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夕方になり、部屋の空気は少し冷え始めていた。引き戸の隙間から入り込む風が、ほんのわずかに景介の髪を揺らす。
晩ご飯の匂いが台所から微かに漂ってきた。けれど、食欲はなかった。布団の中でぼんやりと天井を見つめていた景介は、やがて目を閉じた。さっきよりは体が軽い気がしたが、まだだるさが抜けきらない。
母が部屋に顔を出して、「何か食べられそう?」と尋ねてくれた。景介は、ほんの少しだけ考えてから首を振った。
「まだ……いい。」
母は短く「うん」とだけ言って、すぐに戸を閉めた。
やがて父が戻ってきた。左手に体温計、右手には薬の入った袋。
「測るぞ。」
景介は無言で頷き、脇に体温計を挟む。しばらくの沈黙のあと、ピッと鳴った音が部屋に響く。
父が画面を覗き込み、わずかに眉を寄せた。
「……三十八度七分。上がってる。」
その言葉に、景介は反射的に「え~」と声を漏らした。
「ちょっと楽になったと思ったのに……」
薬袋から錠剤を取り出した。白いコップに水を注ぎ、枕元に置く。
「飲め。食べてなくても、これは飲んでいいと薬剤師が言ってた。」
「……うん。」
起き上がるのも少しきつかったが、景介はなんとか体を起こし、水と薬を受け取った。喉にひっかかるような感じがして、思わず顔をしかめた。
薬を飲み終えると、父が無言でタオルを手に取り、額の汗を軽く拭った。景介は目を閉じたまま、小さくため息を漏らす。
「……ありがと。」
そう呟いた声はかすれていて、自分でも聞き取れないほどだった。
「もう少し寝ろ。」
父の声は短く、感情を挟まない。けれど、その後しばらく景介のそばを離れようとしなかった。
部屋の明かりが落とされると、戸の向こうで風の音がわずかに聞こえ始めた。景介は布団の中で体を丸める。じんわりとした熱が、また体の芯から立ち上がってくるような気がしていた。
薬を飲んだばかりなのに、寒気が戻ってくる。額にかいた汗も、どこか冷たくなり始めているような感じがした。
(なんか……変な感じだ……)
うまく言葉にできない不快感が、じわじわと広がっていく。胃のあたりが重く、胸の奥にゆっくりと何かがこみ上げてくるような、妙な感覚。
けれど、それをはっきりと「痛み」と呼べるほど強くはない。ただ、体の中で何かがずれていくような、落ち着かない気持ち悪さだけが残っていた。
目を閉じていても、頭の奥がじんじんと熱を帯びていて、思考はぼやけていく。遠くで本をめくる音がする。父の気配が、すぐ隣にある。
(大丈夫大丈夫)
そう自分に言い聞かせるように、景介は小さく呼吸を整える。眠気はまだ残っていた。熱のせいで、まぶたが重く、思考がゆっくりと沈んでいく。
気持ち悪さが薄れていったわけではなかった。ただ、それを意識するより先に、まぶたの裏の闇が深くなっていく。
微かな吐き気とだるさを抱えたまま、景介は静かに、音のない眠りへと引き込まれていった。
晩ご飯の匂いが台所から微かに漂ってきた。けれど、食欲はなかった。布団の中でぼんやりと天井を見つめていた景介は、やがて目を閉じた。さっきよりは体が軽い気がしたが、まだだるさが抜けきらない。
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「まだ……いい。」
母は短く「うん」とだけ言って、すぐに戸を閉めた。
やがて父が戻ってきた。左手に体温計、右手には薬の入った袋。
「測るぞ。」
景介は無言で頷き、脇に体温計を挟む。しばらくの沈黙のあと、ピッと鳴った音が部屋に響く。
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「……三十八度七分。上がってる。」
その言葉に、景介は反射的に「え~」と声を漏らした。
「ちょっと楽になったと思ったのに……」
薬袋から錠剤を取り出した。白いコップに水を注ぎ、枕元に置く。
「飲め。食べてなくても、これは飲んでいいと薬剤師が言ってた。」
「……うん。」
起き上がるのも少しきつかったが、景介はなんとか体を起こし、水と薬を受け取った。喉にひっかかるような感じがして、思わず顔をしかめた。
薬を飲み終えると、父が無言でタオルを手に取り、額の汗を軽く拭った。景介は目を閉じたまま、小さくため息を漏らす。
「……ありがと。」
そう呟いた声はかすれていて、自分でも聞き取れないほどだった。
「もう少し寝ろ。」
父の声は短く、感情を挟まない。けれど、その後しばらく景介のそばを離れようとしなかった。
部屋の明かりが落とされると、戸の向こうで風の音がわずかに聞こえ始めた。景介は布団の中で体を丸める。じんわりとした熱が、また体の芯から立ち上がってくるような気がしていた。
薬を飲んだばかりなのに、寒気が戻ってくる。額にかいた汗も、どこか冷たくなり始めているような感じがした。
(なんか……変な感じだ……)
うまく言葉にできない不快感が、じわじわと広がっていく。胃のあたりが重く、胸の奥にゆっくりと何かがこみ上げてくるような、妙な感覚。
けれど、それをはっきりと「痛み」と呼べるほど強くはない。ただ、体の中で何かがずれていくような、落ち着かない気持ち悪さだけが残っていた。
目を閉じていても、頭の奥がじんじんと熱を帯びていて、思考はぼやけていく。遠くで本をめくる音がする。父の気配が、すぐ隣にある。
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そう自分に言い聞かせるように、景介は小さく呼吸を整える。眠気はまだ残っていた。熱のせいで、まぶたが重く、思考がゆっくりと沈んでいく。
気持ち悪さが薄れていったわけではなかった。ただ、それを意識するより先に、まぶたの裏の闇が深くなっていく。
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