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おまけSS:ヴィンフリートの朝
――結婚に興味はなかった。というより、する意味を一切感じなかった。
「なあヴィン。外交の仕事、もう少し本格的にやってみないか? ついでに、結婚しない?」
「はい?」
王家と縁のある伯爵家の次男として生まれた俺は、宮廷文官の道に進んだ。
第一王子レオポルトとは同い年の幼馴染みで、成人しても変わらず、時々暇つぶしに呼びつけられる。
「外交任務に関するお話については謹んでお受けします。しかし、結婚は意味がわかりません」
「これまでは上司について隣国出張に行くくらいだっただろ? だけど、本格的にとなると結婚は必須だ。隣国は既婚者じゃないとなかなか信用してくれないからね」
「職務のためだけというなら尚のこと、そんな結婚を望む女性なんていないでしょう」
「いやあ、それがさー。先方にも利がある縁談があるんだって」
レオポルト殿下から唐突に投げられた縁談の相手は、とある地方貴族家の令嬢だった。「家が傾きかけている間に娘さんが婚期を逃したから、助けてあげると思ってよろしく」と。しかも既に先方と話は付いていた。
そこまでされれば断るわけにもいかず、渋々受け入れた。会ってみて不成立となれば、それはそれでいいと思った。
「アマーリアと申します。身に余るお話を頂いて、大変感謝しております」
年齢のわりに落ち着いたご令嬢という印象だった。
そして見合いと聞いていた席は、見合いというより結婚前提の顔合わせだった。挨拶が済むと、結婚式の日取りなど具体的な話題を振られる。
だが、そうした無駄のない進行は、むしろ好ましいと感じてしまった。こういう相手ならやっていけるのでは……と、あのとき既に俺の心は動いていたのかもしれない。
そのまま滞りなく結婚式を終えた。初夜は当然の礼儀として、特に疑問を抱くこともなく寝室を訪れた。
しかし――翌朝、ベッドの端で、俺に背を向けて眠る妻の姿を見たとき。自分が間違っていたかもしれない、そう思いはじめた。
――五年が経った今、彼女はあのときと同じ格好で眠っている。ベッドの端のほうで、こちらに背を向けて。
目覚めて、状況を呑み込むのに少し時間がかかった。時が巻き戻ったかとさえ。
しばらくその背中を見つめていると、目を覚ましたらしく、彼女はゆっくりこちらを向いた。
「……おはよう。起きてたの?」
「……昨夜のことは、夢か?」
「え?」
嫌われていると思っていた。その誤解がとけて、昨夜は初めて夫婦らしい夜を過ごしたはずだった。
「どうしたの? もしかして、“後悔”した?」
「いや、まさか。……夢じゃなくてよかった。なぜそんなに端で寝ているんだ?」
「え……無意識だと思うわ。あなたが狭いかなと思って。部屋に押しかけたのは私だし」
彼女の、気を許した雰囲気の口調に安堵する。昨夜、互いに引いていた線をほどくことができたと思ったのは、現実だった。そっと彼女を抱き寄せる。
「……五年前の朝も、君はこうだった。端のほうで、俺に背を向けて」
「この向きで眠るのがくせなのよ」
「嫌われていたわけじゃなかったんだな」
「ええ。……もしかして、それで? 私があなたを嫌ってるって思ったの?」
今思えば幼稚な誤解だ。頷くと、彼女は寝起きでとろりとした藍色の瞳を大きく見張った。
「ごめんなさい、私のせいだったなんて」
「君のせいじゃない。俺が、情けなかっただけだ」
彼女がこの結婚を解消したくなったらいつでもできるよう、白い結婚にすべきだったと後悔した。そんな惑いを抱えるうち、妊娠の報せが届いた。
エーミルが産まれ、彼女は俺に、「幸福な存在を授けてくれてありがとう」と言った。どれほど驚いたか。あの夜が間違いだったとしても、それとは別に彼女が今喜んでくれているなら。男女ではなく子供の両親として、夫婦をやっていけばいいと思った。
だが――
「……もっと早くこうすればよかったな」
「落ち着いたご令嬢」は、妻としての仕事もそつがなかった。生家を立て直す際に彼女も手伝ったと言うが、実のところ彼女の手腕は大きかったのだろうと思う。
俺が文官になるにあたって王都に与えられた家は、時々帰るだけだからと大して手をかけていなかった。それを彼女はきっちり管理し、毎月過不足のない報告書を送ってきた。彼女の生家に送った支援金についても。どうせ独り身で持て余していた金だから好きに使ってくれと言ったのに、「そんなわけにはいかない」と、端数の端数まで何に充てたか詳細な内訳を出してきた。
彼女の気質を表すような、真っ直ぐで美しい文字で。
だが、そうした生真面目で隙のない性質の奥に。柔らかくどこか不器用な面が隠されていたことを、昨夜初めて知った。どちらもまとめて愛おしい、とも。
腕の中でほどけていく彼女が愛しくて仕方なく、夜を惜しんだ。過ごしてこられなかった五年分も含めて。
「ほんと、二人して馬鹿みたいね」
軽く笑ってくれる彼女に救われる。もっと早く気がつけばよかった。俺ははじめから彼女に惹かれていた。
「……俺はひどい男だな。どんな形であれ、あの夜のおかげで君を繋ぎとめられたこと、よかったと思った」
なぜか瞳を泳がせ、頬を染めて、照れ隠しのように手を伸ばしてくる彼女。すがるように首へ回された両腕を受け入れ、その細い背を抱きしめる。
任地では売られていない石鹸の、素朴で控えめな花の香がふわりと届いた。
「私ね……自分でも気づいていなかったけれど、きっと最初からあなたに惹かれていたと思うわ」
「俺もだ。君と夫婦になれてよかった」
五年は惜しくとも、後悔はしていない。すれ違った時間さえ自分たちらしくも思え、全部まとめて愛せるような気がした。そしてそれは紛れもなく、彼女のおかげだ。
(了)
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