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リチャードの昔話
しおりを挟むりのはリチャードから受け取った英吉利行きの旅券を持て余していた。何故、己にこんなものまで寄越すのか。英吉利に行った後、己を売春宿とやらに売るつもりなのか、そんなことすら考えた。
「あれは厄介な男です」
そう言ってきたのは、日本領事館に武官として詰めている男だった。一人は母親がりのと同郷のよしみで色々と話をするが、この男とはほとんど接点がない。
「厄介、ですか」
「あれは本気ですよ。諦めさせるのなら、半端な言葉はお止めになったほうがいい」
しかも日本流の断り方ではなく、欧米流にきちんと伝えろと。
「私が一つだけ言えるのは、あなたが嫁いだ先と彼を一緒に考えてはいけない、それだけですよ」
夫は優しい人ではあった。りのに対してではなく、嫁ぎ先に対してだ。異母弟を可愛がり、異母弟のためにならないことは一切しなかった。たとえ、あちらが毛嫌いしていようとも。
そう、たとえりのが子供が欲しいと思っていても、一切手を出すことが無いように。
今でも思い出す。叔父と叔母がまとめた見合い。とんとん話に結婚の話まで出た。会津出身を侮蔑する者もいる。そんなこともなかっため、誰一人気づかなかった。
――先に言っておくよ。私は君に手を出すつもりはない――
それが祝言をあげた日の夜に言われたことだった。
――旦那様、子供は――
――君との間に子供が出来たら、跡目争いが勃発するじゃないか。そうしたら、烏谷商会は終わりだよ。一応、その旨継母と異母弟には伝えておくから、石女呼ばわりはされないんじゃないかな。……あぁ、いくら欲求不満になっても、発散しないようにね。君が身籠ったら私の子供じゃないのは確実なんだからさ――
屈辱で顔が赤くなるのが分かった。夫はそれだけ言うとあっという間に休んだ。
声を殺して泣いた。従業員とはうまくやっていけたため、針の筵に座るということはなかった。それだけが救いの三年だった。
リチャードはそんな夫とは違う。この武官はそう言いたいわけだ。
「……おとう、おかあ。おら、どうすんべ」
気づいたら、会津訛りで呟いていた。
帰国間近、りのは雅典を一人で散策していた。
リチャードと会ってから、一人で散策するということはなくなっていた。
『ミセス・リノ。このようなところで何を?』
声をかけてきたのはマイルズだ。気づけば裏路地に入っていたようだった。
『散策を。考え事をしながら歩くものではないですね』
場所が分からなくなっていた。
『おやおや。では俺が行くティーサロンへ行きましょう』
『マイルズ、遅い……リノ!?』
『わたくしが迷っているところを保護していただきましたの』
『ミセス・リノは目立つからね』
着物姿だ。目立つに決まっている。
「リノ、ニホン、ドンナトコ、デスカ?」
危うくお茶を吹きだすところだった。
『リチャード様、いつの間に』
『まだ簡単な挨拶だけだよ。リノと日本へ行けるよう頑張ってる』
間もなく帰国するとは、さすがに言えない。
何かに気づいたリチャードが、マイルズに耳打ちしてた。
『分かった。今日はお前のおごりだ。俺は領事館へ行く』
『うん。僕はリノを送ってから別荘に戻るから。
その前に、もう少し僕はリノと話がしたい。リノに僕のことを知って欲しいと思うし、僕もリノのことをもっと知りたい』
『リチャード様……』
『僕はね、イギリスの北の方に領地を持っていた子爵家の長男として生まれた。いたって普通の家族だった。両親ともに僕に見向きもしなかった』
『それが、普通、なのですか?』
『実際育ててくれたのは乳母だからね。乳母の人選間違ったんじゃないかって思う位、嫌なやつだった。寄宿舎に入るようになって初めて自由だと思ったよ。そこでマイルズと会ったんだけどね』
寄宿舎は殴られないだけ、ましだと思っていたという。そして、寄宿舎に入ってすぐに分かったのは、両親それぞれに「恋人」がいたことだという。
『そりゃ、僕に見向きもしないのも分かると思ったよ。それに、母親の実家が伯爵家だったし、財政も赤字だったってさ。だから仕方なかったというのが父の言い分さ』
心底父親を毛嫌いしているというのが分かった。
『子供が僕しかいないからという理由で、父が恋人との間に産まれた弟を引き取ったのもこの時だ。母は……今実家にいるよ。屈辱だったらしいね。
だからね、僕は家に未練も何もない。リノと一緒にいれるんだったら、家は捨てる』
『では、今こうしていらっしゃるのは?』
『貴族としての務めだよ。僕ら貴族は領地にいる者たちによって支えられている。それを守るのが貴族として当然だからね』
『でしたら、リチャード様はその方々のために、お仕事をなさっていらっしゃるのですね』
『……そういう捉え方をされると思っていなかったな。僕にとって義務だからさ。
でも、僕のことを語ったのはリノのことを知りたかったから。同じように僕にリノのことを教えて欲しいんだ』
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