続・公証長サーシャの通過点―巻き戻れなくとも自分に負けずに生きる

蜂須賀漆

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第9話(3)

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「サロンについて、義母上にはご相談はなさらなかったのですか」

アレクサンドラは頷いたが少々躊躇する様子で、これは何かあるかなと察したニコライは、「しかし、初めてのサロンではさぞ大変でしたろう」と話を逸らした。

「サロンをお求めになった理由を、もっと詳しくお聞きすべきでしたね。初手から勢いの盛んな場所をお薦めしてしまったな。Q伯爵夫人のサロンは、ただの茶話会に陥らない、サロンらしいサロンだということだったので適切かと思ったのですが」
「いえ……私がうまく溶け込めなかったのでございます」

ハンカチを握る指が強くなったところを見ると、サロンでもやはり何かはあったのだろう。
改めて尋ねたが、要領を得られる答えは返って来なかった。
被害の具体的訴えがない以上引き下がるしかないが、妻が不快な思いをしたのは事実のようで、ニコライはそれを忘れずに心に留めておくことにして、当面どうすべきかを素早く考えた。
彼女が妻としての振る舞いについて不足を感じ、心を痛めていることに、ともすると受かれそうになるのを一旦底に押し込む。
アレクサンドラが抱えている問題のほとんどは公証関連であり、夫の責務として、妻の苦しみを一刻も早く取り除きたかったし、取り除いてもっと自分に関心を向けてもらいたい。
しかるに、即効性のある解決方法はないし、急いては仕損じる事由ばかりであった。
とりあえず、すぐに進めても支障がないのは、元老院への伝手作りだと思われた。
さすがに、元王子の名を振り翳して元老院の者達に迫るわけにはいかないが、彼らへのルート確保には身分をうまく使えるだろうと見込む。
サロンについては、目的を絞れは調べは付くはずだが、サロンを使うかどうかはアレクサンドラと相談と、場合によっては説得が必要だとニコライは考えた。
サロンに元老院の者達が出向いているのであれば別段、伝手を持っている者にいわば追従をして、損得ずくで親しくなる、ということが奥ゆかしい彼女に可能かどうかを見極めなければならない。
妻に話せば可能だと言うに決まっているが、本人の言を鵜呑みにすると良くないことは皮肉なことに証明済みであった。

ニコライは頭の中で知恵を巡らせてから、

「状況はよく教えていただきました。そうですね、今のお話だと、サーシャはまず義父上のご指摘への対応から、ですかね」

指摘とは、財政面の改良であった。
内容が注文を満たすものになっていなければ、元老院の公爵・侯爵に面会したところで跳ねられてしまう。
アレクサンドラは米神に指を当てて、

「ええ、考え始めてはいるのですが、まだ良案が思い付けずにいます」

と答えた。

「新しいことをするのですから、支出は一時的には必ず増加いたします。窓口新設により、認証の件数が増えていけばその点を賄えるという論筋だったのですが」
「しかしそれでは不足だと。そうですね……支出をどうしても削れないのなら、他の取組で財源を確保してみせるのが定石でしょうか。公証の収入は専ら手数料でしたか」
「ええ。ただ、今の時期に手数料を引き上げることはどうにも悪手でございます」
「そうですね、信頼回復が何よりも先でしょうから。サーシャ」

取った妻の手は冷えていて、机上のエナメルの置時計が酷く遅い時間を示しているのを一瞥し、「とにかく、焦ってはいけません」と諭した。

「貴女が試みていることは、近年では例がないものです。新しい試みには抵抗は付き物です。それこそ公証を創設した時と同じだと思ってじっくり行きましょう。逸るお気持ちは分かりますが、一度世の中に適用した仕組みは容易に変えられない、臣民の顔を思い浮かべながら組み上げなければ」

驚くように目を見開いた妻に、性急さが解けたかと嬉しくなり、まだそれほど考えられてもいないのに、「公証の内容についてはお手伝いできませんが、元老院の方はちょっと思い付いたことがあるので私に任せて下さい」と思わず口にした。
案の定、

「そのような、お手を煩わせるわけには」

と血相を変えた彼女をまあまあと宥め、「今夜はここまでにして休みましょうか。遅くまで起こしていて申し訳ありませんでしたね」と誤魔化した。
一呼吸置けば妙案が浮かぶかもしれず、相談する相手にも当てがある。

「大丈夫です、何とかして貴女の力になりたい夫の気持ちを汲んで下さい」

懇願する調子で告げると、アレクサンドラは「私こそ申し訳ありません、はきはきともせず、長々と」と黙って目を伏せた。
慎ましいその仕草も愛おしく、また労(いたわ)しく、ニコライは肩を包むように妻を寝室へと誘った。

「とんでもない。貴女の本音が聞けて嬉しかったですよ。まずは眠りましょう」

アレクサンドラを先にベッドに寝かせ、ニコライは主達に付き合って起きていた執事の手を借りて寝支度をしながら、初めて会った時の幼い彼女は、いかにも自信満々といった風の小生意気な美少女だったが、あの気性が今でもあれば伝手作りは苦労しなかっただろうに、とふと思い出した。
完璧に生い整った美貌の人が、微笑み1つで相手を陥落させ、あるいは顔に似合わず苛烈に斬り込んでいき、周囲を否応なく従わせる様子を想像して、ニコライは思わず笑みを浮かべた。
そんな彼女も見てみたい気がするが、少しだけで良いと思い。
それにしても彼女は、2度目の邂逅では別人のように引っ込み思案になっていたが、あの間に、何かプライドが拉(ひしゃ)げるようなことでも起こったのだろうか、機会があれば聞いて見たいと思いながら、寝室に向かった。
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