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第7話(3)
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室内に人が満ちたかと思われた頃、メイドによる茶の振る舞いが始まり、そこへようやく主催者が、貴族と見られる老婦人を腕を組むように連れて戻って来た。
アレクサンドラが念のため立ち上がったが、Q夫人はメイドに「手早く、手早くね」と小声で叱り付け、
「皆様、お席にお着き下さい」
と声を張り上げた。
思い思いの位置で談笑に耽っていた客達は散会し、それぞれの椅子に向かっていく。
アレクサンドラは、彼女の椅子を誰も取りに来なかったのと、場所取りの扇が置かれた椅子に向かうQ夫人と、視線を合わせたが、特に疑問や咎めの色がないまま忙しなく逸らされたのとで、移動の必要はないものと勝手に解釈して腰をかけ直した。
公爵夫人の肩書を得たのは最近であるため除くとしても、伯爵令嬢、貴族の子女としての扱いは長く受けて来たアレクサンドラは、サロンではこれが通常なのだろうかと洗礼を受けた気持ちで、メイドから受け取った茶器を膝の上に遠ざけた。
「まだお見えでない方もいらっしゃいますが、そろそろ始めましょう。今日の主役はどちらに」
「私であります、ここにおります」
Q夫人が室内を見渡すなり、紙束を抱えた中年過ぎの、学者の装いをした男が、奥の椅子から立って中央に忙しなく出て来た。
「あら、そちらにいたのね。では先生、早速お願いしますわ。でないとまた前回のように真夜中になってしまいます」
促された男はそれを受けて、ぺこぺこと頭を下げながら早口で言った。
「こんばんは皆様、王立図書館次席研究員ののイワン・チェレンコフです。ということですのでお手柔らかにお願いします」
「こちらこそ!」
「分かりやすく!回りくどくなく!」
飛んで来た野次に煩そうに手を振って、男が紙束を注視しながら始めたのは文学論についての意見の披露だった。
社会と人間はありのままに、美化せず客観的に書かれるべきだという理論は、隣国フォルトワの作家によって提唱され、現在世界的な議論を呼んでいる。
かつて主流だった理想主義とも呼ばれるべき様式は、文学に適用されたことで、次第に現実から剥離する内容となっていった。
文学は娯楽ではない、それが書かれた時代を正確に映す鏡でなくてはならない、そういう意味では我が国の文学者達も、その理論を積極的に用いるべきである。
野次の甲斐なく、いまいち要領を得ない迂遠な言い回しが多く挟まれたが、概ねこのような内容だった。
大分長いことかかって、大量の紙幅を尽くして述べられた意見の終わりには盛大な拍手が上がったが、その終息を待ちきれない者達が次々に挙手し、同意、あるいは異議あり、声を上げて我先に発言を求めた。
「先生の仰る通り!芸術もこの現実に存在しているもの、現実を正確に描いてこそ存在意義があります」
「だが、文学の中ですら夢を見られないのはいかがなものかと」
「夢なら他の娯楽で見たらいかが。お得意の分野がおありではないですか」
「まあ下劣!」
「第一、提唱した作家自身が、理論を徹底できていないではないですか。前回から今日に至るまでに作品をいくつか読みましたが、全くもって科学的には書けてはいない」
「全面的に同意いたします。理論に酔っているように感じました」
「しかし、固い信念を持つ、気骨ある者だと思いますぞ。体制に迎合しない意思もある。不当な差別を弾劾した新聞記事を、皆様ご覧になったか」
「どんな記事ですの」
Q夫人がチェレンコフに話を振ると、情報漏洩事件について、人種差別感情により無実の者を犯人に仕立て上げたことを弾劾する内容であり、その記事によって作家が逆に侮辱罪で告発され、有罪となったものとの紹介があり、再びの拍手の後に、場は舌戦に雪崩れ込んで行った。
アレクサンドラは、これらの理論についても、情報漏洩事件についても基礎教育で学んでいて知識は持っていたが、侃々諤々(かんかんがくがく)の中に入っていく勇気は起こらなかった。
議論について、身分による遠慮がないのは、公証の職員との打ち合わせでもままあることだったが、ここまで極端ではなかった。
新参としての紹介は一切されず、知り合いがいなければ、自ら口を開かない限り壁の花ならぬ椅子の花を務めるだけであった。
主催者であるQ夫人も、聞く専門ならばそれで良しという考えなのか、無言の客に気を回すようなことはせず、事実、聞くに徹している者も何人かはいるようだった。
聞くに徹して、貴族の交友関係を知り、元老院の構成員への伝手を探るという目的を達成できれば無口を貫いても支障はないが、この遠慮なく飛び交う会話の中でどうやってそれらを見いだすのか、とてもできるものではなかった。
社交性を失っていなければ、堂々と発言をしたかもしれない、いや、巻き戻る前の気質であれば、このような粗い扱いに我慢ができず、始まる前に部屋を出て行っただろう。
完全に気圧されてしまったアレクサンドラは、議論がどんどん爛熟していくのを目の当たりにし、もはや留まる資格なしと静かに立ち上がった。
一応、主催者に辞去の挨拶はせねばならないとQ夫人に近寄ると、夫人は、アレクサンドラの表情で察したのか、腕を取って廊下へと連れ出した。
「もうお帰りになられるの?これから佳境になりますのに」
「申し訳ありません。皆様の熱意に圧倒されてしまいまして、少し疲れが」
「まあそうですか、いつもこのように盛り上がりますのよ」
Q夫人は眉を下げて、「せっかく時の人に来ていただきましたのに、何のお構いもできず申し訳ないことですわ」と付け加えた。
どういう意味かと小首を傾げたアレクサンドラに対し、Q夫人はいかにも残念そうに「教養豊かな方だという噂を聞いておりましたから、何かお説を賜れればと思っておりましたの」と扇で口元を差し隠した。
アレクサンドラが念のため立ち上がったが、Q夫人はメイドに「手早く、手早くね」と小声で叱り付け、
「皆様、お席にお着き下さい」
と声を張り上げた。
思い思いの位置で談笑に耽っていた客達は散会し、それぞれの椅子に向かっていく。
アレクサンドラは、彼女の椅子を誰も取りに来なかったのと、場所取りの扇が置かれた椅子に向かうQ夫人と、視線を合わせたが、特に疑問や咎めの色がないまま忙しなく逸らされたのとで、移動の必要はないものと勝手に解釈して腰をかけ直した。
公爵夫人の肩書を得たのは最近であるため除くとしても、伯爵令嬢、貴族の子女としての扱いは長く受けて来たアレクサンドラは、サロンではこれが通常なのだろうかと洗礼を受けた気持ちで、メイドから受け取った茶器を膝の上に遠ざけた。
「まだお見えでない方もいらっしゃいますが、そろそろ始めましょう。今日の主役はどちらに」
「私であります、ここにおります」
Q夫人が室内を見渡すなり、紙束を抱えた中年過ぎの、学者の装いをした男が、奥の椅子から立って中央に忙しなく出て来た。
「あら、そちらにいたのね。では先生、早速お願いしますわ。でないとまた前回のように真夜中になってしまいます」
促された男はそれを受けて、ぺこぺこと頭を下げながら早口で言った。
「こんばんは皆様、王立図書館次席研究員ののイワン・チェレンコフです。ということですのでお手柔らかにお願いします」
「こちらこそ!」
「分かりやすく!回りくどくなく!」
飛んで来た野次に煩そうに手を振って、男が紙束を注視しながら始めたのは文学論についての意見の披露だった。
社会と人間はありのままに、美化せず客観的に書かれるべきだという理論は、隣国フォルトワの作家によって提唱され、現在世界的な議論を呼んでいる。
かつて主流だった理想主義とも呼ばれるべき様式は、文学に適用されたことで、次第に現実から剥離する内容となっていった。
文学は娯楽ではない、それが書かれた時代を正確に映す鏡でなくてはならない、そういう意味では我が国の文学者達も、その理論を積極的に用いるべきである。
野次の甲斐なく、いまいち要領を得ない迂遠な言い回しが多く挟まれたが、概ねこのような内容だった。
大分長いことかかって、大量の紙幅を尽くして述べられた意見の終わりには盛大な拍手が上がったが、その終息を待ちきれない者達が次々に挙手し、同意、あるいは異議あり、声を上げて我先に発言を求めた。
「先生の仰る通り!芸術もこの現実に存在しているもの、現実を正確に描いてこそ存在意義があります」
「だが、文学の中ですら夢を見られないのはいかがなものかと」
「夢なら他の娯楽で見たらいかが。お得意の分野がおありではないですか」
「まあ下劣!」
「第一、提唱した作家自身が、理論を徹底できていないではないですか。前回から今日に至るまでに作品をいくつか読みましたが、全くもって科学的には書けてはいない」
「全面的に同意いたします。理論に酔っているように感じました」
「しかし、固い信念を持つ、気骨ある者だと思いますぞ。体制に迎合しない意思もある。不当な差別を弾劾した新聞記事を、皆様ご覧になったか」
「どんな記事ですの」
Q夫人がチェレンコフに話を振ると、情報漏洩事件について、人種差別感情により無実の者を犯人に仕立て上げたことを弾劾する内容であり、その記事によって作家が逆に侮辱罪で告発され、有罪となったものとの紹介があり、再びの拍手の後に、場は舌戦に雪崩れ込んで行った。
アレクサンドラは、これらの理論についても、情報漏洩事件についても基礎教育で学んでいて知識は持っていたが、侃々諤々(かんかんがくがく)の中に入っていく勇気は起こらなかった。
議論について、身分による遠慮がないのは、公証の職員との打ち合わせでもままあることだったが、ここまで極端ではなかった。
新参としての紹介は一切されず、知り合いがいなければ、自ら口を開かない限り壁の花ならぬ椅子の花を務めるだけであった。
主催者であるQ夫人も、聞く専門ならばそれで良しという考えなのか、無言の客に気を回すようなことはせず、事実、聞くに徹している者も何人かはいるようだった。
聞くに徹して、貴族の交友関係を知り、元老院の構成員への伝手を探るという目的を達成できれば無口を貫いても支障はないが、この遠慮なく飛び交う会話の中でどうやってそれらを見いだすのか、とてもできるものではなかった。
社交性を失っていなければ、堂々と発言をしたかもしれない、いや、巻き戻る前の気質であれば、このような粗い扱いに我慢ができず、始まる前に部屋を出て行っただろう。
完全に気圧されてしまったアレクサンドラは、議論がどんどん爛熟していくのを目の当たりにし、もはや留まる資格なしと静かに立ち上がった。
一応、主催者に辞去の挨拶はせねばならないとQ夫人に近寄ると、夫人は、アレクサンドラの表情で察したのか、腕を取って廊下へと連れ出した。
「もうお帰りになられるの?これから佳境になりますのに」
「申し訳ありません。皆様の熱意に圧倒されてしまいまして、少し疲れが」
「まあそうですか、いつもこのように盛り上がりますのよ」
Q夫人は眉を下げて、「せっかく時の人に来ていただきましたのに、何のお構いもできず申し訳ないことですわ」と付け加えた。
どういう意味かと小首を傾げたアレクサンドラに対し、Q夫人はいかにも残念そうに「教養豊かな方だという噂を聞いておりましたから、何かお説を賜れればと思っておりましたの」と扇で口元を差し隠した。
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