太陽を愛した狼

カナメ

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本編 第二章 【王都編】

合わせる歩幅

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 緩やかに意識が浮上して、瞳を開ける。
 見慣れた天井と静まり返る薄暗い室内。
 顔を横に向け、視線を巡らせてもこの部屋に彼女はいない。
 手にほのかに残っている彼女の髪、肌、体温を忘れまいと指を擦り合わせる。

 上体を起こし、室内を見回す。
 ベッドと食事をするために必要なテーブルと椅子。それ以外は全く飾り気のない、寝るためだけにあるこの部屋にただ空虚を感じる。

 アビーの部屋は違った。
 テーブルに置かれた花瓶。
 彼女が好きな紅茶の茶葉が並べられた棚。
 私が贈ったチョーカーが入っていた小箱は、ベッドのサイドテーブルに大切に置かれている。
 生活感があって、彼女が暮らしているというだけで陽の光に満ちたような空間だった。

 本当は常に彼女と共にいたい。
 だが彼女の仕事が翌日に休みの時にだけ、泊まることを許されているのでそれもできない。
 やはり早々に共に暮らすための家を探すべきか、と考えを巡らせて起き上がる。

 顔を洗い、乱れた髪を手櫛で撫で付けたくなる気持ちを抑え、櫛を通す。
 しっかり梳かして気を払うと、彼女が触り心地が良いと褒めてたくさん触ってくれるからだ。

 寝衣を脱ぎ、いつも通りの装備を身につける。
 革手袋を装着する前に、軟膏を手に塗り広げる。
 私が触れた時に、彼女を傷付けないためだ。

 彼女以外に素手で触れる必要がなかったので気にも留めなかったのだが、荒れた手を見ると彼女は悲しそうな顔をするので注意している。
 元は彼女がくれた軟膏だが、今ではすっかり定着して新しいものを自分で購入している。

 これまで様々な物を顧みなかったせいだ。
 自分の体がどれほど傷付こうがかまわなかった。
 どんな手傷も私にとっては無意味で無価値で、彼女を失う方がよっぽど痛いから。

 自らの生活の中に、常にアビゲイルという存在がついて回ることは以前も今も変わらない。
 けれど彼女が私を選んでくれた時から、真逆になってしまったように思う。

 自分の生活の中に、彼女が息づいている。

 決して彼女を逃すつもりもなく、ただ選ばれるために奔走していた時。
 私の行動原理は常にアビーだった。
 それは今も変わらないが、今はやはり違うのだ。
 すでに彼女は私を選んでくれて、必要としてくれている。

 彼女のために出来ることなら、なんでもやる。

 彼女を手放したくない。
 でも彼女の時間を邪魔したくはない。
 しかし彼女と会えない時間が不安ではない。
 むしろ会っていないこのひとときですら、彼女を想って身を焦がす事に甘美すら感じている。

 少し前なら手放したくないと焦り、憤り、身の内から業火に焼かれる思いに苛まれていたのにだ。
 あれだけ嵐のように吹き荒れていた胸中は、水面に広がる波紋を楽しむほどに穏やかだった。

 これが良い変化なのか、悪い変化なのか。
 それさえ私には分からない。
 もっと焦るべきだろうか。
 より彼女が離れてしまわないように、もっと頑丈に、鎖で縛るように。
 だがそんなことをすれば、きっと彼女は輝きを失ってしまう。それだけはしたくない。
 私が彼女を求めているように、彼女も私を求めてくれている。何度だって私の不安を払うように、言葉にして、行動にして、示してくれる。
 なら、焦る必要などどこにもないじゃないか。

 それでも彼女に会っていないのと、会えないのでは大きく異なる。

 討伐遠征では苛立って仕方がなかったし、苛立ちがゆえにさっさと終わらせることができた。
 ご褒美もたくさんもらえたが、流石にやりすぎて彼女に負担をかけてしまったので反省はしているが後悔はない。

 軟膏を塗り終わり、手袋を装着して家を出る。
 日課となっている鍛錬を行うために訓練場へ向かう。

 早朝は鍛錬をし、指導の当番の日であれば、そのまま訓練場で冒険者たちを見る。
 食堂で食事を済ませたとしても、アビーの仕事が比較的落ち着くまでにはかなり時間がある。


「……」


 正直、やることがない。
 まだ人のいない道を歩きながらぼんやりと考える。

 最初は街を歩き、彼女によく似合いそうな物を見て回っていた。その都度買って彼女に贈りたかったが、きっと遠慮されてしまうのでやらないよう努めている。
 しかし店に陳列されたものは短期間で品揃えを変えることはないため、早々に見きってしまった。

 なら夜の星リット・ベガにでも行こうかと思うものの、あまり頻繁に行くほどでもない。
 そもそもアビーと共に行く方がずっと有意義だ。

 仕事をしようかと思考を巡らせるが、暇なら遠征に行けと言われるのは目に見えている。
 ダンカンめ、今度は王都へ行けとは。アビーが行きたがらなければ、冒険者を引退していたところだ。

 ならば街の図書館にでも行くかと思うものの、めぼしいものはとっくに読み尽くしている。
 いつだか読んでいた魔法に関しての論文もすでに読み終えてしまった。
 アビーと一緒に行って、彼女が好きそうな本を教えて欲しいがひとりでは不可能だ。

 ふと足を止めて空を見上げる。
 まだ夜も開け切らない時間。星や月は徐々に眠りにつき始める頃。

 きっとアビーはまだ寝ている。
 様々な事にはたいして興味もわかなかったが、彼女の寝顔は毎日見ても飽きない。
 今頃はどんな夢を見ているのだろうか。
 悪夢にうなされていなければいい。
 夢の中で私を想ってくれれば尚良い。

 訓練場に到着し、静まり返った場に砂を踏む音だけがザリ…と響く。
 記憶に新しいレオニスとの手合わせの記憶が、怒りと共に蘇る。
 けれどもういい。奴のアビーに対する執着を終わらせたのだから。


「…終わった」


 ふと、その言葉を呟いた。
 終わり。確かにレオニスは終わった。
 敗北という形で。

 自分はどうか。
 アビーに私の積年の思いが通じ、これまでの画策は終わったと言えるのではないだろうか。

 なら今は?
 今はアビーを失いたくない。
 彼女を失わないために、ありとあらゆるものから守りたい。
 彼女となんてことない話題で笑い合って、いつでも凭れられるように隣にいて、甘やかして、甘やかされたい。

 地面を見つめ、走り込みを始めるために足を踏み出す。

 私は、終わったのでなく始まっただろう。
 かつては彼女に選ばれるために、無我夢中で走った。
 今は彼女と並んで歩くために速度も落として、歩幅も合わせて、ゆっくりと歩きたいのだ。

 だから私は時間を持て余している。
 持て余しているというよりも、彼女が見ているものを共に見ていたいんだ。
 走り続けていた頃は、そこから見える景色などには目もくれなかったから。
 そうか私は、景色に興味がなかったのか。


「…なるほど、存外私は面白みのない男だったというわけだ」


 独り言のように呟いた言葉は、走り出した足音にかき消える。

 これではきっとアビーに愛想を尽かされてしまうかもしれないな。そう思ってクスリと笑う。
 いや彼女は優しいからこの程度のことで愛想を尽かすことはないだろうが。
 彼女を楽しませられない凡庸な人間では、きっと過去の私が今の私を許しはしないだろうな。


 ——お前のようなとるに足らない男が
 彼女のそばにいるべきではない


 そうして怒り狂って私の喉を切り裂くだろうな。
 間違いなく私ならそうする。

 私は、彼女が興味のあることしか知りたいと思えない。ならばこれからは、彼女から少しずつ教えてもらおう。
 そうして自分が見ているものの視野を、少しずつ広げて、知っていこう。


 そう考えると王都への護衛依頼も、少し楽しみに思えてくるな。
 護衛が必要なのはこの街から王都までの往復の間で、滞在している間の2週間は自由行動を許可されている。
 自己鍛錬の後は、王都の情報でも収集するかな。

 そうして思考を巡らせながら、私は走る速度を上げた。





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