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第2話「道具には名前など必要ない——なのになぜ、気になるのだ」
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第2話「道具には名前など必要ない——なのになぜ、気になるのだ」
翌朝、エルヴィナは珍しく早くに目が覚めた。
魔界に朝はない。それでも城の中には一定のリズムがあり、灯火が明るくなる時間というものが存在する。
その時間よりも早く、エルヴィナはすでに着替えを終えて玉座の間に座っていた。
「……」
誰もいない静かな空間で、エルヴィナは昨夜のことを思い返していた。
あの銀色の髪の騎士。
あの緑の瞳。
恐怖を知らないあの目が、どうしても頭から離れなかった。
「……くだらない」
エルヴィナは小さく呟いて、思考を振り払った。
道具だ。あれはただの道具だ。
情報を引き出すための、使い捨ての道具に過ぎない。
それ以上でも、それ以下でもない。
「魔王女様」
部下が扉の外から声をかけてきた。
「捕虜の手当が完了しました。意識も戻っております」
「……そうか」
エルヴィナは立ち上がった。
「案内しろ」
「牢にですか? 尋問室をご用意することも——」
「牢でいい」
短く答えて、エルヴィナは歩き出した。
わざわざ牢に行く必要などない。
部下に命じて引き出せばいいだけの話だ。
それでも——エルヴィナの足は、自然と牢の方向に向かっていた。
―――――――――――――――
城の地下に続く石造りの階段を降りると、ひんやりとした空気が体を包んだ。
魔界の熱気とは対照的な、静かで冷たい空間。
並ぶ牢の一番奥、その中に——青年はいた。
壁に背をもたれ、目を閉じていた。
手当をされたのだろう、昨夜よりは幾分ましな状態に見える。
それでも顔色は悪く、体のあちこちに包帯が巻かれていた。
エルヴィナが近づくと、青年はゆっくりと目を開けた。
緑の瞳が、静かにエルヴィナを捉える。
昨夜と同じ目だった。
恐怖も敵意もない、真っ直ぐな目。
「……気がついたか」
エルヴィナは牢の外に立ったまま、冷たく言い放った。
「はい」
「名前は」
「……アレンです」
少しの間があってから、青年——アレンは答えた。
エルヴィナは無表情のまま、その名前を頭の中で繰り返した。
アレン。
道具に名前など必要ない。
そう思っているのに、何故か自然と覚えてしまった。
「アレン。お前に聞く。なぜ一人で魔界に来た」
「……言えません」
昨夜と同じ答えだった。
エルヴィナは眉をわずかに寄せた。
「言えない、ではなく、言わない、だろう」
「……そうかもしれません」
アレンは静かに認めた。
その正直さに、エルヴィナは少しだけ面食らった。
普通ならここで言い訳をするか、怯えて口を割るかのどちらかだ。
この男は——どちらもしない。
「強情だな」
「よく言われます」
「……褒めていない」
「わかってます」
また沈黙が落ちた。
エルヴィナはアレンをじっと見つめた。
体中に傷を負い、牢に閉じ込められ、それでもこの男の目には絶望がない。
不思議な男だと、エルヴィナは思った。
「一つだけ聞く」
エルヴィナは静かに言った。
「お前は私が怖くないのか」
アレンは少し考えるような間を置いてから、口を開いた。
「……怖い、とは思います」
「ならなぜその目をしている」
「どんな目ですか」
エルヴィナは答えられなかった。
怖いと言いながら、怯えていない目。
恐怖の中に、それでも何か——温かいものが宿っているような目。
そんな目を、エルヴィナは言葉にできなかった。
「……明日また来る。その時までに話す気になれ」
エルヴィナは踵を返した。
「あの」
アレンの声が、背中に届いた。
エルヴィナは立ち止まったが、振り返らなかった。
「手当を、ありがとうございました」
「……道具が壊れては困るだけだ」
冷たく言い放って、エルヴィナは歩き出した。
石畳を叩くヒールの音が、地下通路に響く。
感謝された。
魔王女であるエルヴィナが、人間に感謝されたのは——初めてのことだった。
胸の奥に、また小さな何かが生まれる。
「……道具だ」
エルヴィナはもう一度、自分に言い聞かせた。
それでも、アレンという名前が——頭から離れなかった。
―――――――――――――――
次話「明日また来る、と言ったのは——命
翌朝、エルヴィナは珍しく早くに目が覚めた。
魔界に朝はない。それでも城の中には一定のリズムがあり、灯火が明るくなる時間というものが存在する。
その時間よりも早く、エルヴィナはすでに着替えを終えて玉座の間に座っていた。
「……」
誰もいない静かな空間で、エルヴィナは昨夜のことを思い返していた。
あの銀色の髪の騎士。
あの緑の瞳。
恐怖を知らないあの目が、どうしても頭から離れなかった。
「……くだらない」
エルヴィナは小さく呟いて、思考を振り払った。
道具だ。あれはただの道具だ。
情報を引き出すための、使い捨ての道具に過ぎない。
それ以上でも、それ以下でもない。
「魔王女様」
部下が扉の外から声をかけてきた。
「捕虜の手当が完了しました。意識も戻っております」
「……そうか」
エルヴィナは立ち上がった。
「案内しろ」
「牢にですか? 尋問室をご用意することも——」
「牢でいい」
短く答えて、エルヴィナは歩き出した。
わざわざ牢に行く必要などない。
部下に命じて引き出せばいいだけの話だ。
それでも——エルヴィナの足は、自然と牢の方向に向かっていた。
―――――――――――――――
城の地下に続く石造りの階段を降りると、ひんやりとした空気が体を包んだ。
魔界の熱気とは対照的な、静かで冷たい空間。
並ぶ牢の一番奥、その中に——青年はいた。
壁に背をもたれ、目を閉じていた。
手当をされたのだろう、昨夜よりは幾分ましな状態に見える。
それでも顔色は悪く、体のあちこちに包帯が巻かれていた。
エルヴィナが近づくと、青年はゆっくりと目を開けた。
緑の瞳が、静かにエルヴィナを捉える。
昨夜と同じ目だった。
恐怖も敵意もない、真っ直ぐな目。
「……気がついたか」
エルヴィナは牢の外に立ったまま、冷たく言い放った。
「はい」
「名前は」
「……アレンです」
少しの間があってから、青年——アレンは答えた。
エルヴィナは無表情のまま、その名前を頭の中で繰り返した。
アレン。
道具に名前など必要ない。
そう思っているのに、何故か自然と覚えてしまった。
「アレン。お前に聞く。なぜ一人で魔界に来た」
「……言えません」
昨夜と同じ答えだった。
エルヴィナは眉をわずかに寄せた。
「言えない、ではなく、言わない、だろう」
「……そうかもしれません」
アレンは静かに認めた。
その正直さに、エルヴィナは少しだけ面食らった。
普通ならここで言い訳をするか、怯えて口を割るかのどちらかだ。
この男は——どちらもしない。
「強情だな」
「よく言われます」
「……褒めていない」
「わかってます」
また沈黙が落ちた。
エルヴィナはアレンをじっと見つめた。
体中に傷を負い、牢に閉じ込められ、それでもこの男の目には絶望がない。
不思議な男だと、エルヴィナは思った。
「一つだけ聞く」
エルヴィナは静かに言った。
「お前は私が怖くないのか」
アレンは少し考えるような間を置いてから、口を開いた。
「……怖い、とは思います」
「ならなぜその目をしている」
「どんな目ですか」
エルヴィナは答えられなかった。
怖いと言いながら、怯えていない目。
恐怖の中に、それでも何か——温かいものが宿っているような目。
そんな目を、エルヴィナは言葉にできなかった。
「……明日また来る。その時までに話す気になれ」
エルヴィナは踵を返した。
「あの」
アレンの声が、背中に届いた。
エルヴィナは立ち止まったが、振り返らなかった。
「手当を、ありがとうございました」
「……道具が壊れては困るだけだ」
冷たく言い放って、エルヴィナは歩き出した。
石畳を叩くヒールの音が、地下通路に響く。
感謝された。
魔王女であるエルヴィナが、人間に感謝されたのは——初めてのことだった。
胸の奥に、また小さな何かが生まれる。
「……道具だ」
エルヴィナはもう一度、自分に言い聞かせた。
それでも、アレンという名前が——頭から離れなかった。
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次話「明日また来る、と言ったのは——命
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