「無能」と捨てられた少女は、神の愛し子だった――。 凍てつく北の地で始まる、聖獣たちと冷徹公爵による「世界一過保護な」逆転生活。

秦江湖

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氷晶の加護と、新たな誓い

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 兄たちの真意を知ったアデリーンの心からは、これまで彼女を縛り付けていた「拒絶された痛み」という重い鎖が消え去っていた。

 もちろん、自分を救うために国を壊そうとしている兄たちの極端な愛には戸惑いもあったが、それ以上に「自分は愛されていた」という事実が、彼女に前を向く強さを与えていた。


 そんなある日のこと、ノースガル公国全土を揺るがす異変が起きた。 

 城の北方に位置する、国を支える魔石の採掘場『凍てつく涙の鉱山』で、精霊たちの暴走が発生したのだ。


「閣下、精霊たちがかつてないほどに昂ぶり、魔石が黒く変色しております! このままでは鉱山が崩落し、領都の魔導暖房が停止してしまいます!」


 騎士の報告に、城内は緊張に包まれた。ノースガルにとって、魔石は冬を越すための生命線だ。精霊の暴走は、国そのものの死を意味する。


「……私が行こう。アデリーン、お前は城で待っていろ。危険すぎる」

 ゼノスが重厚な漆黒の外套を翻し、出陣の準備を整える。だが、その袖をアデリーンが力強く掴んだ。

「いいえ、私も連れて行ってください、ゼノス様。精霊の暴走……それは、彼らの波長が狂っているということですわ。今の私なら、お役に立てるはずです」


 アデリーンの瞳には、かつての弱々しい少女の面影はなかった。ゼノスは彼女の決意を汲み取り、一つ溜息をつくと、彼女を自身の馬へと引き上げた。

「……わかった。だが、一歩も私の側を離れるな。お前に何かあれば、私はこの国ごとすべてを凍らせてしまうかもしれんからな」


 軍馬を走らせ、辿り着いた鉱山は、不気味な紫色の光に包まれていた。精霊たちが悲鳴のような音を立てて渦を巻き、近づく騎士たちを激しい魔力の嵐で吹き飛ばしている。

「下がれ! 剣では精霊は斬れん!」

 ゼノスが命じ、自ら氷の魔力を展開して嵐を抑え込もうとする。だが、暴走するエネルギーはあまりに巨大で、彼の強大な魔力をもってしても、鎮めることは難しかった。

「ゼノス様、私に……私にやらせてください」

 アデリーンは馬から降りると、一歩、また一歩と、荒れ狂う魔力の中心へと歩み寄った。 

 恐怖はない。ただ、精霊たちが何を訴え、何を悲しんでいるのかを知りたいという純粋な願いだけが、彼女を突き動かしていた。


 アデリーンは新しい銀の扇子を高く掲げ、優雅に、そして力強く振り下ろした。

「――黒の沈黙(ブラック・サイレンス)。すべてを凪に、静寂の祝福を」


 鑑定の水晶を黒く染め上げた、あの漆黒の力が、アデリーンの体から溢れ出した。 

 それは破壊の闇ではない。周囲のあらゆる雑音を飲み込み、狂ったリズムを「無」へと還す、絶対的な静寂の波動だ。  扇子を一振りするたびに、紫色の禍々しい光が吸い込まれ、代わりにダイヤモンドダストのような清らかな銀の粒子が舞い上がる。

「……ぁ……あぁ……」

 精霊たちの悲鳴が、安らかな溜息へと変わっていく。 

 アデリーンの調律は、鉱山の深層にまで届き、黒く変色していた魔石を、美しい透き通った青色へと戻していった。 

 やがて、嵐は完全に消え去り、鉱山にはこれまで見たこともないような穏やかな光が満ち溢れた。


「……終わりましたわ」


 アデリーンが膝を突きそうになった瞬間、ゼノスが背後から彼女を強く抱きしめた。  彼の心臓の鼓動が、アデリーンの背中に激しく伝わってくる。

「アデリーン……! お前という女は、どこまで私の予想を超えていくのだ」


 ゼノスの声は震えていた。彼は彼女の肩に顔を埋め、独占欲と安堵が混ざり合った、熱い息を吐き出した。

  周囲にいた騎士や鉱山労働者たちは、その奇跡のような光景に、誰からともなく膝をつき、祈りを捧げ始めた。

「「「ノースガルの女神様だ……! 私たちの国を救ってくださった!」」」

 その賞賛の声は、黄金の国での嘲笑とは真逆のものだった。アデリーンは、自分を必要としてくれる人々の温かさに、涙が溢れるのを止められなかった。


 鉱山からの帰り道、夕闇に包まれた雪原で、ゼノスは馬を止め、アデリーンを優しく地面に降ろした。 

 彼は彼女の前に跪き、彼女の小さな手を、自らの大きな両手で包み込んだ。


「アデリーン。……今日、私は確信した。お前はただの賓客ではない。私の命、そしてこの国の魂そのものだ」

 ゼノスのアイスブルーの瞳が、月光を反射して怪しく、そして情熱的に輝く。


「黄金の国がどれほどお前を求めても、兄たちがどれほどお前を迎えに来ようとも、私は決して応じない。お前を私の妻として、ノースガルの公爵夫人として迎えたい。……これは領主としての命令ではなく、一人の男としての、生涯の誓いだ」

 アデリーンは、ゼノスの真っ直ぐな想いに、自らの心もまた、彼に向かって大きく開かれていることを自覚した。  自分を捨てた国への未練はない。 

 愛してくれる兄たちへの感謝はあるが、もう「守られるだけの子供」には戻りたくない。 

 アデリーンは、ゼノスの頬にそっと手を触れ、微笑んだ。


「……喜んで。ゼノス様、あなたのそばが、私の本当の居場所です」


 二人の影が、雪原の上で一つに重なる。  ノースガルの精霊たちが、祝福するように二人の周囲で踊っていた。





一方、黄金の国「ルミナリス」――。


 第一王子エリオットは、いよいよ正気を失いつつあった。 

「なぜだ……! なぜ私が送った暗殺……いや、連行部隊が一人も戻ってこない!」


 彼はアデリーンの生存を恐れ、密かに腕利きの暗殺者をノースガルへ放っていたのだ。だが、その報告は、思わぬ形でもたらされた。

「殿下、お探しなのは、この『首』のことですか?」

 執務室の窓を蹴破って現れたのは、三男ファビアンだった。 

 彼の足元には、エリオットが放った暗殺者たちの紋章が入った剣が、無造作に転がされている。


「な……ファビアン! 貴様、いつからそこに……!」

「ついさっきですよ。……マクシミリアン兄様が仰っていました。『アデリーンに手を出す羽虫は、一匹残らず僕が掃除する』と」


 影から、長男マクシミリアンと次男シルヴェスターも姿を現す。 

 彼らの纏う空気は、もはやルミナリスの貴族のものではない。 

 国を内側から腐らせ、崩壊させる「死神」のそれだった。


「さて、殿下。……アデリーンがノースガルの英雄になったという報せが入りました。君が捨てた『欠陥品』は、あちらで神として崇められている」


 シルヴェスターが冷たく言い放つ。 

「君がアデリーンを傷つけた報いは、これからだ。……この国が完全に凍りつくまで、君には生きて後悔してもらうよ」


 王都を覆う光は、今や風前の灯火となっていた。

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