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31.戦闘のあと③
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アランからの言葉に頷いたセラフィナは、軽い足取りで作戦室をあとにした。
それまで肩に背負っていた責任の重みが、ほんの少しだけ和らいだような気がしていた。だがその安堵は、彼女の心の奥底にまだくすぶり続ける何かを消し去ることはできなかった。
近衛詰所の医務室は、広々とした既設の治療施設だが、戦闘の直後とあって普段の静寂は失われていた。奥まった階下に位置するその部屋は、天井から吊るされたランプの柔らかな光に照らされ、薬草の匂いと微かな鉄錆の匂いが混じり合い、疲れた身体と心を支えているようだった。
セラフィナが医務室に足を踏み入れると、治療にあたっていた衛兵たちが軽く礼を取り、彼女は黙礼で応じた。普段は静かに任務を果たす彼らも、負傷した仲間たちに手を差し伸べている様子が見て取れる。そして、そのまま奥の静かな区画へと進む。
ルークがいるのは、医務室の一角に設けられた簡易的な入院スペースだった。白布のカーテンで区切られた個室は、外の喧騒から切り離されており、簡素ながらも落ち着いた空間を保っている。簡易ベッドの横には椅子が一脚置かれ、小さな台には水差しと医療器具が整然と並べられている。
セラフィナはカーテンをそっとめくると、部屋の中央に横たわるルークの姿に目を留めた。
上半身を軽く起こした状態で寝台にもたれ、右肩には厚く包帯が巻かれている。装束は肩口から裂かれ、傷口の処置のあとが覗いている。彼はセラフィナの姿に気づくと、かすかに眉を上げた。
「…来たのか。俺、結構元気だぞ。思ったよりは」
「そう見えるわりには、顔が白い。痛むんだろ」
「まあ、ちょっとだけ。深かったみたいだけど、骨は無事で神経も逸れてるってさ。運が良かった」
セラフィナは黙って彼の横に腰を下ろした。
ルークの声はいつもと変わらないように聞こえるが、息遣いは浅く、額には微かな汗が浮いている。
「運で済ませる話じゃない。あのとき私を庇ったせいで…」
セラフィナの言葉に、ルークはふっと小さく笑った。
「お前が無事だったんだから、俺の肩くらい安いもんだ。」
セラフィナは口を閉ざしたまま、包帯の巻かれた右肩を見つめた。
彼女の中に浮かぶのは、戦場でのあの瞬間だった。自分の目の前で矢を受けたルークの姿が、鮮明に脳裏に焼き付いている。右肩。射抜かれたのは、まさに剣を振るうその腕だった。
「セラフィナ」
呼ばれて顔を上げると、ルークが少しだけ体を傾けてこちらを見ていた。その表情に、いつもの軽さはなかった。
「……お前は。怪我してないか?」
セラフィナは一瞬だけ言葉を探したが、すぐに首を横に振った。
「お前は私が怪我したところを見たことがあるか?」
それを聞いたルークは、ふっと安堵したように目を細めた。左手を持ち上げ、彼女の頬へと静かに触れる。冷たくも熱くもないその掌が、ただ優しく、確かにそこにあった。
「それもそうだな」
セラフィナは動かず、そのまま彼の手を受け止めた。ほんの僅かに、睫毛が揺れる。
「ほんとに、お前は…」
その言葉には怒りも呆れもない。ただ、どうしようもない感情の名残が、ぽつりとこぼれただけだった。
ルークはそれに答えるように、目を細めて微笑んだ。どちらからともなく、沈黙が訪れる。けれどそれは、痛ましいものではなかった。
それまで肩に背負っていた責任の重みが、ほんの少しだけ和らいだような気がしていた。だがその安堵は、彼女の心の奥底にまだくすぶり続ける何かを消し去ることはできなかった。
近衛詰所の医務室は、広々とした既設の治療施設だが、戦闘の直後とあって普段の静寂は失われていた。奥まった階下に位置するその部屋は、天井から吊るされたランプの柔らかな光に照らされ、薬草の匂いと微かな鉄錆の匂いが混じり合い、疲れた身体と心を支えているようだった。
セラフィナが医務室に足を踏み入れると、治療にあたっていた衛兵たちが軽く礼を取り、彼女は黙礼で応じた。普段は静かに任務を果たす彼らも、負傷した仲間たちに手を差し伸べている様子が見て取れる。そして、そのまま奥の静かな区画へと進む。
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上半身を軽く起こした状態で寝台にもたれ、右肩には厚く包帯が巻かれている。装束は肩口から裂かれ、傷口の処置のあとが覗いている。彼はセラフィナの姿に気づくと、かすかに眉を上げた。
「…来たのか。俺、結構元気だぞ。思ったよりは」
「そう見えるわりには、顔が白い。痛むんだろ」
「まあ、ちょっとだけ。深かったみたいだけど、骨は無事で神経も逸れてるってさ。運が良かった」
セラフィナは黙って彼の横に腰を下ろした。
ルークの声はいつもと変わらないように聞こえるが、息遣いは浅く、額には微かな汗が浮いている。
「運で済ませる話じゃない。あのとき私を庇ったせいで…」
セラフィナの言葉に、ルークはふっと小さく笑った。
「お前が無事だったんだから、俺の肩くらい安いもんだ。」
セラフィナは口を閉ざしたまま、包帯の巻かれた右肩を見つめた。
彼女の中に浮かぶのは、戦場でのあの瞬間だった。自分の目の前で矢を受けたルークの姿が、鮮明に脳裏に焼き付いている。右肩。射抜かれたのは、まさに剣を振るうその腕だった。
「セラフィナ」
呼ばれて顔を上げると、ルークが少しだけ体を傾けてこちらを見ていた。その表情に、いつもの軽さはなかった。
「……お前は。怪我してないか?」
セラフィナは一瞬だけ言葉を探したが、すぐに首を横に振った。
「お前は私が怪我したところを見たことがあるか?」
それを聞いたルークは、ふっと安堵したように目を細めた。左手を持ち上げ、彼女の頬へと静かに触れる。冷たくも熱くもないその掌が、ただ優しく、確かにそこにあった。
「それもそうだな」
セラフィナは動かず、そのまま彼の手を受け止めた。ほんの僅かに、睫毛が揺れる。
「ほんとに、お前は…」
その言葉には怒りも呆れもない。ただ、どうしようもない感情の名残が、ぽつりとこぼれただけだった。
ルークはそれに答えるように、目を細めて微笑んだ。どちらからともなく、沈黙が訪れる。けれどそれは、痛ましいものではなかった。
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