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01:とんでもない婚約者

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 シュレーダー伯爵家嫡男ディータは夕食後に自室で読書することを習慣としている。

 プラチナブロンドに透明感のある空色の瞳、鍛えているのに着痩せするせいで細身に見えるスラリとした体躯に長い足。まるで物語に出てくる王子さまと言わんばかりに整った面立ちのディータが読書する姿は、誰もが思わず見惚れてしまうほど美しい。

 その麗しい姿を一目見ようと、侍女たちが紅茶の給仕係の争奪戦を日々行っているなど、本に夢中になっているディータ本人が知るよしもないことで。

 だからその日も本を片手に部屋でのんびりと寛いでいたディータは、遅い帰宅をした父親から執務室に来るよう急な呼び出しを受けたことに、思わず首を傾げた。

 ディータがこの読書タイムを大事にしていることを父伯爵はよく知っている。ゆえにこの時間帯に呼び出されることは非常に珍しい。

 一体なんの用事だろう。

 不思議に思いながら急いで向かった執務室で、ディータはにこやかな父親からこんなことを言われた。

「キールマン子爵との共同事業が決まったよ。それに伴い、キールマン家の令嬢をディータの婚約者に迎え入れることが決まった」
「キールマン家……ご令嬢のお名前は?」
「ルイーゼ嬢だ。二才年下で貴族学園の一年に在籍しているらしい。三年の君とは校舎が少し離れているが、会ったことはあるかい?」

 少しだけ考えてディータは首を振る。

「いえ、ないと思います」
「そうか。特に問題がなければ、ルイーゼ嬢の卒業とともに結婚式を挙げることになる。君が学園を卒業するまで残り半年足らず。その間にしっかり交流を図っておくといい。それが結婚後の円滑な夫婦生活にも役に立つだろうから」
「承知しました」
「二週間後に初顔合わせと婚約書の調印式を行う。それまでは他所よそからの横やりを防ぐために、二人の婚約のことは世間には秘密にしておきたい。だから学園でルイーゼ嬢に会っても声をかけてはいけないよ。分かったね?」
「はい」

 そうは言われても妻になる女性のことだ。気になってしまう。

 翌日の学園での昼休み。
 ディータは親友であるロニー・デーンホフと食堂で昼食をともにした後、トイレに寄るから先に行くなどと適当なことを言って、いつもより少しだけ早めに席を立った。そのまま少しだけ緊張しながら一年の教室へと足を向ける。

 一目だけでいいから婚約者の姿を見てみたい、と、そんな期待ゆえの行動だった。

 しかし、一年生棟に着いたディータは、そこで困り果てることになる。将来の嫁、ルイーゼ・キールマン子爵令嬢がどのクラスにいるのか分からないのだ。

 婚約の件はまだ公表されていないため、他人に彼女のことを尋ねるのははばかられる。

 どうしたものかと悩んでいると、赤毛にオレンジの瞳をした色気ある令嬢が声をかけてきた。

「あの、なにかお困りですか?」

 貴族社会において、知らない相手に声をかけることは――特に女性から男性へは――不躾で品のない無礼な行為とされる。それを自分がされたことにディータは驚いたが、表情には一切出さず、頭の中で瞬時にこんなことを考えた。

 一年生とはいえ無礼な行為を平気で行うということは、おそらく赤毛の令嬢は下位貴族の者に違いない。少なくともディータが記憶している高位貴族子女の中に、彼女の顔は入っていなかった。
 
 であれば無視しようとも問題はない。そのまま捨て置こうかとも思ったが、知らぬ相手とはいえ年下の令嬢に冷たくするはかわいそうな気もするし、自分が困っているのも事実である。

 わずかに逡巡した後、ディータは赤毛の令嬢に質問することに決めた。

「キールマン家のご令嬢がどのクラスにいるか、君は知っているかな?」

 令嬢が眉根が一瞬だけ寄った。しかし、あまりにも刹那だったため、見間違いだと思ったディータは気のせず言葉を続けた。

「とても美しいご令嬢だと噂に聞いてね。恥ずかしながら野次馬根性で見にきてしまったんだ」
「そうだったんですね。でも、だったらちょうどよかった。わたしこそがお探しのキールマン家の娘ですわ」
「!」

 まずい、とディータは令嬢から一歩離れる。

 婚約のことはしばらく内密にしておくように父親から釘を刺されている。だからディータも婚約者と接触するつもりはなかったのだが、まさか声をかけた相手が本人だったとは。

 状況から考えるに、どうやらキールマン令嬢は目の前の男が自分の婚約者だと気付いていないらしい。そうでなければ、婚約の公表を止められているはずの立場で、ディータに声をかけるはずがない。

 ともかく、二人一緒にいるところを多くの人間に目撃される前に、早くこの場を離れたほうがいい。

 そうディータが思った時、運よく昼休みを終える予鈴のベルが校内に響いた。
 これ幸いとディータは婚約者に苦笑して見せる。

「ああ、もう教室に戻らなければ。まさかご本人だとは思わず、失礼なことを言ってしまったね」
「あら、そんなこと、二人きりでデートして下さるなら許しますわ」
「は……?」

 キールマン令嬢は瞬きする間に距離を詰めると、ディータの左腕に自分の両腕を絡めた。豊満な胸をぐいぐいと押し付けて妖艶に微笑みながら、魅惑的に小声で囁く。

「人気のないところで二人きりになって、ちょっとだけイケナイことして楽しみましょう? ね?」

 驚きのあまり固まっていたディータだったが、ハッと我に返った途端にキールマン令嬢の腕を振りほどき、慌てて距離をとった。そして。

「いや、結構だ。失礼!」

 そう短く言い放つと、自分の教室へと急いだ。

 早足で歩きながら青褪める。
 自分の伴侶になる相手は、とんでもなく破廉恥でふしだらな女性なのかもしれない、と。


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