「道具のつもりで囲った騎士に、魔王女である私が堕ちるまで」〜誰にも屈しなかった魔王女が、捕虜の騎士だけには勝てなかった〜

まさき

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第5話「今日だけは——魔王女ではなく、ただのエルヴィナでいたかった」

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第5話「今日だけは——魔王女ではなく、ただのエルヴィナでいたかった」
 
 
四日目。
 
 
エルヴィナは今日も牢へ向かった。
 
 
もう言い訳はしなかった。
 
 
習慣だとも、道具の確認だとも、言わなかった。
 
 
ただ——行きたいから、行く。
 
 
それだけだと、今日は自分に言い聞かせた。
 
 
その事実が少し怖かったが、目を逸らすのも疲れていた。
 
 
―――――――――――――――
 
 
牢の前に立つと、いつものようにアレンは起きていた。
 
 
しかし今日は様子が違った。
 
 
膝を抱えて座り、どこか遠くを見ている。
 
 
いつもの穏やかな笑顔がなかった。
 
 
エルヴィナの足音に気づいても、すぐには顔を上げなかった。
 
 
「……どうした」
 
 
エルヴィナは思わず声をかけていた。
 
 
アレンがゆっくりと顔を上げる。
 
 
「……あ、すみません。考え事をしていました」
 
 
「何を考えていた」
 
 
「……大切な人のことです」
 
 
エルヴィナの胸に、小さな棘が刺さった。
 
 
大切な人。
 
 
その言葉が、なぜか引っかかった。
 
 
「……人間界に、待っている者がいるのか」
 
 
「はい」
 
 
アレンは静かに答えた。
 
 
「早く会いたい人が——います」
 
 
その声には、いつもとは違う色があった。
 
 
切なさと、焦りと、それでも諦めていない強さと。
 
 
エルヴィナはその表情をじっと見つめた。
 
 
「……恋人か」
 
 
「違います」
 
 
アレンは即答した。
 
 
「もっと大切な——守らなければならない人です」
 
 
「守る?」
 
 
「はい。俺がここに来たのも——その人のためです」
 
 
エルヴィナは息を飲んだ。
 
 
初めて、アレンが目的に触れた。
 
 
直接的ではない。でも確かに、何かが見えた気がした。
 
 
「……その人は今どこにいる」
 
 
アレンは少し間を置いた。
 
 
「……魔界に、います」
 
 
エルヴィナは目を細めた。
 
 
「魔界に?」
 
 
「それ以上は——まだ言えません」
 
 
アレンは静かに首を振った。
 
 
「ごめんなさい」
 
 
謝られた。
 
 
エルヴィナは不思議な気持ちになった。
 
 
今まで誰かに謝られたことはあった。
 
 
でもそれはいつも恐怖からくる謝罪だった。
 
 
この男の謝罪は——違う。
 
 
本当に申し訳ないと思っている、そういう謝罪だった。
 
 
「……いい」
 
 
エルヴィナは短く言った。
 
 
「話したくなったら話せ」
 
 
アレンは少し驚いたような顔をして——それから、柔らかく笑った。
 
 
「……ありがとうございます」
 
 
―――――――――――――――
 
 
しばらく沈黙が続いた。
 
 
嫌な沈黙ではなかった。
 
 
いつもとは少し違う、静かで穏やかな時間だった。
 
 
先に口を開いたのは、アレンだった。
 
 
「魔王女様は——今日は政務はいいんですか」
 
 
「……少しくらいいい」
 
 
「珍しいですね」
 
 
「うるさい」
 
 
「怒らないでください」
 
 
アレンはくすりと笑った。
 
 
「たまには休んだ方がいいと思います。魔王女様、いつも疲れた顔をしているから」
 
 
「疲れた顔?」
 
 
エルヴィナは思わず聞き返した。
 
 
「はい。目の下に影があります。ちゃんと寝ていますか」
 
 
「……魔王女の顔を観察するな」
 
 
「心配しているんです」
 
 
「道具が主人を心配するな」
 
 
「俺は道具じゃないと思っています」
 
 
アレンはまっすぐに言った。
 
 
「魔王女様がそう呼んでいるだけで、俺は俺です」
 
 
エルヴィナは言葉に詰まった。
 
 
俺は俺です。
 
 
牢に閉じ込められて、それでもこの男は自分を失っていない。
 
 
どんな状況でも、自分が何者かを知っている。
 
 
それが——エルヴィナには眩しかった。
 
 
「……お前は強いな」
 
 
気がついたら、声に出していた。
 
 
「俺が?」
 
 
アレンは意外そうな顔をした。
 
 
「全然強くないですよ。捕まってるし」
 
 
「そういう強さの話じゃない」
 
 
エルヴィナは静かに言った。
 
 
「どんな状況でも、自分が何者かを知っている。それは——簡単なことじゃない」
 
 
アレンはしばらくエルヴィナを見つめた。
 
 
「魔王女様は——自分が何者かわからなくなることがあるんですか」
 
 
エルヴィナは答えなかった。
 
 
答えられなかった。
 
 
魔王女。それがエルヴィナの全てだった。
 
 
でも——魔王女でない自分は、何者なのだろう。
 
 
18年間、考えたことがなかった。
 
 
「……今日は、魔王女じゃなくていい気がした」
 
 
また気がついたら、声に出していた。
 
 
「ただの——エルヴィナで、いたかった」
 
 
静寂。
 
 
アレンは何も言わなかった。
 
 
ただ、静かに微笑んだ。
 
 
「……エルヴィナ」
 
 
様をつけずに、ただ名前を呼んだ。
 
 
エルヴィナは弾かれたように顔を上げた。
 
 
「無礼だぞ」
 
 
「そうですね。ごめんなさい」
 
 
アレンは謝りながらも、笑っていた。
 
 
「でも——ただのエルヴィナでいたいなら、俺はそう呼びます」
 
 
「……勝手なことを言うな」
 
 
「はい」
 
 
「次呼んだら承知しないぞ」
 
 
「はい」
 
 
返事だけはいい。
 
 
エルヴィナは小さく息を吐いた。
 
 
怒る気に、なれなかった。
 
 
「……今日は長居しすぎた」
 
 
エルヴィナは立ち上がった。
 
 
「また来るか聞かないんですね」
 
 
「……来る。それだけだ」
 
 
アレンは嬉しそうに笑った。
 
 
その笑顔を見て——エルヴィナの胸の奥が、じんわりと温かくなった。
 
 
階段を登りながら、エルヴィナは今日のことを思い返した。
 
 
魔界に大切な人がいる。
 
 
守らなければならない人がいる。
 
 
アレンがここに来た理由が、少しだけ見えた気がした。
 
 
そして——ただのエルヴィナでいたい、という言葉。
 
 
18年間、一度も思ったことのなかった気持ちを、この男の前でだけ、口にしてしまった。
 
 
「……アレン」
 
 
誰もいない廊下で、エルヴィナは小さく呟いた。
 
 
様もつけず、ただ名前だけを。
 
 
それがひどく自然で——エルヴィナは少しだけ、困った。
 
 
―――――――――――――――
 
 
次話「その人を、私が探してやろう——なぜそんな言葉が出てきたのかわからない」
 
 
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