「無能」と捨てられた少女は、神の愛し子だった――。 凍てつく北の地で始まる、聖獣たちと冷徹公爵による「世界一過保護な」逆転生活。

秦江湖

文字の大きさ
29 / 48

筒抜けな愛と、海の呼び声(第3章・開始)

しおりを挟む
 黄金の太陽が、浄化された王都ベルグラードの朝を告げる。
 ルミナリス王都の離宮、天蓋付きの柔らかなベッドの中で、アデリーンはゆっくりと瞼を持ち上げた。昨日までの命を削るような『深淵』との戦いが嘘のように、体は軽く、精霊たちの清らかなささやきが心地よく耳を撫でる。

(……ああ、本当に終わったのね)

 アデリーンはふう、と安堵の溜息をつき、隣に置かれた銀の扇子に指を触れた。
 だが、その瞬間だった。

『……あぁ、アデリーン。私の愛しい婚約者。まだ眠っているのか? その睫毛に、その白い頬に、今すぐ指を這わせたい。……いや、寝顔をあと五時間は眺めていたい。……正直、王国の戦後処理など誰か別の奴に投げ捨てて、今すぐノースガルへ帰ってお前をベッドに閉じ込めたい……。お前の肌に残る私の魔力の残り香を、一生離したくない……』

「…………っ!?!?!?」

 アデリーンは、心臓が口から飛び出しそうな勢いで跳ね起きた。
 今、耳元で囁かれたのではない。その声は、自分の意識の内側――魂の奥底から、直接響き渡ってきたのだ。
 慌てて周囲を見渡すが、部屋には自分一人しかいない。けれど、手首に刻まれた『血の誓約』の紋章が、ドクドクと熱い脈動を繰り返している。

(ゼノス様……!? いま、ゼノス様の「心の声」が……!?)

『……あぁ、起きたか。起きた瞬間の、少し寝ぼけた瞳もたまらなく愛らしい。……今、隣にいないのがこれほど苦痛だとは思わなかった。マクシミリアンたちが邪魔だ。殺意すら湧く……。いや、あいつらを氷漬けにして、その隙にお前を……』

「きゃ、きゃあああああ!!」

 アデリーンは真っ赤になり、枕に顔を埋めて悶絶した。
 筒抜けだ。あまりにも高解像度で、あまりにも情熱的で、そしてあまりにも破廉恥な独占欲が、濁流のように流れ込んでくる。これが、命を分かち合った代償だというのか。

地獄の朝食会
 一時間後。離宮の広々とした食堂では、異様な緊張感が漂っていた。

「さあ、アデリーン! 私がルミナリス最高のシェフに作らせた、特製のエッグベネディクトだ。あーん、してごらん?」

 長男マクシミリアンが、完璧な笑顔でフォークを差し出す。
 いつもなら「お兄様ったら」と笑って済ませられる光景だが、今のアデリーンには、向かいに座るゼノスの内なる咆哮がすべて聞こえていた。

『……その汚いスプーンをアデリーンに近づけるな。マクシミリアン、貴様のその腕を肩から下、今すぐ氷点下二百度で粉砕してやろうか。……アデリーンの唇に触れていいのは、私だけだ。……ああ、今すぐ椅子ごとあいつを反対側の壁まで吹き飛ばしたい……』

「ゼ、ゼノス様……! 落ち着いて! 殺意を抑えてくださいまし!」

 アデリーンが思わず叫ぶと、食堂が凍りついた。
 マクシミリアンはフォークを止めて目を丸くし、シルヴェスターは眼鏡を押し上げ、ファビアンは興味深そうに首を傾げた。

「アデリーン? 私はまだ、何も口に出していないが……?」

 ゼノスが平然と、無愛想な顔で紅茶を啜る。表面上は、いつもの冷徹な公爵そのものだ。だが。

『……しまった。心の声が漏れているのか? ……いや、むしろ好都合だ。私がどれほどお前を独占したいか、この無能な兄共にも理解させてやる……。愛している、アデリーン。今すぐこのテーブルの下で、お前の足を私の足で絡めて離したくない……』

「も、もう無理ですわ……!!」

 アデリーンは顔を覆ってテーブルに伏した。
 マリエッタだけが、遠い目をしながら「……あー、なるほど。お熱いことで」とパンを齧っている。

シルヴェスターの解析
「なるほど。魂を分かち合った副作用、というわけだね」

 食後、次男シルヴェスターがノートを広げ、アデリーンとゼノスの紋章を観察しながら数式を書き連ねた。

「理論的には、二人の距離と感情の昂ぶりに比例して、思念の同期率が上がる仕組みのようだ」


「つまり、公爵が君を思えば思うほど、君は彼の……その、不適切な妄想を強制的に聴かされることになる。……公爵、君の理性が試されているよ」

 シルヴェスターの指摘に、ゼノスは鼻で笑った。

「理性など、とうの昔に捨てている。……アデリーン、隠す必要などないだろう。お前が私の魂の一部なら、私がどれほどお前に執着しているか、24時間リアルタイムで味わうがいい。……それとも、嫌か?」

 ゼノスが不敵に微笑む。アデリーンの脳内には『……嫌だと言われても、もう離してやらないがな』という強気な声とともに、『……本当は嫌われたら死ぬほどショックだ。今すぐ抱きしめて確認したい』という意外なほどナイーブな本音が同時に響き、彼女は毒気を抜かれてしまった。

「……嫌では、ありませんけれど。……少し、恥ずかしすぎますわ」

海の呼び声と、不気味な特使
 賑やかな日常が続いてほしい。そう願った矢先だった。
 離宮のバルコニーに立ったアデリーンが、ふと南の空を見上げた瞬間、世界から一切の音が消えた。

(……え?)

 『黒の沈黙』とは違う。
 もっと重く、冷たく、金属が軋むような巨大な不協和音が、遥か彼方の海の向こうから押し寄せてきた。アデリーンは目眩を起こし、手首の紋章が悲鳴を上げるように激しく発光する。

「アデリーン!」

 ゼノスが瞬時に彼女を抱き寄せた。
『……大丈夫か!? 何があった、誰だ、誰がアデリーンを傷つけた!? 殺す、世界ごと凍らせてやる……!』

「……大丈夫です、ゼノス様。……ただ、海の向こうから……精霊たちが泣いている音が聞こえます。これまでにない、歪んだ音が……」

 その直後。王宮の正門に、一艘の奇妙な小型飛空挺が着陸した。
 降りてきたのは、珊瑚や貝殻で飾られた風変わりな装束を纏った、南方の群島諸国「エル・リリィ」からの特使だった。

 彼は震える手で、真っ黒に変色した竪琴を差し出した。
 竪琴はアデリーンが近づいた瞬間、ドロリとした黒い魔力の涙を流し、不気味な旋律を奏で始める。

「『世界の調律師』様……。どうか、私たちの『神の歌』を止めてください……!」

 特使は力なく跪き、絶望の表情で訴えた。

「海の向こうの聖域で、古の楽器が暴走を始めました。このままでは、世界からあらゆる『正しい音』が奪われ、生きとし生けるものは静寂の中で腐り果てます……! ……どうか、私たちを、世界をお救いください……!」

 アデリーンは、ゼノスの胸の中で竪琴を見つめた。
 一国の危機を救ったばかりの彼女に、今度は「世界そのもの」を調律するという、果てしない使命が突きつけられたのだ。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されたので、隠していた力を解放します

ミィタソ
恋愛
「――よって、私は君との婚約を破棄する」  豪華なシャンデリアが輝く舞踏会の会場。その中心で、王太子アレクシスが高らかに宣言した。  周囲の貴族たちは一斉にどよめき、私の顔を覗き込んでくる。興味津々な顔、驚きを隠せない顔、そして――あからさまに嘲笑する顔。  私は、この状況をただ静かに見つめていた。 「……そうですか」  あまりにも予想通りすぎて、拍子抜けするくらいだ。  婚約破棄、大いに結構。  慰謝料でも請求してやりますか。  私には隠された力がある。  これからは自由に生きるとしよう。

とある虐げられた侯爵令嬢の華麗なる後ろ楯~拾い人したら溺愛された件

紅位碧子 kurenaiaoko
恋愛
侯爵令嬢リリアーヌは、10歳で母が他界し、その後義母と義妹に虐げられ、 屋敷ではメイド仕事をして過ごす日々。 そんな中で、このままでは一生虐げられたままだと思い、一念発起。 母の遺言を受け、自分で自分を幸せにするために行動を起こすことに。 そんな中、偶然訳ありの男性を拾ってしまう。 しかし、その男性がリリアーヌの未来を作る救世主でーーーー。 メイド仕事の傍らで隠れて淑女教育を完璧に終了させ、語学、経営、経済を学び、 財産を築くために屋敷のメイド姿で見聞きした貴族社会のことを小説に書いて出版し、それが大ヒット御礼! 学んだことを生かし、商会を設立。 孤児院から人材を引き取り育成もスタート。 出版部門、観劇部門、版権部門、商品部門など次々と商いを展開。 そこに隣国の王子も参戦してきて?! 本作品は虐げられた環境の中でも懸命に前を向いて頑張る とある侯爵令嬢が幸せを掴むまでの溺愛×サクセスストーリーです♡ *誤字脱字多数あるかと思います。 *初心者につき表現稚拙ですので温かく見守ってくださいませ *ゆるふわ設定です

【完結】白い結婚を終えて自由に生きてまいります

なか
恋愛
––アロルド、私は貴方が結婚初日に告げた言葉を今でも覚えている。  忘れもしない、あの時貴方は確かにこう言った。  「初めに言っておく、俺達の婚姻関係は白い結婚として……この関係は三年間のみとする」 「白い結婚ですか?」 「実は俺には……他に愛する女性がいる」   それは「公爵家の令嬢との問題」を理由に、三年間だけの白い結婚を強いるもの。 私の意思を無視して三家が取り決めたものであったが、私は冷静に合意を決めた ――それは自由を得るため、そして『私自身の秘密を隠すため』の計算でもあった。 ところが、三年の終わりが近づいたとき、アロルドは突然告白する。「この三年間で君しか見えなくなった。白い結婚の約束をなかったことにしてくれ」と。 「セシーリア、頼む……どうか、どうか白い結婚の合意を無かった事にしてくれ」 アロルド、貴方は何を言い出すの? なにを言っているか、分かっているの? 「俺には君しかいないと、この三年間で分かったんだ」 私の答えは決まっていた。 受け入れられるはずがない。  自由のため、私の秘密を守るため、貴方の戯言に付き合う気はなかった。    ◇◇◇ 設定はゆるめです。 とても強い主人公が自由に暮らすお話となります。 もしよろしければ、読んでくださると嬉しいです!

《完結》初夜をすっぽかされた令嬢は夫を死亡扱いする

さんけい
恋愛
クズ夫の非常識を帳簿で粛々と清算!真実の愛?笑わせるわね! 全14話。

プロローグでケリをつけた乙女ゲームに、悪役令嬢は必要ない(と思いたい)

犬野きらり
恋愛
私、ミルフィーナ・ダルンは侯爵令嬢で二年前にこの世界が乙女ゲームと気づき本当にヒロインがいるか確認して、私は覚悟を決めた。 『ヒロインをゲーム本編に出さない。プロローグでケリをつける』 ヒロインは、お父様の再婚相手の連れ子な義妹、特に何もされていないが、今後が大変そうだからひとまず、ごめんなさい。プロローグは肩慣らし程度の攻略対象者の義兄。わかっていれば対応はできます。 まず乙女ゲームって一人の女の子が何人も男性を攻略出来ること自体、あり得ないのよ。ヒロインは天然だから気づかない、嘘、嘘。わかってて敢えてやってるからね、男落とし、それで成り上がってますから。 みんなに現実見せて、納得してもらう。揚げ足、ご都合に変換発言なんて上等!ヒロインと一緒の生活は、少しの発言でも悪役令嬢発言多々ありらしく、私も危ない。ごめんね、ヒロインさん、そんな理由で強制退去です。 でもこのゲーム退屈で途中でやめたから、その続き知りません。

欠陥姫の嫁入り~花嫁候補と言う名の人質だけど結構楽しく暮らしています~

バナナマヨネーズ
恋愛
メローズ王国の姫として生まれたミリアリアだったが、国王がメイドに手を出した末に誕生したこともあり、冷遇されて育った。そんなある時、テンペランス帝国から花嫁候補として王家の娘を差し出すように要求されたのだ。弱小国家であるメローズ王国が、大陸一の国力を持つテンペランス帝国に逆らえる訳もなく、国王は娘を差し出すことを決めた。 しかし、テンペランス帝国の皇帝は、銀狼と恐れられる存在だった。そんな恐ろしい男の元に可愛い娘を差し出すことに抵抗があったメローズ王国は、何かあったときの予備として手元に置いていたミリアリアを差し出すことにしたのだ。 ミリアリアは、テンペランス帝国で花嫁候補の一人として暮らすことに中、一人の騎士と出会うのだった。 これは、残酷な運命に翻弄されるミリアリアが幸せを掴むまでの物語。 本編74話 番外編15話 ※番外編は、『ジークフリートとシューニャ』以外ノリと思い付きで書いているところがあるので時系列がバラバラになっています。

【完結】「お前を愛する者などいない」と笑われた夜、私は“本物の王子”に拾われた

波依 沙枝
恋愛
毎日更新 侯爵令嬢セレスティアは、第二王子リヒトの婚約者。 冷たくされても「愛されている」と信じてきた――けれど、ある夜すべてが壊れる。 「お前みたいな女を愛する者などいない」 絶望の底で手を差し伸べたのは、“本当の王子”だった。 これは、捨てられた令嬢が見出され、溺愛され、 嘲笑った婚約者がすべてを失って後悔するまでの物語。 今さら縋りついても、もう遅い。 彼女はもう、“選ぶ側”なのだから。

貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ

ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます! 貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。 前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?

処理中です...