愛を抱えて溺れ死にたい。

日向明

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Ωの少年・レイン

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「何故、αだからと嫌われたのか分からない」
 レインと出会った日から一週間が経ち、アンバーがふとそんなことを言ったのが始まりだった。
「……αがしてきたことの歴史を考えれば分かるのでは?」
 ダリウスは呆れた様な目線でアンバーを見る。しかし、それでもアンバーには理解できなかった。
「それは過去の話だろう?今は違う」
「はぁ……?」
 ダリウスは本を読む手を止め、険しい目つきでアンバーを睨みつける。
「本気でそう思っているのなら、考えを改めるべきです」
「何故だ?」
「Ω差別なんて、国や地域によってはまだいくらでもあります。オステルメイヤーや、それこそ全性別平等を掲げるリリーシャとは違うのですよ」
 ダリウスの言葉に対しアンバーは冷笑を浮かべた。
「リリーシャが全性別平等だと?それこそ本気で言っているのか?」
 アンバーは冷たい目でダリウスを見ながら続ける。
「Ωの方がよっぽど優遇されている!」
「法律は性別関係なく全て平等で、民の間にもその意識が浸透している。何が優遇されているというのです?」
「皇帝はα嫌いのβだ」
「答えになっていませんし俄には信じ難いですが、そうなのだとしたらそれを表に出さない聡明な方なのでは?」
 バチン。乾いた音が部屋に響いた。
「何も分かっていない……」
 左頬を抑えながら呆然とするダリウスを他所に、アンバーは部屋を出ようとする。
「アンバー……!」
 ダリウスの声に、アンバーが振り返ることはなかった。

 屋敷を飛び出したはものの、アンバーに土地勘があるわけではなかった。
 どこで時間を潰したものかと考えた末、アンバーは周辺を案内された際に見かけた茶屋へと向かうことにした。
 むすっとした顔で街へと向かうと、休日ということもあり人通りはそこそこにあった。結婚式がこじんまりしたものだったこともあり、アンバーの顔はまだ民衆にはそれほど知れ渡っている訳ではないらしい。特に声をかけられることもチラチラと見られたりすることもなく、快適に目当ての店へと記憶を頼りに歩みを進める。
 曲がり角を曲がったところで、その店と共に見覚えのある影がアンバーの目に映る。
 アンバーは思わず身を隠そうとするが、それよりも早く相手は彼に気がついた。
「なっ、ジジイ!」
 相手、レインは駆け寄ると、いきなりアンバーに怒鳴りかかる。
「なんでここにいるんだよ!」
「それはこちらの台詞だ。何故ここにいる。院から抜けていいのか?」
 その言葉に、レインは痛いところを突かれた様に焦った顔になる。
「な、なんだっていいだろ!?」
「良くない。私は大人だ。子供を安全が確認できない状況に置くわけにはいかない。ほら、院に帰るぞ」
 踵を返そうとするアンバーを止める様に、レインは彼の服の裾を掴む。
「……それは嫌だ」
「何故だ?」
「……家出してきたから」
 レインは気まずそうに言う。
 (こいつもか……)
 自分も同じ立場故とやかく言えなくなったアンバーは、はぁっと諦めた様にため息をつくと、レインに対し代替案を突きつけた。
「ならその茶屋に居ろ」
「……見逃してくれるのか?」
「ああ、私も一緒に入るからな?」
 そう簡単には理想通りにならなかったレインは、アンバーに文句を言う。
「全然見逃してくれてねーじゃん!」
「嫌なら今すぐ院に戻るか?」
 レインはうっと押しだまると、悩んだ末茶屋へと入って行った。

「……オステルメイヤーの字は分からん。適当に頼め」
 そう言ってアンバーは共通語の載っていないメニューをレインに押し付ける。
「あのな……俺が勉強得意な方に見えるか?」
「まだ貴様の方が読めるだろう?」
 そう言われ仕方なくメニューの解読を始めたレインは、なんとか理解できた普通のお茶を二つ注文する。
「……勉強はしたほうがいいぞ」
「全く読めないジジイに言われたくねぇよ」
 お茶が運ばれてくるまでの数分間、気まずい沈黙が流れた。お湯の沸く音や他の客の声が、更に気まずさを助長する。
 やっと運ばれてきたお茶に救われた思いになりながら、二人は時間が経つのを待つかの様に座っていた。
「……なあ、ジジイはなんであそこにいたんだよ」
 レインの質問に、今度はアンバーが痛いところを突かれる。
「……お前と一緒だ」
 その回答に、レインは意外そうな顔をする。
「家出ってことか?なんで?」
「……ダリウスといざこざがあっただけだ」
「ダリウス様と?ケンカ?離婚?まあ、どうせジジイが悪かったんだろうけど」
「ケンカだし、離婚はどうせその内されるだろうな。……にしても、ダリウスのことは信用しているのか?あいつもαだろう?」
「ダリウス様は……、カ、カイ様が信用してたから……」
 つくづくカイは信用されているな。頬を少し染めるレインを見てアンバーはそう思う。
 再びの沈黙が流れ始める前に、アンバーは呟くようにレインに尋ねた。
「……何故αが嫌いなんだ?」
「へ?」
 想定外の質問に、レインは素っ頓狂な声を出す。
「『何故、αだからと嫌われたのか分からない』と言ったところから言い争いが始まったんだ。私の周りではむしろΩの方が愛されていた。だからダリウスの言うことが分からなかった」
 窓の外を眺めながら、アンバーはポツポツとそう言う。
「……それはジジイの周りの方が珍しい。ジジイの言ってることが信じられない程度には」
「……やはりそうなのか。差し支えなければ教えてくれないか?何故αを嫌うのか。きっと私はこのままではいけない」
 レインやダリウスの言葉に、アンバーは自身の感覚を疑い始めていた。
 アンバーに真剣な眼差しでそう言われたレインは暫く悩んだ末、自分の過去を語り出した。本当に幼い頃は愛されていたこと。性別が分かった日から父親や兄達の態度が変わったこと。自分が受けた扱いは決して珍しくないこと。
「……私が無知だっただけなのだな」
 レインの人生に胸が痛んだことや、自身の無知に対する羞恥を隠すようにしながら、アンバーはそれだけ言った。
「αなんてそんなもんだろ。同情だけはすんなよ」
 レインはそう吐き捨てるが、また流れ始めた沈黙に耐えかねて逆に聞き返す。
「ジジイはなんでΩの方が優遇されてるって思ったんだよ。リリーシャで生きてたら『みんな平等』だって思うはずだろ」
 アンバーは正直あまり答えたくはなかった。今まで自分の弱みを見せることは性格上出来なかった。
 それでも、レインは腹を割って話してくれたのだからと重い口を開いて語り出す。
「色々とありはするが、一番の理由は……まあ『名前』だな」
「名前?」
 予想だにしない理由に、レインは聞き返す。
「ああ。子を愛する親は皆、子の名前を必死になって考えるだろう?王族だからな、生まれてすぐ性別は分かった。Ωの兄弟は、兄は輝く者という意味の『リュミナス』、弟は太陽を意味する『エリオス』と名づけられた」
「じゃあ、アンバーは?琥珀だろ?なんで琥珀なんだ?」
 アンバーは自分に言い聞かせるかのように言う。
「金髪だった。それだけだ。αのお前の名前に意味なんてないといつだったか父に……いや、皇帝に言われたな」
 夕日に照らされたアンバーの髪は、確かに琥珀の様にキラキラしていた。
 レインは悪いことを聞いたと思ったのか、静かに俯く。同じ境遇にいたレインには、アンバーも父親に『父と呼ぶな』と言われていたことがすぐに分かった。
「俺ですら『恵みのレイン』なのに……。どいつもこいつも、碌でもない親ばっかだな……」
 レインは悔しそうにそう言う。
 アンバーはこんなことを人に話したのは初めてだった。ふっと笑いながらアンバーは問いかける。
「……孤児院はどうだ?」
 突然の質問に動揺しながらも、レインは答えた。
「前までよりずっといい。本当の家族みたいだ……」
「なら、帰らない理由はないのではないか?」
 アンバーの言葉に、レインはハッとする。
 店を出ると、日は沈み始めたもののまだ明るさが残っていた。
「おいジジイ!来週は絶対に院に来いよ!みんながお前が来ないって泣くから家出する羽目になったんだぞ!」
 そう言い残すと、レインは孤児院へと走っていった。
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