男では無かしな)
故に女々しかと即座に断じて否定はすまい。大体故郷の男の在り方も好きでは無い。そう考えたアルキリーレであった。何より第一、実際その言葉は役に立った。これは恩義である。まあ相手が好きでやった事だが、忘恩というものが裏切られたアルキリーレは嫌いであった。
「礼ば言う。有り難か。言うが、ばってん生憎金子は無か故、金や物で礼は払えなか。故に飯も食えんばい。礼ついでにもう一つ聞きもすが、稼ぐ手段は無かか? 言わば稼いだ後に礼ばすっが」
「ふむ……」
訛りの酷いぶっきらぼうな物言いだがきちんと礼を言う。しかし、それ以外にも今のアルキリーレには問題があった。当座の金ももう無いのだ。あれば密航などせぬ。
だから金が欲しい。が、助けて欲しいではなくだから働くのだと語るアルキリーレを、カエストゥスと名乗った男は新鮮な刺激を受けた様子で見た。女性なら、頼って当然だし、頼らせてこその男の生き甲斐と思っていたのだ。その刺激故にか、しばし逡巡した。しかし、あたかもそんな剛直なアルキリーレに対して、逆に己の流儀を曲げるは否と判断したか。
「それは大変だ。女性の困窮は放ってはおけない。だから、ここは是非一食奢らせていただけないだろうか?」
笑みを浮かべ、それでも尚カエストゥスはそう持ちかけた。アルキリーレはさっぱり分かっていないが、ここまでの一連の流れ、口説いた、と言ってもよかろう。見ての通り聞いての通り、女性を助けたいという思いは間違い無く真性であると同時に、カエストゥスはレーマリア首都ルームでも名うてのプレイボーイであったが故に。助けたいという思いとお付き合いしたいという思いは、どちらもあくまで共存共栄を願う善意であり、矛盾無く両立する彼のあり方だ。故にこれは彼の、言わば刃を交わさぬ誇りを賭けた一騎打ちであった。
「施された飯では惨めで腹は膨れん。施されるなら略奪する方がまだましにごつ」
「何と!?」
しかし、女性になら奢って当然というカエストゥスに対して、アルキリーレは渋面を作った。施しを受ける等物乞いのやる事、誇りが許さぬと。これはまた、更なる衝撃をカエストゥスにもたらした。
(何と言う人だ。女性だが、これは紛れもない戦士だ。少々荒々しいが。……私は戦士ではない。こんな事は言えない。そう、私では戦士は無い、気遣いが取り柄の男だ。そんな私とした事が、女性の誇りというものを、考える事を忘れていたとは)
負けた、と思った。それは彼の立場、能力の方向性からくる矜持と苦悩、その両面に衝撃を受けた結果で、その内実は今後語られていく事になるだろう。ともあれその内心を今聞いても何が勝ち負けか! とアルキリーレは呆れただろうが、兎に角彼はそう思った。この場合の勝ち負けは、言葉の勝ち負けではない。要するに、どちらが先に相手により強く魅力を感じるか、という勝負だ。先に衝撃を受けた時点で、カエストゥスは伊達男らしく潔くシャッポを脱ぐ事にした。
尤も、施される位なら賊になるというのは随分荒っぽい話ではあるが、実際蛮族たる北摩の戦士は誰もが山賊や海賊をやる為の基礎知識を有している。貧しい土地故奪うのは戦士の務めの一つですらあった。そこは価値観が違う。奪えてこそ一人前という程の荒々しさがある。実際、無一文のこの地で、適当な稼ぎ方が見つからなければ、賊働きする事も普通にアルキリーレは考えていたのだが。
「何とも凄まじいお人だ。驚いた。ならこうしよう! 私が買う。君が私から奪う。これなら完璧だ!」
その本気度をどこまで察してかは兎も角、負けを認めた上でカエストゥスは気遣いをした。アルキリーレという美しい獅子を己の魅力で捕らえ餌付けする事は諦めた。だが、獅子を街の中で飢え死にさせる訳にも、獅子に狩りをさせる訳にもいかない。ならば、大人しく崇め貢ぎ物を捧げれば良い、と。それはカエストゥスが、女を得る事を本質とするプレイボーイより、本質的には口説く事より女性・他者への愛情と敬意に生きる男だからこそ出来た事だった。
(いやそれ何も変わらんじゃろうが)
とはいえその提案、口舌方便を挟んだだけで物の流れは毫も変化してはおらぬ。呆れかけるしそんな議を弄する事は卑しかと否を言おうと一瞬思いかけたアルキリーレだが。
「……議を言うなとも思うが、こん心尽くし、断るは難し。有り難くお受けしもす」
不思議な人間だ、性格も理由も分からぬと思いながらも、ここまでの丁寧な心づくしを受けた事は無いとも思った。故に、しかと礼を言う。荒ぶる神への奉納の儀式を成功させたように、あるいは思わぬ戦友好敵手を得たように、カエストゥスは複雑な感動を覚え口説きが成功した時とはまるで違う晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
そして。
「んなっ、凄い美味か! 何ぞ、こりゃあ!?」
カエストゥスが購入したものをアルキリーレが奪うふりをする寸劇をやるのが恥ずかしいので(でも結局やった)路地裏近くを選んだ最寄りの卓で口にした様々な料理の数々にアルキリーレは目を剥いた。
仮にもアルキリーレはゲツマン・ヘルラス王バルミニウスを名乗り北摩を統一直前とした覇者である。だが、例え覇者の宴でも、これ程までに美味いものは北摩には無かった。
痩せた土地と水で育つ範囲の野菜と貴重な麦、茸、肉、淡水魚介、少量の岩塩、幾許かの香草、焼くか煮るかの二択。それが北摩料理だ。
王や貴族等の戦士階級であれ、量は増え酒はつけども内容に大差は無いようなものだ。しかるに今食うコレは何たる事か。
「肉が! 何ぞ柔こくて! サクサクして!」
「酒や酢や香辛料を使って漬け込んだ後衣を付けて揚げたんだ」
揚げる? そんな調理法自体北摩には無かぞ! 衣とは何ぞ!?布を着けたのか?否、布が食える訳無か!?
「野菜が! 何ぞ良い匂いと風味がするばい! とろっとしたコクが!」
「果実油と酢と香草と塩、ニンニク、卵、それに隠し味に少々の魚醤だね」
塩と香草位は北摩にもあるが他は無か! 特に魚醤、故郷にも魚の発酵食品はある。あるが、白身魚の灰汁漬も蓄鮫も、あくまで保存が出来るというだけのものだ。味は……臭いとしか言いようがない。
「この血ンごたる赤い煮込み汁は何ち!?」
「大酸漿だよ。赤茄子とも言うけど」
大酸漿、赤茄子。レーマリアに産する、野菜か果実か。それがこの赤い煮込み汁の材料か。聞いた事も無か!酸味と旨味が合う!
「むむむむむ」
アルキリーレは唸らざるを得なかった。これが文明の味か。
「はっ!?」
気がつけば無我夢中でがっついて美味い美味いとはしゃぎながらぺろりと平らげてしまった。子供の如く他愛なく。
「……////」
アルキリーレの色白の肌が耳と首筋まで赤く染まった。そして。
「俺は恥ずかしいっ! こいでは生きておられん!?」
「わあ落ち着いてくれ、ぶわあっ!?」
「何ち!? おい、待たんか!?」
じたばたと藻掻くアルキリーレを抑えようとしてあっさり吹っ飛ばされるカエストゥス。実際はもがくどころでなく恥ずかしさのあまり自害せんとすらしていたのだが、カエストゥスが麦藁束の如くころころと勢いよく転がっていったので流石に恩人にすべき事ではないとアルキリーレは慌てて助け起こそうと追いかけた。自害どころではない、だからそれは辞めた……と言うか、次の瞬間忘れざるを得なかった。
次の瞬間、全く以て予想外の事が起こったのである。
アルキリーレは目を瞬かせた。文明帝国、それがレーマリアの異称だが、その賑わいを直接見るのは初めてだった。故郷北摩の南部はレーマリアの植民地となった所が幾つかあり、交易の為、そして北摩統一後の奪還戦争を視野に入れた下調べの為訪れた事がある。その時ですら、故郷の水準を遥かに超える産物、建造物に目を見張ったものだが、目の前に広がる光景は記憶の町並みを遥かに上回っている。それこそ、文明帝国の異名の意味を魂から理解できるほどだ。
森一番の神木を上回る高さの大理石や混凝土の集合住宅や闘技場、数多の店、行き交う東西南北全土の民。
活気溢れる騒がしい商人の声、鳴り響く音楽、所構わぬ大道芸、踊り、テラスやベンチでの宴席めいた飲食、行き交う食い物と酒。
「んー、祭りといったら祭りだなあ、黄金の獅子の如く美しきお嬢さん」
「何じゃ貴様」
そんな風景を見るアルキリーレに不意にかけられる滑らかな声。アルキリーレは声の方を向く。
「何しろレーマリア、特にこの首都ルームでは神々に捧げられた祝日も多く、貿易の船が来れば騒ぎ、隊商が来れば騒ぎ、豪商が儲けに成功すれば施し、貴族の家で催し事があれば皆を招き……結果一年殆どがまあ騒がしいのさ」
「そいは分かったが何じゃ貴様と言うとろうが」
「おっと、そっちの方が大事でしたか。私はカエストゥス、この町の住人の一人で、女性が何かを欲しているのを見ると与えずには居られない男。今は情報を欲しておられる様子でしたので」
声の主は語る語る、よく回る舌だ。その姿をアルキリーレは目にした。黄金の獅子。そう例えられる程、この絢爛たる喧噪の都でやや古めかしい厚手のドレスを着ていても尚、それ自体が宝飾の如き金襴たる髪のアルキリーレの美貌は突出していた。だがそう声をかけられたアルキリーレが訝しげに見たその語りの主もまた、並外れた美男子だった。
栗色の巻き毛、健康的な肌、名工が掘った彫刻のような調和と均整の取れた容姿、煙るような長い睫に縁取られた翡翠の瞳。服装も様々な色を重ねた煌びやかさを持ちつつも色味の選びが上手で品良く整った出で立ち。年の頃はアルキリーレより何歳か上か。背丈は女としては長身のアルキリーレより頭一つ高い。
そして、カエストゥスと名乗った男はそう言ってウィンクをした。睫が長いのでえらくバチッとした、バチッ通り越してバチコーンくらいのインパクトがありそうなウィンク。
「変わった奴じゃ」
(あれっ!?)
だがアルキリーレは全然どうとも思わなかった。男の容姿に興味を示すタイプの人格で無かった上に、そもそもまず郷里の男共とのあまりの違いに面食らって眉をひそめたのである。それには流石に、容姿に自信があったのか男は少々歯車が狂った様子で面食らったようであった。
北摩男は獰猛武骨、勇猛武勇に全存在を没入させ女など子孫と家の維持以外で考える事もせず口をきく事も穢れとする。尤も大体語る事自体を好まず、只管に行動と戦闘のみを尊ぶのであるが、いずれにせよそんな筋骨隆々で髭と傷で埋まった熊みたいな北摩男とはまるで違うという事は分かったが、だからと言って別にどうとも感じはしなかった。
「ええと、その、どうだったろうか……お役に立てたかな?」
だが少なくとも、一応好意的に、本当に手助けしようとしているらしいという事は分かった。少々面食らっているようではあるが、悪い奴では無いらしい。強いてごつくない故郷の男と言えば腹違いの弟はなよなよとしていたが、アレとこいつを比べるのは太陽と消炭を比べるようなものだと見て取れる。
(女々しか上にせからしかが、北摩男では無かしな)
故に女々しかと即座に断じて否定はすまい。大体故郷の男の在り方も好きでは無い。そう考えたアルキリーレであった。何より第一、実際その言葉は役に立った。これは恩義である。まあ相手が好きでやった事だが、忘恩というものが裏切られたアルキリーレは嫌いであった。
「礼ば言う。有り難か。言うが、ばってん生憎金子は無か故、金や物で礼は払えなか。故に飯も食えんばい。礼ついでにもう一つ聞きもすが、稼ぐ手段は無かか? 言わば稼いだ後に礼ばすっが」
「ふむ……」
訛りの酷いぶっきらぼうな物言いだがきちんと礼を言う。しかし、それ以外にも今のアルキリーレには問題があった。当座の金ももう無いのだ。あれば密航などせぬ。
だから金が欲しい。が、助けて欲しいではなくだから働くのだと語るアルキリーレを、カエストゥスと名乗った男は新鮮な刺激を受けた様子で見た。女性なら、頼って当然だし、頼らせてこその男の生き甲斐と思っていたのだ。その刺激故にか、しばし逡巡した。しかし、あたかもそんな剛直なアルキリーレに対して、逆に己の流儀を曲げるは否と判断したか。
「それは大変だ。女性の困窮は放ってはおけない。だから、ここは是非一食奢らせていただけないだろうか?」
笑みを浮かべ、それでも尚カエストゥスはそう持ちかけた。アルキリーレはさっぱり分かっていないが、ここまでの一連の流れ、口説いた、と言ってもよかろう。見ての通り聞いての通り、女性を助けたいという思いは間違い無く真性であると同時に、カエストゥスはレーマリア首都ルームでも名うてのプレイボーイであったが故に。助けたいという思いとお付き合いしたいという思いは、どちらもあくまで共存共栄を願う善意であり、矛盾無く両立する彼のあり方だ。故にこれは彼の、言わば刃を交わさぬ誇りを賭けた一騎打ちであった。
「施された飯では惨めで腹は膨れん。施されるなら略奪する方がまだましにごつ」
「何と!?」
しかし、女性になら奢って当然というカエストゥスに対して、アルキリーレは渋面を作った。施しを受ける等物乞いのやる事、誇りが許さぬと。これはまた、更なる衝撃をカエストゥスにもたらした。
(何と言う人だ。女性だが、これは紛れもない戦士だ。少々荒々しいが。……私は戦士ではない。こんな事は言えない。そう、私では戦士は無い、気遣いが取り柄の男だ。そんな私とした事が、女性の誇りというものを、考える事を忘れていたとは)
負けた、と思った。それは彼の立場、能力の方向性からくる矜持と苦悩、その両面に衝撃を受けた結果で、その内実は今後語られていく事になるだろう。ともあれその内心を今聞いても何が勝ち負けか! とアルキリーレは呆れただろうが、兎に角彼はそう思った。この場合の勝ち負けは、言葉の勝ち負けではない。要するに、どちらが先に相手により強く魅力を感じるか、という勝負だ。先に衝撃を受けた時点で、カエストゥスは伊達男らしく潔くシャッポを脱ぐ事にした。
尤も、施される位なら賊になるというのは随分荒っぽい話ではあるが、実際蛮族たる北摩の戦士は誰もが山賊や海賊をやる為の基礎知識を有している。貧しい土地故奪うのは戦士の務めの一つですらあった。そこは価値観が違う。奪えてこそ一人前という程の荒々しさがある。実際、無一文のこの地で、適当な稼ぎ方が見つからなければ、賊働きする事も普通にアルキリーレは考えていたのだが。
「何とも凄まじいお人だ。驚いた。ならこうしよう! 私が買う。君が私から奪う。これなら完璧だ!」
その本気度をどこまで察してかは兎も角、負けを認めた上でカエストゥスは気遣いをした。アルキリーレという美しい獅子を己の魅力で捕らえ餌付けする事は諦めた。だが、獅子を街の中で飢え死にさせる訳にも、獅子に狩りをさせる訳にもいかない。ならば、大人しく崇め貢ぎ物を捧げれば良い、と。それはカエストゥスが、女を得る事を本質とするプレイボーイより、本質的には口説く事より女性・他者への愛情と敬意に生きる男だからこそ出来た事だった。
(いやそれ何も変わらんじゃろうが)
とはいえその提案、口舌方便を挟んだだけで物の流れは毫も変化してはおらぬ。呆れかけるしそんな議を弄する事は卑しかと否を言おうと一瞬思いかけたアルキリーレだが。
「……議を言うなとも思うが、こん心尽くし、断るは難し。有り難くお受けしもす」
不思議な人間だ、性格も理由も分からぬと思いながらも、ここまでの丁寧な心づくしを受けた事は無いとも思った。故に、しかと礼を言う。荒ぶる神への奉納の儀式を成功させたように、あるいは思わぬ戦友好敵手を得たように、カエストゥスは複雑な感動を覚え口説きが成功した時とはまるで違う晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
そして。
「んなっ、凄い美味か! 何ぞ、こりゃあ!?」
カエストゥスが購入したものをアルキリーレが奪うふりをする寸劇をやるのが恥ずかしいので(でも結局やった)路地裏近くを選んだ最寄りの卓で口にした様々な料理の数々にアルキリーレは目を剥いた。
仮にもアルキリーレはゲツマン・ヘルラス王バルミニウスを名乗り北摩を統一直前とした覇者である。だが、例え覇者の宴でも、これ程までに美味いものは北摩には無かった。
痩せた土地と水で育つ範囲の野菜と貴重な麦、茸、肉、淡水魚介、少量の岩塩、幾許かの香草、焼くか煮るかの二択。それが北摩料理だ。
王や貴族等の戦士階級であれ、量は増え酒はつけども内容に大差は無いようなものだ。しかるに今食うコレは何たる事か。
「肉が! 何ぞ柔こくて! サクサクして!」
「酒や酢や香辛料を使って漬け込んだ後衣を付けて揚げたんだ」
揚げる? そんな調理法自体北摩には無かぞ! 衣とは何ぞ!?布を着けたのか?否、布が食える訳無か!?
「野菜が! 何ぞ良い匂いと風味がするばい! とろっとしたコクが!」
「果実油と酢と香草と塩、ニンニク、卵、それに隠し味に少々の魚醤だね」
塩と香草位は北摩にもあるが他は無か! 特に魚醤、故郷にも魚の発酵食品はある。あるが、白身魚の灰汁漬も蓄鮫も、あくまで保存が出来るというだけのものだ。味は……臭いとしか言いようがない。
「この血ンごたる赤い煮込み汁は何ち!?」
「大酸漿だよ。赤茄子とも言うけど」
大酸漿、赤茄子。レーマリアに産する、野菜か果実か。それがこの赤い煮込み汁の材料か。聞いた事も無か!酸味と旨味が合う!
「むむむむむ」
アルキリーレは唸らざるを得なかった。これが文明の味か。
「はっ!?」
気がつけば無我夢中でがっついて美味い美味いとはしゃぎながらぺろりと平らげてしまった。子供の如く他愛なく。
「……////」
アルキリーレの色白の肌が耳と首筋まで赤く染まった。そして。
「俺は恥ずかしいっ! こいでは生きておられん!?」
「わあ落ち着いてくれ、ぶわあっ!?」
「何ち!? おい、待たんか!?」
じたばたと藻掻くアルキリーレを抑えようとしてあっさり吹っ飛ばされるカエストゥス。実際はもがくどころでなく恥ずかしさのあまり自害せんとすらしていたのだが、カエストゥスが麦藁束の如くころころと勢いよく転がっていったので流石に恩人にすべき事ではないとアルキリーレは慌てて助け起こそうと追いかけた。自害どころではない、だからそれは辞めた……と言うか、次の瞬間忘れざるを得なかった。
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