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第4章 執事の策略
進路
しおりを挟む「では、期限までに、必ず提出するように」
全ての授業が終わり、担任がプリントを配り終えると、各々帰り支度をすませ、教室から女子生徒たちが、わらわらと去り始めた。
結月は、先ほど配られた『進路相談のプリント』をファイルにいれ鞄の中にしまうと、窓の外へと視線を移す。
外には、雨が降っていた。
朝は小雨程度だったはずなのに、その雨足は次第に強まり、校庭をシトシトと濡らしていた。
(五十嵐……もう来てるのかしら?)
斎藤が辞めて一ヶ月。
五十嵐が迎えに来るのも、もう慣れた。
初めは、少し苦手意識を抱いていたが、案外冗談もいうのかと思ったら、自然と打ち解けて、五十嵐とも普通に話ができるようになった。
(進路相談のプリント、どうしよう)
だが、再び配られたプリントのことを思い出すと、結月は深くため息をついた。
本来、自分の将来は、自分で決めるものなのだろう。だが、結月は違う。
(また勝手に決められてしまうのかしら……お父様と、お母様に……)
✣
✣
✣
「お帰りなさいませ、お嬢様」
その後、教室を出て、玄関ロビーまで出ると、執事が二人分の傘を持ち待っていた。
「ごめんね、待たせてしまって」
「いえ、お嬢様が、そのようなことを気にする必要はございません」
ロビーから駐車場までは少し歩く。レオは結月に傘を手渡すと、その後自分も傘をさし、そっと結月にむけて手を差し出した。
「足元が滑りますので、どうぞお手を」
玄関を出ると、数段の階段があった。
光沢のある石材で作られたその階段は、雨で濡れると滑りやすくなるため、レオはさりげなく手を差し出し、結月をエスコートする。
「ありがとう」
そして、結月が、その手をとると、まるで壊れ物を扱うように優しく握りしめられた。手袋ごしに触れ合う手と手。だが、その後、階段を下りきると
「五十嵐、もういいわ」
そう言って、結月が手を離そうとするが、レオは、その手を離したくないとばかりに、キュッと握りしめた。
「危ないですから、どうかこのままで」
「え? でも……」
困惑する結月の手を引くと、レオは、そのまま雨の中を歩き始めた。
繋いだ結月の手が雨で濡れないように、軽く傘を傾けているレオ。だけど、そのせいで、彼の肩は、雨に晒されていて
「五十嵐、濡れちゃうわ。一人で歩けるから離して」
「大丈夫ですよ。このくらい濡れたうちにはいりませんから。それより転ばないでくださいね」
「っ……転びません!!」
軽く子供扱いされ、結月が怪訝な顔を浮かべた。
だが、結局レオは、その手を離すことはなく、結月は素直に手を繋いだまま、雨の中、並んで歩くことにした。
(五十嵐って……やっぱり、ちょっと変わってるわ)
執事として優秀なのは確か。
だが、彼は今までの執事とは、どこか違う。
執事とは、主に従順なもの。
だが、彼は決して従順ではなく、時折、冗談を言ったり、からかってきたり、結月にとってレオは、なかなか思い通りにならない執事だった。
(濡れて、風邪ひいたりしないかしら……?)
ふと視線を上げれば、執事の整った横顔が見えた。細くてサラサラの黒髪と、スっと通った鼻筋。
すると、見上げたその横顔に、不意に何かが重なった。
「もち……」
「え?」
突然、喉をついて出た言葉。
それに気づいて、結月は、はっと我に返った。
(え、あれ? 『もち』って何?)
今、自分は、なにを言おうとしたのだろう?
自ら口走っておきながら、結月には、皆目検討もつかなかった。
『もち』と言えば、食べ物の『餅』しか思いつかない。だが、別に『お餅』を食べたかったわけではなく。
「お嬢様、申し訳ありません。よく聞き取れませんでした。もう一度、お聞きしても?」
「え? あ……」
すると、雨音のせいか、結月の言葉がよく聞こえなかったらしい。
レオが首をかしげつつ問いかければ、結月はワタワタと慌てながら
「な、なんでもないの! 気にしないで!」
「?」
無意識に出た言葉に、結月が申し訳なさそうに視線を落とすと、その瞬間、結月の視界には、執事と繋がった自分の手元が見えた。
雨で、少し肌寒いせいか、繋がった手が妙に温かい。
そう言えば、誰かとこうして、しっかり手を繋ぐのは、どのくらいぶりたろう。
「ふふ……」
すると、不意に結月が、レオの横でクスクスと笑い出した。
「さっきから、どうされたのですか?」
「うんん、ごめんなさい。なんだか五十嵐って、ちょっと過保護なお兄ちゃんって感じね」
「え? お兄ちゃん……ですか?」
「うん。だって歳も2つしか違わないし、年齢的にもそんな感じでしょう?」
「……」
そう言って、また柔らかく笑った結月を見て、レオは胸中で複雑な顔する。
(お兄ちゃんねぇ……もしかして結月、俺のこと男として見てないんじゃ)
手を繋いだこのシュチュエーションで、ドキドキするどころか、まさかの「お兄ちゃん」扱い。
これは、確実に異性として見られてない。
もういっそ、相合傘でもすれば意識するのだろうか?
だが、流石に主と相合傘というわけにはいかないだろう。
「ねぇ、五十嵐」
「……はい」
すると、レオがモヤモヤ考え事をしていると、結月がまたボソリと呟いた。
「五十嵐は、いつから、執事を目指していたの?」
不意に問われた質問──それを聞いてレオは素直に返す。
「中学の時からです」
「え? そんなに若い時から!? へー、すごいわね。自分で決めた夢を、ちゃんと叶えてるなんて」
「お嬢様には『夢』はないんですか?」
「そうね。子供の頃は、行きたい場所とか、やりたいこととか、たくさんあったはずなんだけど……もう全部、忘れてしまったわ」
「…………」
幼い時に、語った結月の『夢』は、とても希望に満ちていた。
やりたいこと、行きたい場所、たくさん話してくれた。
だけど、全部忘れてしまったのは、きっと、記憶をなくしているからとかではなく。
阿須加の娘という柵が、結月から『夢』を見ることを、奪ったのだということ──
「あのね、今日、進路相談のプリントをもらったの。私も、もう3年だし、将来のこととか色々考えなくちゃいけなくて……だから、近々、お父様とお母様の所に連れて行ってくれる?」
小さく放ったその言葉に、レオは苦々しげに眉を寄せた。
きっと結月は『親の希望』を聞くために、両親に会いに行くのだろう。
「……畏まりました。では、また旦那様と奥様のスケジュールを確認しておきます」
「うん。ありがとう」
一瞬、このまま手を引いて、どこか遠くへ連れ去りたいとすら思った。
繋がった手からは、結月の不安が流れ込んでくるようで、やまない雨の中、レオはそっと、結月の手を握りしめた。
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