3 / 6
第3話「明日また来る、と言ったのは——命令だ。他意はない」
しおりを挟む
第3話「明日また来る、と言ったのは——命令だ。他意はない」
翌日も、エルヴィナは牢へ向かった。
向かうつもりはなかった。
朝から政務をこなし、魔界各地からの報告を聞き、書類に目を通した。
いつもと変わらない一日のはずだった。
なのに——気がつけば、また地下への階段を降りていた。
「……昨日、来ると言ったからだ」
誰もいない廊下で、エルヴィナは小さく呟いた。
それだけだ。約束を守っているだけだ。
魔王女が言葉を違えるわけにはいかない。
ただ、それだけの理由だ。
―――――――――――――――
牢の前に立つと、アレンはすでに起きていた。
昨日よりも顔色がいい。
壁にもたれながら、膝の上に手を置いてぼんやりと天井を見上げていた。
エルヴィナの足音に気づくと、緑の瞳がこちらを向いた。
「来てくれたんですね」
「言っただろう。来ると」
「……本当に来るとは思いませんでした」
エルヴィナは眉をひそめた。
「私が言葉を違えると思ったのか」
「そうじゃなくて」
アレンは少し困ったように笑った。
「魔王女様が、わざわざ自分で来てくれるとは思わなかっただけです」
「……道具の様子を確認しに来ただけだ」
「そうですか」
アレンはそれ以上追及しなかった。
ただ静かに、穏やかに笑っている。
その笑顔が、どうにも居心地が悪かった。
エルヴィナは咳払いをひとつして、本題に入った。
「昨日の続きだ。なぜ一人で魔界に来た」
「……まだ言えません」
「そうか」
エルヴィナは静かに答えた。
怒鳴りつけることも、脅すこともしなかった。
なぜかこの男に対しては、そういう気持ちになれなかった。
「では別のことを聞く」
「……なんでしょう」
「お前は人間界でどんな騎士だった」
アレンは少し意外そうな顔をした。
尋問ではなく、純粋な問いだとわかったのだろう。
「……普通の騎士です。特別強いわけでも、家柄がいいわけでもない」
「それなのになぜ一人で魔界に」
「それは——」
アレンは言いかけて、口を閉じた。
「……まだ言えません」
「そうか」
また沈黙が落ちた。
しかし不思議と、嫌な沈黙ではなかった。
エルヴィナは牢の外の壁に背をもたれ、腕を組んだ。
「……お前は魔界を怖いと思わないのか」
「思います」
「この城も」
「怖いです」
「私も」
「……それは」
アレンは少し間を置いた。
「怖い、というより——すごいと思います」
「すごい?」
エルヴィナは思わず聞き返した。
今まで自分に向けられた言葉の中に、そんな言葉は一度もなかった。
恐ろしい、冷酷だ、近寄りたくない——そういう言葉ならいくらでも聞いてきた。
でも、すごい、などという言葉は。
「18歳で魔界全体を統べているんでしょう?」
エルヴィナは固まった。
「……なぜ年齢を知っている」
「魔王女様のことは、人間界でも色々と伝わっています。若くして魔王を継いだ、って」
アレンは静かに続けた。
「一人で背負っているんですよね、全部」
「……当然だ。私が魔王女だからだ」
「当然じゃないと思います」
エルヴィナは言葉に詰まった。
「18歳で一人で国を背負うのは——普通じゃない。すごいことだと思います」
誰かにそんなことを言われたのは、初めてだった。
魔王女として生まれた時から、それが当たり前だと言われてきた。
感情を捨てろ、弱さを見せるな、お前は魔王女だ——そう言い続けられてきた。
なのにこの人間は。
たった一言で、エルヴィナの胸の奥の何かを、揺さぶった。
「……同情か」
エルヴィナは冷たく言った。
「同情じゃないです」
アレンはまっすぐに答えた。
「ただ、すごいと思ったから言いました。それだけです」
また沈黙。
エルヴィナは視線を逸らした。
胸の奥が、じわりと熱くなる感覚があった。
それが何なのか、エルヴィナにはわからなかった。
わからなかったから——怖かった。
「……明日も来る」
エルヴィナは踵を返しながら言った。
「その時までに、話す気になれ」
「……はい」
アレンの返事を背中で聞きながら、エルヴィナは歩き出した。
階段を登りながら、エルヴィナはずっと考えていた。
すごいと思います——あの言葉が、頭から離れなかった。
今まで誰も言ってくれなかった言葉。
父も、部下も、魔界の誰も。
たった一人、牢の中の人間騎士だけが——エルヴィナをただの「人」として見て、そう言った。
「……道具のくせに」
エルヴィナは小さく呟いた。
その声は、いつもより少しだけ——柔らかかった。
その日の夜、エルヴィナは父の残した日記を久しぶりに開いた。
黄ばんだページに並ぶ、力強い文字。
『魔王女に感情は必要ない。お前は魔界の王だ。それだけでいい』
いつもならそうだと思えた言葉が——今夜は、どこか遠く感じた。
エルヴィナは日記をそっと閉じた。
窓の外には、今夜も炎が揺れている。
変わらない魔界の夜。
なのに——エルヴィナの胸の中だけが、少しずつ、確かに変わり始めていた。
―――――――――――――――
次話「お前は笑わないのか——そんなことを、なぜ聞いてしまったのだろう」
翌日も、エルヴィナは牢へ向かった。
向かうつもりはなかった。
朝から政務をこなし、魔界各地からの報告を聞き、書類に目を通した。
いつもと変わらない一日のはずだった。
なのに——気がつけば、また地下への階段を降りていた。
「……昨日、来ると言ったからだ」
誰もいない廊下で、エルヴィナは小さく呟いた。
それだけだ。約束を守っているだけだ。
魔王女が言葉を違えるわけにはいかない。
ただ、それだけの理由だ。
―――――――――――――――
牢の前に立つと、アレンはすでに起きていた。
昨日よりも顔色がいい。
壁にもたれながら、膝の上に手を置いてぼんやりと天井を見上げていた。
エルヴィナの足音に気づくと、緑の瞳がこちらを向いた。
「来てくれたんですね」
「言っただろう。来ると」
「……本当に来るとは思いませんでした」
エルヴィナは眉をひそめた。
「私が言葉を違えると思ったのか」
「そうじゃなくて」
アレンは少し困ったように笑った。
「魔王女様が、わざわざ自分で来てくれるとは思わなかっただけです」
「……道具の様子を確認しに来ただけだ」
「そうですか」
アレンはそれ以上追及しなかった。
ただ静かに、穏やかに笑っている。
その笑顔が、どうにも居心地が悪かった。
エルヴィナは咳払いをひとつして、本題に入った。
「昨日の続きだ。なぜ一人で魔界に来た」
「……まだ言えません」
「そうか」
エルヴィナは静かに答えた。
怒鳴りつけることも、脅すこともしなかった。
なぜかこの男に対しては、そういう気持ちになれなかった。
「では別のことを聞く」
「……なんでしょう」
「お前は人間界でどんな騎士だった」
アレンは少し意外そうな顔をした。
尋問ではなく、純粋な問いだとわかったのだろう。
「……普通の騎士です。特別強いわけでも、家柄がいいわけでもない」
「それなのになぜ一人で魔界に」
「それは——」
アレンは言いかけて、口を閉じた。
「……まだ言えません」
「そうか」
また沈黙が落ちた。
しかし不思議と、嫌な沈黙ではなかった。
エルヴィナは牢の外の壁に背をもたれ、腕を組んだ。
「……お前は魔界を怖いと思わないのか」
「思います」
「この城も」
「怖いです」
「私も」
「……それは」
アレンは少し間を置いた。
「怖い、というより——すごいと思います」
「すごい?」
エルヴィナは思わず聞き返した。
今まで自分に向けられた言葉の中に、そんな言葉は一度もなかった。
恐ろしい、冷酷だ、近寄りたくない——そういう言葉ならいくらでも聞いてきた。
でも、すごい、などという言葉は。
「18歳で魔界全体を統べているんでしょう?」
エルヴィナは固まった。
「……なぜ年齢を知っている」
「魔王女様のことは、人間界でも色々と伝わっています。若くして魔王を継いだ、って」
アレンは静かに続けた。
「一人で背負っているんですよね、全部」
「……当然だ。私が魔王女だからだ」
「当然じゃないと思います」
エルヴィナは言葉に詰まった。
「18歳で一人で国を背負うのは——普通じゃない。すごいことだと思います」
誰かにそんなことを言われたのは、初めてだった。
魔王女として生まれた時から、それが当たり前だと言われてきた。
感情を捨てろ、弱さを見せるな、お前は魔王女だ——そう言い続けられてきた。
なのにこの人間は。
たった一言で、エルヴィナの胸の奥の何かを、揺さぶった。
「……同情か」
エルヴィナは冷たく言った。
「同情じゃないです」
アレンはまっすぐに答えた。
「ただ、すごいと思ったから言いました。それだけです」
また沈黙。
エルヴィナは視線を逸らした。
胸の奥が、じわりと熱くなる感覚があった。
それが何なのか、エルヴィナにはわからなかった。
わからなかったから——怖かった。
「……明日も来る」
エルヴィナは踵を返しながら言った。
「その時までに、話す気になれ」
「……はい」
アレンの返事を背中で聞きながら、エルヴィナは歩き出した。
階段を登りながら、エルヴィナはずっと考えていた。
すごいと思います——あの言葉が、頭から離れなかった。
今まで誰も言ってくれなかった言葉。
父も、部下も、魔界の誰も。
たった一人、牢の中の人間騎士だけが——エルヴィナをただの「人」として見て、そう言った。
「……道具のくせに」
エルヴィナは小さく呟いた。
その声は、いつもより少しだけ——柔らかかった。
その日の夜、エルヴィナは父の残した日記を久しぶりに開いた。
黄ばんだページに並ぶ、力強い文字。
『魔王女に感情は必要ない。お前は魔界の王だ。それだけでいい』
いつもならそうだと思えた言葉が——今夜は、どこか遠く感じた。
エルヴィナは日記をそっと閉じた。
窓の外には、今夜も炎が揺れている。
変わらない魔界の夜。
なのに——エルヴィナの胸の中だけが、少しずつ、確かに変わり始めていた。
―――――――――――――――
次話「お前は笑わないのか——そんなことを、なぜ聞いてしまったのだろう」
1
あなたにおすすめの小説
170センチの彼女がヒールを履かない理由 ―20年前のラークと、今の密会―
まさき
青春
二十年前、深夜のコンビニ事務所。
俺は、オーナーの娘である「彼女」に恋をしていた。
身長170センチ。いつも底の平らな靴を履き、ラークを吸う一歳上の彼女。
176センチある俺は、その「6センチの差」だけを自負に、彼女の隣に立っていた。
贈ったのは、色気のない「実用品」。
防犯カメラの死角で交わした、一度きりのキス。
「もう会うことはない」――そう思って街を出てから二十年。
再会した彼女の指には、指輪があった。
かつての憧れは、二十年の時を経て、誰にも言えない「不倫」という名の毒に変わる。
176センチの俺が、20年かけて170センチの彼女に溺れていく、背徳の再愛物語。
『著者より』
もしこの話が合えば、マイページに他の作品も置いてあります。
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/658724858
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる