姫騎士様は恋を知らない

Sora

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32.夜の訓練室にて

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 夜の空気は冷たく、訓練室の木床に響く足音だけが静寂を破っていた。  
 誰もいないはずのこの場所で、セラフィナは黙々と剣を振っていた。空を切る鋭い音。ひと振りごとに肩口から汗が流れる。

 昼間、何も言えなかった後悔が、腕に重さを乗せる。怒りでも悲しみでもない。けれど、胸の奥に何かが引っかかっていた。

 訓練室に木剣の音が響き始めてしばらく。休むことなく素振りを続けていたセラフィナの耳に、足音が近づいてくる気配が届いた。

「……珍しく陰気な顔をしているな」

 聞き慣れた低い声に、セラフィナは木剣を止め、ゆっくりと振り返った。  
 そこには、訓練着のままのセドリックが立っていた。

「お前がこっちに来るなんて珍しいな。どうした?」

 セラフィナが問いかけると、セドリックはそっけなく言った。

「灯りが点いてたから、誰かと思ってな。……まあ、想像はついてたが」

「そうか」

 それ以上、詮索するつもりはなかった。セラフィナはまた木剣を構え、再び動き出そうとしたが、その手前でセドリックが一歩前に出る。

「せっかくだ。手合わせでもしてやる」

「……ふーん。気が利くじゃないか」

 セラフィナは口元だけで笑い、少しだけ歩を引いた。セドリックも木剣を取り上げ、向かい合う。

 二人は礼もなく、構えたまま沈黙する。そして、次の瞬間には既に踏み込み、木剣がぶつかり合う音が響いた。

 セドリックの剣は鋭く、癖のない綺麗な軌道を描く。力強く、無駄がない。だが、それを受けるセラフィナの動きはさらに無駄がなく、淡々とした応じ方の中に、研ぎ澄まされた鋭さがあった。

 数合交えただけで、彼は舌打ちする。  
 その舌打ちは苛立ちでも、侮蔑でもなかった。  
 貴族としてはふさわしくない振る舞いだが、それはセドリックが昔馴染みや、ごく限られた相手にだけ見せる癖だった。

「……ったく。怪我人の心配して素振りなんかしてる場合じゃないな。お前、調子が良すぎる」

 セラフィナは何も言わず、木剣を構え直す。

「さっきから手加減してない?」

「してねえよ」

 再び、打ち合い。木剣と木剣が交わる音だけが、訓練室に続く。  
 だが、その剣戟の合間。セドリックの胸の内にふとよぎった思いが、表情に影を落とす。

 ――ルークが庇う必要なんて、なかっただろうに。  
 ――好いた女に、あんな顔をさせるくらいなら……。

 だが、口には出さない。  
 セドリックは構えを変え、さらに一歩、踏み込んだ。

 木剣が激しくぶつかり合う音が、訓練室に響き渡る。  
 セラフィナは一歩も退かず、淡々と攻めの姿勢を崩さない。対するセドリックは、普段の飄々とした態度とは裏腹に、本気の力で打ち込んでくる。

「ちっ……!」

 再び、舌打ち。セドリックの足運びは鋭く、剣は迷いなく斬り込む。だが、セラフィナの防御はそれをすべて読み切っていた。手首、肘、そして重心のわずかな動きすら見逃さず、木剣を最小限の動きで合わせていく。

「さすがにやりすぎじゃねぇのか、お前」

 息を切らしながら言うセドリックに、セラフィナは眉ひとつ動かさず返す。

「お前が誘ったんだろ」

 言葉を交わす間にも、剣は止まらない。互いの木剣が交差するたび、床に響く衝撃音が増していく。  
 一太刀ごとに強まる気迫に、訓練室の空気は熱を帯び始めていた。

「……くそっ!」

 セドリックが低く呻き、体勢を変えて大きく踏み込んだ。腰のひねりを活かした水平の一撃。だが、それすらもセラフィナは見切っていた。

 木剣が交わる直前、わずかに身を沈めた彼女は、すれ違いざまに手首を払う。  
 セドリックの木剣が宙を舞い、軽い音を立てて床に落ちた。

「――終了」

 セラフィナは木剣を構えたまま、小さく息を吐いた。対するセドリックはその場に立ち尽くし、落ちた木剣を睨みつける。  
 額から汗が垂れ、肩で息をしていた。

「……くっそ、やっぱりお前、化けもんかよ」

 呆れと悔しさが混じった声。けれどそこに敵意はない。  
 セドリックは頭を振って、舌打ちをもう一度だけ鳴らした。

 無言で落ちた木剣を拾い、所定の棚に戻す。
 その背中はどこか投げやりで、 「……ま、これで少しは気が済んだんならいいけどな。ったく、やってらんねぇ……」

 ぽつりと呟いて、セドリックは訓練室の扉を押し開けた。
 冷たい夜風が入り込み、彼の乱れた髪を少しだけ揺らす。

 扉がゆっくり閉まる。
 再び静けさを取り戻した室内に、セラフィナはひとり立ち尽くしていた。けれど妙に静かだった。

「あいつ何しに来たんだ?」

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