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本編 第一章 【伏縁編】
あの子を想う彼と、彼を測る私
しおりを挟む澄み切った空が天窓からよく見える。
暖かさをまとった日差しが心地よい朝。
可愛い後輩が用意してくれた火鉢を足元に置いて燃料を焚べる。
アビゲイルは今日は休日の為、受付の番は私だ。
ギルドの従事者は元々決して多くはない。おそらくギルドマスターの意向で少数精鋭体制を維持し続けている。
元々冒険者だった私が、左足に負った怪我の後遺症から復帰が難しいとされたときにギルドマスターにスカウトされたのを今でも感謝している。
こうしてギルドに従事しなければ、今頃はどうなっていたか…考えただけ体を身震いさせた。
アビゲイルの休日。それだけで比較的穏やかであるはずなのだが…そうは行かなくなった。
勇者と聖女がやってくる。
それだけで街は一気にお祝いムードだ。
最も、お祝いムードなのは街や何も知らない冒険者たちだけ。ギルドを視察に来るとあればその準備に追われている者たちも多い。
現に少し前まではあれこれとギルドマスターのダンカンの指示に従って、準備を手伝っていた。
それでも通常通り、冒険者たちへの対応も怠れないので私はいつも通りここに立つわけだが。
「…頭の痛いこと」
ただでさえ忙殺されているというのに、先日のあれはなんだ。
ーーーーーー
アラスター、ユリシーズ、ヴィクター…それに呼び出されて行ったアビゲイル。
冒険者ならともかく、アビゲイルも呼び出すのは何事だろうか。
仕事の話ならアラスターはなんだかんだダンカンに従うし、弱みを盾にするほどの事態にはならないはずなのだが。
ーガン!!
しばらくの時を経て、おおよそ扉の閉まる音ではないなという轟音に視線を向ける。
荒々しく扉を閉め、怒りがおさまらない様子のダンカンは執務室へと戻っていた。
何事だと思わず立ち上がり驚いていると、遅れて出てきたユリシーズとヴィクター。
静かに扉を閉めた二人。私を見るなりユリシーズが私に泣きつく。
「リンジーさぁぁぁん!」
「あらあら、何があったの?」
「…肝が冷えたわい」
「私は心臓止まるかと思ったよお~~!」
「ギルドマスターもご立腹だったわね」
「だってぇええ~!!アラスターが楯突くから~!!」
「アラスターが…?」
眉を顰める。
従順、とまではいかないものの楯突くなどあり得ない。そう断言できるほど、きっちりとギルドマスターに従っていたあの一匹狼が?
しかし二人のすっかり怯えきった様子は、嘘を言っているようにも見えない。
勇者と聖女の視察の件、アビゲイルが勇者の従者へあてがわれた事の顛末を聞いて「そういうことね」と妙に納得がいったのだ。
ーーーーーー
私の可愛い後輩にちょっかいをかけるあの男は、心底気に入らない。
この街に彼が来た当初、住人から冒険者からとにかく女性は色めきだっていて、アビゲイルだけはどうでも良さそうにしていた。
ユリシーズはS級冒険者ってどれくらい強いんだろうねと別の視点から彼を注目していたのが、実に彼女らしい。
街を歩けば、道ゆく女性に声をかけられ囲まれて人集りが出来るので迷惑という印象が強い。
整った顔立ち、実力者、圧倒的なまでの紳士然とした完璧超人の振る舞いに心底寒気を覚えた。
あれは形容し難いものを内に孕んだ何かを、大きく分厚い皮で包み、人の形として体裁をとっているだけに過ぎない。
私の評価はこれに尽きた。
笑顔を携え、女性たちの言葉を角を立てずに受け流す。迂闊に甘い言葉は囁かない。誤解をさせる言い回しもしない。けれどなるべく傷付けぬようにやんわりと回避する。
どうでも良いのだ。むしろ煩わしいとさえ彼は思っているんだろう。しかし女性からの高評価を望んでいる。
珍しい黒髪と対比する金色の瞳を表してか、宵の明星なぞともてはやされる色男。けれど心底女性には興味がない。瞳の奥にある冷え切った感情。
女の感情を転がして悪戯に遊ぶなんて、気楽に体を重ねるより残酷だ。
ただただ、嫌な男だ。そう思った。
一匹狼とは別に、その宵の明星という別称がこの街で定着した頃にそれは起きた。
《初めまして、アビゲイル。私はアラスター》
そう言って胸に手を当てて一礼するアラスター。
今まで一度たりとも関わろうとしなかったアビゲイルに急に関わり出した。
他の冒険者の対応を隣でしていたから良く覚えている。アラスターの後ろに並ぶ冒険者や私が対応している冒険者、その場にいる全員がアラスターがいることにただでさえ注目していたというのに。
それでも仰々しく周囲に見せつけるようにアビゲイルに自己紹介をする彼は変わらず笑顔を浮かべていた。
でも、私には分かったのだ。
ぬらりと光るその瞳に宿る感情は、これまでに見たどれとも異なる。獲物を見つけた目だ。
決して逃さないと強固な決意を同時に携えて。
そして最もギルドに人が往来する時間を選んだ。わかりやすい。
これは俺のものだから手を出すな。
彼は周囲にそう印象付けた。
とんでもないマーキングに私の頭の中の警鐘は鳴り止まず、流石に看過できないと止めに入ろうとするよりも早く、アビゲイルは告げた。
《存じてます。ご用件は?》
あまりにもバッサリと切り捨てられたので、止めることなどすっかり忘れて今度は笑いを堪えるのが大変だったくらいだ。
以来すっかりアビゲイルにちょっかいを出してはあしらわれを繰り返す日々に何度か遭遇していた。
迷惑そうなアビゲイルを見て、色恋には疎いだろうに男を見る目があるよく出来た後輩だと感心すらした。
だがここ最近は違う。
余計な心配をさせまいとアビゲイルは話さない。けれど見ていれば分かる。
どういう事情かは知らないが二人には確実に今までの距離感をぐっと縮める何かがあった。
常ならば挨拶など平然と返していたのに、照れくさそうにもじりながら返すアビゲイルは誰の目から見ても明らかだった。
歳の割に妙に大人びていて、変なところは抜けている。それでも真面目に仕事に取り組み、努力は厭わない。
冒険者たちへの向き合い方もとても真摯で、彼らへの尊敬と感謝の念を忘れない対応。
メガネやそばかすのせいで、赤毛の割に地味だという印象がむしろ彼女の誠実な対応も相まって冒険者たちの中では癒しの存在となっていた。
実は密かにアビゲイルに想いを寄せている若い冒険者から相談を受けたことがある。
それも違う人物に何度か。
彼女は知る由もないだろうが。
アラスターがちょっかいをかけるようになってからは、パタリとそんなことも無くなってしまったが。
S級には敵わないと思い知らされたのだろう。
彼より武勲をあげたことのない冒険者が、彼女に振り向いてもらえるはずがないと。
アラスターは、冒険者たちのアビゲイルへの評価を知っていた。幼く淡い恋心を寄せている冒険者がいるのも。全て知っていた。
アビゲイルの根の真面目さも、真摯さも、優しさも、年相応な無垢さも、愛嬌も…
そもそも『アビゲイル』という少女がこの街に存在していることも、最初から全て知っていたのだ。
評価も、見た目も、実力も優秀である自分が、アビゲイルへ傅くことで彼女へ向けられる、自分以外からの恋慕を全て退けさせた。
本当につくづく嫌な男。
全て計算づくに思えてならない。
そもそもアビゲイルと会ったのは、あの仰々しい自己紹介が最初ではないはずだ。アラスターがこの街に来てからギルドには顔を出しているし、アビゲイルを見ている。
それなのに宵の明星という別称が定着した頃に、敢えて改まって自己紹介をしてみせた。
完全に彼女に自分を認知させに来ている。
ここまで思考を回してやめた。
私がどれほどあの男を危険だと認識していても、可愛い後輩がどんな理由であれ受け入れたのなら私は支えるべきだ。
やめておけと言いたい。
でもアビゲイルはもうすっかり恋に落ちている。
一度走り出してしまえば、たとえ危険だと分かっていたとしても戻れなくなるのが恋なのだ。
「…はぁ」
溜め息が止まらない。
同時にギルドの扉が静かに開く音がした。
「やあ、リンジー」
「……アラスター」
声に出してはいないものの、噂をすればなんとやらだ。頭痛の種の登場に頭だけではなく胃もキリ…と痛む。
「何かご用かし…」
「勇者の情報を」
食い気味に淡々と告げられた。
アラスターの表情には微塵の笑みもない。
ギルドマスターとの割と本気の手合わせを見たときもここまで冷めた表情をしたことがない。
勇者と聖女の件は、アビゲイルに説得されたと聞いていたが。心のうちではまったく納得いっていないのだろう。
「あの子が今の貴方を見たら、泣いちゃうわね。これだから狼さんは怖いわ」
「見せるつもりはない」
「……」
背後の天窓から差し込む光で彼の顔に落ちる影。
影から瞳の金色だけが、ぎらぎらと浮き上がっている。
狼の形をした大型の魔物が、獲物を捕捉し、研ぎ澄まされた牙と爪を振るう直前とよく似た、背筋の凍るような視線。
その緊迫感は、意識していなければ呼吸すらままならない。
表情は微動だにしない。
普段の貼り付けたような笑みはない。
人間らしい要素をかなぐり捨て、分厚い皮で覆われた本性のみを露呈させた、どす黒いどろりとしたもの。
彼がいつもの調子を取り戻せるようにからかってみたが、結果的に火に油を注いだだけの自分の言動に後悔する。
狼が全身の毛を逆立てて威嚇している方が、よっぽど可愛らしく思えるその様相。
圧倒されて、体が震える。
私という障害。
ギルドマスターという障害。
勇者という障害。
これにとっては、アビゲイルに対して自らの行動に強いられる制御全てが障害。
そこに人の道理も法も体裁も通用しない。
だが引けない。
この状態は、この男にとっても…ひいてはアビゲイルにとっても良くない。
震える体に鞭を打つ。
怯えるな。
隙を見せれば、一気に仕留められる。
「…悪戯が過ぎたわね、悪かったわ」
「どうでもいい。勇者の情報を」
「…落ち着きなさいよ。従者といってもほとんどがこの街とギルドと施設の案内でしょう?」
「だから?」
「は?」
「だからなんだと言っている」
「貴方ね…」
「彼女の為に抑えている」
「……」
「勘違いするな、リンジー。
俺は礼儀正しく振る舞っているつもりなんだ。
——彼女が、それを望むから」
この男の判断基準は、全てアビゲイルだ。
あの子が働いている場所だから、壊さない。
あの子が慕っている私だから、壊さない。
あの子が生きている世界だから、壊さない。
アビゲイルが存在しているから、自分も存在している。ただその為に取り繕っていただけ。
ここまでくるともはや威圧による恐怖を通り越し、呆れ果ててしまう。
彼にも自分にも、呆れて呆れてどうしようもない。
完全に私は、アラスターを見誤っていた。
アラスターがアビゲイルに本気かどうか?
伺い知ろうとした今までの自分が、本当に笑えてくる。愚問も甚だしい。
一途でひたむきで真っ直ぐな思慕や愛情?そんなのは児戯に過ぎない。
最初からアラスターの世界には、アビゲイルしか存在していない。
それ以外の全ては、アビゲイルに色を纏わせるための舞台装置でしかない。
彼は舞台の中央に立つアビゲイルしか見ていないし、それ以外は微塵も興味がない。
観客はアラスター一人だけで良い。
彼女が可憐に踊り、歌い囀るのを彼だけが見て良い。
彼女という主役が、さまざまな登場人物との交流を経て、より輝き、より美しく立つ。
だからこそ登場人物ではなく、観客側に立つ可能性のある勇者という別の存在が、微塵も許せない。
笑っちゃうわねリンジー。
こんな度し難い存在を、ただの執着や依存などという言葉で測ろうとしていたなんて。
なんだか急に笑えてきてしまって、体中を巡っていた恐怖が、抜けていく。
けどこれでよくわかった。
アラスターを説得する材料が。
もう自分の手に握られることのない、過去の武器の感覚を呼び覚ます。
「これは『仕事』よ、アラスター。アビゲイルだってそう言ったんじゃないかしら」
「……」
「彼女の初の大仕事を、貴方の子供じみた嫉妬で台無しにする気?」
「……」
「そんなことしたらアビゲイルに嫌われるわよ?」
「…………それは、困るね」
長い沈黙の後、ようやく威圧感が無くなり普段の口調へ戻る彼に胸を撫で下ろす。
確かに弱点を突き刺す感覚。
恐怖からの解放。日常への回帰の光。
見も知らぬ異性といるのは確かに嫌だが、アラスターが最も避けたいのはアビゲイルに嫌われることだ。
弱点というか、正気に戻させるためのトリガーというか。
正確にそれを突けて良かった。
冒険者として活動していた頃、細剣(レイピア)を獲物として使用していたこともあって弱点を突くのには多少の自信があったが…こんなところにも活きて良かった。
「それで、勇者の情報を教えてもらえるかな?」
「はぁ……わかったわよ。少し待っててちょうだい」
そこは引き下がらないのね。
とはいえ多少冷静になったであろう現状なら、まだマシか。
これ以上長引かせて、余計に事を荒立てればこれまでの比ではないだろう。
大きく溜め息をつき、踵を返して書類を取りに向かった。
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