お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜 あやめ

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最終章 箱と哀愁のベルスーズ

箱と哀愁のベルスーズ ⑨ ~ 夢の中 ~

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 人は、追い詰められると 

 酷く恐ろしいことを考えるものだ。


 ✣


「私に、あなたの子供をちょうだい?」

 縋るように発した言葉に、男が目を見開いたのが分かった。

 だけど、もう、この方法しかなかった。

 子供を産まなければ、終わらない。
 でも、子供を産みさえすれば、全て解決する。

「……何を、仰っているのですか?」

 だけど、男の方は、意味がわからないとばかりに、少し、困惑気味に声を発した。

 そうでしょうね。
 だって、"子供をちょうだい"と言われているのだから──

「子供が、欲しいの……あなたの子が」

「……あなたが相当、思い詰めているのはわかりました。ですが、子供だけは、何があろうと差し出すことはできません。先程も言いましたが、とても大切な子です」

 どこかで聞いたようなセリフを、男が言って、私は眉をひそめた。

 そういえば、戸狩にも似たようなことを言われた。

 何があっても、子供だけは、差し出すことはできないと──

 子供って、そんなに愛おしいものなの?

 絶対に手放したくないと思うほどに?

(……分からない)

 私には、分からなかった。

 子供がいない私には、戸狩や彼の気持ちは、分からない。

 だけど、分からないからこそ、知りたいと思った。

 私も、子供を持つ喜びを感じてみたい。

 手離したくないと思うほどに、愛おしいと思う感情を、噛み締めてみたい。

 だから──

「あなたの、が欲しいと言ってるわけじゃないの。あなたの子供を、と言ってるの」

「…………」

 私が、更に言葉を紡げば、男は絶句した。

 子供を産ませた経験があるなら、この言葉の意味が、分からないわけじゃないだろう。

 私は今『この場で、私と関係を持って、子供を授けてくれ』と言っている。

 勿論、冗談じゃなかった。

 だって、そうでしょう?
 
 十も年上の義兄に犯されて身篭るより、自分で選んだ、若くて綺麗な男と子供を作ったほうが、ずっといい。

 それに、お互いの名前も知らないなら、後腐れもないし、一度きりの過ちだったと、簡単に割り切れ事もできる。

 でも、当然、男の方は、そんな私に苦言を呈してきた。

「何を馬鹿なこと……あなたには、夫がいるのではないのですか?」

「そうよ、いるわ。でも、もう10年……10年も授からないの。もし、本当に夫の方に原因があるなら、私がどんなに頑張っても、ダメじゃない!」

 あの時の義兄の言葉が、頭の中で反芻《はんすう》する。

『君の体には、なんの問題もないそうじゃないか。なら、不妊の原因は、洋介にあるってことだろう』

 もし、本当に洋介が原因なら、私が努力しても、どうにもならない。

「……もう、嫌なの…っ」

 そして、その10年という歳月は、あまりにも長く、いつまでも終わらない苦しみに、私の心は困憊していた。

 役目を果たせない嫁として一生蔑まれて、義兄に、また襲われるかもしれないと怯えながら生きる。

 いっそ、死んだ方が、マシだと思った。

 苦しくて、呼吸すら、まだ上手くできない。

 だから、もう、終わりにしたかった。

 この地獄から抜け出すためなら、なんだってする。

 たとえ、愛する人を、裏切ることになったとしても──

「お願い……子供ができなきゃ、また襲われるかもしれないの。あの人、夫の兄で……私たちに子供ができないから、代わりに授けてやるって言ってきて……あんな人の子供なんて、絶対に産みたくない! だから、お願い……っ」

「………」

 男の制服をきつく握りしめて、震えながら、懇願する。

 もう嫌だと、何度と訴えて、泣きながら、男に縋り着く。
 
 男は、そんな私の手を振りほどくことすらせず、静かに見つめていた。

 だけど、それから暫くして
 
「そこまで恐怖を感じているなら、やっぱり、警察に届けましょう。それが、あなたにとって一番」

「だから、ダメだって言ってるじゃない!!」

 尚も、警察に届けると言い出した彼に、私は思わず声を荒らげた。

 言えるなら、言ってる。
 あんなやつ、とっとと捕まってしまえばいいと思ってる。

 そう、あの男が、洋介の兄でさえなければ──

「私だけの問題じゃないの……私の夫も、私の親も兄弟も、みんな巻き込むことになる……それに、一族から犯罪者なんかでたら、会社の経営だって危うくなるわ。だから、警察沙汰にはできないの! よく知りもしないくせに、勝手なこと言わないで!!」

「……っ」

 泣きながら激高する私に、男は小さく唇を噛み締めた。

「……すみません」

「謝るなら、私の願い叶えてよ……あなたには、絶対に迷惑はかけない……お互いの名前だって知らないのよ。きっと、この先、二度とあうこともないわ。一度きりの戯れだったと、忘れてしまえばいい。だから、お願い……私を、助けて……っ」
 
「………」

 だけど、それでも、男は、首を縦に振らなかった。

 まともな男なら、夫のいる女を抱こうだなんておもわないだろう。

 だけど、頼めるのは彼しかいなくて、私は必死だった。

 だって、こんな機会、もう二度とない。

 それに、彼には息子がいた。

 すでに子供がいるなら、生殖能力にも問題はなく、なにより、若くて健康的な彼なら、相手として申し分ない。

 そしてなにより、彼の血液型は、洋介と同じ"A型"だった。

 だから、血液型が原因で、不貞を疑われることらなく、上手くやれば、一生、隠し通せる。

 だけど彼は、そんな私の思いを、頑なに拒んだ。

 なんで? どうして拒むの?

 あなたは、私を救うだけ。

 こんなにも哀れな女を
 今にも壊れそうな私を

 ただ、救済するだけ──
 

「お願い……助けて……もう、生きてるのが……辛いの……っ」

 涙が、溢れて止まらない。

 どうしたら

 この男の心を、動かすことができるの?



 どうしたら、彼は


 私を、抱いてくれるの?




「……似てるんでしょ?」

「え?」

「私は、あなたの、に」

 その瞬間、さっきの切ない顔を思いだした。

 妻を思い出して、悲しそうにしていた、あの胸を締め付けるような表情を

「寂しいのでしょう? 奥さんがいなくなって……本当は、もう一度触れたいって、おもってるんでしょ? だって、顔に書いてあるもの……会いたくてしかたないって、もう一度、抱きしめたいって」

「……っ」

 その瞬間、男の顔が、微かに崩れた。

 彼の妻のことは知らなくても、廊下ですれ違っただけで追いかけてきたのなら、私は、そうとう似てるのだと思った。

 すると私は、男の頬に、そっと手を伸ばすと

「私を、奥さんの代わりにして……今ここにいるのは、天国から会いに来た、あなたの妻だと思えばいい」

 だから、何も遠慮する必要はない。

 寂しいなら、あなたも、私を利用すればいい。

 もう二度と触れられない妻を、もう一度、抱きしめる──そんな夢を見ればいい。

 そうだ。いっそ、夢の中の出来事だとでも思えば、罪悪感を抱くこともない。

 私たちは、これから──夢を見る。

 お互いの『望み』を叶えるために──


「お願い……私を抱いて……っ」

  そう言うと、私は、彼の唇に口付けた。

 強引に引き寄せて、自分からキスをした。

 名前も知らない男に、抱いてと媚を売る姿は、どんなに滑稽だっただろう。

 だけど、逃がさないように深く抱きつけば、男は、そんな私を突き飛ばしもせず、そのキスを、静かに受け入れた。

 それは、同情だったのか?
 本当に、妻を重ねてたのか?

 それは、わからなかったけど、ほんのひとつでも箍が外れてしまえば、男と女なんて、あっさり流されていく。

「っん、……はぁ…っ」

 夫以外とのキスは、酷く背徳的な味がした。

 そして、そのキスは、次第に深くなって、私たちは、なだれ込むように、ベッドの上に倒れこんだ。

 押し倒されて、男と目が合えば、さっきとは違う男の表情に、心臓が微かに跳ねた。

 義兄に押し倒された時と、光景は全く同じはずなのに、男の見た目がいいせいか、はたまた、妻としてみられてるせいか、その光景は、全く違うものに見えた。

 恐怖なんて微塵も感じない。
 むしろ、希望のようなものを感じた。

 暗くて長いトンネルを、やっと抜けるような。暗闇の中に、一筋の光が差し込んできたような。

 そして、その後は、私の望んだとおりになった。

 男は私を、とても優しく抱いてくれた。

 きっと妻を抱く時は、こんな風に、大切にふれていたのだと思った。

 触れ合う肌は、次第に熱をまして、そして、果てるたびに身体の奥が満たされて、自然と涙が溢れた。

 それは、夢のような一時だった。

 まるで、愛されてると錯覚するほどの──甘い時間。



 だけど、その幸福な時間は


 お互いの愛する人を裏切った



 酷く、残酷な時間でもあった。



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