続・公証長サーシャの通過点―巻き戻れなくとも自分に負けずに生きる

蜂須賀漆

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第14話(2)

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トルベツコイ公爵家に着くなり、アレクサンドラはソフィア嬢の熱烈な歓迎を受けた。
扉を入るなり、突進する勢いでソフィア嬢が駆けて来たが、誰か年嵩の女の声が「お嬢様!」と鋭く玄関ホールに木霊したところで、しまった、という表情とともに急激に勢いは殺された。
子供の軽い身体は、アレクサンドラに衝突する3歩手前で留まり、幼い令嬢は特別に着飾った衣装を摘まんで、

「ようこそおいでくださいました、ザハーリンこうしゃく、こうしゃくふじん」

と声音は多少緊張気味に、型としては完璧な挨拶を披露した。
ニコライが返礼を述べるため口を開く間もなく、家庭教師らしき厳格そうな女が滑るように駆けて来てソフィア嬢の身柄を押さえ、慌てふためきながら
追って来たトルベツコイ公爵夫人が「まあさっそく無作法なところをお目にかけてしまって」と眉を下げた。
夫人の背後では、「お嬢様、あんな剣幕でお走りになるなんて」と小声の叱責と、「何よ、ちゃんとごあいさつしたじゃないの!」という声高の抗議が遣り取りされており、取り成した方が良いのか迷ううち、

「まあお前達こんな玄関で」

と、主のトルベツコイ公爵、ボリス・ボリソヴィチ・トルベツコイが、太った身体を揺すりながら出迎えにやって来た。

「ザハーリン公爵ご夫妻。拙宅にお出で下さったこと、幸甚の至りでございます」
「やあ公爵、こちらこそお招きいただきありがとうございます」

公爵同士握手を交わすのに合わせて、アレクサンドラは一歩下がった位置で、膝を軽く折る礼をした。
トルベツコイ公爵は、そんなアレクサンドラに「夫人も、ようこそまたお越しくださいました」と朗らかに挨拶を述べる。

「本日は娘の我が儘にお付き合いくださって、本当に申し訳ない」
「とんでもないことでございます。再びお会いできるのを楽しみにして参りました」

少し声量を抑えて謝る公爵に、アレクサンドラが鷹揚に首を振ると、挨拶の宛先が娘だけではないことに気が付いた公爵が「お上手ですな」と破顔した。
アレクサンドラとしては他意なく発した返答であったが、そう言われると追従するような言い回しであったことに気が付いて、願望が表に出たかと肝を冷やした。
「まずは客間にお通しして」と夫人が差配しているのを目で追っていると、ソフィア嬢が膨れっ面で、家庭教師に強めに促されても壁に背中を貼り付けたまま立ち尽くしていた。
嵐の後始末ができなくなってしまったのだろう。
アレクサンドラが近寄っていくと、ソフィア嬢は涙目がちの上目遣いになる。
どう声をかけるのが正解かと悩むところだったが、アレクサンドラはとりあえず「美しい姿勢のご挨拶でした」と感じたとおりを口にしてみると、ソフィア嬢はさらに顎を引き、ほんとうですか、と打って変わって小さく言った。

「ええ、とても」
「でもしかられました」

淑女教育では、決して走らないように教えられる。
ごく初歩的事項であり、彼女がまだ習っていないということはあり得なかった。
引き際が分からなくなっているようだったが、部外者である自分がそれを窘めるのはお門違い、かといって無責任に大丈夫だとは言えないとアレクサンドラが言葉を探しているところに、隣にやって来たニコライが朗らかに助け舟を出した。

「良いのですよ、次からお気を付けになれば。無暗に走るのは良くないことですが、失敗は悪いことではありません」

ソフィア嬢は表情に警戒と不満を走らせながら「よくわかりません」と呟いた。
ニコライはその態度を全く意に介さずに続ける。

「そうですね。レディは一朝一夕、あー……、毎日気を付けて気を付けて生活して、やっとなれるものです。その間、当然失敗はするのです、誰でも」
「アレクサンドラ・イワーノヴナさまもですか」
「もちろん。ね?」
「え、ええ」

頷いたアレクサンドラに、ソフィア嬢の、信じられないと言いたそうな視線が移って来る。
アレクサンドラが反射的に頷いてみせ、疑念が少し和らいだと見えたところに、ニコライが付け足した。

「我が妻の美しさの秘密を教えて差し上げましょう、我慢と根性です」
「がまん?」
「そう。面白くないことがあってもぐっと我慢して努力することが、レディへの近道です。拗ねていては前に進めませんよ」

その評価に心当たりがありながらも、淑女の印象からは非常に遠い言い回しに、アレクサンドラは複雑な思いを抱え、また説得力を疑っていたが、不思議にソフィア嬢は納得したらしく、壁から背中を離してすっきりと立った。
多少気まずそうな顔をしているソフィア嬢に、ニコライが、傍らで家庭教師が慌てるのを押し留め、「どうぞ、レディ。エスコートしましょう」と手を差し伸べた。

「でも、アレクサンドラ・イワーノヴナさまが」
「では3人で手を繋ぎましょう。どうですか、サーシャ」

それではレディのエスコートにはならないのではないかと疑いながらも、従うことにして少女の手を取ると、小さな手は思いがけず冷たく汗ばんでいて、少女の本気、必死さをいじらしく思った。
それと同時にニコライの、子供の扱いに如何にも慣れているという様子を目の当たりにして、自分が相当に後れを取っている事実を、漠然と面白くないと思った。
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