満たされぬ願いとエーゲ海の淑女

神月 一乃

文字の大きさ
4 / 20

出会い

しおりを挟む

『』は英語での会話となっております。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「大使様のお心遣いに感謝ですわね」
 まさか一年以上足止めを食らうことになるとは思ってもみなかった。気づけば、貸別荘の管理人紛いのことをしていた。労働用査証だったわけでもなく、元夫のように仕事で入国したわけでもない。そんな日本人女性が、海外で働けるわけがないのだ。おかげで、帰国用の船代にはほとんど手を出していない。

 そして現在は、帰国しないほうがいいと、大使夫人に言われたばかりである。元嫁ぎ先が色々と危ないらしい。それが足止めの理由になるとは思いもしなかったが。
「先代と当代でやり方がだいぶ違うようで、先代のやり方を支持する方たちともめているようですね。
 ついでに、あなたをお妾さんにするという動きもあります」
 男性のようなジャケットに長いスカートという姿の大使夫人がにこりと微笑んで言う。
「わたくしを妾にですか?」
「取引先の中にはあなたへの仕打ちをとかく言う方もいらっしゃった様子。あとはあなたを慕う従業員を抑えるためでしょうね」
 これは姑がというよりも、義弟が中心になって動いているらしい。確かに、しばらく帰りたくない。もっとも、未だ「戻ってこい」という電報は届いていないが。
「未だこちらにいると思っていないのでは?」
「……そうかもしれませんわねぇ」
 帰れなくしたのはどこのどいつだ、という言葉はあえて言わないが。


「ねぇ、りのさん」
「どうなさいましたか、奥様」
「他人行儀は止めて頂戴。パーティに参加しましょう」
「ご遠慮いたします」
 希臘語を解せない者に言わないで欲しい。英語なら何とかいけるのだが。
「冷たいことを言わないで頂戴。それに会場は日本領事館よ。だから強制参加」
 なおさら行きたくないのですが。とはいっても世話になっている手前、強制参加と言われてしまえば、あきらめざるを得ない。

 言質を取ったと宣言して戻っていく大使夫人に、思わずため息が出た。


 気分転換に散歩をしよう。そう思考を切り替えたりのは、日傘を持って近くの砂浜へと向かった。
 砂浜や海というものを見たのは、嫁いでからである。女学校に通っていた数年も、生まれ育った場所も、海とは無縁だったのだ。
 さく、さく、さく。土や雪の上を歩く感覚とは違うが、りのは好きだ。
『誰だ!?』
 唐突に英語で怒鳴る声が聞こえた。
 どうやらここは個人で所有しているという砂浜らしく、りのは知らず知らずのうちに不法侵入していた、ということらしい。
『失礼いたしました。こちらがプライベートビーチ? とは知らずにおりました』
『どこの誰だ? 顔を見せろ』
「きゃぁぁぁぁ!!」
 結婚して三年、元夫と身体の関係がまったくなかったりのにとって、水着姿の男性というものは刺激が強すぎた。
 思わず畳んだはずの日傘を武器として相手を叩きのめすところだった。
『たかが水着姿ぐらいで、何と凶悪なお嬢さんだ』
『し……失礼いたしました』
 相手をまともに見ることも出来ないりのは、苦渋の決断で男性に背中を向けていた。

 元夫だって洋装をよくしておりましたよ、でも水着など一度も着ているのを見かけたことはございませんとも。りのは心の中で悪態をつきつつも、後ろの気配には気を配っていた。
『それにしても筋がいい。危うく休暇中に怪我をするところだった。さて、服も上から着たし、そろそろ顔を見せてもらってもいいだろうか』
 それが偽りだった場合も考え、りのは日傘を開き、顔を隠すようにして振り返った。
 確認してから日傘をおろすものの、構えは解けない。相手に隙が無さすぎるのだ。
『自己紹介をしたかっただけだよ、可愛らしいお嬢さん。僕はリチャード・イーストン。現在はイギリス陸軍で大尉の位を貰っている』
 軍人相手になんてことを。さすがのりのもおののいた。
『佐川りのと申します。日本国大使ご夫妻の計らいで貸別荘に滞在しております』
『……リノ・サガワ? 中国人かと思っていたら日本人だったのか』
 欧州に住む人たちが東洋人を見分けにくいというのは聞いていたが、本当だったらしい。
『日本はそこまで大変なのかい? 君のように幼いお嬢さんまで戦う心構え……』
 幼いお嬢さんとな。いえ、元人妻ですとは言いにくい。一体いくつに見ているのか気になるところではあるが、あえて聞かないことにした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end**

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...