スラム街の幼女、魔導書を拾う。

海夏世もみじ

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第5話 魔女と日喰子

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「ん……ここは……?」

 目を覚ましたエシラは、目に入った知らない天井を見てそう呟く。
 穴だらけの天井や壁はなく、ベッドも雲の上にいるように白く、ふかふかだ。
 上半身を起こすと、ぐわんぐわんと眩暈がしたと同時にかけ布団に赤いシミを作った。

「あ、はなじ。ゔっ……! な、なんか、きぼちわるい……‼」

 胃の中の物が込み上げてきて、思わず手で口を塞ぐ。
 なんとかこれ以上布団を汚さずに済み、代わりに安堵の溜息を吐いた。

 ベッドの隣にある鏡で自分の姿を見ていると傷跡が全てなくなっており、さらには随分と綺麗な身だしなみになっている。
 ただ、失った右目の部分には黒い傷跡があって開く様子がない。

 そんな時、部屋の扉がガチャリと音を立てて誰かが部屋に入ってくる。

「お。起きたか」
「っ!」
「あー待て待て! そう警戒するな! もう危害は加えるつもりはない‼」
「……なにがもくてき。りょうしゅ」

 やってきたのは、この土地の領主であるフィオレンツォであった。
 街を燃やし、自分を殺そうと襲ってきた人物。手で押さえようが溢れ出る鼻血を垂らし、吐き気を堪えつつ警戒をする。

「スラム街の住人は全員生きている。怪我をした者も治療済みだ。黒装丁の魔導書グリモワールによる被害を抑えようと先走ってしまった。本当に申し訳ない」
「……しんようできない。ころすのはダメだから、さいきふのうにする……! 〝アペリオ〟‼」

 頭痛と吐き気を抑え込み、魔導書グリモワールの魔術を使うための呪文を唱えた。
 黒い魔導書グリモワールはエシラの前で浮かび、最初のページを開こうとする。その時、新たに部屋に入ってきた人物の一声が彼女の動きを縫い付けるように響いた。

「まァそうカッカすんなエシラ……。領主コイツァ胡散臭ぇが、今は信用していいはずだ」
「タールおじさん⁉ なんで、ここに……」
「とりあえずもっかい横になりやがれ。重度の魔力酔いで立ってるのもままならねェはずだろ」
『オイラもいるぞっ‼』

 エシラがゴミ漁りに行く前、忠告をしていた酒飲みのおじさんことタール。
 彼とトカゲのアイが、領主側についていた。タールとは住んでいる場所が近く、信用できる隣人のような存在。
 エシラは魔導書グリモワールを閉じ、大人しくベッドに戻る。

「助かった、タール。また死にかけるところだった」
「はぁ……だから魔導書グリモワール日喰子ヒグラシ様には関わるなっつったのによォ……」

 仲睦まじげに話す領主とタールを不思議そうに眺めながら、エシラはアイに鼻に脱脂綿を詰め込まれた。
 ベッドの傍らに椅子を置き、そこに座るタールと領主。

「改めて、俺はこの土地の領主、フィオレンツォ・エスターテだ。君の怒りは妥当だ。存分に罵ってくれて構わない」
「……? べつに、おこってはいないよ。もうおこりかたとかおぼえてないし」
「そう、なのか……」

 昨日の出来事で、エシラは決して起こっていたわけではなく警戒していた。怒りという感情を、過去に置いわすれてきたから。
 領主は若干気まずそうな、悲哀の顔をした。タールは何も言わず、ただ頬杖をついて窓の外を眺めている。

「まず今の状況を説明させてもらう。いいな?」
「うん、わかった」
魔導書グリモワールの基となる原典――黒装丁の魔導書グリモワールを君が盗み――」
「ひろった」
「……いや、盗――」
「ひろった」
「…………君が拾った魔導書グリモワール、だな」
『領主の言葉を完全否定しやがった。流石はオイラのエシラだな!』

 領主の回答に納得し、エシラはコクコクと首を縦に振る。
 彼女の態度に呆れつつも、領主は説明を続けて、

「そいつはかなりヤバイ代物で、契約しようとした対象を暴走状態にする特性があったんだ」
「だから、わたしをころそうとしたの?」
「ああ。今の今までその魔導書グリモワールと契約できた者は一人たりともいなかったから、早急に殺さなければと思ったんだ。まさか契約できているとは思わなんだ」
「……かってにいろいろして、ごめんなさい。きしのみんなは……」
「騎士も皆軽傷だ。……まあ、過ぎたことはどうだっていい。エシラ、君を含めた皆生きているだけで万々歳だ」

 領主が優しく微笑みながらエシラの頭に手を伸ばすが、バシッと叩かれ「ふしゃーっ!」と威嚇もされる。
 しょんぼりとした領主に、それを見てゲラゲラと嗤うタール。どうやら、今夜の酒の肴は決まったらしい。

「その原典はいかんせん危険だ。だから、国王にも報告をしてしまってな。二週間後までに危険性が無く、自国他国含む世界に〝害〟ではなく〝利益〟となる存在と認められなければこれから一生監禁される危険性がある」
「え⁉ や、やだーー‼」
『エシラをずっと薄暗いとこに閉じ込めるなんてオイラもやだぞ! あ、でもご飯になる虫はいっぱいいそうだな……』
「そうだよな。幼い子が一生閉じ込められるだなんて俺も反対だ。だからな、エシラ。君は――‼」
「まじょ?」

 聞きなれない単語に首をかしげる。

「魔女ってのは、魔導書グリモワールと契約をした女性であり、〝日喰子ヒグラシ〟を倒した者のことだ」
「ひぐらし……。わすれものをさせるまものだよね」
「ああ。本来魔物は自然から発生するが、日喰子ヒグラシ。そして、
 この領地で大量の記憶を食った日喰子ヒグラシが確認されてね、それを倒すのが目的だ」

 日喰子ヒグラシは、領主が言った通り人間から発生する。
 人間の「忘れたい」という思念が集まり、生まれ、人々の記憶を食らって自我を形成してゆく魔物。そのまま人間と遜色ないほどの擬態もする。
 アイからその存在のことをよく教え込まれていたが、魔女という存在は知らなかった。

「話をまとめるぞ。〝なるべく早く日喰子ヒグラシを倒し、世界に価値ある存在として認めてもらう〟! これが今のエシラができる最善の道筋だ」
「…………」

 具体的な目標が突きつけられたが、エシラにとっては好都合だっただろう。
 あの時、地蔵から左腕と共に託された使命……〝人々置いてきてしまった、大切なわすれものを返してあげる〟。
 答えは、逡巡の間もなく返した。

「やる。わたし、まじょになって、みんなのわすれものをとどける‼」
「よし。それじゃあ、やるべきことを今から伝えるぞ……‼」
「ごくり……」

 剣呑な雰囲気に思わず生唾を飲み込む。
 領主がエシラに課すやるべきこととは……。

「――ッッ‼‼」
「…………へっ?」

 ポカーンと、一瞬彼女の脳内が白紙になった。
 やれやれと言わんばかりにタールが溜息を吐き、口を開く。

「エシラ、今のテメェはだ。魔女になるには魔力の鍛錬が必要だが……魔力酔いでの鍛錬は危険だ。だから、とっとと寝て治せっつーことだ」
「で、でもじかんがないじゃん!」
「焦りは禁物だ。近道しようとすんじゃねェ。遠回りの方がより質のある結果に繋がるからなァ……」
「うぅ……わかった」
「ま、安心しやがれ。アルクス公国魔術学院を主席で卒業したモンが指導するからよォ」
「? そんなすごいひといるの?」

 彼女の問いに対し、タールはビッと音を立てて親指を自分に向ける。

「このオレ、タール様だ」
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