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第10話:最後の一撃 ―刻印される背徳―
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第10話:最後の一撃 ―刻印される背徳―
「それじゃあ、そろそろ失礼するわね。本当にごちそうさま」
妻が立ち上がり、帰宅の挨拶を始めた。ようやくこの針の筵から解放される。僕は安堵とともに、借りていた旦那のスウェットを脱ぐために脱衣所へ向かおうとした。
しかし、それを遮ったのは「この家の彼女」の、柔らかくも逃げ場のない声だった。
「あ、その服、そのまま着て帰っていいわよ。雨もまだ降ってるし、自分の服は濡れてて気持ち悪いでしょう?」
「えっ、でも……」
「いいのよ。また『お掃除』の続きに来てくれるときに、持ってきてくれれば」
旦那も「そうですよ、気にしないで! 近所なんだから、またすぐ会えるし」と背中を押す。結局、僕は他人の、それも自分が寝取っている男の服を着たまま、家族と共に夜の雨の中へ踏み出すことになった。
玄関先。傘を差す僕たちの横に、二人の女が並んで見送りに立った。
妻が子供の手を引き、先に数歩歩き出す。旦那も忘れ物がないかリビングへ戻った、その一瞬の隙。
「最後のお礼、まだだったわね」
「眼鏡の彼女」が、僕の耳元で氷のように冷たい声で囁いた。
問い返す間もなかった。「この家の彼女」が僕の正面に回り込み、見送りの抱擁を交わすふりをして、僕の首筋に深く、深く、その唇を押し当てたのだ。
「っ……!」
驚愕で体が強張る。吸い付くような感触と、チクリとした痛みが走る。彼女は確信犯的に、シャツの襟でも隠しきれない位置に、鮮烈な「紅い痕」を刻みつけた。
同時に、背後からは「眼鏡の彼女」の手が伸びてきた。
彼女は僕のズボンのポケットに、音もなく重みのある何かを滑り込ませた。指先が僕の太ももを卑猥に撫で上げ、そのまま僕の耳たぶを甘噛みする。
「それ、私の家の鍵。……明日、待ってるわよ」
二人の女は、僕が声を上げる暇も与えず、同時に僕から離れた。そこには、ただの「親切なママ友」の顔をした二人が、雨の中で優雅に手を振っている姿があるだけだった。
歩き慣れたはずの帰宅路。街灯の下、自分の家までの短い距離が、今は奈落へと続く道のようだ。
「パパ、早く! 置いていっちゃうよ!」
少し先から、妻が無邪気に呼んでいる。僕は首筋の熱を、そしてポケットの中の冷たい金属の感触を、必死に隠しながら歩き出した。
「……パパ、なんだか変な匂いがする」
不意に、横を歩く娘がクンクンと鼻を鳴らした。
「え? そうお?」
傘をすぼめた妻が僕の隣に寄り添う。
「……本当だわ。なんだか、お隣さんの家の柔軟剤じゃない、もっと別の……おしろいみたいな、甘い香りがする」
それは、庭で僕を弄んだ「眼鏡の彼女」が纏っていた、冷たくも官能的な香水の匂いだった。
「……きっと、雨の匂いが混ざっただけじゃないかな。ほら、急ごうか」
嘘を重ねるたびに、僕は自分という人間が欠けていくのを感じた。
家に着けば、妻はこの「紅い痕」を見つけるだろう。あるいは、この服を脱がせたときに。
それとも、彼女たちはそれすらも計算済みで、僕が妻に問い詰められ、破滅していく様を、二人でワインでも飲みながら楽しみに待っているのだろうか。
ポケットの中の鍵が、歩くたびに太ももに食い込む。
深淵に堕ちる。
それは、ただ暗い場所に落ちることではない。誰にも言えない秘密という鎖で、何重にも縛られ、自分の意志では一歩も動けなくなることなのだ。
僕は、見慣れた自分の家の玄関ドアを開けた。
だが、ここにはもう、安らぎなどどこにもなかった。
(第11話へ続く)
「それじゃあ、そろそろ失礼するわね。本当にごちそうさま」
妻が立ち上がり、帰宅の挨拶を始めた。ようやくこの針の筵から解放される。僕は安堵とともに、借りていた旦那のスウェットを脱ぐために脱衣所へ向かおうとした。
しかし、それを遮ったのは「この家の彼女」の、柔らかくも逃げ場のない声だった。
「あ、その服、そのまま着て帰っていいわよ。雨もまだ降ってるし、自分の服は濡れてて気持ち悪いでしょう?」
「えっ、でも……」
「いいのよ。また『お掃除』の続きに来てくれるときに、持ってきてくれれば」
旦那も「そうですよ、気にしないで! 近所なんだから、またすぐ会えるし」と背中を押す。結局、僕は他人の、それも自分が寝取っている男の服を着たまま、家族と共に夜の雨の中へ踏み出すことになった。
玄関先。傘を差す僕たちの横に、二人の女が並んで見送りに立った。
妻が子供の手を引き、先に数歩歩き出す。旦那も忘れ物がないかリビングへ戻った、その一瞬の隙。
「最後のお礼、まだだったわね」
「眼鏡の彼女」が、僕の耳元で氷のように冷たい声で囁いた。
問い返す間もなかった。「この家の彼女」が僕の正面に回り込み、見送りの抱擁を交わすふりをして、僕の首筋に深く、深く、その唇を押し当てたのだ。
「っ……!」
驚愕で体が強張る。吸い付くような感触と、チクリとした痛みが走る。彼女は確信犯的に、シャツの襟でも隠しきれない位置に、鮮烈な「紅い痕」を刻みつけた。
同時に、背後からは「眼鏡の彼女」の手が伸びてきた。
彼女は僕のズボンのポケットに、音もなく重みのある何かを滑り込ませた。指先が僕の太ももを卑猥に撫で上げ、そのまま僕の耳たぶを甘噛みする。
「それ、私の家の鍵。……明日、待ってるわよ」
二人の女は、僕が声を上げる暇も与えず、同時に僕から離れた。そこには、ただの「親切なママ友」の顔をした二人が、雨の中で優雅に手を振っている姿があるだけだった。
歩き慣れたはずの帰宅路。街灯の下、自分の家までの短い距離が、今は奈落へと続く道のようだ。
「パパ、早く! 置いていっちゃうよ!」
少し先から、妻が無邪気に呼んでいる。僕は首筋の熱を、そしてポケットの中の冷たい金属の感触を、必死に隠しながら歩き出した。
「……パパ、なんだか変な匂いがする」
不意に、横を歩く娘がクンクンと鼻を鳴らした。
「え? そうお?」
傘をすぼめた妻が僕の隣に寄り添う。
「……本当だわ。なんだか、お隣さんの家の柔軟剤じゃない、もっと別の……おしろいみたいな、甘い香りがする」
それは、庭で僕を弄んだ「眼鏡の彼女」が纏っていた、冷たくも官能的な香水の匂いだった。
「……きっと、雨の匂いが混ざっただけじゃないかな。ほら、急ごうか」
嘘を重ねるたびに、僕は自分という人間が欠けていくのを感じた。
家に着けば、妻はこの「紅い痕」を見つけるだろう。あるいは、この服を脱がせたときに。
それとも、彼女たちはそれすらも計算済みで、僕が妻に問い詰められ、破滅していく様を、二人でワインでも飲みながら楽しみに待っているのだろうか。
ポケットの中の鍵が、歩くたびに太ももに食い込む。
深淵に堕ちる。
それは、ただ暗い場所に落ちることではない。誰にも言えない秘密という鎖で、何重にも縛られ、自分の意志では一歩も動けなくなることなのだ。
僕は、見慣れた自分の家の玄関ドアを開けた。
だが、ここにはもう、安らぎなどどこにもなかった。
(第11話へ続く)
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