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第30話 長男の性

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 空は曇っており、既に朝日が昇り切っている時間なのに僕の部屋の中は暗い。電気をつける気力も起きず、ベッドに腰掛けながら鏡を放心したまま自分の姿を眺めていた。時計の針も薄暗くて見えにくいけれど、登校の準備をする気分にはとてもなれない。

 (学校、サボっちゃったな……せっかく信頼を築けてきたのに、全部台無しだ)

 無造作な銀髪はよりボサボサに、瞳はややくすんでしまっているような印象を与えている。前は全然違うと思っていた前世の自分の姿と、今は重なって見えていた。
 
 (……初めて鏡を見た時よりひどい顔してる。せっかく素材が良いのに、また不機嫌顔に戻っちゃった)
 
 コンコン、と部屋の扉から控えめなノック音がなる。少し間が空いてから、セレナが入ってくる。僕の様子を見に来てくれたのだろう。だらしなくベッドに横たわった僕の姿を、眉をしかめて心配の目を向けてくる。

「気分はいかがですか、ハルト様」
「うん……マシにはなったけど、学校には行きたくないかも」
「近頃のハルト様は、本当に頑張っておられました。一日位お休みになられても良いのですよ」
「ごめんね、セレナ」
「謝らないでください、ハルト様」
「……うん、ありがとう」
 
 セレナはハルトにずっと真摯に向き合ってくれている。僕になってからも、ずっとそうだった。本当に一人の状態だったら、僕は挫けてしまっていたかもしれない。

 そしてもう一人、最初からでは無かったがこの家には味方になってくれた人がいる。

「入るぞ」
「……兄さん? もう出る時間じゃ……」
「業務はあるが、この程度ならどうという事はない」

 シリウス、この世界に来てから二人目にあったハルトの兄だ。最初は険悪な関係だったけれど、今はこうして僕の事を気にかけて部屋まで来てくれる程になった。心配をかけさせてしまったなという申し訳なさを抱えながら寝ていた身体を起こす。シリウスもこちらに寄ってきて、ベッドに腰掛けている僕の横に座った。

「心配かけちゃって、ごめんね」
「気にするな、と言いたい所だが……。前に言ったはずだ、無理をするなと」
「……無理してたのかな、僕は」
「急に正しい行いをし続けてきたのだからな。無理もないだろう」
「あー……、そうだね」

 シリウスにとっては、僕の行動が全て無理をしているように思えるだろう。けれど、僕にとってはずっと自然体で過ごしてきたつもりだった。……僕が前世の記憶によって変わったこと、今だったら話しても信じてくれるだろうか。本当に話す気は無いけれど、ここまで親身になって聞いてくれる二人だったら或いは、と思えてしまう。

「……」
「……」

 無言の時間が流れる。セレナも部屋の隅からじっと見守っている。まだ動こうとしないシリウスに僕は首をかしげる。シリウスは、何か僕に向けた話題を探しているところなのだろうか。時計の針の音がいくつか鳴った後、彼はぽつりと話し始めた。
 
「……最近はエマと行動を共にする事が増えたのだが……私はどうにも彼女に怒られてばかりだ」
「え、兄さんが?」
「ああ」

 エマに注意をされているシリウスの姿は数回見たことがある。しかし彼の普段の生活を考えてみても、怒られてばかりというのはどういう事だろうか。

「そんなに怒られることがあるの?」
「ああ……。私はこれまで王族の長男として、やるべきことばかりを優先し続けてきたと前に言っただろう」
「うん、言ってたね」

 僕も前世で長男だった時、妹や周囲の事ばかりを気にしていた経験がある。そのせいか体調を崩すことは少なくなかった。僕が寝込んでいた時は決まって妹に『しっかりしてよ!』と言われてしまっていた。

「でも兄さんはしっかりしてると思うんだけどな。怒られるようなことがあるの?」
「……そのしっかり、とやらが原因らしい」
「どういうこと?」
「もっと自分を大事にして欲しい、と毎回のように言われてしまうのだ」
「自分を……大事に?」

 僕とシリウスは自分よりもやるべきことを優先してしまう所が似ていたのかも知れない。似たような事で悩んでいたのだと思うと、少し心の中に温かいものが入ってきたような気がした。

「俺はどうも、自分よりも他の事を優先してしまうのが癖になっているようでな。お前も彼女に、似たようなことを言われなかったか?」
「……あ」
「ふっ、やはり兄弟だな」
「……だね」

 以前シリウスが過労で寝込んでいた時、僕は看病を優先するあまり、リリアに怒られてしまったことがあった。自分を大事にしてください、と確かに言われていた。僕とシリウスが本当の意味で兄弟かと言うと怪しいのだけれど、否定はしたくないと思った。

「自分を大事にって、どうやったらいいんだろう」
「……私も悩んでいるところでな、まだまだ勉強不足のようだ」
「兄さんの成績で勉強不足だったら、僕はどうなっちゃうのさ」
「そうだな……もっと勉強不足、か」
「……兄さんはユーモアの勉強も増やしたほうがいいかもね」
「む……善処する」
「はは、だから堅いって」

 最初は完璧だと思っていたシリウスと、こんなに砕けた会話をするようになった。雰囲気の柔らかさに少しだけ笑うことができた。それを見たシリウスと静かに見守ってくれていたセレナは、目を細めて微笑んでくれていた。

 ふと時計を見たシリウスは、さて、と言いながら立ち上がる。
 
「私はそろそろ出るが……、気分を晴らしたいのなら、あの場所に行くといい」
「あの場所?」
「……ハルト様、私がご案内します」
「う、うん……」

 そう言って、シリウスの提案でセレナに連れられたのは、ハルトにとっては縁が無かったであろう場所だった。
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