「道具のつもりで囲った騎士に、魔王女である私が堕ちるまで」〜誰にも屈しなかった魔王女が、捕虜の騎士だけには勝てなかった〜

まさき

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第4話「お前は笑わないのか——そんなことを、なぜ聞いてしまったのだろう」

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第4話「お前は笑わないのか——そんなことを、なぜ聞いてしまったのだろう」
 
 
三日目も、エルヴィナは牢へ向かった。
 
 
今日こそは行かないつもりだった。
 
 
政務は山積みで、魔界各地からの陳情も溜まっている。
 
 
わざわざ地下の牢に足を運ぶ時間など、どこにもないはずだった。
 
 
なのに——気がつけば、また階段を降りていた。
 
 
「……習慣だ」
 
 
誰もいない廊下で、エルヴィナは呟いた。
 
 
三日続けば習慣になる。それだけだ。
 
 
道具の様子を確認するのは、管理者として当然のことだ。
 
 
そう言い聞かせながら、エルヴィナは牢の前に立った。
 
 
―――――――――――――――
 
 
アレンは今日も起きていた。
 
 
昨日よりさらに顔色がよくなっている。
 
 
床に座り、膝を立てて何かを考え込んでいるようだった。
 
 
エルヴィナの足音に気づくと、緑の瞳がこちらを向いた。
 
 
そして——少しだけ、笑った。
 
 
「今日も来てくれましたね」
 
 
「……習慣だ」
 
 
「習慣、ですか」
 
 
アレンは小さく笑った。
 
 
「魔王女様が牢に来るのが習慣って、なんか不思議ですね」
 
 
「うるさい」
 
 
エルヴィナは牢の外の壁に背をもたれた。
 
 
「今日も話す気にはなっていないか」
 
 
「……目的のことは、まだ」
 
 
「そうか」
 
 
エルヴィナは短く答えた。
 
 
怒りはなかった。
 
 
不思議と、それでいいという気持ちがあった。
 
 
「一つ聞いていいか」
 
 
「なんでしょう」
 
 
エルヴィナは少し間を置いた。
 
 
自分でも、なぜこんなことを聞くのかわからなかった。
 
 
「……お前はよく笑うな」
 
 
「そうですか?」
 
 
「牢に閉じ込められているのに、怪我をしているのに、笑える理由がわからない」
 
 
アレンは少し考えるような顔をした。
 
 
「笑える理由……」
 
 
「普通は絶望するだろう。怒るか、泣くか、諦めるか」
 
 
「魔王女様は、笑わないんですか」
 
 
エルヴィナは一瞬、言葉に詰まった。
 
 
「……魔王女が笑う必要はない」
 
 
「必要、か」
 
 
アレンは静かに繰り返した。
 
 
「笑うのに必要とか必要じゃないとか、そういうものじゃないと思いますけど」
 
 
「では何だというんだ」
 
 
「笑いたいから笑う、じゃないですか」
 
 
エルヴィナは黙った。
 
 
笑いたいから笑う。
 
 
そんな単純なことを、エルヴィナは考えたことがなかった。
 
 
笑うことに意味はあるか、笑うことで隙を見せないか、笑うことが魔王女として相応しいか——そういうことばかり考えてきた。
 
 
笑いたいという気持ちそのものを、考えたことがなかった。
 
 
「……私が最後に笑ったのはいつだろう」
 
 
気がついたら、声に出していた。
 
 
独り言のつもりだったのに。
 
 
アレンは何も言わなかった。
 
 
ただ、静かにエルヴィナを見ていた。
 
 
その目が——どうしても居心地悪かった。
 
 
「……くだらないことを聞いた。忘れろ」
 
 
「忘れません」
 
 
即答だった。
 
 
「なぜだ」
 
 
「忘れたくないから」
 
 
エルヴィナはアレンを見た。
 
 
アレンはまっすぐにエルヴィナを見ていた。
 
 
「魔王女様が笑える日が来たら——見てみたいと思っています」
 
 
「……戯言だ」
 
 
エルヴィナは視線を逸らした。
 
 
頬が、わずかに熱い気がした。
 
 
「魔王女様」
 
 
「なんだ」
 
 
「一つだけ、教えてもらえますか」
 
 
「……何を」
 
 
「魔王女様は——今、幸せですか」
 
 
エルヴィナは固まった。
 
 
幸せ。
 
 
その言葉を、エルヴィナは長い間考えたことがなかった。
 
 
魔王女として正しくあること、魔界を守ること、父の意志を継ぐこと——それだけを考えてきた。
 
 
幸せかどうかなど、考える余裕も、考える意味も、なかった。
 
 
「……そんなことを聞いてどうする」
 
 
「答えになっていません」
 
 
「魔王女に幸せなど必要ない」
 
 
「また必要かどうかの話にする」
 
 
アレンは静かに言った。
 
 
「必要じゃなくても、幸せになっていいと思います」
 
 
「……黙れ」
 
 
エルヴィナの声が、わずかに震えた。
 
 
自分でも気づかなかった。
 
 
震えるつもりなど、なかった。
 
 
「……お前は、なぜそんなことを言う」
 
 
「魔王女様が、誰にも言ってもらえなさそうだから」
 
 
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
 
 
痛いような、温かいような、不思議な感覚。
 
 
エルヴィナはそれが何なのか、まだわからなかった。
 
 
「……明日も来る」
 
 
エルヴィナは踵を返した。
 
 
いつもより少し早足で、階段を登った。
 
 
胸の中がざわざわして、落ち着かなかった。
 
 
幸せか、と問われた。
 
 
笑えるか、と問われた。
 
 
誰も今まで、そんなことを聞いてくれなかった。
 
 
父も、部下も、魔界の誰も。
 
 
エルヴィナが幸せかどうかより、魔王女として正しいかどうかしか、誰も気にしなかった。
 
 
「……道具のくせに」
 
 
エルヴィナはまた呟いた。
 
 
でも今日は——その言葉が、いつもより遠かった。
 
 
その夜、エルヴィナは窓の外の炎をずっと見つめていた。
 
 
幸せとは何だろう。
 
 
笑うとは何だろう。
 
 
18年間、考えたことのなかった問いが、頭の中をぐるぐると回り続けた。
 
 
答えは出なかった。
 
 
でも——答えを探したいと思った。
 
 
それも、初めてのことだった。
 
 
―――――――――――――――
 
 
次話「今日だけは——魔王女ではなく、ただのエルヴィナでいたかった」
 
 
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