西伊豆の廃屋から東京のタワマンへ。美しき食人鬼たちは、人間を喰らって愛を成す

秦江湖

文字の大きさ
9 / 69

泥だらけの靴と、消えた善意(3 覗く目)

しおりを挟む
 雨は、犯罪者にとって最高の隠れ蓑だ。  足音は消え、体臭は洗い流され、視界は悪い。  だが、監視する側にとっても、これほど好都合な天気はない。


 俺――私立探偵の相馬は、レインコートのフードを目深にかぶり、森の茂みに身を潜めていた。  目の前には、崖の上にそそり立つ古びた洋館。  地元で「一家心中屋敷」と呼ばれている、曰く付きの物件だ。

 依頼人は、里見という若い女性だった。  かつてこの屋敷で家庭教師をしていたという彼女は、悲痛な面持ちで俺に言った。

 『屋敷に残った足の悪い青年と、精神を病んだ妹さんが心配なんです。  後見人の叔父が、彼らを虐待しているんじゃないか……調査してほしいんです』


 ありふれた依頼だ。  俺は軽い気持ちで引き受けた。  だが、この三日間の張り込みで、俺の直感は警鐘を鳴らし続けている。

 ――この家は、おかしい。

 まず、使用人がいない。  これだけの豪邸なら、掃除婦や庭師の一人くらい雇うはずだが、出入りするのは、デップリと太った中年の男――例の叔父――だけだ。  そして、夜になると聞こえてくる、奇妙な音。  獣の唸り声のような、あるいは誰かが笑っているような、不快な声。


 俺は防水仕様の双眼鏡を構えた。  リビングの窓には、分厚いカーテンが引かれている。  だが、今夜は少し様子が違った。  カーテンの隙間から、赤い光が漏れている。

「……なんだ?」

 俺はピントを合わせた。  隙間から見えたのは、シャンデリアだ。  だが、そのクリスタルガラスは、なぜか真っ赤に濡れていた。  まるで、天井から赤いペンキをぶちまけたように。


 次の瞬間、俺は息を呑んだ。  床に、何かが倒れている。  肉の塊だ。  見覚えのあるスーツ。あの叔父だ。  だが、首から上がない。

「おいおい……マジかよ……」

 殺人だ。  依頼内容が変わった。これは虐待調査どころじゃない。緊急事態だ。  俺が慌てて懐から携帯電話を取り出そうとした時、レンズの視界に「それ」が入ってきた。

 少女だ。  長い黒髪の、美しい少女。依頼対象の一人、妹の「世璃」だ。  彼女は、パジャマ姿で、叔父の死体の上に跨がっていた。  そして、何かをしていた。  顔を上下に動かしている。  死体にキスをしている? いや、違う。  彼女が顔を上げるたびに、口元から赤い液体が糸を引き、肉片がこぼれ落ちる。


 ――食っている。  人間を、食っている。


 戦慄で手が震え、双眼鏡がカチリと音を立てた。  雨音にかき消されるほどの、小さな音だ。  聞こえるはずがない。ここから屋敷までは50メートル以上離れている。

 だが。  レンズの向こうで、少女がピタリと動きを止めた。  そして、ゆっくりと顔を上げた。  口の周りを鮮血で真っ赤に染めた彼女が、正確に、一直線に、俺の方を見た。

 目が合った。  暗視スコープ越しでもわかる。彼女は笑っていた。  獲物を見つけた獣の笑顔で。


「……ヤバい」


 俺は本能的に飛び退いた。  プロの勘が告げている。見られたら終わりだ。  警察に通報? 証拠写真?  そんな悠長なことは言っていられない。今すぐここから逃げなければ、俺もあの肉塊の一部になる。

 俺は機材を放り出し、泥だらけの森の中を走り出した。



 ***



 叔父様の首の肉は、思ったよりも筋張っていて、脂っこかった。  まあ、空腹を満たすには十分だわ。

 モグモグと咀嚼して飲み込んだ瞬間、あたしの鼓膜が揺れた。  カチリ。  金属とプラスチックがぶつかる、硬い音。  距離は50メートル。庭の向こうの、森の中。


 あたしは顔を上げた。  窓の外、雨のカーテンの向こう側に、黒い影が見える。  そして、強烈な「恐怖」の臭いが漂ってきた。

 ――濡れた犬の臭い。  いや、違うわね。あれは「ネズミ」だわ。

 どこかの誰かが、あたしたちのお城を覗いていたみたい。  双眼鏡? カメラ?  どちらにしても、見られちゃった。  あたしが食事をしているところも、叔父様がただの肉になったところも。


「……世璃?」

 お兄様が、あたしの様子に気づいて声をかけてきた。  お兄様は、叔父様の死体から目を逸らして、青い顔をしている。

「どうしたの?」

 「ううん、なんでもないよ」

 あたしは口元の血を手の甲で拭って、ニッコリと笑った。

「ちょっと、お庭にネズミが迷い込んだみたい。  捕まえてくるね」

「ネズミ?」 

「うん。放っておくと、ばい菌を撒き散らすから。  ……すぐに『駆除』しなきゃ」


 あたしは立ち上がり、窓を開けた。  激しい雨と風が吹き込んでくる。  冷たくて気持ちいい。  狩りの時間だ。

「行ってきます、お兄様。  デザートも、すぐに持ってくるからね」


 あたしは窓枠に足をかけ、闇の中へと身を躍らせた。  逃げ足の速いネズミさん。  せいぜい楽しませてね。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

処理中です...