ハッピーエンドはカーテンコールのあとで

おく

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#12 鬼ごっこのゴール

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 翌朝はすっきりと目が覚めたので一の堂で体を動かし、アバルは子どもたちと荷車を引いて市に向かった。
「いらっしゃい、いらっしゃい。おいしい朝採れ野菜ですよー」
「ぼくがとったよー!」

 子どもたちの元気な声が響く。
 市は月に二度程度、六波羅より西の河原沿いにある通りで開かれ、人々が品物をもちこんで販売する。普通店を出す場合には幕府やその場所を仕切っている座と呼ばれる組合に許可を取らなければならないのだが、この市は斎宮が管轄する神事のひとつなので、一切自由だ。どのあたりが神事なのかアバルにはよくわからないが、北辰寺の財源の一つには違いない。

「やあ、いつも楽しみにしてますよ。たくあんはあるかな?」
 子どもたちの声にぱらぱらと客が集まる。銭のやりとりをするのでキスケに習ったことが実際に役に立つのと、なにより自分たちで育てた野菜や加工品が求められることがうれしいようだ。あまり大勢でいっては迷惑になるので市に出かけるのは五名程度なのだが、最終的にアバルはシフト表を作ることになった。将来自分の店を持ちたい、と夢を語るようになった子どもが言うには、「値切りに答えるようでいかに買わせるかの駆け引きが楽しい」のだそうだ。キスケが感心していた。
「あの、北辰寺の方ですか? 少し、お時間をいただいても……?」

 一組の男女だった。若くはないが、老いてもいない。きちんと身なりをととのえた夫婦のぎこちなく緊張した面持ちに、アバルたちもつられた。北辰寺に赴きたいという、その都合をたずねるために声をかけたようだった。
「ほらほら、空気が悪いとお客さんが声かけづらいでしょ! 須王の組に売上負けてもいいの!?」
 パンパンと景気よく手を打つのは先の値切りの楽しさについてアバルに語ってくれた少女である。アバルの知らないうちにキスケと交渉を進めていたようで、来年から勉強のために財前屋に奉公に入ることが決まっている。きっとやり手の女主人になるだろう。

「ねえ、あっちで何かあったみたいだよ」

 往来は買い物を楽しむ人々でにぎわっている。劇場街のファンもいるらしく、ときどき聞き覚えのある公演の感想や一座の名も聞かれた。いいなあ、とアバルは内心でうらやむ。
 一人が指さしたのは南の方だ。はじめは喧嘩でもあったのかと思いきや、ただごとではない悲鳴がだんだんとこちらへ近づいてくる。人々の表情が恐怖に塗り替えられ、活気ある朝市は一転、パニックとなる。

「吸血鬼だああああ!」

 てんてんと地面をはねていたスズメが驚いたように飛び上がった。一人が垂れた天幕にひっかかって転倒し、後続の人々がそこへつぎつぎと折り重なる。アバルにできたのは巻き込まれないよう、とっさに子どもたちを抱えて河原の方へよけることだけだった。
「どけ、邪魔だ!」
「何してるんだよう!」
 はからずもできた人の壁に逃げてきた人々が罵声を浴びせる。うめき声をあげるそれらを踏み越えていく後方、ソレは現れた。

(なんでっ……)

 アバルが怒りにも似た恐怖に撃たれたのは、「ソレ」が朝日を浴びて立っていたからである。不幸にもこの場に居合わせてしまった多くの人間がおそらくアバルと同じ恐怖を抱いただろう。
 なぜなら吸血鬼は「日のある時間帯には現れない」はずだったからである。
「来るな、来るなああああ!」
 人々が唖然としている間にも化け物は無差別に襲い掛かっていく。その犠牲となったのがいまだ身動きできず堰を作っている人々で、その間に動ける人間は逃げる、といった凄惨たるありさまだ。
「う、ああ……」
 大人のアバルだって声を失ったのだから、幼い子どもたちであればなおさらだった。喘鳴のような声に見ると、抱えている子どものうち一人が過呼吸を起こしかけている。

(どうする)

 屋台の陰になっているおかげか吸血鬼はまだこちらには気づいていないようだが、全員を抱えて走るのはどう考えても不可能だった。アバルは覚悟を決めた。
「いいか」
 その顔は蒼白ではあったが、未来のやり手女主人はアバルの声に反応を示した。短く呼吸をくりかえす姿に申し訳なさを覚えながら、アバルは言葉を続ける。
「きっとすぐに一郎太が助けに来てくれる」
「う……」
 アバルがただ気休めに吐いているわけではないことを、少女はすぐに察知したらしい。 えらいぞ、とその髪を励ますようになでて、アバルは腰をあげた。

「俺がひきつける。その間に皆と走れ」
「えっ!?」
「売上、忘れるなよ、女将さん」

 サービスでウィンクを添えてスタートを切る。あとを追いかけてきた悲鳴じみた声に泣きそうになったが、結果的にそれはアバルの意思を後押しした。足元にちらばる割れた大根を拾い、アバルは吸血鬼の背中に向かって投げつける。
「このやろー! こっち向けぇ!」
 無視されたらどうしようかと思ったが、さいわい吸血鬼はアバルに関心を持ってくれたらしい。ぐったりと力を失った獲物をぽいっと捨て、血に濡れた顔をアバルに向けた。

「よし、こい、こっちだ!」

 不思議なことに化け物は衣服をまとっていて、まるでつい今の今まで人間として生活していたかのようだった。「悠里」はたとえるならば墓場から掘り起こされた遺体だった。だが、早朝堂々現れたこいつは。
(吸血鬼は、人間だったのか?)
 こんなときだというのに昨日聞いたキスケの話を思い出した。『毒』を受けた人間が吸血鬼になるという話だ。
 あのときはキスケがそうなることを恐れて、その未来を否定するために怒鳴った。
 が。
(俺の話だったのかよ、あの野郎!)
 奇跡的に化け物の攻撃をかわしながら、アバルは心の中でキスケを罵倒する。実際すでに吸血鬼に噛まれているわけなので。
 つくづくあの男の冗談は笑えない。そもそも本人の目の前で言うか、普通。

(いや、そういうやつだった……)

一人逆走しながらアバルは泣きたくなる。さて無事にこの場をきりぬけて文句を言ったとして、「今頃気づいたんですか?」とばかりにフフンと鼻で笑われるだけに決まっている。
(なんか頭来た)
 絶対絶対生きて帰ってやる。
 思うもしかし現実として、「この先」をどうするべきか。
 すなわち、吸血鬼を引き付けて子どもたちを逃がした、そのあとだ。一郎太たちプロにすらどうすることもできない化け物を、一般人のアバルにどうこうできるはずがない。
(俺のバカバカ)
 呪ったところで後の祭りである。ともかくもアバルは吸血鬼を人のいない方へいない方へと誘導する。途中、逃げ遅れた人や運よく難を逃れた人を見つけた際には吸血鬼の注意を引きつつ、侍所へ知らせるよう頼んだ。

 軒を連ねていた立派な看板をかかげ幕などで装飾された建物がやがてみすぼらしく、まばらになっていく。途中には吸血鬼の犠牲者らしい遺体があって、吸血鬼はこちらから市へ来たのだろうかとアバルは考えた。
「うわあっ!?」
 足がもつれたような感覚とともにアバルはにわかにつんのめる。かろうじて顔からのダイビングはまぬがれたものの、窓にひっかかるようにして飛び出していた遺体と見合う形になった。まさかと思ってふりかえると同じように屍がある。これに足をとられたのだ。

(……ここは)

 強い死臭に眉根を寄せる。気づけば洛土のはずれまで来ていたようだ。
 華やかな都のふきだまり。誰に教えられたわけでもないのに、自然と「そういう」者たちがたどりつく場所がある。アバルがかつてそうだったように。
「なんてむごい……」
 獣の群れに襲われたようなありさまに、アバルは言葉を失う。逃げ惑う人々を片っ端から襲ったのだろう。そのときの光景が目に浮かぶようだった。
(そして、次の犠牲者が)
 一度休んでしまった足はもう動きそうにない。肩で激しく呼吸をしながら、アバルはそちらへ体を向けた。

『……』
「……」

 しばし睨みあうも、不意に吸血鬼の様子が変わる。野生の獣が縄張りを主張するように威嚇をはじめたので、アバルはぎょっとした。吸血鬼の視線を追ってさらに驚く。
『ギャッ! グアアアアア!』
 なんと、死体のひとつがむくりと体を起こしたかと思うと、吸血鬼になったのである。それだけではない、あちらでもこちらでも、カッと目を見開いたかと思うと立ち上がり、兵士が鬨の声をあげるように咆哮している。
(ちょっと待って!)
 叶うなら気絶して現実逃避したいがそうもいかない。悪夢なら一刻も早く目覚めたいところだが、残酷なほどに現実だった。アバルは絶望した。
(ああ、もっと歌いたかった。舞台に立ちたかった。阿国役も、一度でいいからやってみたかったな)
 結局ここで俺の人生、おしまいかあ。
 死を覚悟するも、しかしいつまで経っても痛みはやってこない。不思議に思って目を開くと、目の前に男が立っていた。

「へえ、こいつは驚いた。あんた、正気を保っているのか」

 くたびれた修道服の男は長身で、服ごしにもわかるほど痩せている。もとは違ったのではないかと思うのは姿勢のせいかもしれない。喉をいためているのか、滑舌はよさそうなのにその声はかすれていて、少し注意しないと聞き取れないほどだった。
 男はアバルを興味深そうに見下ろしている。その周囲には吸血鬼が群れているというのに、男には恐れる様子もおびえる様子もなかった。
「まだこんなに起こす予定じゃなかったんだけどなあ。あんたの魔力アニマ? だっけ? に反応したんだな。ほら、動物も人間もあきらかな異物がまざりこむと警戒するだろ」
 何を言っているのかよくわからない。無意識にアバルは右肩を手で押さえる。
「困ったなあ、あんたが普通の人間だったら殺しちまえば事は済んだんだが、そうもいかない。うちの王様がめっちゃ興味津々なもんでさ。初めてなんだって。あんたみたいの」

 なあ、と男がアバルに顔を近づけた。ハイライトのない、どこまでも落ちていく穴のような瞳がアバルをのぞきこむ。
「王様があんたに尋ねたいそうだ。『なあ、あんたのそばに我が同胞はいないか』?」
「同胞……?」
「曰く、あんたからは王様の同胞のにおいがするんだそうだ。しかもどっちも嫌いなやつときた! あっはっは! どこの世界にもいるもんだねえ、馬の合わない部下、同僚あるいは上司。あははは」
 男と会話をしているのはアバルのはずなのに、男はまるで別の誰かと会話をしているかのようだ。正気ではないのだろうか。
 不気味に思ったアバルが逃げようと身じろいだときだった。男が小さく動いて、直後アバルの両足は二本の杭によってうがたれた。
「ぐあああああっ」
「無礼なやつめ。まだ王様が話してる」
 男が冷ややかに言う。それからまた姿の見えぬ何者かとの会話をはじめた。

(熱い……)

 入れ物をかたむけていくように血が流れていく。ああ、もったいないなと思って、アバルは首をかしげた。もったいないってなんだ。たしかにこのまま放っておけば死ぬかもしれないが。
 脚が熱い。痛い。だけどそれ以上に右の肩がやけに重かった。重くて熱くて、そこから凶暴ななにかが広がっていく。
「俺は殺した方がいいと思いますけどね、王様がそう言うなら。……え? はいはい、どうせおれはきたねえ中年男ですよ」
 意識がどろどろとした何かに混ぜられていくような気分だった。それでいて目は開いていて、濁った視界がある。その顎を突如、強い力でとられた。口を開けられ、何か液体のようなものが落とされる。
「光栄に思えよ。王様は貴様の若く美しいいれ物が気に入ったそうだ。見事王の血に耐えたなら、貴様の肉体は幾久しく我が王の器としての栄誉を受けるだろう」
 朦朧とするアバルにもはや男の声は届かない。そのままアバルは気を失った。

 
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