59 / 82
第18話(3)
しおりを挟む
非難されショックを受けているのはアレクサンドラなのに、そうしているニコライの方が苦痛を表していることが理解できない。
夫に対し非礼だと押し留める躊躇はあったが、つい先程、一度箍(たが)が外れたばかりのアレクサンドラは、親愛なる夫に対しても制御が緩むのは容易だった。
「何もせずに諦める方が苦しくなりますわ、なさずに打ち切ったことを死ぬまで忘れられないでしょう。私が、私自身の職務を遂行することを、お止めになるのですか」
「貴女はご自身に限界がないかのように、使命に猛進なさってしまう。先日の、その……しょんぼりなさっている姿を知ってしまっては、ただ闇雲に背中を押すことは誤りではないかと、どうしても思ってしまうのです」
夫の前で涙を零した醜態が脳裏に蘇り、アレクサンドラはかっと恥ずかしくなった。
しょんぼりという形容は全く自分に似合わず、そんなに酷い顔をしていたのかと情けないとともに、非常にはしたなく思う。
「私には……目的を達成する力がないということでございますか」
「いいえ、そうではありません。ただその、メルジューンが外れたからには、状況としては後退したと言わざるを得ません。その状態で元老院に当たって、何と言われるか……特に議長のデミトフ公爵は必ずその穴を突くでしょう、激しく。
私としては、ここで留まることをお勧めしたい。貴女がまた、少なからずお心を痛めるかと思うとどうしても……夫ですので」
結局、実力不足だと言われているに等しかった。
過保護であり、余計なお世話でもあったが、アレクサンドラはそのような判定をしながら、抗議したい気持ちを放棄した。
ニコライは、妻の心配その1点だけをもって、妻の耳に痛く、己の口が重くなる忠告を敢えてしてくれている、それを知ってしまったら、見縊(くび)るなと夫と詰ることはもうできなかった。
夫は最後まで、手放しでアレクサンドラを支援してくれると思い込んでいたが、慕わしいと思い、相手も想ってくれていても、全てについて同じ心を持つわけではなかった。
そんな初歩的なことはよく考えればすぐ分かることだったが、初めて体感したアレクサンドラは消沈し、寂しさを覚えた。
(心配してくださるのは嬉しいけれど、だからと言ってここで引き下がることはない)
アレクサンドラはニコライの妻であり、公証の長でもある。
公証長としてやると決めたことはやり遂げなければならず、嫌な思いをしたくないからという甘さが許される立場ではないし、アレクサンドラもそのような考えを抱く選択肢は持ち合わせていなかった。
アレクサンドラとて、好んで嵐に飛び込むのではない。
巻き戻ってかつての自分を悔い、何も起こらないように人との接触を避けて来たにもかかわらず、敢えて衝突するなど主義に反する。
しかし、公証長としての行動で起こることは、たとえ涙するほど辛い思いをしても飲み下して然るべきであり、それを避けたいならば、あらかじめ知恵を絞り行動そのものを洗練させるのみであるとは、アレクサンドラが未来の公証長として受けた教育と、実際に職務に就いてから学んだ。
不得意であることを、撤退の言い訳にしてはならない。
「お気持ちはありがたく存じますが……どのような障害が待っていようとも、やはり試みもせず断念することはできません。
今度はご心配を、お見苦しいさまをお目にかけないように精進いたしますので、見守ってくださいませんでしょうか」
ニコライは、どうしてもですか、と何度か尋ね直したが、妻がどうしても折れないのを悟ると苦虫を噛み潰したように、
「やむを得ませんが……心配はさせてください。悩まれたり傷つかれたりした時は知らせてください。
いや、貴女が不本意でも、勝手に気が付いて勝手に手を出しますよ。私達は家族なのだから。よろしいですね」
と強く断言をし、アレクサンドラはこの思い遣りにいつか報いなければと思いながら、仄かな幸せとともに、粛々と頭を下げた。
夫に対し非礼だと押し留める躊躇はあったが、つい先程、一度箍(たが)が外れたばかりのアレクサンドラは、親愛なる夫に対しても制御が緩むのは容易だった。
「何もせずに諦める方が苦しくなりますわ、なさずに打ち切ったことを死ぬまで忘れられないでしょう。私が、私自身の職務を遂行することを、お止めになるのですか」
「貴女はご自身に限界がないかのように、使命に猛進なさってしまう。先日の、その……しょんぼりなさっている姿を知ってしまっては、ただ闇雲に背中を押すことは誤りではないかと、どうしても思ってしまうのです」
夫の前で涙を零した醜態が脳裏に蘇り、アレクサンドラはかっと恥ずかしくなった。
しょんぼりという形容は全く自分に似合わず、そんなに酷い顔をしていたのかと情けないとともに、非常にはしたなく思う。
「私には……目的を達成する力がないということでございますか」
「いいえ、そうではありません。ただその、メルジューンが外れたからには、状況としては後退したと言わざるを得ません。その状態で元老院に当たって、何と言われるか……特に議長のデミトフ公爵は必ずその穴を突くでしょう、激しく。
私としては、ここで留まることをお勧めしたい。貴女がまた、少なからずお心を痛めるかと思うとどうしても……夫ですので」
結局、実力不足だと言われているに等しかった。
過保護であり、余計なお世話でもあったが、アレクサンドラはそのような判定をしながら、抗議したい気持ちを放棄した。
ニコライは、妻の心配その1点だけをもって、妻の耳に痛く、己の口が重くなる忠告を敢えてしてくれている、それを知ってしまったら、見縊(くび)るなと夫と詰ることはもうできなかった。
夫は最後まで、手放しでアレクサンドラを支援してくれると思い込んでいたが、慕わしいと思い、相手も想ってくれていても、全てについて同じ心を持つわけではなかった。
そんな初歩的なことはよく考えればすぐ分かることだったが、初めて体感したアレクサンドラは消沈し、寂しさを覚えた。
(心配してくださるのは嬉しいけれど、だからと言ってここで引き下がることはない)
アレクサンドラはニコライの妻であり、公証の長でもある。
公証長としてやると決めたことはやり遂げなければならず、嫌な思いをしたくないからという甘さが許される立場ではないし、アレクサンドラもそのような考えを抱く選択肢は持ち合わせていなかった。
アレクサンドラとて、好んで嵐に飛び込むのではない。
巻き戻ってかつての自分を悔い、何も起こらないように人との接触を避けて来たにもかかわらず、敢えて衝突するなど主義に反する。
しかし、公証長としての行動で起こることは、たとえ涙するほど辛い思いをしても飲み下して然るべきであり、それを避けたいならば、あらかじめ知恵を絞り行動そのものを洗練させるのみであるとは、アレクサンドラが未来の公証長として受けた教育と、実際に職務に就いてから学んだ。
不得意であることを、撤退の言い訳にしてはならない。
「お気持ちはありがたく存じますが……どのような障害が待っていようとも、やはり試みもせず断念することはできません。
今度はご心配を、お見苦しいさまをお目にかけないように精進いたしますので、見守ってくださいませんでしょうか」
ニコライは、どうしてもですか、と何度か尋ね直したが、妻がどうしても折れないのを悟ると苦虫を噛み潰したように、
「やむを得ませんが……心配はさせてください。悩まれたり傷つかれたりした時は知らせてください。
いや、貴女が不本意でも、勝手に気が付いて勝手に手を出しますよ。私達は家族なのだから。よろしいですね」
と強く断言をし、アレクサンドラはこの思い遣りにいつか報いなければと思いながら、仄かな幸せとともに、粛々と頭を下げた。
0
あなたにおすすめの小説
学生時代、私をいじめていた女と一緒に異世界召喚されたけど、無能扱いされた私が実は本物の聖女で、いじめていた女は災厄を呼ぶ魔女でした。
さら
恋愛
いじめていた女と一緒に異世界召喚された私。
聖女として選ばれたのは彼女で、私は無能扱いされ追放された。
だが、辺境の村で暮らす中で気づく。
私の力は奇跡を起こすものではなく、
壊れた世界を“元に戻す”本物の聖女の力だった。
一方、聖女として祭り上げられた彼女は、
人々の期待に応え続けるうち、
世界を歪め、災厄を呼ぶ魔女へと変わっていく――。
【完結】恋が終わる、その隙に
七瀬菜々
恋愛
秋。黄褐色に光るススキの花穂が畦道を彩る頃。
伯爵令嬢クロエ・ロレーヌは5年の婚約期間を経て、名門シルヴェスター公爵家に嫁いだ。
愛しい彼の、弟の妻としてーーー。
村娘あがりの娼婦ですが、身請けされて幸せです
春月もも
恋愛
村を飛び出して王都に来たリリアは、いまは高級娼婦として生きている。
ここは通過点のはずだった。
誰かに選ばれて終わる物語なんて、わたしには関係ないと思っていたのに。
触れない客。
身体ではなく、わたしの話を聞きに来るだけの商人。
「君と話す時間を、金で買うのが嫌になった」
突然の身請け話。
値札のついた自分と向き合う三日間。
選ばれるのではなく選ぶと決めたとき、
通過点は終わりになる。
これは救いではなく対等な恋の話。
ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています
紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、
ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。
「もう君は、僕の管理下だよ」
退院と同時に退職手続きは完了。
住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。
外出制限、健康管理、過保護な独占欲。
甘くて危険な“保護生活”の中で、
私は少しずつ彼に心を奪われていく――。
元社畜OL×執着気味の溺愛社長
囲い込み同棲ラブストーリー。
【魔女と蔑まれた私。実は神託の聖女でした?-命を弄ぶ回復魔法使いと蔑まれた私の物語-】
はくら(仮名)
恋愛
・本作は別名義で『小説家になろう』にも掲載しています。
・早めに終わります。
【 レアフ伯爵家の令嬢ユキアは回復魔法が得意だったが、義父家族からは命を弄ぶ魔女として蔑まれてしまう。
しかし実はユキアは女神の神託を受けた『運命の聖女』であり、そのことを知った王太子が彼女の元を訪れる――】
君は恋人、でもまだ家族じゃない
山田森湖
恋愛
あらすじ
同棲して3年。
毎朝コーヒーを淹れて、彼の寝ぼけた声に微笑んで、
一緒に暮らす当たり前の幸せを噛みしめる——そのはずだった。
彼女は彼を愛している。
彼も自分を愛してくれていると信じている。
それでも、胸の奥には消えない不安がある。
「私たちは、このまま“恋人”で止まってしまうの?」
結婚の話になると、彼はいつも曖昧に笑ってごまかす。
最初は理由をつけていたのに、今では何も言わなくなった。
周囲の友人は次々と結婚し、家族を持ち始めている。
幸せそうな写真を見るたび、彼女の心には
“言えない言葉”だけが増えていく。
愛している。
でも、それだけでは前に進めない。
同棲という甘い日常の裏で、
少しずつ、確かにズレ始めているふたりの未来。
このまま時間に流されるだけの恋なのか、
それとも、家族へと歩き出せる恋なのか——。
彼の寝息を聞きながら、
彼女は初めて「涙が出そうな夜」を迎えていた。
最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました
めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。
白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。
その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。
それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。
やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり――
白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。
身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。
幼馴染の許嫁は、男勝りな彼女にご執心らしい
和泉鷹央
恋愛
王国でも指折りの名家の跡取り息子にして、高名な剣士がコンスタンスの幼馴染であり許嫁。
そんな彼は数代前に没落した実家にはなかなか戻らず、地元では遊び人として名高くてコンスタンスを困らせていた。
「クレイ様はまたお戻りにならないのですか……」
「ごめんなさいね、コンスタンス。クレイが結婚の時期を遅くさせてしまって」
「いいえおば様。でも、クレイ様……他に好きな方がおられるようですが?」
「えっ……!?」
「どうやら、色町で有名な踊り子と恋をしているようなんです」
しかし、彼はそんな噂はあり得ないと叫び、相手の男勝りな踊り子も否定する。
でも、コンスタンスは見てしまった。
朝方、二人が仲睦まじくホテルから出てくる姿を……
他の投稿サイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる