兎獣人《ラビリアン》は高く跳ぶ❗️ 〜最弱と謳われた獣人族の娘が、闘技会《グラディア》の頂点へと上り詰めるまでの物語〜

来我 春天(らいが しゅんてん)

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◆第31話 希望の箱

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 帰宅した俺は、壊れた鉄靴ソルレットを袋に入れたまますぐに家を出た。
 完全な修理は無理だとしても、せめて決勝戦で使用できる程度にしてくれる鍛冶屋がないかを探すためだ。

 だが決勝戦を前にして、武具が壊れてしまったことを第三者に知れ渡るのは避けたい。
 今や闘技会グラディアにおいて大スターとなりつつあるピノラだ、武具の損失が露見すれば、その話は瞬く間にサンティカ中に知れ渡り、決勝戦を戦う相手陣営にも知られてしまうかもしれないからだ。
 同じ理由で戦いを終えたばかりの、決勝を控えたピノラに街中を歩かせる訳にもいかない。
 そのため、ピノラには自宅で待つように言ってきた。
 ……本来ならば引き続き準決勝第2試合が行われている闘技場に残り、決勝戦の相手を確認したかったのだが……それよりも今は、修理を優先しなければ。
 しかし、そんな俺の希望はわずか数刻で打ち砕かれる。

 サンティカに数件ある鍛冶屋を訪ねてみたが、そもそも闘技会グラディア開催中の期間である現在は仕事を受け付けていなかった。
 闘技会グラディアはサンティカの人たちにとって年4回ある娯楽そのものである。
 市民の休日に好き好んで仕事をするなど、闘技場の屋台の人たちくらいだろう。
 唯一依頼受付を行っていた鍛冶屋もあったのだが……俺がピノラの訓練士トレーナーであることに気付いたようで、あまりに法外な値段を提示されたため破談となってしまった。

 
 もはや打つ手なし。
 4日後の決勝戦まで、ピノラの武具を直せる手段は無くなってしまった。

 こうなったら自力で修理するべきか、という事まで考えたが……素人修理でどうにかなる代物でもない。
 それにそんな事をすれば、俺の粗末な扱いによって決勝戦本番でピノラが怪我をしてしまう可能性だってある。
 俺はフードで顔を隠しながら、夕暮れになりつつあるサンティカのメインストリートをとぼとぼと歩き続けた。

 空には巨大な雲が浮かび、酷暑の季節を感じさせる。
 暖かく湿った南風は、乾季の長いサンティカに潤いを齎してくれる。
 闘技会グラディアの開催されている期間は街全体が明るく華やかな雰囲気に包まれ、1年のうちで最も色鮮やかに彩られる季節なのだが……今の俺には何もかもが灰色に見えてしまう程だ。
 無心で歩き続ければ、何か妙案が思いつくかも知れない────────
 そんな藁にもすがる思いで足を前に運び続けていたのだが……そんな奇跡の気配も無く、あっという間に家の前まで着いてしまった。



 4日後の決勝戦はどうする

 いや、それよりも今夜、ピノラに何と言えば良い



 こうなったら、一か八かで決勝戦に挑むより、ピノラが怪我をしないよう棄権すべきか。
 だが、そんな話をすればピノラはまた泣いてしまうだろう。
 既に家の中で、泣いて待っているかもしれない。
 絶望の中、玄関扉の前に近づくと…………

 中から勢いよく走ってくる足音が聞こえ、唐突に扉が開かれた。



「トレーナーっ!! おかえりぃぃっ!」


 次の瞬間、ピノラが満面の笑みで飛び出してきた。
 恐らく俺が帰宅した際の足音を聞きつけたのだろう。
 いつもの心安らぐ笑顔で出迎えてくれた。
 だが、俺はどこか違和感を感じる。
 何故だろうか、家を出る時にはしょんぼりとしていたはずのピノラだが、とても元気になっている。
 家の前に着いた俺の腕を抱きしめ、微笑んでいる。
 お気に入りにの部屋着から飛び出た真っ白な短い尻尾が、ぴくぴくと跳ねているのがとても可愛い。

 帰宅と同時にこんな笑顔で出迎えてくれるなんて、置いて行かれてしまったのがよほど寂しかったのだろうか。
 俺は目を閉じ、深く息を吐いた。
 ピノラに伝えなければ。
 武具が修理できなかった事を。
 明日の決勝戦を棄権しようと思っている事を。

 意を決し、俺は口を開く。




「ピノラ、実は武具なんだが、やっぱり直せ ──────」

「トレーナー! ねぇ、見て見てっ! 来てくれたんだよっ!!」

「…………って、えっ? 誰か来たのか?」


 悲しい報告をしようとした矢先、元気いっぱいのピノラの声に遮られてしまった。
 袋を持っていない方の俺の腕をとり、ぶんぶんと振る。
 何のことだ?
 俺が留守の間に、来客があったのか?
 

「お、おいピノラ、『来てくれた』って一体……?」

「ほらほらっ! こっちに来てっ、トレーナーっ!!」


 顔を高揚させて飛び跳ねるピノラ。
 ぐいぐいと腕を引っ張られた俺は、一緒に玄関扉の前まで歩いて行き

 そこで俺は、目と耳を疑った。






「んん? おいおい、どうした。随分と暗い顔をしてるじゃねえか? 優勝候補の訓練士トレーナーさんよ」

「シュ、シュトルさんっ!!?」


 思わず叫んでしまった。
 そこには、黒い杖に寄りかかって立っているシュトルさんが居た。
 相変わらずの古めかしい外套コートに、ぼさぼさの髪と髭。
 旅用だろうか、手には灰色の高級そうなステッキが握られている。
 その顔は、帰宅した俺の顔を見て優しく微笑んでいた。


「シュトルさん、サンティカに来てたんですか!? てっきりヴェセットに居るものだとばかり……!!」

「へへへ、お前たちには内緒で来てたんだよ。それに、実際ここ数日はサンティカにゃ居なかったからな。ま、詳しい話は家の中でさせて貰おうかね。まわりを人馬獣人ケンタウロス族の娘さんたちが警護してくれているようだったが、他人に聞かれないに越したことは無いからな。お邪魔して良いか?」


 良いもなにも……と、返事をしようとした俺だったが、それよりも先にピノラが玄関扉を勢いよく開け放っていた。


「シュトルさんっ! いらっしゃーい!」


 俺はそんなピノラに腕を引かれ、背中をシュトルさんに押されるようにして帰宅した。



 ◆ ◇ ◆



 リビングへと入った俺は、シュトルさんに席に座るよう促した。
 棚から茶葉を出し、飲み物の用意をしようとするが……


「あー、いい、いい。お構いなく」


 手をひらひらとさせながら、断られてしまった。
 いつものシュトルさんの調子だ。
 どこか気だるそうにしている雰囲気も、今日は何だか見ているだけで安心できる。
 俺は仕方なくピノラと一緒にテーブルの周囲に歩み寄る。


「それよりも、まずは決勝戦進出おめでとうさん! すげぇじゃねえか!」

「あ、ありがとうございます……ここまで来られたのは、まさにシュトルさんのお陰ですよ」

「いやいや、俺は大した事はしちゃいねえ。まず誰よりも頑張ったのは、他ならぬお嬢ちゃんだ。お嬢ちゃん、良く頑張ったなぁ。1回戦の試合を見ていたが、本当に凄かったぞ。あそこに居た観客のほとんど全員が感動して泣きまくってたじゃねえか!」

「えへへへー! ありがとう、シュトルさんっ!!」


 1回戦の勝利の模様を知っている、と言う事は……あの時、シュトルさんは闘技場に居たのだろうか?
 頭をわしわしと撫でられ、ピノラは嬉しそうに身体を揺すられている。
 なんだか祖父と孫のワンシーンのようにも見えて、大変微笑ましい。


「そしてお前もだ、アレン。これでお前も、間違いなく一流訓練士トレーナーとして世間に注目されるな!」

「そう、かもしれませんね」


 俺は労いの言葉をかけてくれるシュトルさんに微笑み返す。
 だが、シュトルさんはそんな俺の顔を見て肩をすくめた。


「……おいおい、辛気臭しんきくせぇ顔をしてんなあ……。ま、無理もえか。さっきお嬢ちゃんから聞いたよ、武具が壊れちまったんだってな?」


 ずばり不安の種を言い当てられ、俺は身をこわばらせる。
 俺は無意識のうちに掌を強く握りしめた。
 もちろんシュトルさんを相手に隠し事などするつもりは無かったが……俺は手元に視線を落としながら、持ち帰ってきた袋から壊れた鉄靴ソルレットを取り出し、テーブルの上に乗せた。


「……はい、そうなんです。今日のリダ選手と戦ったときに壊れてしまったようです。幸いにもピノラに怪我はありませんでしたが、この有様で……」

「ふむ……なるほど、ちょっと見せてくれ」


 そう言ってシュトルさんは、テーブルの中央に置かれた鉄靴ソルレットを引き寄せて手に取った。
 重たい武具を眼前で回転させながら、間近で確認していく。
 ごく短い時間で一通りの有様を見終えると、そっとテーブルの上に置いた。


「ううん…………確かに、こいつはもうダメだな。肝心の膝周りの構造まで壊れちまってる以上、こいつはただの鉄の板にしかならん」


 差し出された武具から手を離し、シュトルさんは淡々と話す。
 あまりの申し訳なさに、俺は立ち上がって頭を下げた。


「すみません、シュトルさん……! せっかく用意してくれた武具だったのに、決勝戦までに修理できそうにありません!」

「おいおい、何でお前が謝る必要がある。顔を上げろ、アレン」


 そう言って立ち上がったシュトルさんは、テーブル越しに俺の肩を叩いてくれた。
 唇を噛み締めながら見上げると、彼の灰色の瞳が俺を優しく見ている。


「こうなっちまうのも仕方ないさ。聞いた話じゃ、今日の対戦相手はアダマント製の鎧を着けていたんだろう? 鉄製の武具でぶつかり合えば、こっちの武具が壊れちまうのは当然よ。それよりもお嬢ちゃんが怪我しなかったのは本当に良かったぜ」


 こんな時でさえ、ピノラの怪我を案じてくれるとは。
 シュトルさんの優しさを改めて感じ、胸が締め付けられる思いだった。
 俺はバラバラになった武具のパーツ越しに、シュトルさんを見る。


「シュトルさん……どうすればいいんでしょうか。このサンティカには、この武具を直せる手段がありません……! 今からヴェセットに行っても間に合わない! そうなれば……ピノラは武具なしで決勝戦に挑むしか────────!」

「まぁまぁ、落ち着けアレン」


 絶望し叫ぶ俺に、シュトルさんは落ち着いた声で語りかけた。
 何だろう?
 こんな状態の武具を見たのに、まるで困惑した様子が無い。
 それどころか、横にいるピノラと目を見合わせて笑っている。



「えへへへ……! トレーナー! だいじょうぶだよっ!!」

「えっ?」

「今日はな、お前たちにプレゼントを持ってきてやったんだ」



 そう言いながら、シュトルさんは足元に置いていた木箱を取り出した。
 何だ?
 こんな木箱、うちのリビングには置いていなかったが……。


「これはな、今日ヴェセットから運ばせたもんだ。こいつは俺の訓練士トレーナーとしての、最後の仕事よ」


 テーブルの上に置かれた大きな箱を見て、俺は目を細めた。
 ところどことがささくれ立った、果物用の木箱を再利用したような見た目。
 蓋の隙間からは大鋸屑がはみ出ており────────

 待てよ。
 この木箱、俺は見覚えがある。
 
 前回見たのは、確か2ヶ月前……ピノラが初めて今の武具を装備した、あの日

 そうだ

 間違いない、これは────────





 ヴェセットにある鍛冶屋、『ガリオン工房』の紋章入りの焼印が施された、武具の木箱!





「ま、まさか…………!?」


 俺は震える手で、木箱の縁を掴む。
 そしてゆっくりと蓋を開け
 中を見た俺は、驚きのあまり言葉を失ってしまった。


[635118708/1637077265.mp3]


「……アレン、そしてお嬢ちゃん、こいつを受け取ってくれ。兎獣人ラビリアン訓練士トレーナーである俺の最高傑作──────── アダマント鉱で作った新品の武具だ」




 緩衝材の中から出てきたのは……なんと、黒く光る新品の武具だった。
 別名『黒鋼』とも呼ばれる特有の色と艶のない表面は、間違いなく希少金属であるアダマントで作られたことを示すものだ。
 壁に掛けられたランプの光を反射するそれは、神々しいまでの輝きを放っている。
 1ヶ月前にシュトルさんの家で初めて見た鋼鉄製の武具と同じ配置で、箱に収まっていた。


「ふわぁぁ…………! きれいっ……!!」

「す、凄い……ほ、本当に……アダマント製の武具っ……!?」


 構造は、今まで使用していた鉄製のものと殆ど同じに見える。
 だが決定的に違うのはその薄さだ。
 重量を稼ぐために無骨さを感じるほど厚みのあった鉄製の武具と異なり、目の前にあるアダマント製の武具はすらりとした美しい曲線のシルエットで形作られている。
 足首を覆うプレートやふくらはぎ部分を保護する装甲には美しい装飾エングレーブが施されており、それはもはや戦いの道具ではなく美術品のようにさえ見えるほどだ。


「すごいすごーいっ! 綺麗で、可愛くって、強そうっ!!」

「へへへ、お嬢ちゃん、気に入ったかい? 前回の『試作品』と同じく、ヴェセットで鍛冶屋をやってるガリオンの野郎んところに依頼したんだが、『装飾なんていらねえからさっさと仕上げろ』って言ったのに、あの野郎が『絶対に間に合わせるから入れさせろ』ってうるさくってよぉ!」


 シュトルさんの言う通り、よく見れば足首を保護するためのプレートには、木箱にあったものと同じガリオン工房の紋章が付いている。
 そして膝から大腿にかけての衝撃を吸収する構造部分には、一見して草木のような模様が描かれていたのだが……
 それは筆記体で書かれた文字を崩したものだった。
 そこには、このサンティカやヴェセットで使われている言語で、こう書かれている。


兎獣人ラビリアンは、世界で最も高く跳ぶ────────』


 この言葉を、俺は知っている。
 20年前に闘技会グラディアを制覇した最強の兎獣人ラビリアン、ファルルの言葉だ。
 その言葉を体現したかのように8強まで上り詰めたファルル。

 今、その言葉がピノラの武具に。

 その文字を見て
 俺の目からは、涙が溢れ出した。
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