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第3話 開戦
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精神世界から脱出し、朧げな意識の中でエシラは周りを見渡した。風通りが良すぎる壁からは茜色の陽光が差し込み、夜を告げる鳥が鳴いている。
そこから手前に視線を向けると、タバコの煙を吹かしながら今にも目玉が転がりそうなほど目を開けているおばあさんが傍らに座っていた。
「目ェ覚めたぁあああああ‼‼」
「ひやぁああああああああ⁉⁉」
大声に驚き、思わず悲鳴を上げるエシラ。
おばあさんはすかさず家から飛び出し、彼女の悲鳴に負けじと声を張る。
「エシラ起きたわよーー! 野郎どもきやがれぇええええ‼」
「あ、あわわ……!」
「驚かしてすまんねぇエシラ。にしてもびっくらこいたわよ。トカゲちゃんのアイが『エシラが血だらけで片目片腕になってる!』って言うもんだから腰抜けたわい!」
「う……ごめんなさい、フーモおばさん……」
「でも不思議だねぇ。今のあんたは止血がされてるわ、きちんと血の気もあるみたいだし」
改めてエシラは自分の今の状況を確認してみる。真っ黒な左腕は消えていて、頭にはグルグル巻きの包帯で右目にも巻かれていた。
今まで当たり前にあったものが焼失したことにムズムズとしたが、そこまでの絶望や憔悴は今の彼女にはない。
そんなうちに、エシラの家に続々と人がやってくる。その中には、トカゲのアイもいた。
『エシラーー! オイラめちゃくちゃ心配したんだぞ~~っ‼』
「うん……しんぱいかけてごめんね、アイ」
『うぅ、うぅうううう! 次危ないことしたら殺すからなぁ‼』
「それはこわい。きをつけないとね」
エシラを囲むスラム街の住人は緊張の糸が途切れたのか、床にへたり込んでしまう。
自分のせいで皆に迷惑をかけてしまったと思い、彼女の顔に影が落ちた。そんなエシラを見かねて、フーモと呼ばれた老婆が口を開ける。
「エシラ、いいかい? 普通スラム街ってぇのは死がお隣さんで、人は基本蹴落とし合うもんだ。だがねぇ、このここら一帯の地域は絶対に殺しはせずに協力しあう〝約束〟をしたって聞いたことあるだろ?
下の毛も生えちゃいないガキがちょっくら迷惑かけたからなんだい。元気なら笑ってろ! わしらも笑いながら看病しちゃるからよぉ‼」
「うん……そ、っか。えへへ、ありがとっ」
茜色の光は闇に飲まれ、夜が街を覆う。
街が落ち着きで包まれたかと思ったその時、ドンッと大きな音を立ててエシラの家に住人が数人乗り込んできた。彼らからは堪え難い焦燥が感じられる。
「たっ、大変だ! 領主の野郎が『銀鼠色の髪をしたトカゲを連れた幼女を探してる』つってて、見つからないならここら一帯を燃やし尽くすって‼」
「はぁ⁉ あのクソ領主! わしらの生活に見向きもしねェくせにロリコン拗らせてんのかよクソッたれがぁ‼」
「エシラのことだよな……何考えてるんだ……?」
「何はともあれ、やつにエシラは渡さんよ。しらを切り続ける。家が燃えようがまた建て直しゃいい。どうせマイナス百がマイナス千に変わるくらいだ、誤差誤差‼」
夜のスラム街は瞬く間に慌ただしくなり、張りつめた空気で満ち満ちた。
エシラの暗かった顔が明るくなり、再び暗くなる。電球の明かりのようについたり消えたりと、とても忙しない。
「わたしのせいで……もっとめいわくかけちゃってる……」
『オイラ含め、みんなお前のことが大事なんだ。とりあえず、枯れた井戸で姿を潜めるぞ!』
「うん……」
住人を煽動する様子を横目に、やるせない気持ちを抱えながら先導するアイについてゆく。
スラム街の井戸はもれなく枯れており、雨水か泥水でしか水分を補給できない。なので、隠れる場所はたくさんあるのだ。
「わたしのせいでぜんぶもえちゃったらどうしよう……」
『フーモが言ってただろ? また建て直せばいいって』
「ちがう。たてものじゃなくて、みんながもえちゃったら……」
『…………。祈るしかないよな。ほら、ゴキブリあげるから元気出せ』
「いらない」
目的が自分な以上、下手に動けばさらに皆に迷惑をかけてしまう。されど動かなければ自分のせいで犠牲者が出るのではないかという葛藤が、エシラの心の中で対立していた。
そんな不安が的中するかのように、一つの出来事が彼女の決意を固めた。
「――……ひのこ?」
井戸の中へと舞い落ちてきた火の粉。直後、何かが爆発する音と人々の悲鳴が彼女の耳を穿つ。
「いぎゃぁぁあああ!」
「熱い熱い熱い熱い熱い‼」
「誰か水持ってこい!」
「スラム街にそんな量の水あるわけないだろうが!」
上から聞こえてくる阿鼻叫喚。
瞬間、魔導書との契約の際に持っていかれた〝たからもの〟が脳裏に過る。
エシラはカタカタと歯を鳴らし、肩を揺らした。
「もう、いやだ……。これいじょう、たいせつなものがなくなるのは――もういやだ‼」
『ちょ、エシラ⁉ 今外に出たらダメだ‼』
井戸から這い上がり、業火に包まれたスラム街を目の当たりにする。炎上する家々に、大勢の騎士により抑えられる住人たち。
ヒュッ、とその惨劇に息を呑む。微かなエシラの声すら聞き逃さず、その人物は彼女の前に立ちはだかる。
紅蓮の髪に青い瞳をした、華美な衣装に身を包む領主――フィオレンツォ・エスターテがいた。
「ようやく姿を現したか。しかし妙だな……魔導書に乗っ取られた者は邪知暴虐を尽くすはずだが……」
「ゆるさない……。ぜったい、ゆるさない……‼」
「何はともあれ、あの原典の魔導書に関わってしまった者は討伐対象だ。悪く思わないでくれ、幼い子よ。〝開〟・【火丸曄】」
紅蓮色の魔導書が領主の前で開かれ、上空に巨大な火の球が生成される。闇夜に突如として現れた太陽は、真っすぐにエシラへと向かった。
エシラは魔術のマの字すら知らない、魔力の流れすら意識してこなかった人物。貴族として生まれ、幼い頃から鍛錬を積んだ領主とは天と地の差がある。
しかし、彼女は千年間現れることのなかった、黒装丁の魔導書との契約者。
天才ではなく、異常だ。
「〝開〟・【まっくろなうで】‼‼」
ぐしゃっ。その太陽は、エシラの左腕から生えた真っ黒な腕によって握りつぶされた。
「なッ⁉ あ、ありえない……俺の魔術が消滅させられただと⁉」
天と地の差……。
それは、エシラが天で領主が地なのである。
そこから手前に視線を向けると、タバコの煙を吹かしながら今にも目玉が転がりそうなほど目を開けているおばあさんが傍らに座っていた。
「目ェ覚めたぁあああああ‼‼」
「ひやぁああああああああ⁉⁉」
大声に驚き、思わず悲鳴を上げるエシラ。
おばあさんはすかさず家から飛び出し、彼女の悲鳴に負けじと声を張る。
「エシラ起きたわよーー! 野郎どもきやがれぇええええ‼」
「あ、あわわ……!」
「驚かしてすまんねぇエシラ。にしてもびっくらこいたわよ。トカゲちゃんのアイが『エシラが血だらけで片目片腕になってる!』って言うもんだから腰抜けたわい!」
「う……ごめんなさい、フーモおばさん……」
「でも不思議だねぇ。今のあんたは止血がされてるわ、きちんと血の気もあるみたいだし」
改めてエシラは自分の今の状況を確認してみる。真っ黒な左腕は消えていて、頭にはグルグル巻きの包帯で右目にも巻かれていた。
今まで当たり前にあったものが焼失したことにムズムズとしたが、そこまでの絶望や憔悴は今の彼女にはない。
そんなうちに、エシラの家に続々と人がやってくる。その中には、トカゲのアイもいた。
『エシラーー! オイラめちゃくちゃ心配したんだぞ~~っ‼』
「うん……しんぱいかけてごめんね、アイ」
『うぅ、うぅうううう! 次危ないことしたら殺すからなぁ‼』
「それはこわい。きをつけないとね」
エシラを囲むスラム街の住人は緊張の糸が途切れたのか、床にへたり込んでしまう。
自分のせいで皆に迷惑をかけてしまったと思い、彼女の顔に影が落ちた。そんなエシラを見かねて、フーモと呼ばれた老婆が口を開ける。
「エシラ、いいかい? 普通スラム街ってぇのは死がお隣さんで、人は基本蹴落とし合うもんだ。だがねぇ、このここら一帯の地域は絶対に殺しはせずに協力しあう〝約束〟をしたって聞いたことあるだろ?
下の毛も生えちゃいないガキがちょっくら迷惑かけたからなんだい。元気なら笑ってろ! わしらも笑いながら看病しちゃるからよぉ‼」
「うん……そ、っか。えへへ、ありがとっ」
茜色の光は闇に飲まれ、夜が街を覆う。
街が落ち着きで包まれたかと思ったその時、ドンッと大きな音を立ててエシラの家に住人が数人乗り込んできた。彼らからは堪え難い焦燥が感じられる。
「たっ、大変だ! 領主の野郎が『銀鼠色の髪をしたトカゲを連れた幼女を探してる』つってて、見つからないならここら一帯を燃やし尽くすって‼」
「はぁ⁉ あのクソ領主! わしらの生活に見向きもしねェくせにロリコン拗らせてんのかよクソッたれがぁ‼」
「エシラのことだよな……何考えてるんだ……?」
「何はともあれ、やつにエシラは渡さんよ。しらを切り続ける。家が燃えようがまた建て直しゃいい。どうせマイナス百がマイナス千に変わるくらいだ、誤差誤差‼」
夜のスラム街は瞬く間に慌ただしくなり、張りつめた空気で満ち満ちた。
エシラの暗かった顔が明るくなり、再び暗くなる。電球の明かりのようについたり消えたりと、とても忙しない。
「わたしのせいで……もっとめいわくかけちゃってる……」
『オイラ含め、みんなお前のことが大事なんだ。とりあえず、枯れた井戸で姿を潜めるぞ!』
「うん……」
住人を煽動する様子を横目に、やるせない気持ちを抱えながら先導するアイについてゆく。
スラム街の井戸はもれなく枯れており、雨水か泥水でしか水分を補給できない。なので、隠れる場所はたくさんあるのだ。
「わたしのせいでぜんぶもえちゃったらどうしよう……」
『フーモが言ってただろ? また建て直せばいいって』
「ちがう。たてものじゃなくて、みんながもえちゃったら……」
『…………。祈るしかないよな。ほら、ゴキブリあげるから元気出せ』
「いらない」
目的が自分な以上、下手に動けばさらに皆に迷惑をかけてしまう。されど動かなければ自分のせいで犠牲者が出るのではないかという葛藤が、エシラの心の中で対立していた。
そんな不安が的中するかのように、一つの出来事が彼女の決意を固めた。
「――……ひのこ?」
井戸の中へと舞い落ちてきた火の粉。直後、何かが爆発する音と人々の悲鳴が彼女の耳を穿つ。
「いぎゃぁぁあああ!」
「熱い熱い熱い熱い熱い‼」
「誰か水持ってこい!」
「スラム街にそんな量の水あるわけないだろうが!」
上から聞こえてくる阿鼻叫喚。
瞬間、魔導書との契約の際に持っていかれた〝たからもの〟が脳裏に過る。
エシラはカタカタと歯を鳴らし、肩を揺らした。
「もう、いやだ……。これいじょう、たいせつなものがなくなるのは――もういやだ‼」
『ちょ、エシラ⁉ 今外に出たらダメだ‼』
井戸から這い上がり、業火に包まれたスラム街を目の当たりにする。炎上する家々に、大勢の騎士により抑えられる住人たち。
ヒュッ、とその惨劇に息を呑む。微かなエシラの声すら聞き逃さず、その人物は彼女の前に立ちはだかる。
紅蓮の髪に青い瞳をした、華美な衣装に身を包む領主――フィオレンツォ・エスターテがいた。
「ようやく姿を現したか。しかし妙だな……魔導書に乗っ取られた者は邪知暴虐を尽くすはずだが……」
「ゆるさない……。ぜったい、ゆるさない……‼」
「何はともあれ、あの原典の魔導書に関わってしまった者は討伐対象だ。悪く思わないでくれ、幼い子よ。〝開〟・【火丸曄】」
紅蓮色の魔導書が領主の前で開かれ、上空に巨大な火の球が生成される。闇夜に突如として現れた太陽は、真っすぐにエシラへと向かった。
エシラは魔術のマの字すら知らない、魔力の流れすら意識してこなかった人物。貴族として生まれ、幼い頃から鍛錬を積んだ領主とは天と地の差がある。
しかし、彼女は千年間現れることのなかった、黒装丁の魔導書との契約者。
天才ではなく、異常だ。
「〝開〟・【まっくろなうで】‼‼」
ぐしゃっ。その太陽は、エシラの左腕から生えた真っ黒な腕によって握りつぶされた。
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